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公刊本おさしづより  1 青年会創設

2018年10月24日 19時21分09秒 | 図書室

公刊本おさしづより 1

青年会創設に関するおさしづ 

 
       
青年会について調べ始めた経緯

 他のサイトにて「女の道」といわれる「教祖のお言葉」から男・女(天の理・地の理)についてねりあう中で、婦人会に「母親講座」があるのに男には「父親講座」というものは現在ない。との言葉から婦人会・青年会の存在が気にかかり、その設立のおさしづから何か男女についての事が分かるのではないかと、青年会の創立のおさしづを調べ始めた。 【目次へ】

 
       
 この当時に関する資料

・「あらきとうりょう」(209) p39~48

現在の青年会創立に関する資料

・「あらきとうりょう」(210) p26~30

 
   
           

おさしづ目次
明治31年6月3日
『先般梅谷たね、永尾おさしづより本部員会議の上農行衆なり日々本部で勤める青年に、月々一度宛御話する事、本部長の御許しに相成りしに付、神様の御許し頂き度く願』 
『押して、農行の方宮森与三郎、山澤為蔵両人取り締まる事願』
 
関連するおさしづ
(1)
明治31年6月2日
『永尾楢治郎腹痛に付願』
(2)
明治31年5月17日朝
『梅谷たね身上願(足痛に付願、本部事情あり)』
『押して、只今御聞かせ下されますは重に本部の事情こもり居りますがなれど、梅谷の事に付、梅次郎を役員一同より副会長にだん/\願われしも、未だ/\と申し居られ、又縁談も一寸話御座りますが、この処は如何に御座りますや願』
『押して、梅谷は私儀この二三年前おさしづに付御本部へ常詰さして下さるようなさしづから内々もだん/\取り決まり御本部へ詰めさして貰い居りますが未だ十分の事に参り兼ねます故この処願』
(3)
明治31年5月11日             (4巻2972頁)
『辻とめぎく身上願』
『押して、夜深に尋ねる事情願』
(3-1)
明治31年5月12日              (4巻2973頁)
『昨日辻とめぎく身上願いより夜深というおさしづに付願』 
『前夜のおさしづより昨夜談示の上取り決めし事情願、第一は講社扱いの事情はその扱いの者不在中にても外の者扱いの出来るよう一同へ話して置く事、又鳴物の事申し上げし時御諭』
『押して、控えは増井りんかとみゑか』
『おかぐらに替わり合うて勤める願』
『押して、かぐら願』
『日々のあたゑ配与方の願』
『一寸暫くして』
『押して、ねたみ合いそねみ合いはどういう処を仰しやって下されますや』
『暫してあたゑ分け日々する事やろうかと言う処へ』
(4)[2003.10.20UP]
明治20年10月26日        (1巻88頁)
『真之介よりの思召を以て、八九人懇親会研究に付御願』

【私解釈】

(4-1)[2003.10.20UP]
明治20年10月22日 (1巻87頁)
『清水与之介おたすけに行き御利益もあり、帰り道にて、左の足に何となく出物でけ、喉ひっ付くように成りしに付願』

【私解釈】

   
 
関連するおさしづの掲載について一言
   
  (1)(2)について
 青年会の創設について調べたいと「改訂 天理教事典」を見たところ、
『教会本部においては、天理教青年会創立に先だち、一致幼年会(明治26年6月)、青年団結義会(同年9月)などが発会し、次いで、「おさしづ」を仰いで本部青年会が創立された(さ31.6.3)。』(p620)
と書かれ、そこで、『梅谷たね、永尾おさしづより・・・』(m31.6.3)言葉より、さかのぼって、(m31.6.2)・(m31.5.17)のおさしづを掲載した。

(3)(3-1)について
「改訂 天理教事典」年表(p991)には
『・6/3 本部青年の仕込みにつきおさしづ(さ31.5.11ほか)。本部青年会創立。』
と書かれていた。そこで(m31.5.11)と関連する、(m31.5.12)を掲載した。

(4)(4-1)について
「あらきとうりょう」(209) p39~48から「八九人懇親会研究」という男の集会についてのおさしづ(m20.10.26)を掲載。(4-1)は青年会創設のおさしづが一連の身上を通して示されている、一連の刻限のおさしづの中にあり、この(4-1)のおさしづには「万事の処、大勢寄り合うて、幾重の話しても、一人々々の精神より運ぶ事は出けぬ。この理をよう聞き分け。」と話し合いについての事柄に関して記載されているので、記載した。
 又、この後に梅谷四郎兵衛・梅谷秀太郎・増野正兵衛など男の身上願が続いている。(特にm20.11.13『梅谷秀太郎身上願』が気にかかる)

初めて解釈をしてみました。

 

   
   
           

 


明治31年6月3日
『先般梅谷たね、永尾おさしづより本部員会議の上農行衆なり日々本部で勤める青年に、月々一度宛御話する事、本部長の御許しに相成りしに付、神様の御許し頂き度く願』
さあ/\尋ねる事情/\、さあ/\いかな事情、いかな事情も尋ねにゃ分からん。さあ/\皆んなこれ多分の者、連れ戻りたる処、何か無しの日々の処では、とんとどうもならん。幼少の時から万事事情、日々治めすれば、日々治め来る。あら/\飛びさがした理は集め来た道理、世界又順序、一寸固まり掛け。実際固まりが一人万人の同じ心という。これ鏡やしきという。これまでとんとどうもならん。人に粗相あってもそのまゝ置いて置く。聞かん者はどうもならん。万事人間心ばかりで、たゞ天理王命と言う事ばかり、結構分かり、どういう理から集まりたる。世界の理、物が多分有る者も無き者も同じような事ではならん。よう聞き分け。これから先年限は、長いと言えば長い、数えて見れば短い。よう聞き分け。何かの事、人が知らんと思たて、知らん者は無い。夜も昼も皆映りてある。これ第一の理。これからどうでもだんないというような事ではならん。それでは育てようと思たて育てられん。そこでほんの義理や体裁を以て治めては何にもならぬ。十分治めようと思えばめんめん心次第。何でも彼でも心尽さにゃならん。心尽せば固まりて来る。少々では固める事出けん。元々台という、台無しに働いてはならん。よう聞き分け。蕾の花を生けたら一先ず見られる。なれど、日柄経てばほかして了う。これ皆んなの中、これ話の台という。よう聞き分け。月々一度の心の改め合い、話のし合い。心は随分下から行て、人の事してやるというはこれが台。放って置いても人がするというては、年限経っても同じ事。これ話して置く。尋ねる事情は、十分聞き取って十分受け取る。

『押して、農行の方宮森与三郎、山澤為蔵両人取り締まる事願』
さあ/\まあ大抵々々、年限通り来たる。その時時分、日々組み上げたようなもの何時でもその場へ持って来たら道具が揃たる。皆んなの下から積み重ねたる。そこで何処へ出たて粗相は無い。これ台として伝えにゃならん。又、一寸一つ話、どうでもこうでも、これまで二三度諭したけれど、あら/\は分かりある。なれど、人人替わりて、日々席順序一つ、何度諭したる。一寸こうして席のもの、十人なら十人、所の名言うて尋ねるまで、場所決め一々尋ねるまで身の備えこれ第一。中程でどうせいこうせい言うては、続いた席の理千切れ/\の理渡すようなもの。これする者ある。忘れて千切れ/\の理渡してはならん。遠い所からさづけ受け取りに来るのに、千切れ/\の理渡してはならん。言葉僅かよう聞き分け。中程はあと思たら、一つ理聞き取るのは、言葉分からん。先はどうやったやら、中はどうやったやら分からんようではならん。そら筆を取りて渡してある。なれど、息継ぐようなもの。これ日々や。所尋ねるまで。身に一つの備え。横向いてはならん。尋ね掛けたらどうする事要らんよう、十のものなら十ながら、外へ散らんよう。三名取次、三名ながら並んで居ては取次やない。三名許したるは不都合無きよう、千切れ/\渡すは一人でよいもの。そこで三名許したる。三名の心は一人の心を働かしてくれにゃならん。

 

青年会創設に関するおさしづに関連するおさしづ

(1)
明治31年6月2日
『永尾楢治郎腹痛に付願』
さあ/\尋ねる事情/\、身上という。身上に掛かれば皆んな事情、身上に掛かるというはよう聞き分け。一度やない、二度やない、三度五度までさしづという。何でも彼でもせにゃならん。遠い所から、一度さしづ貰たら、と言うて出て来る。それからめん/\心治め。この道というはなか/\難しい道である。難しい、どうも難しい。何も難しい事やない。このくらい楽な事は無いなれど、皆心が難しいのや。西へ行こうと東へ行こうと、南へ行こうと北へ行こうと、自由自在。さあ/\諭し掛ける。ほんの掛かりの話治めば、通りよい事情から治めてよう聞き分け。あちらから見てもこちらから見ても成程、という理より治まる理は無い。成程の理聞き分け。これまで度々の理諭したる。実という/\、澄んだ心/\は曇り無い、曇り無いのが実と言う。何かの処年限は余程の年限限りの処、長らえての年限と思う。年限は二代目の年限となりたる。何十年という。これから諭するによって、皆諭さにゃならん。身に事情、はっきりと諭す。身上々々大抵分かる。よう聞き分け。遠い所からそれ/\゛集まりて来る中に、万事多い事情、あちら治まりこちら治まりすれば、心という理、あら/\治まるようなれど、一寸身上堪えられん。めん/\心折り/\心ほっと事情、いつ/\かと言うは、そうやない。時々事情、あちら向いてるともこちら向いてるとも、分からんような心ではならん。これ、嗜んでくれ。これよう聞き分けて、成程というは、身上直ぐと治まる。暫くめん/\こういう事と、めん/\心でこれだけ聞かして貰た、成程、と、内々親々の中、あちらこちら安心聞かしてくれ。これで一つ又一寸話し掛ける。前々一寸話したる。難しい/\。仮名な処から事情、この事情から話し、何時どういう事情あるとも、諭すとも分からん。重い軽い分からいではならん。前々諭したる、一時諭したる。重い軽い砕いて話すればなか/\長い。重い軽いは第一理である。一寸話。今一時という。そんならめん/\どうしようと事出けん。又刻限諭した処が、出越したる処、こういう事というは、心に掛かる。どうでもこうでも均らして了う。人間心これまで神の自由知らず、まあ忘れて了たような理の世界道理で通りた年限、このほこり何ぼとも分からん。そこでほこり払う。よう聞き分け。あちらこちら十分掃き掃除、ほこり去って了たら、後々さしづ一つで治めるという。これ一寸さしづして置こう。

(2)
明治31年5月17日朝
『梅谷たね身上願(足痛に付願、本部事情あり)』
さあ/\尋ねる事情/\、さあ/\どちらへ掛かるとも分からん。どういう理から運び出すとも分からん。尋ねる/\、尋ねにゃ分かろうまい。だん/\諭したる、身上から事情、何でも彼でも治めにゃなろうまい。よう聞き分け。これまで/\皆んなそれ/\゛、常詰とは言われようまい。又それは出けやせん。なれど、心は常詰。早くに聞き取りて早くに定め/\。何ぼでも/\暇が要る。前々からの続き、前日よりのさしづ、幾度のさしづ。一日の日を以て、順序引き均らすという理も諭したる。これからという万事取り決め。何かの処さしづの理を以て取り決めと言うたる。未だいかん。どうでも暇が要ってならん。よう聞き分けにゃならんで。これまで紋型も無い処、ほのかに聞いた理は、ぼつ/\一つ/\見えてあろう。どうでもこうでも、見難くい処は取り消して了わにゃならん。何ぼ諭しても聞かしても、一寸あちらの理を取る、こちらの理を取る。思わず/\暇が要る。取り決めた理は無い。日々の諭しにもするやろ。一軒一人の事情は家内の理とも諭すやろ。早く救けにゃならん、救からにゃならんというが互の理、よう聞き分け。めん/\も救かろともせず、それ/\゛も救けようとも思わず、そんな事で、日々常々取り次ぐ話扶け合いの理に当たるか。さしづ通りの理を守れば、早く/\談じ取り決まり、この点はこうしました、どうしましたと、一つの理決まり無くてはなろまい。この理よう聞き取らにゃならん。理というは、一つに治め掛けたら皆治まる。あちらも一寸こちらも一寸、話し掛け、半ば/\のようではどうしてものゝ決まり付くか。こら理や、そら理やと、人間勝手の理、神の道に無き理を引き出すから治まらん。決まらん。そんな事では教の理は説けやせんで。日々どういう理を以て取り次いで居るか。一手一つの心、教一つの理を以て、嬉しい心を、日々聞かしてくれにゃならん。

『押して、只今御聞かせ下されますは重に本部の事情こもり居りますがなれど、梅谷の事に付、梅次郎を役員一同より副会長にだん/\願われしも、未だ/\と申し居られ、又縁談も一寸話御座りますが、この処は如何に御座りますや願』
さあ/\尋ねる処、中途からおっと出た分にゃ諭し難くい。一落理を治めて決まらにゃならん。ぢばに一つさしづ通り理が治まれば、こうさして貰いたいと言えば、よし/\と言う。今一時尋ねる事情は、幾重何段の理に集まってから一つの理、前前よりのさしづ取り決め一条の諭し、何も難しい事は言うてない。めん/\難しい事拵えるから難しなる。言う通りにしたら言う通りになる。よう聞き分け。この道、言う通りの理より出けたのやろうが。

『押して、梅谷は私儀この二三年前おさしづに付御本部へ常詰さして下さるようなさしづから内々もだん/\取り決まり御本部へ詰めさして貰い居りますが未だ十分の事に参り兼ねます故この処願』
さあ/\その日来たるが、容易ならん理を寄せてある。今の事情放って置けるか置けんか。内々身上障りより、よう思やんしてみよ。身上は案じる事は要らん。身上救けるため、一時心を定め。さあ/\皆んな早く/\、さあ/\これからというは、いと言うたらい、ろと言うたらろ。前々にも一二三という、きちっとしたさしづしてある。なれど、こうやろうか、どうやろうか、勝手々々の理ばかりで、一寸も治まりは無い。月に一度、一日の日を以て月次祭とも言う。帰る/\、積もった理ばかり、鮮やかなる話は一つもあらせん。明日は月次祭と言えば、宵の日より皆勇んで働かにゃならん。時々さしづ、人々事情諭しても、一つも諭し合う事も無く、喜ばす事も無く、どうして居るのや。身の障り/\という。早く救からにゃならん、救けにゃならん。これは教の理。よう聞き分け。身上の事情より一つさしづという。この理より、互い/\治め方取り決め方運んでこそ救ける理、又救かる理とも言う。これを一つ、よう聞き取ってくれにゃならんで。

(3)
(4巻2972頁)
明治31年5月11日
『辻とめぎく身上願』
さあ/\尋ねる事情/\、身上という身上一つ事情/\、第一事情々々、第一事情さあ話し掛ける/\。よく聞き分けにゃ分かり難ない。何とも思わにゃ何ともない。思えば思うだけ無けにゃならん。諭し置こう。よう聞き分け。身上一つ事情、一時事情々々、どういう事を諭す。尋ねにゃなろうまい。めん/\からめん/\に聞き分けにゃならん。これまでというは皆んなの中一つ聞いて居て、何と理が分からん分からん。長い間年限々々長い間どういう事、用無くば知らん。年限経てば先長くどういう事、よう聞き分け。道の事改めて用いにゃならん。又親子という、親の理から子何と思うか。これ諭し置こう。どういう事、人の事見習え。人の事聞き習え。神の教え一つ理、成程という事ばり/\人間心で諭す事出来ん。神の話神の理聞き分け。続いて/\年限道の理以て長い話、一つ前々事情刻限、事情引き出す。日々取次に諭して一つ集めてる処、万事取次掛かりて事情、又小人事情困る事情、何処へ事情掛かりて始め掛けるとも分からん。又一つ夜深々々、万事諭さにゃならん。あちらへ掛かりこちらへ掛かり、諭す刻限、事情諭すという。さあ/\急ぐ/\。身上は案じる事要らん。実際々々一時治めるは自由、事情夜深々々に筆取らして一時諭して、一時定めにゃならん。

『押して、夜深に尋ねる事情願』
 さあ/\夜深々々、さあ/\急ぐで/\。尋ねる処尋ね返やす処、夜深々々、筆は三人、筆は三人々々。

(3-1)
(4巻2973頁)
明治31年5月12日
『昨日辻とめぎく身上願いより夜深というおさしづに付願』
さあ/\夜深という事情諭し掛けたる処、夜深という尋ね事情から事情始め掛けた。あちらこちらどういう事言い掛ける。大抵々々諭したる。皆んな心得て尋ね出たか。どうよこうよ一つの心を治めて尋ね出たか。それから話し、前々事情を以て、早く万事一つの理始めたる。事情夜深々々の理を以て尋ねる。もう万事の処あら/\二三日経ってある。どういう理を定めて尋ねるか。前々事情どういう事であったか。

『前夜のおさしづより昨夜談示の上取り決めし事情願、第一は講社扱いの事情はその扱いの者不在中にても外の者扱いの出来るよう一同へ話して置く事、又鳴物の事申し上げし時御諭』
さあ/\一時取り決めした事情をこうと言う。あら/\こうであろうか、皆々どうがよかろう、こうがよかろうか、協議して尋ねる処、信徒万事の処、皆満足を与え、内々は一つの心、それは言うまで/\。第一の処、皆悟り損うて居るか、取り損うて居るか。よう聞き分け。くれ/\゛の理に諭したる/\。一つも添うてない/\。これではならん/\。こういう事ではならん/\。その後もう一つ鳴物三人、一人は控え。どうしたらよかろうか、師匠というか、まあそこえ/\稽古さして始め掛けた。元々容易やない。紋型無い処、何っから師匠出来て、手を付けたと言うやない。一を抑え、二三を抑え、手を付けさした。この者皆存命で居るやろ。親やろうか、子やろうか。分からんから尋ねる。親やら子やら分からんようではどんならん。仮名な事に話する。人間と/\話するように言うて聞かそ。今はなあ、どうなりこうなり、代わりと言えば出けるようになりたる。その時の理が分からんようでは治められるか治められんか。よう聞き分け。そうしたらすっきり分かる。出た者が存命で居るがな。控えが無くばならん。一人出られなんだら、そこで一人控えを拵える。

『押して、控えは増井りんかとみゑか』
さあ/\尋ねる/\。そうして尋ねたら鮮やか分かる。赤衣を着せて子供出したる。そら一寸には分からん。分からんから分からんようになる。人間が心でどうしょうこうしょうと言うたて出けやせん。元という、元があって先々事情、世界という、これ聞き分け。親やら子やら分からんようではならん。分からんから大方そうであったやろかと言う。よう聞き分け。小人は皆子供、成らん中から勤めた理は些かやない。何っからそうしょうと言う者も無く、銘々心だけ尽した理やで。

『おかぐらに替わり合うて勤める願』
かぐらの方はそれはどうともこれがこうとも一つも分かりてない。それまで人衆分かりてありゃせん。肝心言い掛けた処が及ばす事出けん。一時の処急いて/\。一代は残念苦労して暮した。一時言い掛けた処がとても/\及ばん。ほんの世界道理から始め、踏ん張って一人席と言うて理を改め、代理として勤めさしてある。同じ人間やと思てはならん。口に吹き出すねという神のさしづやで。違うや違うと言え。おら不服やと言うなら、不服と言い並べ/\。

『押して、かぐら願』
さあ/\決まってないものは、今一時決まりの理は取り難くい。どれとこれと人々役割、又々一時応法の理を以て、今日は誰、今度は誰、日々の処一日の日を以て、これまで通り来た処を以て勤め、又一つ鳴物、親やったやろうか、子やったやろうか。真から誰もこうと言う者は無い。知って居たとて言わんのや。

『日々のあたゑ配与方の願』
さあ/\尋ねる処/\、そらもうこれ、どんな者でもこんな者でも同じ事情なら誰が聞いたて成程と言う。違うてありては成程とは言えん。違うた事はどうもならん。違うから何ぼ違うやら知れん。どんな理になるとも分からん。そこでさしづしてある。日々中にどうやこうや、言いようで違うによって一つの理に集め/\。日々別席する。諭しよで間違う。取りよう/\で間違う。もう何ぼ切り長い話しても、第一の理を聞き取る事出けん。こゝと/\折り目切り目の理を聞かし、十人なら十人、一二三と言うたら、それに違わんように諭して貰いたい。そこで前々にも諭したる。俺はこういう諭し誰はこういう諭し、それ/\゛書き取ってしんばしらに出して、それより席に尋ね、そうしたらどんな者が聞いても、成程あれならなあ、あれでこそなあと言う。それより結構は無い。何にもならん話した処がどうもならん。紋型も無い処からのこの道の結構という、元の理を諭さにゃならん。これは言うまでや。諭しても居るやろう。

『一寸暫くして』
長く話した処が、中に飽いて来る者が出ける。そんな席何ぼしたとてどうもならん。そこで九遍という。九遍さえ追うたらよいというだけではならん。同んなじ事九遍聞かしたら、どんな者でも覚えて了う。まち/\の理を諭しては何にもならん。もう、一つと言うたら一、二と言うたら二、三と言うたら三、きっちりしたものやろ。違わんと言うやろ。難しい事言うのやない。もうこれから人数が多くなる。そこでどんな日あるとも分からん。何人あるとも今日は今日、朝は朝、人々の理を以て替わり/\。これが一つの理。又なか/\一つの事情、あちらの者が用があれば、こちらから代わる、又出越して居る者日柄掛かれば、又その者に代わりという。すればこれより結構はあらせん。そうさえすれば、どちらからも何とも言う者は無い。そうして又一つ事情、前々一度諭したるというは、第一妬む妬まれる、嫉む嫉まれる。この理程恐ろしい理は無い/\。
さあ/\よう聞き取りて運んでくれたら、どんな働きするや知れん。そも/\の理ではどうもならん。また今日が明日になり、今年が来年になる。こうして取り次ぎ、一日の日からろっくすっきり/\。これだけは何でも彼でもと、通ってくれにゃならん。これまでの処無にしてはならん、無にさしてはならん。ようこれ聞き取ってくれ/\。

『押して、ねたみ合いそねみ合いはどういう処を仰しやって下されますや』
さあ/\まあ/\、尋ねる事よりも、一つ急いで諭さんやならん。言葉続き言葉並びとも後や先になりてはならん。どうでもこの理に運ばにゃならん。日々国々所々心得事情、さあ/\何人有りだけの人と言うて話したる、又戻りて居る者もある。又、常詰と言うて、常詰にならん者もある。本部常詰という、銘々一つ理を治めて、両手にものは出けやせん。そこで、戻りた者でも遊んで居られん。本部という、ぢばという、そこで日々詰める者が詰合という。どういう事もこういう事も、第一の理というは日々の処、それ/\あたゑという。働きの事情にあたゑともいう。これさえ治まれば、何も言う事は無い。妬み合い/\嫉み合い/\、これが見苦して見苦してならん。そこで何人あるとも詰合一同、本部員とも言う。事務所、詰所、詰所、事務所一つの事情、何人の中あちらこちら出越して居る者はどうもならん。その者は今度の回り、その日に出合うた者が話して、今日はこう/\、あゝ結構やなあと言う。これが第一の理、それさえ治まりたら、濁りはすっきり無いのや。これまで何度の話、ちょい/\にをい話では分からん。又しても分からん。この理に違わんよう、違わんよう、今日の日は楽しんで働け。楽しんでくれ。これが世界からあたゑやでと言うて育てるが、上の勤め。これが第一神の望や。些かあたゑ、時々の理を以て与えてくれるよう。

『暫してあたゑ分け日々する事やろうかと言う処へ』
さあ/\日々にそんな事して居らるものやない。月が重なる、又暇が重なる。それぞれあたゑ開き、その日と言えば詰め合い役員、その時居る者だけは、何でも彼でも集め/\、居る者だけ心合わしてくれ。そうしたらやしきの濁りはすっきり退くで。ぢばに居る者、下々些か/\あたゑ/\、あたゑやからどんな者でも喜ばにゃならん。これだけ諭したらどんな者でも分かる。分からねば得心するまで尋ね返やせ/\。心に嵌まれば心に治めてくれ。又々一つ事情、この話聞き容れあったら、日々取次席や。さづけという。人々替わり/\が神の望み、これもあたゑ、後も先も無いで。皆んな同じ理。軽ければ軽いだけ、重ければ重いだけ。この理分かりたら、あちらを引き、こちらを引きずるようでは神の理とは言えんで。しっかり聞き取れ/\。

青年会創設に関するおさしづに関連するおさしづ(4)
(1巻88頁)
明治20年10月26日
『真之介よりの思召を以て、八九人懇親会研究に付御願』
さあ/\いかなる処、どうせこうせは言わん。時談々々、時談はすうきり要らん/\/\/\で。心次第の道を知らんか。どんな者でも、道に譬えて一つ事を聞き分け。さあ/\一分一厘の理を、よう聞き分け。最初拵えた道具は、どういう道具で、拵えた道具や。神がちゃんと見分けて、一つのあたゑを渡してある。今の楽しみ、先の細道。今の細道、先の楽しみ。先の道を見て居るがよい。どういう道や、よう聞き分け。五人七人十人はどういう心、いかなる定め、十分定め。成程という理であろう。よう聞き分け。難学やで。人間心要らん/\。神一条でさい取り決まられん今の道や。自由自在だん/\説き聞く/\。内にもある、外にもある。いかなる理と思うか。どんな思やん幾重々々、一つの実を定め。一人でも何人でも同じ事。こうしたらよかろうか、何にも要らん/\で、一人は一人の心定め、百人千人万人でも同じ事やで。

【解釈;(私解釈)】 明治20年10月26日
『真之介よりの思召を以て、八九人懇親会研究に付御願』
さあどういう処どうしろ、こうしろとは言わない。時談は全く要らないで、[時談とはどういう意味で使われているのか?時談は索引になく、使われ方が分からない。示談として解釈してよいのか?示談として解釈をすると、問題を話し合いで解決をするための会合と思える。]心次第と言って聞かせているこの道を知らないのか。全ての者に道に譬えて話をしている事を聞き分けろ。さあ一分一厘の理をよく聞き分けろ。[一分一厘の理とはどういう事か?]最初に作った道具はどういう道具で作った道具か分かるか。親神がちゃんと見分けをして、一つの与えを渡してある。今の楽しみは先の細道となり、今の細道は先の楽しみとなるのである。これから先どうなるか見ていたらよい。この道はどういう道かしっかりと聞き分けよ。5人7人10人と今集まっている者の心はどういう心であるか。[割書の八九人という言葉と関連して、今集まろうとしている人数を言っているように思う。]どんな定めた心を持っているのか。十分に定めよ。成程という理であろう。[成程の理とは?」よく聞き分けよ。この教えを研究すると言う事はとても難しい事だぞ。[難学とはどういう事か?学ぶ事は難しいと解釈してみる。]研究するには人間思案は要らない。[お道を通るのには人間思案はいらないとも思えるが、難学という言葉の次に来ているので、研究するためにはと人間思案はいらないと解釈してみた。]神一条で通れと言っても通りますと取り決める事が出来ない今の道である。神の自由自在の働きはだんだんと説かれ、また聞くようになってきている。その姿はおぢばの中にもおぢばの外にもある。どういう理からそうした働きがあると思うか。どんな思やん幾重々々。[どんな思やん幾重々々。とは?]一つの真実の心を定めよ。真実の心を定める事が大切なのは、一人だけでも、何人かが寄って物事をするにしても同じ事である。うまくことが運ぶためにはこうしたらよいだろうかと人間思案で相談する事は何にもいらないで。[談じ合いの道とも聞き、またおさしづを受けてねりあいを重ねている事実を考えると相談する事を完全に否定する言葉とは思えず、今回のおさしづの流れ、自由自在の働きを頂くためには人間思案ではなく真実の心を定めて通る事を求められているように感じる上から人間思案で安易な道を通ろうと考える相談は要らないと言われているように思う。]
一人の場合は一人の心定めが大切であるが、百人千人万人が寄ったとしても同じ事で、その寄った一人一人の心定めが大切である。

 

青年会創設に関するおさしづに関連するおさしづ(4-1)
(1巻87頁)
明治20年10月22日
『清水与之介おたすけに行き御利益もあり、帰り道にて、左の足に何となく出物でけ、喉ひっ付くように成りしに付願』
さあ/\万事の処、大勢寄り合うて、幾重の話しても、一人々々の精神より運ぶ事は出けぬ。この理をよう聞き分け。刻限話では一人々々聞きようが違う。それで刻限話もせぬ。一人々々の身の障りより願い出れば、それ/\聞かす。この理をよう聞き分け。暗がりに成る者もある。身の処何にも案じる事は要らん。

【解釈;(私解釈)】 明治20年10月22日
『清水与之介おたすけに行き御利益もあり、帰り道にて、左の足に何となく出物でけ、喉ひっ付くように成りしに付願』
さあ全ての事において、大勢が寄ってどんな話をし合っても、一人一人の精神、心の持ち方でしか物事を運ぶ事は出来ないものである。この理をよく聞き分けてくれ。全員に対して話をする刻限話では、一人一人によって聞き方、受け取り方が違ってくる。だから刻限話では話が出来ない。(でも旬が来ているので話をしなくてはならない。)けれども、一人一人の身上から願い出たならば、それぞれにその話を聞かす。この理(個人的に話をする理由)をよく聞き分けてくれ。暗がりになる者もある。[暗がりになる者とは?]身上についてはなにも心配は要らない。


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おさしづを読むに当たって 3

2018年10月24日 19時10分46秒 | 図書室

おさしづを読むに当たって 3

私の読み方・思うこと

 私はおさしづを全部読んだわけではありません。初めから読もうと思って読み始めましたが、途中で嫌になってしまい途中でやめました。それは言葉が分からず、そこで引っかかって理解できないのが嫌になってしまうのが原因でありました。
 そんな中10年ほど前だと思いますが、親は「教祖・親神様だけだ」と聞かされた事があり、「会長や上級の会長を理の親として聞かされていたのにそれはうそ?」「それホント?」と思ったことがありました。そこで「おさしづの索引」から親だけを引き出して、そのおさしづだけを読むことにしました。親という言葉だけを意識して読んでいくと案外読めたのであります(量が)。
 実際には分からない言葉ばかりではありますが、興味を持って読めました。すると、他に気になる言葉が出てきたり、「こんな事がおぢばであったんだ?ホント?」などと思うようになり、気になる言葉からそれ以前のおさしづを読んでみたりしていました。
 そして今は厳密な事は分かりませんが、直感で思える事が出てきました。(先の深谷先生の言葉にもありましたように、想像力だけで読んでいると思います。)
 ただ、そう感じるというだけのものであります。
ですから、本当にそれでよいのかは分からないのであります。

 よく書物の中などでおさしづの一部の言葉だけを引用して論じていることがありますが、その一文だけでは、「どうしてそのように、その言葉を理解するのか」分からない事がしばしばあるのです。
 文中の中で「こういう言葉とこういう言葉でこう思う」、「自分のこういう経験からこう言葉を理解する」という事が見えてこないので余計に理解に苦しむことがしばしばであります。自分の勉強不足と言えばそうであります。
 ただ、今回オーソドックスのBBSで色々と話しをしあうならば、皆が同じ資料を持っていればもっと話しが進み、見ている人も理解できるのではないかと思って、それで関係するおさしづの全文を掲載することにしたのであります。
 そして、深谷先生の言葉の
 “これを貴方はこう読み取るのか。今まで何度も読んだが、私はすこしも気がつかなかったよ。”
と言ったやりとりが出来ればもっと、色々な勉強ができ、信仰生活・実生活に役立つのではないかと思います。
 本当に遠くの人とでも近くにいるように話しが出来る。これも親神様のご守護だと思います。そしてなにより、オーソドックスのBBSを見ておられる方は、素晴らしい経験と知識をお持ちであります。その意見がたくさん出ることを願っております。(陽気ぐらしに向けて)

 最後に、おぢばで起こった色々な問題は、我々の教会、また家庭に置き換えて考えることは十分出来ると思います。
 [1161] 埋もれた事実を掘れば。 
で、基本様が
その悲劇は、私たちを助けるための、教訓です。
原典があり、全てが教えられていても、桝井家の悲劇がないのなら、「女の道」は、ただの倫理道徳になってしまう。
桝井家の悲劇を踏まえて、夫婦治まらない因縁をどう切るのかと思案するとき、男は男で、女は女で、「女の道」を通ることが必要になると思います。
教理とは、一つにはお助けのため、一つには因縁きりのため、必要です。』
と、投稿されました。

 過去の先輩方が悪かったから今が悪いのではなく。その苦労と悲劇を輝かせるように、我々自信が道を誤らない方法を探して、励まし合って実践させて頂きたいと思うのです。(信仰が4代、5代目ならば必ず初代なり道の先輩方の生まれ変わりと思っても良いかも・・・)

これからもお付き合いよろしくお願いします。

立教166年10月17日  きたろう

 

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おさしづを読むに当たって 2

2018年10月24日 19時09分19秒 | 図書室

おさしづを読むに当たって 2

公刊おさしづについて

参考資料
[2003.10.20UP]

[1174] 信憑性につて 投稿者: こせつ 投稿日:2003/10/08(Wed) 22:43

最初の「おさしづ」の編纂は昭和二年から六年にかけて行われました。これは三十三巻ありますが、原典化の過程で、そこに人間のつくったものが、たとえ少しでも混じっているとするならば、そのこと一つで原典のいわば神的権威を損なうことになりますので、それを注意深く排除して、確実なものだけが収録されました。この「おさしづ」三十三巻は八巻本に纏められて昭和十一年から十二年にかけて全教会に下付されましたが、政治的干渉から、原典を伏せなければならなくなり、すべて回収されました。その後、「おさしづ」八巻本は昭和四十一年に七巻本として全教会に下付され、現在に至っているわけです。
速記の体制が出来上がったのは、明治二十年以降ですから、現存する「おさしづ」の信憑性を検証するならば、教祖ご在世当時のものとされる「おさしづ」の伝承記録には問題があると判断せざるを得ないと思います。ですから、今回の伝承記録も完全なものだとは言い難いと思います。きたろうさまのご提示の内容ですが、調べて見ると、私の所持する資料の中に同じものがありました。男が女になっていたりして、どちらが正しいのか判断がつきません。


[1177] Re[1174]:  投稿者: 基本。 投稿日:2003/10/09(Thu) 08:37

教えて下さい。
> 最初の「おさしづ」の編纂は昭和二年から六年にかけて行われました。これは三十三巻ありますが、この「おさしづ」三十三巻は八巻本に纏められて昭和十一年から十二年にかけて全教会に下付されましたが、政治的干渉から、原典を伏せなければならなくなり、すべて回収されました。
 天理教事典のおさしず研究の項に、明治2年の公刊が、昭和23年に版を重ねているとありますが、それは、原典を伏せる理由であった政治干渉はないのに、回収されたのですか、
回収されなかったのですか。
ご存じなら教えて下さい。


[1178] Re[1177][1174]:  投稿者: こせつ 投稿日:2003/10/09(Thu) 09:55

>  天理教事典のおさしず研究の項に、明治2年の公刊が、昭和23年に版を重ねているとありますが、それは、原典を伏せる理由であった政治干渉はないのに、回収されたのですか、
> 回収されなかったのですか。
まず、上記の書き込みの「明治2年」は「昭和2年」の誤りだと思います。
昭和23年の刊行は、戦後、過渡的な措置として印刷されたもので、おさしづ研究者用として作られたものです。ですから、全教会に下付するために印刷されたものではなかったわけです。


[1182] Re[1178][1177][1174]:  投稿者: 基本。 投稿日:2003/10/10(Fri) 06:15

> >  天理教事典のおさしず研究の項に、明治2年の公刊が、昭
> まず、上記の書き込みの「明治2年」は「昭和2年」の誤りだと思います。
その通りです。訂正します。
> 昭和23年の刊行は、戦後、過渡的な措置として印刷されたもので、おさしづ研究者用として作られたものです。ですから、全教会に下付するために印刷されたものではなかったわけです。
 そうでしたか。
 私の手元に1セットあります。
 研究にどうしても必要なことがあり、探し求めて手元におきました。一般に下付されていないのに、何故と疑問でした。お聞きして、良かったです。

 
 
 
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おさしづを読むに当たって 1

2018年10月24日 19時07分09秒 | 図書室

おさしづを読むに当たって 1

深谷忠政編「教理研究 事情さとし」より(p4~7)

 (前略)
 おさしづの読み方をよく尋ねられますが、最も基本的な読み方は最初から年代順に読み、今度は最後から逆に年代順に読むことでしょう。
 かくして、われわれは、おさしづ全体を通じて親神が何を啓示していられるか、ということを知ることができましょう。
 おさしづを一見すると、雑多なものが年代順に配列してあるにすぎないように思われますが、二十年間の啓示には、実に順序よく旬々に応じての神意が明示されているのです。
 こうしたおさしづの順序に気づくのは、年代を追って拝読する仕方です。
 また、この読み方で、おさしづが予言の書であることに気づくでしょう。
 何年か前に啓示(つ)げられたことが、ぴたりぴたり適中する有様を見ては、”神があるかないか”など言うているのがおかしくなります。
 また教史の資料として、いかに貴重なものであるかに気がつくでしょう。
 おさしづが不思議なたすけの書であることは、今更申すまでもないことです。
 このたすけの中には身上・事情・理上とがあり、また個人たすけも世界たすけもあります。
 項目別に整理して読むと、たすけの書としてのおさしづの真価が発揮されましょう。
 身上たすけに関するものは既に書物になっており、本書は事情たすけに関するものです。
 予言と不思議なたすけ、これが宗教の魅力です。これを失う時、倫理道徳と同次元になり神秘性をなくします。すなわち聖なるものから俗なるものに転落します。

 おさしづは、難しくて読みにくいという声を聞きます。
 確かにそうです。それを突破する道は、いわゆる“読書百編意自ずから通ずる”ということでしょう。何度も何度も繰り返し読みおさしづ特有の語調になれることです。
 そして、眼光紙背に徹するように、大いに想像力・推理力をたくましくして読むことです。
 幸いにして最近は部分的ではありますが、おさしづの解釈本もありますから、そうしたものをたよりに読むことです。
 もちろんおさしづにかかる前には、天理教教典、教祖伝、教会史、みかぐらうた、おふでさきの骨子を把握しておく必要があることは申すまでもありません。
 ご承知の通り、おさしづは側近の者が啓示(おつげ)を書き取ったものですから、脱落や誤記がなかったとは申せません。特に、はじめのものには、そうした感じがいたします。
 現行の句読点や用字にも、いろいろ問題がありましょう。
 ですから専門家でない読者は、全文残りなくわからなくても、その中に何かピリッと心を打つものがあれば、それでよしとして読み進むことです。
 一人で読むよりも数人で一緒になって読む方が、いろいろの点で有利です。
 “これを貴方はこう読み取るのか。今まで何度も読んだが、私はすこしも気がつかなかったよ。”
という嘆声を発することがしばしばありましょう。
 “神の一言は人間の万言にあたる”というお言葉をしみじみ思うのは、おさしづを読む時です。
 またおさしづは膨大で、とても手に負えないという方があります。
 確かにおさしづは膨大ですが、“教会長は一年二年でやめるのでなく、二十年も三十年も勤めさせていただくのだから、せめてそのうちに一通りでも目を通させていただこうという気になられたら”と申しあげたいのです。
 これは私観ですが、明治二十六年三月十八日夜一時三十分の刻限などから考えると、大体この辺まで読まれたらおさしづの何ものかは一応わかるのではないかと申せましょう。
 親神は、このあたりで啓示を打ち切ってもよいという思召ではなかったかと思いますが、未だ人間が成人していないので、本席様の身代わりに奥様のおさと様を引き取って、更にもう十五年間啓示をくださって、われわれをお仕込みくださったのではないかと思います。
(後略)
昭和四十九年七月二十六日 深谷忠政

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『みかぐら笛及打物練習合譜  附練習要項』

2018年10月24日 17時31分26秒 | 図書室

 

みかぐら笛打物練習合譜
 附練習要項』

掲載に当たって

   
 
 現在では、鳴り物の打ち方なども統一されて今の打ち方に疑問を持つ人もないと思う。
 ところが、私の知り合いにすりがねの打ち方が違う人があり、どうして違うのか?と尋ねたところ修養科でこのように教わったと言われ、その時の練習譜本を頂いた。
 確かに、現在とは違った記述がある。現在の形に統一された経緯などは分からないが、そうした変遷を知る上での資料になればと思い、掲載する。
 タイトル下の数字はページ番号である。

2005.1.31

 
   
       
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みかぐら歌作成について(第1節~第3節) ;資料比較

2018年10月09日 16時42分56秒 | 図書室

みかぐら歌作成について(第1節~第3節)
;資料比較

目次 
1;調べるきっかけ
2;各うたの成り立ち
 2.1;「あしきはらひたすけたまひ天理王命」
 2.2;「ちよとはなし … なむてんりわうのみこと」
 2.3;「あしきはらひたすけたまへ いちれつすますかんろだい」
 2.4;第1節・第3節の変更
3;おうた作成の年表
補足;朝夕のおつとめと本づとめ

1;調べるきっかけ
「続ひとことはなし その2」p81に
 …要するに、明治十四年の私刊本以前の写本にあっては、第五節のみを内容としていたもののようである。
 明治十四年刊行の天恵組版に至って、はじめて、第四節が第五節の頭首に加わり、末尾に第二節と、第一節及び第三節を合せて一つとした二節が一枚(第廿六枚)加わり、他に木火土金水風の附表一枚を加えて、全二十七枚の木版本として発行されている。
(この本の中には、この第二十六枚を巻頭にして、廿六、一、二、三、……廿五、廿七の順序で綴られているものもあるが、この姿は後日の改綴と思う。)
 この第一節と第三節を一つにされたのは、
  あしきはらいたすけたまい
  いちれつすますかんろふだい
のおうたであって、これが第一節及第三節の古い形であったのが、明治十五年の所謂“模様替”の史実の結果、上の句、下の句にそれぞれ下の句上の句が加わり、語尾も多少変更されて、
  あしきをはらうてたすけたまへ
  てんりわうのみこと  第一節
  あしきをはらうてたすけせきこむ
  いちれつすましてかんろだい  第三節
の二節になったものと考えられる。…

と、記載され、第一節、第三節の成り立ちについて、調べることにした。

 

2;各うたの成り立ち   トップへ
「おかぐらのうた」上田嘉成著・「みかぐらうた語り艸」桝井孝四郎著より関連する事項を書き出す。

2.1;「あしきはらひたすけたまひ天理王命」   トップへ

「おかぐらのうた」p21より
 あしきをはらうてたすけたまへ てんりわうのみこと
 このお歌の最初の文句は、小泉不動院の山伏が白刃を抜いて暴れ込んできて、提灯を切り落とし、太鼓を切り裂いて帰った後、教祖のお口から「あしきはらひたすけたまへ てんりわうのみこと」とお教え下され、同時にお手もお教え下されて、それまでのただ、
  なむてんりわうのみこと
と、繰り返し繰り返し唱えて拍子木を叩いていたつとめが、このお願いの言葉を唱えて朝夕礼拝することとなったのであります(注・この「あしきはらひ」のお歌は、明治十五年のかんろだい取り払いに伴う模様替えによって、第三節とともに「あしひをはらうて」と変更されますが、それについては第三節のところで詳説します)。
 ここのところを、初代真柱様の『教祖様御伝』について窺いますと、
  ○慶応二年秋の頃、小泉不動院入り来り、教祖ニ難問せしも、御明答ありし故、理ニツマリ太鼓二個ヲ切り破り、提灯を切り落とし、乱暴を極めて帰へれり、夫れより豆越村へ行き山中忠七氏ニて暴行し御幣ニて忠七氏の頭を叩けり、而して古市役所へ訴へ出でたり。(中略)
  ○此乱暴ある迄ハ只南無天理王命と連呼せり、然るニ此時より神様を拝するニ始めて、「あしきはらひたすけたまひ天理王命」と手を御つけ遊ばされたり。
と、右のようにお記し下されています。
 同じくこのくだりを記した辻忠作先生の「ひながた」にも、その頃は世の中が次第に騒がしくなって鳥羽伏見の戦いがあった頃だということを書いておられますから、この「あしき」には相当荒々しい騒がしい狂暴なものという意も含まれているようにも思われます。……

「おかぐらのうた」p26より
 てんりわうのみこと 現在のおつとめの中で、一番古いのが、この「あしきはらひ」のおつとめで、その中で最も古くからある部分はといえば、この神名であります。
 即ち、ただ今の陽気づとめの全体、かぐらづとめもてをどりも一切を含めて、その元はと申しますと、
 「なむ天理王命」
と神名を呼び出して、繰り返し繰り返しお祈りしたということに帰着するのです。また、この神名をお唱えする事から始まって、だんだんとみかぐらうたも出来、数々の手もお付け頂いたと言うこともできます。従って「天理王命」と神名をお唱えすることは、すべてのおつとめの源泉であり、核心であります。……

「みかぐらうた語り艸」p28
さて、このお勤めの最初は、どういう具合であったか。文久三年ごろから、いわゆる道の子供が、ぼつぼつおやしきに引き寄せていただかれたのである。この当時には、もちろんまだお勤めというものも定まっていなかったのである。ただ親神様の前で線香を立てて、口では「南無天理王命々々々々々々」と唱えながら、拍子木を叩いてお願いをするというのが、いわゆるお勤めであった。だから、その唱える数も定まってはいない。立ててある線香の消えるまで続けるというのであった。こういう具合であったので、ある先生のごときは、線香を短く切って立ててお勤めをしておられた。すると教祖の目に止まって、それでは勤め短い、と注意された方もあったという話である。
 用事が忙しないから、早く帰らねばならんから、というように、わが身勝手な勤めをしているようなことでは、受け取ってはもらえない。心からの勤めでなければならん。心の勤め・身の勤めである。親神様は役を受け取られるのではない、つくす心を受け取ってくださるのであります。
 ところが慶応二年の六月、小泉村の不動院の僧がおやしきに乱暴に来たことがありました。その時のことを、あとになって、こうおさしづに仰せになっています。
 「元々はなあ、何処の坊主やら分からん者が、門口さして暴れくさって/\、どうしょうや知らんと思た事もあったなあ。そら六月頃やあったなあ。その時の事を思えば、夢見たような事に成ったなあ、偉い事になったなあ。」(明治31.12.31刻限)
 「六月頃の話、坊主来よったのがあら古い事、畳へ刀を抜きやがって、ぐさと差しよった事もあって、どうしょうやなあ、こうしょうやなあ、その時の事第一思う。」(明治31.12.31刻限)
こうした乱暴ごとがあったので、
「あしきはらいたすけたまへ天理王命」
とのお歌及びお手をおつけくだされたのであるが、もちろん、これとても神のなされていることであった。すなわち慶応二年に、このお歌及びお手をおつけくだされたのであります。
 そして、この時に今一つの理由をいわれています。「南無天理王命」の、天理王命は神であるが、南無は仏である。これは神仏混合であるからと、やかましくいうので、こうなされたとの話もあります。そうしたお勤めをお始めくだされる一つの機縁になったというだけで、これはまた親神様の思わくの上からなされていることであります。と申しますのは「なむ」の「な」というのはくにとこたちのみこと、「む」というのはをもたりのみことと聞かせていただいておりまして「なむ」とは決して小さく仏法と限ったものではないのであります。教祖のお教えくだされるこの天理の道は、もっと大きいのであります。…


2.2;「ちよとはなし かみのいふこときいてくれあしきのことはいはんでな このよのぢいとてんとをかたどりて ふうふをこしらへきたるでな これハこのよのはじめだし なむてんりわうのみこと」   トップへ

「おかぐらのうた」p31より
 このおつとめのお歌と手は、明治三年にお教え下されました。ここのところは梅谷四郎兵衞先生の手記に、次のように記されています。
 「明治三年、一寸はなしとよろづよの御神楽歌を教へ給ふ」
 また、諸井政一氏の『道すがら』の中には、この辺の史実についておおよそ次のように記されています。
 「ちよとはなし、よろづよ始め、明治三年、よろづよ、十二下りのだし。一寸はなし、かんろだいのつとめのだし」
 また、山中彦七先生のお話によったものに、次のような史料もあります。
 「明治三年、御年七十三才の御時一寸はなしよろづよの御神楽をお教えになりました」(『天理教教祖実伝の御噺し』)……


「みかぐらうた語り艸」p31
このお歌は明治三年にお作りくだされたものであります。
「かみのいふこときいてくれ」……(以下は歌の解釈)


2.3;「あしきはらひたすけたまへ いちれつすますかんろだい」   トップへ

「おかぐらのうた」p31より
「あしきをはらうてたすけせきこむ いちれつすましてかんろだい」
 このおつとめは、初め「いちれつすます」という文句で、明治八年、かんろだいのぢば定め直後にお教え下された後、明治十五年五月の、二段まで出来ていたかんろだいの石の取り払いという迫害干渉があって、神意により「いちれつすまして」とお変えになったのでありますが、このおつとめについての神意は明治二年頃から現われ始めているのであります。……

「おかぐらのうた」p60より
 このおふでさきのご指示のままに、明治八年五月二十六日、かんろだいの「ぢば」をお定め下さいました。この時、教祖はこの前日の二十五日に「明日は命日やから綺麗に掃除をしておくように」とお命じになって屋敷の掃除をおさせになり、いよいよこの日、こかん様をはじめとし、高弟の方々数名と共にお屋敷の庭に下り立たれました。その時、お傍に居た人々は、こかん様をはじめ、仲田儀三郎、櫟枝村與助、松尾市兵衛、辻ます、同留菊等の面々です。
 まず、教祖が身も心も軽やかにお歩きなされますと、ピタリとある一点に足が吸い付いたように止まりました。その地点はお屋敷の門を入ってから、四、五間北へ行ったところのちょっと西、元治元年にお建てになったつとめ場所の南にあたる所です。そこで、教祖は、お傍の者に命じて、そこへ印を付けさせなさいました。それからこかん様をはじめ次々と目隠しをしてお歩かせになりましたが、いずれもその地点にまいりますと、ピタリと足が地に付きました。
 こうして、お屋敷のしん、また、この世初まりの由緒も深い「ぢば」をお定め下されました。そして、その直後「いちれつすますかんろだい」のおつとめをお教え下されたのであります。
 辻忠作先生の「ひながた」には、このかんろだいの「ぢば」定め及びかんろだいづとめについて、次のように記されています。
  二十四年以前即ち明治八年、教祖様、小寒様御二人指図にて甘露台の地場おためしになりました、そこを歩るいて向へも横へも一足も行けぬ所へ標しをつけ、他のものならずに信心の者、目をくゝりて歩るき、中田、松尾、市枝與助、辻ます子を負ふて歩るけば皆な同じ所で立ち止まりました。それが甘露台の場所となりました。それより甘露台一条の様め(註・勤め)となり、御手一通り教へなされました。日々の勤めは「悪しき払ひ助け給へ、一列すます甘露台」と云ふお勤めでありました。
 こうして、かんろだいの建設される場所も定まり、かんろだいのおつとめもお教え下されました。
即ち、
  あしきはらひたすけたまへ いちれつすますかんろだい
のおつとめであります。そして、朝夕のおつとめにも、このかんろだいづとめの理にならって、勤めさして頂くことになりました。そして、本づとめの完成の日をさらにお急き込み下さることとなったのであります。……

「みかぐらうた語り艸」p36
……「あしきはらいたすけたまへ天理王命」というお歌は、前に申しましたように、慶応二年にお教えくだされたのでありました。ところが明治八年のこと「天理王命」というのは無い神である、ということで差し止められたのであります。それで、この年にかんろだいのぢば定めもありまして、おつとめもかんろだいづとめ一条になったと聞かせていただいております。すなわち「あしきはらいたすけたまへ いちれつすますかんろだい」とのお手をおつけくだされたのであります。そして、この明治八年におつとめもかんろだいづとめ一条によって、「をびやづとめ」「ほうそづとめ」「ちんばのつとめ」「一子のつとめ」「肥のつとめ」「はえでのつとめ」「みのりづとめ」「虫はらいのつとめ」「雨乞いづとめ」「雨あづけのつとめ」「むほんづとめ」の十一通りのつとめを教えてくだされたのであります。……(以下は2.4;第1節・第3節の変更に記載)


2.4;第1節・第3節の変更   トップへ

「おかぐらのうた」p71より
……右のように「ぢば」定めの完了をお喜び下され、またかんろだいの寸法まで詳しくお示し下されて、さらに同月続いてご執筆の第十号には、前掲のごとくっとめ人衆の数までもお示し下され、勇みに勇んでかんろだい建設の日の来るのをお待ち下されました。そうしてその日は一度来たかのように見えました。即ち、明治十四年五月から着手せられたかんろだいの石普請です。この時、神意を受け教内の力を一つにして、その工を進めておられましたが、石工の不都合から二段目まで出来て、そこで停頓してしまいました。時に同年も暮れのことでした。しかし教祖は、なおもこれが完成の日、近き将来にあるべきを待望しておられたのでしたが、翌明治十五年五月十二日、当時本教の何たるかを理解しなかった人々の手によって、怪しき祈祷の対象として没収されてしまいました。この時の事は、初代真柱様の『教祖様御伝』に次のように記されています。
  ○明治十五年五月十二日、石造甘露台二重没収せらる。(中略)
     差押物件目録
  一、石造甘露台  一個
     但シ二層ニシテ其形六角上石経二尺四寸した経三尺二寸厚八寸、(以下略)
 この思いがけない、否、人間の目にこそ思いがけなかったにしろ、親神様には何もかもご承知だったのでしょうが、神意の意図外に出たと見える出来事によって、世界たすけの神業は大きい予定変更に遭遇せざるを得ませんでした。親神様はおふでさき第十七号において、この弾圧に対する激しい残念立腹をお述べになると共に、然らばまず世界中の心を速やかに澄ます、そのために世界中の掃除を急ぐと仰せ下され、世界中の人間の心を澄ましたその上でかんろだいをお建て下さることに模様替えとなり、この時からおつとめのお歌も、
  あしきをはらうてたすけせきこむ いちれつすましてかんろだい
とご変更になり、世界一列の人心を澄まして、然る後にかんろだいをご建設下さることとなりました。
 これぞいたずらに天佑をのみ頼る甘えた心から、一躍、自らの精進努力によって人心浄化を完遂して後、天よりのお恵みを頂けよ、との親神様のお慈悲であり、信仰的に申して一つの大きい躍進であり、飛躍向上でありまして、既成のかんろだいに非ずして、待望のかんろだいである。拝み信心、呪術的魔力的なものの一切をなげうって、真の道徳的な覚醒と、浄化の上にこそ、真の甘露が降るぞという、まことに本教信仰に画竜点睛された一大発展であります。
 当時のご変更の模様を古老の先生方の聞書について見まするに、高井猶吉先生の談として次のごとく記されています。
「かんろだい没収とおつとめの手の変わったことと関係がありますか」
との問いに対して、先生は、
「すますだけではいかん。すましてかんろだいと願え、とおっしゃったので、一れつすましてかんろうだい、と願うようになったのや。手は前と同じことやが、言う事だけが変わったのや」
と語られています。
 即ち、一列を澄ますべきかんろだいを取り払われたから、やむなく澄ましてから建てようという消極的な変更ではなくして、ただ天の恵みにのみ甘えて、手を拱いて一列をお澄まし頂くのを待つというのではなく、天意のあるところ人力の最前を尽くし、一手一つの全力を挙げて一列澄ます聖業を完遂さして頂いてから、かんろだいを建設さして頂くという、まことに力強い積極的な意義強調の変更であります。……


「みかぐらうた語り艸」p37
 ……ところが明治十五年に警察が来て、二段目までできていたかんろだいを取り払い没収いたしましたので「あしきをはらうてたすけせきこむ いちれつすましてかんろだい」と改められたのであります。
 以上のおつとめの変遷がありまして、明治二十一年十月二十六日の本部開筵式から、朝晩のお勤めも、ただいま勤めさせていただいているように「あしきはらい……」二十一ぺん「ちよとはなし……」から「あしきをはらうて……」のかんろだいづとめとなったのであります。ところがまたまた「あしきはらい……」の二十一ぺんのお勤めも、明治二十九年の内務省秘密訓令によって再び止められることになりました。そして現在のように、二十一ぺんの「あしきはらい……」を勤められるようになりましたのは、大正五年の秋の大祭からであります。こうしておつとめにおいてすらも、道のふしと共に変遷をたどってきて、今日のおつとめとなっているのであります。……

註;上記「みかぐらうた語り艸」p37の明治二十一年以降の事柄で、『「あしきはらい……」二十一ぺん』と記載されているのは「あしきをはらうてたすけたまへ てんりわうのみこと」の事と思われるが、これが変更された事についての記述はない。
 また、「みかぐらうた語り艸」での、ここまでの歌に変遷については「朝晩のお勤め」として記載されている。

 

3;おうた作成の年表   トップへ
「おかぐらのうた」p644・645~と「みかぐらうたの世界をたずねて」p21から関連事項を年表とし、「改訂天理教事典」より参考として「おふでさき」執筆事項を加えた年表を作成した。

註;「改訂天理教事典」の「みかぐらうた」の項(p853)には明治八年までの記載はあるが、明治十五年のお歌の変更に関する記載は無い。
また、同書の「年表」(p980)には、明治15年・かんろだい石没収(5/12)と立合って、みかぐら歌の一部改まる(「いちれつすまして」)。としか記載されていない。

「お」は 「おかぐらのうた」上田嘉成著・「み」は「みかぐらうた語り艸」桝井孝四郎著・「天」は「改訂天理教事典」より関連する事項を示す。

年号 西暦 立教 教祖年齢 作成お歌 「みかぐらうたの世界をたずねて」p21;記載事項 「おかぐらのうた」p644・645~;記載事項 天;記載おふでさき事項
嘉永6年 1853 16 56   こかん、浪速の街で拍子木をたたきながら神名を流す。    
文久3 1863 26 66   辻忠作、妹くらの病に拍子木をたたきながら神名を唱えて平癒を祈る。    
元治1 1864 27 67   10月26日のつとめ場所棟上げの翌日、大豆越村の山中忠七宅へ向かう一行が大和神社の前で、鳴物を打ち鳴らしながら、神名を唱えた。    
慶応2 1866 29 69 あしきはらひたすけたまひてんりわうのみこと 5月7日、初代真柱、櫟本村梶本家の三男として出生。秋、「あしきはらひ……」の歌と手振りを教えられる。 10月・あしきはらいのおつとめ
○秋、小泉村の不動院の山伏乱入。直後、あしきはらひのおつとめ始まる。
 
慶応3 1867 30 70 一下り目~十二下り目 十二下りの歌と手振りを教えられる。 正月~8月・一下り目~十二下り目
○正月より八月にかけてみかぐらうた十二下りを制作し、以来三年間にお手を付けられる。
 
慶応4明治元年 1868 31 71   お手振りの稽古中、多数の村人が乱暴を働く。    
明治2 1869 32 72       おふでさき第1号(正月)第2号(3月)御執筆。
明治3 1870 33 73 ちよとはなし かみのいふこときいてくれあしきのことはいはんでな このよのぢいとてんとをかたどりて ふうふをこしらへきたるでな これハこのよのはじめだし なむてんりわうのみこと 「ちよとはなし」を教え、よろづよ八首を十二下りの歌の初めに加えられる。 この年・ちょとはなし
この年・よろづよ八首
 
明治6 1873 36 76   飯降伊蔵に命じて、かんろだいの雛形を製作。    
明治7 1874 37 77   前川宅に「かぐら面」を受け取りに赴かれる。月の26日(旧暦)には、お面をつけてかぐら、次にてをどりと、にぎやかに本づとめが勤められる。   おふでさき第3号(1月)第4号(4月)第5号(5月)第6号(12月)を御執筆。
明治8 1875 38 78 あしきはらひたすけたまへ いちれつすますかんろだい 6月29日(旧暦5月26日)、ぢば定め。「いちれつすますかんろだい」の歌と手振りを、また、をびや以下11通りのつとめの手を教えられる。 6月・いちれつすますかんろだい
○六月二十九日(陰暦五月二十六日)、かんろだいのぢば定め。直後、いちれつすますかんろだいのおつとめ教えられる。
○この年、をびや・肥・萌え出・雨乞い・雨あずけ・一子・むほん等十一通りのおつとめの手を教えられる。
おふでさき第7号(2月)第8号(5月)第9号、第10号、第11号(以上6月)第12号(初2首)を御執筆。
明治9 1876 39 79       おふでさき第12号御執筆。
明治10 1877 40 80   琴、三味線、胡弓の女鳴物を教えられる。2月5日(旧暦9年12月23日)、中山たまへ出生。   おふでさき第13号御執筆。
明治12 1879 42 82       おふでさき第14号(6月)御執筆。
明治13 1880 43 83   9月30日(旧暦8月26日)、初めて鳴物をそろえておつとめ。この年、初代真柱は中山家へ移り住む。   おふでさき第15号(1月)御執筆。
明治14 1881 44 84       おふでさき第16号(4月)御執筆。
明治15 1882 45 85 あしきをはらうてたすけせきこむ いちれつすましてかんろだい 前年の春以来、2段まで出来ていたかんろだいの石が、官憲によって没収、手振りはもとのまま、「いちれつすます」のお歌が「いちれつすまして」と、「あしきはらひ」が「あしきをはらうて」と改められる。 5月・いちれつしましてかんろだい
○五月十二日、奈良警察署長村上行業が来て二段まで出来たかんろだいの石を取り払う。その直後より「いちれつすます」が「いちれつすまして」と変わる。「あしきはらひ」は「あしきをはらうて」に
この年、おふでさき第17号御執筆。

 

 

 

補足;朝夕のおつとめと本づとめ   トップへ

「ひとことはな志 その3」p1
……御承知の様に教祖様は御昇天になります迄おつとめに早くかゝれとお急き込みになってゐたのであります。而しておつとめによって傍の人々との間に色々と問答されてゐる事がおふでさき、おさしづを通じて窺はれるのであります。教祖様は親神様の御命のまゝに其の本筋からおつとめをお急きになるのでありますが、傍の人々は、やゝもすれば人間心からそのために教祖様の御身にふりかゝる御苦労をおそれ、或は又おつとめの深い意義を悟り得ずに、兎角いづみ居る様も否めない事実であった様に思はれるのであります。
 此のおつとめを中心とした教祖様と傍の者との間に生じた解釈の相違、そこに教祖様が「ざんねん」「りっぷく」と仰言ってお急き込み下さるに至った経緯がある様に思はれます。
 然らば、教祖様がお急き込みになったおつとめとは何を意味されてゐるのか、又どんなものであるのかをお話申したいのでありますが、それに先立って、言葉の上につき一寸お話申しませう。
 私達はよく本勤のことを申します。これは常識から申しますと朝夕のお勤と区別して、かぐらつとめと十二下りの手踊りを合したお勤、言ひかへれば、今日祭日に神様の前でつとめさせて頂くお勤を指すのであります。が此の本勤の言葉はおふでさきには見出されないのでありまして、言はば傍々の者から、朝夕勤に対して本勤と称へさせて頂く様になったものゝ様にも思はれます。
 尚本勤の内わけとして、常識では、かんろ台勤と十二下り手踊りとよりなると申しましたし、又この二つは切りはなせないものである様にも考へる向もありますが、実際親神様の思召は、その間に判然とした区別がある様に思はれるのです。……


「みかぐらうた語り艸」p26
「あしきをはらうて……」「ちょとはなし……」「あしきをはらうてたすけせきこむ……」
 右三首のお歌は、朝晩のお勤めのお歌であり、また、これはかぐらづとめのお歌であります。本づとめについては、あとで説かせていただきますが、まず朝晩のお勤めについて話させて頂きます。
 朝晩のお勤めは、暮らしむきの上から考えますならば一番に肝心なことであります。日々にはご飯を食べなければ生命をつなぐことができない。だから、ご飯をいただくことは忘れられない肝心なことでありますが、それ以上に大切なことは朝晩のお勤めであります。……まずこれが、子供が親に対する勤めの第一に肝心なことであります。
……この親に対する子供のすがる心、願う心、これがお勤めであります。

「みかぐらうた語り艸」p38
本づとめとは朝晩のお勤めに対しての本づとめであり、かぐらのお面をおつけになるからかぐらづとめとも、またかんろだいの所でお勤めになるからかんろだいづとめともいいます。
  このよふをはじめかけたもをなぢ事 めづらし事をしてみせるでな 六 7
  このよふをはじめてからにないつとめ またはじめかけたしかをさめる 六 8
  このつとめこれがこのよのはぢまりや これさいかのた事であるなら 十五 29
 このお言葉のようにかぐらのつとめというのは、人間を初めておこしらえになった、その理をおつとめでお現わしになったものである。この人間を初めてこしらえた元の親神様であるからして、この悪気になった人間社会を、再び元の人間をこしらえた神の思わくの世界に造りかえるということは、なんでもないことではあるが、子供可愛い一条からそうもゆかないから、このつとめ一条によって、悪気な人間心を造りかえるとの思わくから、このかぐらづとめをお教えくだされたのである。だから、この本づとめに限っては、この人間を初めてお宿し込みくだされたぢばであるかんろだいのある所でお勤めになるものである。かんろだいというのは、ここで人間をこしらえた証拠に据えるのである、と仰せくだされてあります。……

 
 
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みかぐらうた 公刊本書換について

2018年10月09日 16時40分19秒 | 図書室

公刊本書換について

◆資料を作成するにあたって

「続ひとことはな志 その二」には、写本、私刊本、公刊本「みかくらうた」本一覧表と分けて

1:題名
2:年記又は刊行年
3:筆者又は著者、発行者等
4:内容順序
5:『教祖六十年祭記念本』(以下“標準本”と謂う)との比較
6:特色

としてそれぞれ書かれているが、p64からの公刊本1(明治21年本)と公刊本2(明治34年6月1日本)の

5:『教祖六十年祭記念本』(以下“標準本”と謂う)との比較

についてのみ記載する。しかし、コンピュータでは記載できない文字ばかりなので、書換が行われた文字と「注意を引くもの」とされるものの表から新たに表を作成記載する。

◆書き換えられた文字:(現在のひらがなに相当する文字)

【公刊本1:明治21年本】も、か、に、の、が、お、す、ひ等
【公刊本2:明治34年6月1日本】が、も、か、す、し、に、の、お、は、ば、な等

 

◆書換で注意を引くものの表
注意を引くものの表から:(公刊本1、公刊本2に対してそれぞれ別の表になっているものを合わせて作表した。[]はその公刊本の表にはないので標準本と同じと考えて、同じものを記載。文字はすべて現在のひらがなにした。)

節又は下り
公刊本1
公刊本2
標準本
第四節
いさみかけ [いさめかけ] いさめかけ
二下り
ねへ [ね]
四下り
[はや/\] はや/\゛ はや/\
五下り
させぬぞへ [さゝぬぞへ] さゝぬぞへ
六下り
[かうをも] かうを かうをも
七下り
おなじこと おなじこと おなしこと
十一下り
だん/\゛と だん/\゛と たん/\゛と
十二下り
[にほいかけ] にほひかけ にほいかけ
十二下り
とうりやうが とうりやうが とうりやうか
十二下り
とうりようがよにん とうりようがよにん とうりやうよにん
十二下り
[うかゞい] うかゞひ うかゞい
十二下り
[だん/\] だん/\゛ だん/\

◆他の公刊本との比較;(同書p64からの分類から)
参照リンク:「みかくらうた」本一覧表

1:公刊本3は、公刊本2と同じ。
2:公刊本4.5.6.910は標準本(公刊本8)と同じ。
3:公刊本7は当時の事情により特別に作成されたものである。(同書p93参照)

◆内容比較;(同書P84L12)より抜粋
 公刊初版本は、前川菊太郎名義にて東京にて発行されたもので、神道直轄として天理教会所が公認されたに従って、統一された歌詞の必要より、従来の私刊本の不要を省き、神名等を正し、順序を調えて発行されたものであり、従来“十二下り”の名称が普及していたに対して“みかぐらうた”の題名を付けた点に、当時の意図が窺われる。即ち第五節は歴史的には古くあり、又量的にはその大部分を占めるとは云え、“かぐらづとめ”の要素としての地唄であるとの理から考えれば、当然第一節に重点があり、量よりも理に重点をおいて採定されたと思われる題名には、意義深く感ずるところであり、神名の改称や附属部分の削除に至っては公認教会としての一歩を踏み出した新興意気を強く窺われるところである。
 尚初版本以前に東京にて印行された一本あり、それは私刊本(2)、又は私刊本(3)を台本として“天理王命”と改めたものであるが、公刊本であったか、私刊本であったか、資料不足のため、今日では裁定し得ない。
 再版本 明治三十三年十一月五日『十二下り神楽歌本の是までの分、文字の違いを訂正の上再版致し度く御許しの願』のおさしづを仰ぎ、理をかえることなく字句を訂正の上、発行所を東京よりおぢばにかえて発行したものである。
…(おさしづ掲載)…
 初版本に父の筆でその頃の文法、又は仮名遣いに照して訂正し、父筆の版下で明治卅四年六月一日再版発行となっているが、何故か内容は同一で、奥付が次の二種になっている。
…(省略)…
 一は、相続人中山新次郎、他は相続人兼発行者中山新次郎、一は発行所が神道天理教会本部であるに対して、他は印刷人山澤為蔵となっている。
 第三版は、第二版第一種本の相続人の項が中山正善となっているだけで、他は全然同一である。即ち中山新次郎の出直によりその項を改めたにすぎない。
 第四版以降の本は、教会本部で使用していた父筆の台本に典拠したのであるが、第五節に於いて、二カ所文字が増減している。

 六下り目・9・かうを(第三版)・かうをも(第四版)
 十二下り目・5・とうりやうが(第三版)・とうりゃう(第四版)

註;(第三版)(第四版)とは公刊本3、公刊本5を示す。「みかくらうた」本一覧表(摘要)を参照のこと。

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みかぐらうた再版、解釈についてのおさしづ

2018年10月09日 16時37分15秒 | 図書室

みかぐらうた再版、解釈についてのおさしづ

十二下り及び解釈版行についての「おさしづ」
1、明治24年7月31日
2、明治25年1月10日
3、明治26年3月31日
4、明治33年5月31日
5、明治33年7月14日
6、明治33年11月5日
7、明治34年3月29日

註;1~3、5~7は「続ひとことはな志 その二」;p100に掲載

 

おさしづ文

1、明治24年7月31日
『炊事場普請御許しの願』
さあ/\尋ねる事情/\、尋ねる処さあ/\普請々々一条。今一時どちらもこちらも仮家、十分の処というは先になるによって皆仮家。あちらも取り払い、何時模様変えるやら分からん。今にして今に取らんならんやら分からんで。切り無し/\と言うてある。いつまでの長い間を見ては、どういうものと思て切り無し普請。一寸年限知らしてある。十分経ち切り、一寸掛かり掛け。皆掛け出し普請。あちらも不足、こちらも不足。不足やなけらいかん。十分分かりてあるによって、一寸仮家普請にして、明日日に建て替えせんならんやら分からん。日々の処、切り無し普請という心持って、どんな建て方でもどんな事も許し置くによって、何時なりと心置き無う掛かるがよい。

『同時、巽の角伊兵衞地所に三方へ石垣の御許し願』
さあ/\決まり、一寸仮の決まりも無けらいかん。一寸仮にあちらの石、こちらの石寄せ、出けたかというは、又崩さんならんやら。何時なりと掛かるがよい。心置き無う許す。

『同時、中山会長御居間古家取り払い御許しの願』
さあ/\何時なりと、すっきり十分許し置く。

『同時、おかぐら十二下り版木、前の分損じたるに付更に版木製作の願』
さあ/\まあ今の処、別にこうという事情、実際に持たず、そのまゝじっくとして置くがよい。

『押して、暫く見合わせ置く方が宜しう御座いますや』
さあ/\まあ/\今の処、そのまゝじいと用いて置くがよい。

2、明治25年1月10日
『神楽歌本再版致しましたものにや、原版をさらえて其儘使用して宜しく御座りますや伺』
さあ/\尋ねる事情、事情々々尋ねる処、さあ/\まあ一時改めてこうという、一つには前々以てこうという。又改めて急かにゃなろまい。そこはどちらなりと事情心次第に委せ置くによって、運ぶよう。又々、変わる変わらん、万事何か尋ねて。これ運んだる処は委せ置く。

『押しての願』
さあ/\その処はこうという処、これまでよきという処委せ置く。

3、明治26年3月31日(陰暦2月14日)
かぐらうた版行の御許し願
さあ/\尋ねる事情/\/\、続いて/\/\だん/\続く/\、心置き無う/\、事情急いでするがよいで。

4、明治33年5月31日
『松村ノブの五月三日のおさしづに、天然という御言葉を下された処に、如何の処の事でありますや、押して願(尚小人義孝夜分非常に咳きますから併せて願)』
さあ/\尋ねる事情/\、さしづあれど、事情どういう事もこういう事も、皆さしづ以て順序の理。所々それ/\皆んな治まりある。身上から又々尋ねる処、よく事情諭す。分からにゃ尋ね返やすがよい/\。これではとんと分からんと言えば、尋ね返やすがよい。中にも諭したる。又候々々重ねて尋ねにゃならん。さあ/\これ聞き分け。前々に天然自然と諭したる。天然自然というは、誰がどうする、彼がこうしょうと言うても出来ん。独り成って来るは天然の理。金でどうしょう、悧巧でどうしょうというは、天然であろまい。世上から見て、珍しいなあ。何処から眺めても成程、というは、天然に成り立つ理。この理聞き分け。思案してみよ。それより明らかは無い。この道理皆伝え。銘々治め。内々それ/\治め。それから始まった道。急いても出来ん、又しょうまいと思ても出来て来るは、天然の道と言う。よう聞き分け。どれから眺めても成程と言うは天然。これ聞き分け。身上案じる事要らん。案じる事要らんと言うたら、案じた分にゃならん。ついに案じる事要らんようになる。だん/\もう仕舞なったなあ、どうや知らんと言うて、又一つの理も取り直し/\、そら一つ肥するも同じ事。これ一つ理を悟ってくれにゃならん。

『押して、たゞ今おさしづを承りし処、今度中西牛郎に十二下り解釈を致させて居りますが、この件に掛かりますや願』
さあ/\尋ねる事情/\、それ天然と言うたるで/\。これ一つに悟ってくれ。何程発明利巧な智者や学者でも、行くものやない。たゞ言葉で八方という。未だ鮮やか分からん。急いた処が行かん/\。この道何も紋型無い処から、天より天降りて始め掛けたる道。誰も分からんから、天より天降りて始めた道。誰が掛かりたかて、そら分からん。そこで、どうしょうこうしょうと思たて、一時成るものやない。なれど、何年経ったて通り抜けにゃならん。どうで危ない所も、怖わい事もあろ/\。年限重ならにゃ出来やせん。だん/\道理から、だん/\ほんに珍しい事しよったなあ、悪い事も聞くなれどなあ、そうやないなあと、明らか重なりて往還の理と諭し置こう。

『押して、中西はそのまゝ仕事をさせて宜しきや』
さあ/\どういう事もこういう事も、皆あちらでもこちらでもする。これが誠や。それ/\出て来る。連れ戻ったる。怖わいと言うて来るものやない。皆肥や。どんな者もこんな者も、年限の内に立ち寄る。金銭出したとて雇われん。一つどういう、こういう、掛かりた処が出けん。どれだけ悪口言う者もある。言うた処がそら世上へ知らすのや。そこでぼつ/\掛かるがよい。この道具に使う。急いた処が行くものやない。ぼつ/\掛かるがよい。

『松村吉太郎五月十七日身上のおさしづにどんと治まって云々は、こたまの事情に掛かりたるように思いますが、こたまの件は如何致して宜しきや』
さあ/\尋ねる処/\、悪い者やなかった。善かろうと言うてしたる事はどうもならん。悪い者やなかった。悪い風に誘われ、余儀無い一時の道を失うたる。そこで、銘々親に代わって、心に掛かれば、心に掛からんように明らかして了うがよい。

『前川の方片付けたら宜しい御座りますや』
さあ/\片付けて了え/\。

『こたまの籍を引き取りまして宜しきや』
さあ/\どうも一時、どうしょうと言うた処が行こまい。悪い風に誘われ、取り損いはどうもならん。これまでさしづ及んだる。風に誘われたのは、銘々の恨みと諭し置こう。

『又梶本楢治郎昨年より分教会へ連れ帰り居るが如何致して宜しきや』
さあ/\尋ねる処/\、一つと言うや二つ。道理という、どうもならん/\。一人はどうもならん。こうと言うた処が、風に誘われ、又銘々思う存分、心を吐いた処が日々添わん。人に治める処は、治めにゃならん。放って置かれん。年限理を以て改めてやれ。心から改まらにゃ、改まりたとは言わん。口で言うた処が、心に改まらにゃ、真実改まったと言えん。これだけ諭したら、どんな事も分かる。

『押して、そのまゝ分教会に置く事願』
さあ/\どうも、さあ一時どうしょうと言うても、どうもならん。ほんの言葉一つで、今日から分ける事出けん。何か天然の道理持たにゃならん。天然はいつになっても、天然で通るだけは、どうでも連れて通る。これ聞き分けたら、怨むやない程に/\。銘々心恨みと諭し置こう。

5、明治33年7月14日
『天理教別派独立の件に付内務省へ書面差し出し置きし処、信徒を取り調べの事に対し、各府県より内務省へ種々の事申し込み有之、よって今少し確実のもの提出せば却って教会のためかと言われ、よって十二下りを郡山の信徒中西牛郎に解釈させて大綱を内務省へ出す事御許し下されますかと願』
さあ/\何か尋ねる事情/\、前々に一寸一時事情、いかな事情どういう処、高い所という。あれから一つ理合うたら何も言う事無い。高い所は世上の理である。この道というものは、どういう処から成り立った。遠い所高い所は何にも分からせん分からせん。一時に出来た道やない。細い道から出来たもの。そこで、もう遠からず道見えるで。心しっかり持って、皆んなの綺麗な心より働きする。働きせねば何にもならん。どんな者こんな者、皆綺麗な者。むさい事では何にもならん。
さあ/\もう、どうも一時ならん。道理から聞き分け。どんな大風、雨が降らん、旱水という。月日待っても降らん。どういう事こら何処から出来るものぞ。これも分からせん。又一時に吹き落され、一夜の間にはまりて了う事もある。これも何処から出来るか分からせん。よう考えてみよ。この元一つ、よう聞き分けてくれ。上さえさあと思うたらこれで結構、と思うなれど、この道は容易では行かん。容易では成り立たん。実というもの世界に治まりて、道理成り立ったら出来るもの。もう長い間やない。遠からず成って来る。俺が許した、彼が許した、という事は無い。独り成って来る。世界治めて居る者一人ある。始めて居る処へ、どうという処から、持ち出す。出すものは、どし/\出すがよい/\。隠し包みしてゝはならん。十分心に通り抜けたら聞く者ある。出抜けた者ある。あちら騒がしこちら騒がし、こちら聞いたら悪い、又あちら聞いたら善いと言う者もある。そこで、何よの事すっきりこちらからあちらへ耳の通り抜けた者に入れば、一時早業に火を移すようなもの。さあ/\心置き無う一時出すがよい。未だ/\掛かり掛け。独り分かりて来る。

『増野正兵衞、松村吉太郎明後日上京する願』
さあ/\尋ねる処/\、一日も早う出すがよい。

『ふでさきの処、大裏で建物して其処で調べをさして、その後別席場に用うるための建物の儀願』
さあ/\尋ねる処/\、それは道すがら道理ある。理に委せ置く。あちらから一寸、こちらから一寸、何か一つ/\道理無くば、成り立つものやない。よう聞き分け。何か、どうぞこうさしてくれ、と言うは、ならんと言わん。年限道すがらである。何よの事も道という心以てすれば、どんな事も許さんと言うた事は無い。さあ/\掛かるがよい。

『押して』
さあ/\どんな事も許す/\。

6、明治33年11月5日(陰暦9月14日)
『十二下り神楽歌本の是までの分、文字の違いを訂正の上再版致し度く御許しの願』
さあ/\尋ねる処/\、さあ理というもの、変えようにも変えられはせん。理を変えて道があるか。理を変えて居るもの世上にまゝある。この道聞き分け。文字抜き差し、上が下に、下を上に、言葉の理に変わり無ければ幾重の理もあろう。一文字でも理が変わりたら。堅く/\言うて置く。とても/\理を変わりては道に錆を拵えるも同じ事。一つの道具、そこに使う道具無かったら、皆んな揃うて居ても見て居にゃならん。どうでも一つの理を欠く事出来ん。つとめに手を抜いたる処あれば、心に唱えたら同じ事。すっきりと人間心で、こらどうそらどう、理を抜いたら、これは半文字もいかんで。

『押して、再版の事願』
さあ/\理の変わる事すっきりならん。理が変わらにゃ、上が下になるやら、下が上になるだけ。理が変わらんよう。

『十二下り解釈講社一般へ出す事の願』
さあ/\尋ねる処/\、今一時どうとは言えん。何よの事もじっとして居るがよい。今世界からどうやろうかこうやろうか、一つの気が立ったる。そこで理というものは、読みようで変わる。一時暫くこのまゝで行くがよい。世の中時々の道理変わる。世上の悪気、心変わる/\。変われば世界撫で廻しても、何処も優しきものやで。

7、明治34年3月29日
『本部十二下り再版する願』
さあ/\だん/\事情々々運ぶ処、改めて/\別に改める事無い。ほんにこれでは版使われん/\かと言えば、何度も仕替えにゃならん。変わらん事情一つの理にあれば、何時なりと許し置こう。

 
 
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みかぐらうた 5節 7~12下り目

2018年10月09日 16時32分15秒 | みかぐらうた

 

みかぐらうた 7~12下り目

 

[2004.1.16]

「天理教原典集」p733より訂正、修正
()内は私が追加

 

《第五節》

[七下り目]
一ッ ひとことはなしハひのきしん
   にほひばかりをかけておく
二ッ ふかいこゝろがあるなれバ
   たれもとめるでないほどに
三ッ みなせかいのこゝろにハ
   でんぢのいらぬものハない
四ッ よきぢがあらバ一れつに
   たれもほしいであらうがな
五ツ いづれのかたもおなしこと
   わしもあのぢをもとめたい
六ッ むりにどうせといはんでな
   そこはめい/\のむねしだい
七ッ なんでもでんぢがほしいから
   あたへハなにほどいるとても
八ッ やしきハかみのでんぢやで
   まいたるたねハみなはへる
九ッ こゝハこのよのでんぢなら
   わしもしつかりたねをまこ
十ド このたびいちれつに
   ようこそたねをまきにきた
   たねをまいたるそのかたハ
   こえをおかずにつくりとり
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 

[八下り目]
一ッ ひろいせかいやくになかに
   いしもたちきもないかいな
二ッ ふしぎなふしんをするなれど
   たれにたのみハかけんでな
三ッ みなだん/\とせかいから
   よりきたことならでけてくる
四ッ よくのこゝろをうちわすれ
   とくとこゝろをさだめかけ
五ツ いつまでみあわせゐたるとも
   うちからするのやないほどに
六ッ むしやうやたらにせきこむな
   むねのうちよりしあんせよ
七ッ なにかこゝろがすんだなら
   はやくふしんにとりかゝれ
八ッ やまのなかへといりこんで
   いしもたちきもみておいた
九ッ このききらうかあのいしと
   おもへどかみのむねしだい
十ド このたびいちれつに
   すみきりましたがむねのうち
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 

[九下り目]
一ッ ひろいせかいをうちまわり
   一せん二せんでたすけゆく
二ッ ふじゆうなきやうにしてやらう
   かみのこゝろにもたれつけ
三ッ みれバせかいのこゝろにハ
   よくがまじりてあるほどに
四ッ よくがあるならやめてくれ
   かみのうけとりでけんから
五ツ いづれのかたもおなじこと
   しあんさだめてついてこい
六ッ むりにでやうといふでない
   こゝろさだめのつくまでハ
七ッ なか/\このたびいちれつに
   しつかりしあんをせにやならん
八ッ やまのなかでもあちこちと
   てんりわうのつとめする
九ッ こゝでつとめをしてゐれど
   むねのわかりたものハない
とてもかみなをよびだせば
   はやくこもとへたづねでよ
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

註:「とても」の2行目は、「原典集」には「とても」と並列に記載されているが、校正ミスと判断して、字下げをして記載した。

 

[十下り目]
一ッ ひとのこゝろといふものハ
   ちよとにわからんものなるぞ
二ッ ふしぎなたすけをしてゐれど
   あらはれでるのがいまはじめ
三ッ みづのなかなるこのどろう
   はやくいだしてもらひたい
四ッ よくにきりないどろみづや
   こゝろすみきれごくらくや
五ツ いつ/\までもこのことハ
   はなしのたねになるほどに
六ッ むごいことばをだしたるも
   はやくたすけをいそぐから
七ッ なんぎするのもこゝろから
   わがみうらみであるほどに
八ッ やまひはつらいものなれど
   もとをしりたるものハない
九ッ このたびまでハいちれつに
   やまひのもとハしれなんだ
十ド このたびあらはれた
   やまひのもとハこゝろから
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 

[十一下り目]
一ッ ひのもとしよやしきの
   かみのやかたのぢばさだめ
二ッ ふうふそろうてひのきしん
   これがだいゝちものだねや
三ッ みれバせかいがだん/\と
   もつこになうてひのきしん
四ッ よくをわすれてひのきしん
   これがだいゝちこえとなる
五ツ いつ/\までもつちもちや
   まだあるならバわしもゆこ
六ッ むりにとめるやないほどに
   こゝろあるならたれなりと
七ッ なにかめづらしつちもちや
   これがきしんとなるならバ
八ッ やしきのつちをほりとりて
   ところかへるばかりやで
九ッ このたびまではいちれつに
   むねがわからんざんねんな
十ド ことしハこえおかず
   じふぶんものをつくりとり 
   やれたのもしやありがたや
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 

[十二下り目]
一ッ いちにだいくのうかゞひに
   なにかのこともまかせおく
二ッ ふしぎなふしんをするならバ
   うかゞひたてゝていひつけよ
三ッ みなせかいからだん/\と
   きたるだいくににほいかけ
四ッ よきとうりやうかあるならバ
   はやくこもとへよせておけ
五ツ いづれとうりやうよにんいる
   はやくうかゞいたてゝみよ
六ッ むりにこいとハいはんでな
   いづれだん/\つきくるで
七ッ なにかめづらしこのふしん
   しかけたことならきりハない
八ッ やまのなかへとゆくならバ
   あらきとうりやうつれてゆけ
九ッ これハこざいくとうりやうや
   たてまへとうりやうこれかんな
十ド このたびいちれつに
   だいくのにんもそろひきた
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 
 
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みかぐらうた 5節 1~6下り目

2018年10月09日 16時27分55秒 | みかぐらうた

みかぐらうた 1~6下り目

[2004.1.16]

「天理教原典集」p733より訂正、修正
()内は私が追加

《第五節》

[一下り目]
一ッ 正月こゑのさづけは
   やれめづらしい
二ニ につこりさづけもろたら
   やれたのもしや
三ニ さんざいこゝろをさだめ
四ッ よのなか
五ッ りをふく
六ッ むしやうにでけまわす
七ッ なにかにつくりとるなら
八ッ やまとハほうねんや
九ッ こゝまでついてこい
十ド とりめがさだまりた
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 

[二下り目]
とん/\とんと正月をどりはじめハ
   やれおもしろい
二ッ ふしぎなふしんかゝれバ
   やれにぎはしや
三ッ みにつく
四ッ よなほり
五ッ いづれもつきくるならば
六ッ むほんのねえをきらふ
七ッ なんじふをすくひあぐれバ
八ッ やまひのねをきらふ
九ッ こゝろをさだめゐやうなら
十デ ところのをさまりや
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 

[三下り目]
一ッ ひのもとしよやしきの
   つとめのばしよハよのもとや
二ッ ふしぎなつとめばしよハ
   たれにたのみはかけねども
三ッ みなせかいがよりあうて
   でけたちきたるがこれふしぎ
四ッ よう/\こゝまでついてきた
   じつのたすけハこれからや
五ッ いつもわらはれそしられて
   めづらしたすけをするほどに
六ッ むりなねがひはしてくれな
   ひとすぢごゝろになりてこい
七ッ なんでもこれからひとすぢに
   かみにもたれてゆきまする
八ッ やむほどつらいことハない
   わしもこれからひのきしん
九ッ こゝまでしん/\゛したけれど
   もとのかみとハしらなんだ
十ド このたびあらはれた
   じつのかみにはさうゐない
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 

[四下り目]
一ッ ひとがなにごといはうとも
   かみがみているきをしずめ
二ッ ふたりのこゝろををさめいるよ
   なにかのことをもあらはれる
三ッ みなみてゐよそばなもの
   かみのすることなすことを
四ッ よるひるどんちやんつとめする
   そばもやかましうたてかろ
五ッ いつもたすけがせくからに
   はやくやうきになりてこい
六ッ むらかたはやくにたすけたい
   なれどこゝろがわからいで
七ッ なにかよろづのたすけあい
   むねのうちよりしあんせよ
八ッ やまひのすつきりねはぬける
   こゝろハだん/\いさみくる
九ッ こゝはこのよのごくらくや
   わしもはや/\まゐりたい
十ド このたびむねのうち
   すみきりましたがありがたい
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 

[五下り目]
一ッ ひろいせかいのうちなれバ
   たすけるところがまゝあらう
二ッ ふしぎなたすけハこのところ
   おびやはうそのゆるしだす
三ッ みづとかみとはおなじこと
   こゝろのよごれをあらひきる
四ッ よくのないものなけれども
   かみのまへにハよくはない
五ツ いつまでしん/\゛したとても
   やうきづくめであるほどに
六ッ むごいこゝろをうちわすれ
   やさしきこゝろになりてこい
七ッ なんでもなんぎハさゝぬぞへ
   たすけいちじよのこのところ
八ッ やまとばかりやないほどに
   くに/\までへもたすけゆく
九ッ こゝはこのよのもとのぢば
   めづらしところがあらはれた
どうでもしん/\゛するならバ
   かうをむすぼやないかいな
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 

[六下り目]
一ッ ひとのこゝろといふものハ
   うたがひぶかいものなるぞ
二ッ ふしぎなたすけをするからに
   いかなることをもみさだめる
三ッ みなせかいのむねのうち
   かゞみのごとくにうつるなり
四ッ ようこそつとめについてきた
   これがたすけのもとだてや
五ツ いつもかぐらやてをどりや
   すゑではめづらしたすけする
六ッ むしやうやたらにねがひでる
   うけとるすぢもせんすぢや
七ッ なんぼしん/\゛したとても
   こゝろえちがひはならんぞへ
八ッ やつぱりしん/\゛せにやならん
   こゝろえちがひはでなほしや
九ッ こゝまでしん/\゛してからハ
   ひとつのかうをもみにやならぬ
十ド このたびみえました
   あふぎのうかゞひこれふしぎ
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 
 
 
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