娘がいる白梅寮から、マスク作りの報告とマスクが届いた。
寮の先生方の指導のお陰で、家ではできない色々な体験をさせて頂けることを、本当にありがたく思います。
おぢばでお育て頂いたという事から、少し自分の事を書こうと思う。
昨日「研究」で検索した「おさしづ」をアップした。
おさしづを勉強しようとすると、大概の人は、「おさしづの願い出の状況、人々の様子などが分からなければ、間違った解釈になるから・・・」と言って、話をする人もなかった。現在でも私の周囲で、おさしづの内容について話が出来る人は誰もいない。
単語で検索をして、その単語の使われている意味を探る手法は、第二専修科のおふでさきの授業で、澤井先生がされていた手法である。
一般的な意味を求めて、そして使われている「おふでさき」を列記して、おふでさきでの意味を求めていくのである。
同じ言葉でも、その時の使い方でニュアンスは変わるものであるし、また、普通の日本語ではないような言葉もある。
そうして、調べて、思案したことを順番に発表していくのが授業であった。
これだと、求めている言葉を中心として、周囲の言葉を探る事にもなり、ただ単に読んだだけでは、ほとんど意味の分からない「おふでさき」や「おさしづ」に親しむきっかけになる。
実際に、これを私は「おさしづ」実践してみた。
すると、この時には何があったのだろうかと、天理教事典の年表を引っ張るようになり、その時の様子が分かるようになる。
これを繰り返すと、おさしづの言葉になれてくる。そして、そのころの情景や人々の心情を想像できるようになるのである。
人間は色々な経験をして、その経験から様々な心情を体験する。
そうすると、実際に体験した、自分自身の身上や、事情、またおたすけの時の心情などが、当時の先生方の状況や心情に重なるものがある事を感じるのである。
それを元にして、感じることを簡単に書いたのが、先に書いたところである。
さて、「おふでさき」の一番最後のお歌は何か。 おふでさき17号
さと/\たをと/\びよさま/\ (17-73)
このはなしあいづたてやいてたならば
なにゝついてもみなこのとふり (17-74)
これをはな一れつ心しやんたのむで (17-75)
上記のおふでさき注釈 73-75を書いておく。
註 さと/\とは、教祖様の生家前川家を指し、たをと/\は、秀司先生の庶子で、田村の村田某(田甚)の分家へ養子に行かれた音次郎氏のこと、びよさま/\とは、秀司先生の奥様まつゑ様の生家平等寺村の小東家を指されたものである。右に挙げた三家は、当時いずれもお道に対しては熱心という訳には行かなかった。このお歌は、神一条の道に遅れるならば、たとい親戚の者でも十分守護する訳に行かぬ、とお戒めになったもので、合図立てあいとなって、悪い理が回ってきたならば、何についても皆この通りになるから、皆の者は、よく思案せよ、と仰せになっている。ここの処をよく思案して、我々は、神意に背かぬよう、神意の急き込みに遅れぬよう、しっかりと神一条の御教えを心に体して、たすけ一条の道に勇んで進まして頂かねばならぬ。
とある。
ここの注釈では、
このはなしあいづたてやいてたならば
なにゝついてもみなこのとふり (17-74)
これをはな一れつ心しやんたのむで (17-75)
を、三家の事について解釈しており、実際に、この三家は没落してしまうのであるが、
教祖のひながた、そして「おふでさき」、「おさしづ」に示された事柄はすべて、現在の我々人間が陽気ぐらしに向けて成人するために、わざわざ親神様が残されたものと考えるときに、最後の、
これをはな一れつ心しやんたのむで (17-75)
が、とても大変な意味を持っているように感じる。
一列とは、我々人間である。人間の心に対して、これまでのおふでさきに表された事柄から、「陽気ぐらしへの歩をする思案」を親神様から頼まれている。と思えるのである。
そのためには、おふでさき、おさしづ、教祖の歩まれたひながたのみならず、先人先生方の歩まれた道、また様々な事情を知り、研究を重ねることが大切だと思う。
ただし、先の「研究」での検索で引っかかった、
No. 1 :(1巻88頁5行)
明治20年10月26日
『真之亮よりの思召を以て、八九人懇親会研究に付御願』
さあ/\いかなる処、どうせこうせは言わん。時談々々、時談はすうきり要らん/\/\/\で。心次第の道を知らんか。どんな者でも、道に譬えて一つ事を聞き分け。さあ/\一分一厘の理を、よう聞き分け。最初拵えた道具は、どういう道具で、拵えた道具や。神がちゃんと見分けて、一つのあたゑを渡してある。今の楽しみ、先の細道。今の細道、先の楽しみ。先の道を見て居るがよい。どういう道や、よう聞き分け。五人七人十人はどういう心、いかなる定め、十分定め。成程という理であろう。よう聞き分け。難学やで。人間心要らん/\。神一条でさい取り決まられん今の道や。・・・
まさしく、難学である。人生一代では解き明かせないだろう。けれども、我々人間は生まれ変わり出変わりする。
No.19 :(5巻4008頁7行)
明治34年6月14日
『六月一日より本席御身障りに付七日間御休みに相成る、よって種々相談の結果、本部員一同神様へ御願い申し上げしには、御身上速やか御成り下さればおさしづを頂き、おさしづによってどのような事も運びますと御願いに付、如何の事でありますや願』
の後ろの方の
『二間半に両庇、四畳半と六畳とに押入付のものを並べてさして貰います、と願』
さあ/\もう何も十分の事は要らん。これ無い処から、苦労して価を出して人の家借りて居るは、日々の処見難くてならん/\。今日来た者やあろまい。古く/\身代売り払て道のためと思やこそ/\、国々運ぶ者数々ある。安楽は未だ/\である。二十年三十年間同じよう通りたとて、理が無くば何もなろまい。十年の者でも、二十年三十年に向かう理もある。これ聞き分け。
と言われている。これは、年数だけではなく努め方で理の積み方の違いがある事を言われているが、これと同じように、私たちが今世積む徳はそれぞれによって違う。けれども、必ず来生で生きて来る。今世は十分に悟れなくても、来生で話を聞いただけで悟れるという魂で生まれださせて頂けるのである。
だから、「年を取ったから」とか「覚えられないから」とかしょげて落ち込む必要はない。年を取って弱ったらそれは、若いものがつとめる場所を提供するだけのこと。「覚えられなくても」違う能力があると思って、やれることを考える心が欲しいと思う。
もし、動けなくなっても、それなりの役が与えられる。そこで、陽気ぐらしへの学びがある。
大切なのは、心の切替。
親神様の思いを思案すれば、冷静に自分の事を考えることが出来る。
と思えるようになった。
これも、おぢばでお育て頂いたお陰だと思っている。
親神様、教祖ありがとうございました。
どうぞ大難は小難にとお守りください。
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