昨日、メガネを忘れて、アルバイトへ出かけた。
地下鉄に乗って、スマホを出して気が付いた。
メガネという事で、目が良くなったという話しを思い出した。
何もしないのに、突然目が痛み出し、1週間ほど痛みが続いた後、メガネを掛けずとも小さい字が読めるようになったとの事だった。
その方は、奥さんに話しても「そんな馬鹿な」と信じてもらえなかったそうである。
不思議な御守護については、当の本人しか分からない事も多い。
その話を聞いて、飯降伊蔵先生が本席と定まる時の身上を思い出した。
事前に病ではないと言われて居ての身上であり、数日熱と痛みにうなされて、周囲はもう出直すかと思うくらいのものであった。
永尾芳枝祖母口述記。。。「復元」3号(書き換え)4(追記・修正)。 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)
以下にその部分を転記しておく。。
『ご本席様とお成り遊ばされた時の御模様をお話下さいませ』
言うまでもなく、父様は、天にも地にも教祖ただお一人を頼りにしておられたのだが、教祖は知っての通り明治20年正月26日の正午にご昇天になった。
その時の様子をあっさりと(簡略に)いうと、その朝父様は内蔵へ入って扇の伺いをしておられたが、その時のおさしづに、
ほんづとめせいせい、してもかかる、せいでもかかる
とおっしゃった。
お勤めをすれば警察へ引っ張られなければならないが、しなくても引っ張られるのだったらお勤めに掛かろうと、みな相談して、甘露台のところへ荒むしろを敷きまわして本づとめに掛かったのだが、警察へ行くどころかちょうどお勤めが終るころに、教祖はご昇天になったのや。
それから間もなく、旧2月17日(この日、本席様は以前、仲媒(ちゅうばい・仲人)をされた菊池安太郎という人のお祝に招かれて行かれ、酒宴の途中から少しご気分が悪くなったので、お帰りになり、そのままお休みになると、にわかに熱が出てお身上になられたと聞く。伊)の午後から、父様は身上にお障りを受けて、同日の暮れまで寝付かれたのだが、その間の父様の苦しみはとてもとても激しいもので、ことに熱が高くて玉のような汗が拭く暇もないほど流れ出る。その汗を拭いては絞ると、飴のようなものが流れて糸のように引っ張るので、人々はこんな不思議な病気は見た事が無いと言っていたくらいだった。
そんな中にも神様は父様にお入込になって
真柱を呼べ、早く真柱をここへ連れてこい
とおっしゃる。
父様のお障りは熱ばかりではなかった。それはどうにも奇妙な病気で、父様はこの時の事を「あばら骨が一本ずつ、ぶちぶちと折れて、その折れる間に、骨と骨との間に煮え湯が沸いて、しばらくじっとすると、また次の骨が折れてゆく。こうして右がみな折れると、こんどは左もみな折れてしまった。それからコチコチと音がして元の通りにはまっていったが、何ともかとも言われないほど痛かった」と後になって言われたのだが、本当に側にいた私たちにもその音が聞こえたのだった。
そんな苦しい中にもおさしづが下がった。おさしづの下がる時の父様の声は常よりも強い語気やった。その時のお言葉に
今や屋形の真の柱を入れ替えたで
つづいて
これからは黒衣をきせて5人いても6人いても働くで働くで
とおっしゃった。
23日の夜はことに厳しく、この時のおさしづは
真柱を呼べ真柱を呼べ
つづいて
どうしてもいかん、こうしてもいかんといえば、赤衣二つ並べてしまうで
とおっしゃったのだが、それまでにもまだ教長(前管長)さんは来られなかったのだった。
その23日の夜は、とてもとても心配でたまらず、母様と私は石西さんの風呂へ入れてもらってくると言って、そっと家を出て石西さんの風呂場の隅で泣きながら相談し合って決心したのやった。父様があの通り身上が迫っては、とても3日の日も持つまい。あれほど神様がお呼びになっても、どうした訳か真柱様は来られず、もしもその内に父様が出直されたら、後に残った家族の者などはどうしようか。教祖は「一つの世帯。一つの家内と定めて伏せ込んだ」とおっしゃったけれども、今の状態では案じられる。今更櫟本へ帰ることなどは出来ず、いっそのこと、親子4人(母親と私と妹の政枝と弟の政甚の4人や)河内の国の方へでも行って、乞食をしようとも大和の土地は踏まないでおこうと言って、母子泣き泣き語りあったのやった。
このように言うと、いかにも弱い精神だと思うだろうが、教祖のご昇天になった後のお屋敷というものは人間心ばっかりで、長の年月、教祖ただお一人を頼りとして、またお言葉を信じて連れて通らせてもらったのに、その教祖はこの世のお方ではなく、そんな時にこのあり様だから、とてもとても苦しみはひと通りやふた通りではなかったのや。口ではとても言う事が出来ない。
この時のあり様を詳しく言えば、人を恨むようになるから言わないでおくが、それはそれは苦しいものやったで。
それからも度々、神様が父様にお入込みになって「早く真柱を呼べ」とおっしゃるが、どうしてもお越しにならん。とうとう辻忠作さんと桝井伊三郎さんの二人が、どうしてもお呼びしてくると言って行かれたが、やっと前管長さんが来られた。それは3月1日の夜明け頃やった。
その時のおさしづ
さあさあ あちらこちら、つまんだようなことを聞いていたぶんには分からんで、これしっかり聞き分けねばならん、神が今に下がる、出るというたところが承知でけまい、紋方の分からんところから神がこの屋敷に伏せ込んだ、さあこの元が分かれば、さあ知らそう、承知でけねばそのままや、さあ返答はどうじゃ、無理にどうせとは言わん
いかにも承知致しましたとお答え申し上げると、
さあさあしっかりと聞き分け、今までは大工というて仕事場をあちらへ持って行き、こちらへ持って行った、それではどうも仕事場だけよりでけぬ、・・・・・・・
今のところの仕事場と言うた事を消して、本席と定めて渡そうと思えども、このままでは残念残念、さあさあ本席と承知がでけたかでけたか、さあ一体承知か
真柱が「おおぢいの身体は天に差し上げまして、飯降家の家族は、私の家族として引き受けますから、どうぞご安心下さいませ」とお答えされると
ちょと頼みおくと言うは、席とさだめたるといえども、今一時にどうせいと言うでない・・・・・
さあ人は変わっても理は変わらん、理は一つやで、これからは別火別鍋
というお言葉だった。
時は明治20年旧3月1日やった。
間もなく、父様の身上は元通りに全快されたが、今から40年の昔を思い返すと、父様も色々な道を通られた。
明治15年旧2月8日、教祖のお側へ引っ越しさせて貰ってから、20年に本席と成られるまでは、一日の日も長い着物を着られた事などなく、いつも窯の側で立ったまま、食事をされたのだった。
・・・・
今世界では、コロナとワクチン接種から大変な事が起きている。
ドンドン人々が亡くなっているとの事である。
そして、その原因解明に懸命になる人々と、それをうやむやにしたい人々がはっきりとして来ている。
先日、親神様のざねんが晴れた後の事と思えるおふでさきを書いたが、親神様が不思議なお働きを見せて下さるのは、人々のまことの心を受け取ってであることが書かれてある。
2月26日のご本部での事。。27日 朝のおふでさきから。。。 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)
どのよふなむつかし事とゆうたとて
神がしんちつうけとりたなら (5-40)
である。
誠の心、ウソ偽りではない、真実の心である。
人たすけたい。助かりたいという真実の心が合わさって、おさづけが効くとも聞かせてもらう。
まだまだ世界は、心のあり方についてまで思いが至っておらず、スピリチュアルという者達にしても、心明るくというような言葉でしか発信されていない。
すべては、それぞれの心通り。
誠真実の心が使えるようになるための、勉強。。
思うがままに。。。
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