優緋のブログ

HN変えましたので、ブログ名も変えました。

「松風の家」

2006-09-11 09:46:50 | 読書
宮尾登美子作 文春文庫

千利休を祖とする「後之伴家」。
その明治初期から大正期にかけての衰亡と復興期における人間模様を描いている。

私も独身のころに2年ほど茶道をかじったことがあり、ほんの少しの間、家元につながる師匠から稽古をつけていただいたことがあった。

私が覗いたその世界はほんの入り口だったが、その奥深さは垣間見た気がする。
しかし、現在その組織は全国規模で、茶道人口は一体どれほどいるものなのか見当もつかないし、カルチャーセンターへ行けばどこでも講座はあり、東京の実家の近所にはそこここに茶道教室もあった。

となれば、お家元の存在は確たるもので、そんなその日の米の算段にも苦慮しなければならない苦難の時代があったとは、この小説を読むまで考えもしなかった。

確かに幕末から明治にかけては日本中が大いに揺れ、それまでの価値基準が崩れ去り、富裕な家が没落したり、新興の財閥が現れたりという変革の時代であった。
となれば、大名や公家相手に伝統の家職を守ってきた「後之伴家」もそれから無縁でいられるはずもなく、それにあいまって家督相続のいざこざ、家元の出奔となればその苦難は想像を絶する。

伝統を受け継ぐ家に住むものの暮らしとはまことに厳しく、粥をすすり、水を飲んで暮らしていても誇り高く、またたとえ客が来なくとも、稽古を付ける相手がなくとも自身の修行は怠りなく、たとえそれが子どもであっても厳しく容赦はしない。
それが趣味として茶を嗜むものと、それを家業として生活しているものの違いであり、まして外から嫁として来る女性にとっては大変な苦難であったろうと思う。

物語の終盤、仙台が舞台として登場する。
家元が窮状を打破すべく、京都を出て東京へと打って出た時に出会った仙台の茶道教授の娘を、時期家元の結婚相手として白羽の矢を立てたのだ。

その娘には淡い恋の相手がおり、相手の大学生と将来の約束も互いには交わしているが、相手の家から「一度で縁付けぬ家の娘」と言われ悲恋に終わる。
そして、結局家元の申し出を受け、娘は時期家元夫人として京都へ嫁ぐことになる。


個人の意思だけではままならぬ、「家」を守るということの重みがあった時代に懸命に生きた人たちの強靭な精神力を見る思いがした。