又突然に、閲覧者が増えまして。。。どうなっているのかなぁと、考えています。
お道の信仰をはじめて、八つのほこりのお話を聞くと、自分の性分に気が付くものである。
そして、その性分を変えようと思うけれども、性分が変わらなくて、「もう無理!!払う事は出来ない!」と、八つのほこりの思案すら、しなくなる人もあると思う。
さて、昔の話を。。。第二専修科に入った頃です。
先輩や先生から怒られます。言われたようにやろうとするのですが、うまくできないのです。
そうした時に、すぐに怒られるのではないかと不安になります。
すると、先案じばかりで、何もできなくなってしまったのです。
当時はその理由が分かりませんでした。どうして不安になるのだろう。と、そんな事ばかり考えていました。
そうした時、「八つのほこり」の「かわいい」が心に留りました。
そして、「我が身かわいい。自分が怒られたくない。と思う、この心があるからだ。」と思いました。
それから、我が身かわいい心を出さぬようにと、日々を過ごしていました。
けれども、出さないようにと思えば思うほど、心が気になって、余計に動けないのです。
そして、数カ月がたったある時、「考える前に動けばいいじゃないか」「言われて、失敗するかもしれないけれども、言われたらすぐにやると心定めてみよう、我が身かわいい心を沸かす前に。。。」
と思ったのです。
そして、ともかく動きました。心定めたように、考える前に動きました。
いつしか、思いついたらすぐに動くという事が身につきまして、「我が身かわいいほこりを払わなければ、、、」という考えさえも、思わなくなりました。
そうこうしていますと、どんどんやれることも増えて来まして、怒られることもないようになったのであります。
これは、本当に20才前の若いころの話であります。
徳を積むという話があります。
人様に喜んで頂けば、それが徳になるのです。その人が言うように「ハイ。ハイ。ハイ」と言って行えば、それでその人は喜んで下さり、自分の徳となります。
秘密訓令が出された時には、「いかんといえばはいと言え。ならんといえばはいといえ。」「はいはいはいと言って這い上がる道や」とおさしづがあったと思います。
このおさしづは、先ほど言った徳を積むことと重なって思えるのです。
「はい。はい。はい」と言いながらも、「どうして?そんなことを?」と思う事も多々あるはずです。
この「どうして?」という心は、言われた事を行う時には忘れて、言われたままに行います。そうしないと失敗してしまいます。
しかし、絶対にその結果を見ておくことが大切です。
言われたとおりに行って、そこでの結果が、その指示した人の思う通りにならなかったとしても、それはその指示した人の責任であります。
言われて行った人は、その失敗を自分の経験としておけば、自分の判断で行う時の材料に出来るのです。
親神様が、自分に(仕事ならば上司を通して)与えて下さったこと、と思って、懸命に行う事。これが大切だと思います。
さて、この年になりますと、やりたいことがあっても、若い時のようには体が言う事をききません。
だから、年を取るまでに、どんなことでもやっておくことをお勧めいたします。
話がそれましたが、なかなか心のほこりは自分では取れないのです。だから、そのほこりから心定めて、行動をするのです。
すると、いつの間にか、親神様が払ってくださっているのです。
しかし、人間には、たくさんのほこりの心があるのです。一つ気が付いて払えても、次が出てくるのです。
一度に全部が出てきたら大変です。小出しして下さる事を感謝して、こつこつと歩めば、大変な思いをせずに歩めるのです。
どうか、親神様に自分の性分をお詫びしながら、心定めながら、こつこつの歩みを頑張りましょう。
特に、人様に助かってもらいたいと思っている方は、どうぞ若いうちにどんどん下積みの行いをして、徳を積ませて頂きましょう。
最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。
親神様の思いが世界中に伝わりますように、そしてざねんが晴れますように。
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