毎月27,28日は大教会の神殿当番。
うちの大教会では、神殿当番は、別席やおさづけのお願いやお礼などがあるとさせて頂き、一言の話を取り次がせて頂く。
近頃はそうしたお願いも少なく、もっぱら事務所当番になっている。
そうした中に、今回は、おさづけの理拝戴のお礼に巡り合った。
(その前に、うちの3男が先日おさづけを戴き、先日のオープンキャンパスの時におかきさげを持って来たので、私が代理で、構内の先生にお礼をしてもらった)
そして、思いつくままに、陰徳の話などをさせて頂いた。
たまたま、その子の両親が揃っていたので、その両親にも話を聞いてもらう事が出来た。
そして、その子と両親を考えあわせ、その子の言動を見る時、「君はすでにお道の信仰をしてきた人の生まれ変わりだと思う」と話をした。
この子の親は、アルコール中毒で何度も命を失いかけた。
それを不思議と何度も御守護を頂いて今ある。
それを見て育ち、おさづけを取り次ぐ時に「躊躇なく取り次げる」という
彼の言葉からそのように思ったのである。
そして、生まれ変わりの話もした。
書きながら次のような逸話を思い出した。
「一代より二代」
一代より二代。。。逸話編 90 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)
「人々の心の理によって、一代の者もあれば、二代三代の者もある。又、末代の者もある。理が続いて、悪いんねんの者でも白いんねんになるねで。」
全くその通りだと思う。
何代も信仰を重ねた家に生まれ出ても、一代目の信仰の者も、初代の信仰でも末代の信仰の者もあるという事である。
この点を見誤ってはならないと思う。
この点を見誤るから、おかしな方向へと行ってしまう。
せっかく栄えたものも、つぶしてしまう事にもなりかねない。
大切なのは、人の魂・心である。
今日も一日頑張ります。
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