優緋のブログ

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「私の頭の中の消しゴム」

2006-04-25 12:10:19 | 読書
木村元子著 小学館文庫2005年10月1日発行

この小説は、2001年制作のドラマ「Pure Soul~君が僕を忘れても~」のノベライズ作品として書かれたものを、映画の公開に合わせて全面改稿した作品。

一読した感想は「エ?これで終わり?」というのが正直なところでした。
主人公薫(映画ではスジン)の日記という形式で綴られた内容は、文章も口語体で読みやすく、一日が一行という日もあり、本当にあっという間に一時間半もあれば読めてしまいました。

これまで、映画やドラマのノベライズ本といえば、本編では映像だけで表現されていて、台詞などで語られることのない、登場人物の心の動きなどが細かく描写されているのが良いところだと思い読んできました。
しかしこの本の場合は、薫の視点から一日のことが数行で書かれているだけなので、薫の見ていない(知らない)浩介(映画ではチョルス)の行動などは全く表には出てきません。
これは、一行づつ、じっくり想像力を働かせながら読まないと、本当の内容は見えてこないぞと思い読み直しました。

1月28日
薫の28歳の誕生日の日記から始まる。
その日、地下鉄の中でふと昔の恋人和也のことを思い出す薫。
「火傷をしたときは痛くても、傷が癒えて、そのうちそこに傷があったことを忘れてしまう。
傷が消えることはないのだけど、自分の一部みたいに、そこにあることに慣れていくのだ。」
物語の結末を暗示するような文章が示されている。

数日後、行きつけのカフェLuna Coffeeで薫は浩介と出会う。
薫がLuna Coffeeに置き忘れたデザインのスケッチブックを取りに戻ったところで浩介と出くわし、「私のスケッチブック、返してください!」と大声で叫んでしまう。
実際は、薫の勘違いで、浩介がたまたま同じものを持っていただけなのだった。
薫が謝っても浩介はろくに返事もせず無愛想。最悪の出会い。

この後、薫は浩介のことを日記の中で「無愛想男」と呼んでいる。
気に入らない奴と言いながらも、でも薫が浩介のことを意識していることが文章の端々から読み取れる。

一方、浩介も薫の事を一目惚れしていたことが、後になって分かる。
薫がLuna Coffeeで、デザイン画を書いている時に消しゴムを折ってしまい「どうしよう。」と思っていると、浩介がぽんとテーブルの上に消しゴムを。
薫の存在など眼中にないような顔をしていつも設計図を広げていた浩介も、薫のことを意識していたのだ。そうでなければ、そんなタイミングよく渡せるわけがない。

この「消しゴム」をきっかけに、二人は急速に親しくなってき、薫の日記は幸せな文章で彩られてゆく。
しかしその合間に、会社でのありえないミスや、物忘れなど、薫の不安な「症状」が時々見え隠れする。

夏祭りの夜、二人は初めての大喧嘩をする。
「祭りに行きたい」という薫に、浩介は「祭りは嫌いだ」という。
なぜ?私は行きたいのに。
両親や子供のころのことを語ろうとしない浩介に薫は、「子供のころのアルバムを見せて」という。
しつこいよ、と怒る浩介に薫も不機嫌になり帰ろうとする。

やがて浩介が生い立ちを語り始める。
浩介は夏祭りの夜に母親に捨てられたのだ。
両親のいない浩介は「人は変わるんだよ。愛なんていつかは消えてなくなるんだよ。将来なんて、誰にも分からないんだよ。」と。
両親の愛に育まれて幸せに育った薫には浩介の心が分からない。

マンションに行っても、Luna Coffeeに行っても浩介に会えない日々。
二人の間に溝ができ、浩介に気持ちを伝えられない苛立ちが薫を襲う。
もうだめなんだろうか?

その日も閉店までLuna Coffeeにいた薫は店を出ようとした時、激しい眩暈に襲われて倒れてしまう。
意識を失っていく中で「薫!」と呼ぶ浩介の声が聞こえる。
浩介も毎日薫のことを想い、Luna Coffeeのドアの前まで来て中に入れずにいたのだった。
「これまでずっと明日なんてないと思って生きてきた。でも今は薫と歩く永遠の未来がほしい。」

浩介は一級建築士の試験に合格し、二人は10月26日に結婚する。
幸せな未来が約束されたような浩介と薫。
しかし、薫の病気は確実に進行していた。

ある日「キッチンタイマー」という言葉が出なかった。
薫が言葉をよく忘れることを心配する浩介。
薫は大学病院で検査を受けることにした。

クリスマスイブの日。
薫の病名が判明する。「若年性アルツハイマー」
全てのことを忘れてしまう病気。
浩介のことも。

家に帰り、クリスマスのご馳走とプレゼントを用意し、家を出る薫。
「友達の看病。」と嘘をついて、分かれる決心を付けるために。
「私の頭の中には消しゴムがある。浩介とは別れるしかない。
明日。明日は帰ってちゃんと話そう。」

ホテルも取らず、思い出の東京タワーの並木道の脇で座っている薫を浩介が探し出す。
私の病気のこと、分かっちゃったんだね。
「薫は俺を信じさせてくれたんじゃないか。何も信じられなかった俺に。
変わらないものがあるって。信じられるモンがこの世にはあるって。いまさら逃げんなよ。」浩介が泣くのを初めて見た。

それから一年、二人は共に病気と闘う。
しかし、しだいに仕事ができなくなり退職。
過去と現在の記憶の混濁が起こり、着替えも一人ではできなくなってくる。
日記の文字もひらがなが多くなり、最後には意味をなさない単語の羅列になってゆく。

最後の日記。
「かずやにあいたい
たまねぎをきる
はんばーぐ
すいっちはつける、けす
しゃしんのひと、こうすけ。
こうすけは、ないている。」

薫は日記を残し家を出る。
主治医の紹介で施設に入り、一ヵ月後に投函してくれるようにと言付けて、浩介への手紙を託す。
そのころにはもう私を連れ戻すことも諦めてくれるでしょうと。

一ヵ月後、手紙によって薫の所在が分かった浩介は薫に会いに行く。
しかし、薫にはもう浩介が分からない。

薫の気持ちを尊重し、薫を連れ戻さない決心をする浩介。
記憶を失った薫がいつも大切に抱えているアルシュのスケッチブックには、浩介の姿だけが描かれている。
その絵は、ページをめくってゆくとしだいに輪郭がぼやけ、やがて幼児が描くような絵になってゆく…。


最後の日記には、和也と浩介の記憶の混濁の中でも、浩介の妻でありたいという薫の心が表れているような気がしてなりません。
そして、たとえ記憶を失ったとしても、命の中には何かが残ってゆく、私もそう信じています。

あなたから 一生分の 愛情を
        もらったから もう、泣かないで

最期まで 高原薫で いさせてね
       あなたを縛る わけではないの

いつの日か 心の傷も 癒えるから
        あなたは自分の 人生生きて

信じること 教えてくれた 君だから
        僕を忘れても 君を愛する

君の中 僕がいること わかるから
       愛は変わらぬと 僕は信じる

永遠の 愛を僕らは 得たのだと
      共に過ごした 時は短くも