毎日が幸せでありますように。

わたしの家族について。小さな幸せを忘れないように。
~お空へ還っていった赤ちゃんと、その後生まれてきてくれた息子~

退院後の診察(1回目)。

2012-04-04 15:28:07 | 前期破水・切迫流産
4月2日は、退院後の最初の診察。
出産後の子宮の状態を見てもらいました。

いつもの診察台にあがって、子宮の状態をエコーで見てもらう。

そして、子宮の中じゃなくて、外の壁に2センチくらいの筋腫があることを教えてもらった。
子宮の中だったり、壁だとしてもとても大きな筋腫だった場合、
妊娠できないことがあるから摘出するらしいんだけど、
ちゃんと妊娠できてたから、このままで大丈夫とのこと。

昔ポリープができて、とってもらったことはあったけど、筋腫ってほんと簡単にできちゃうんだね

こないだの出産のときの胎盤をいま検査に出しているらしく、
その結果が出るまでにまだしばらく時間がかかるから、その時期とあわせて次回の診察を予約。

胎盤の状態から、流産の原因や体の異常がわかることがあるらしい。
知らなかった。

次回は、2週間後の4月16日。


久しぶりの平日の午後のお出かけ(病院までの道のりだけど)は、
ちょっと風があったけど、お散歩出にはちょうどいいあたたかさだった。
春も、もうすぐそこまできてるんだね

赤ちゃんの記録(その10) 退院その後。

2012-04-04 15:19:07 | 前期破水・切迫流産
久しぶりに帰ってきた自宅。

1週間前と何も変わらない休日。

ただ変わってしまったことは、わたしのお腹の中の赤ちゃんがお空へ還ってしまったこと。


赤ちゃんがお腹の中にいたことで、できなくなっていたことが、
ひとつずつできるように体が変化(回復)したことを実感する度に、涙が出てきた。

ご飯が食べたいと思うようになったこと。
食べたときに想像したとおりの味であること。
お腹が空いてもまったく気持ち悪くならないこと。
空気がたくさん吸い込めること。
しゃがんだり、体育座りが楽にできること。
うつ伏せに寝ることができること。


そして、赤ちゃんがお腹の中にいたときにしていた動きを、変わらずふいにしてしまい、
もうお腹にいないことを実感する度にも涙が出てきた。

お腹を支えながら階段を降りること。
トイレに座るとき、ゆっくり慎重に座ること。
お腹に手を当てながら夜寝ること。
何気なくお腹に話しかけながら、やさしくなでること。


どれもちょっとした行動だけど、
わたしたちのもとに赤ちゃんが来てくれて、お腹の中で一緒に過ごしてきたことで
こんなにも生活の仕方が変わってたんだってことを思い知らされた。


同じような体験をした人たちが、
その後どんなふうに過ごしているかをネットで調べることが大半の時間を占めた。

会社にはいつから行ったらいいんだろ。
今のわたしは、できれば会社は行きたくない、できれば誰にも会いたくないって思ってるけど、
気が紛れるから仕事してるほうがいいって人もいるみたい。

産休をとって、じっくり考える人。
これを機会に体を一番に考えて、仕事辞める人。

いろんな人がいるけど、わたしはどうしたいのかわからない。
会社に行くことを想像してみても、きっと泣いてしまう自分がいる気がしてならない。

満員電車に乗れるようになったこと。
電車のにおいで気持ち悪くならなくなったこと。
お昼を食堂で食べられるようになったこと。
お昼後のエレベータホールのにおいで気持ち悪くならなくなったこと。
自分の席からコピー機まで歩くときにしていた立ちくらみや動悸がなくなったこと。
コーヒーメーカーの香りが平気になったこと。

泣かずにいられるようになるまでは会社に行かないほうがいいのかな。

ゆっくり考えてからでもいいのかな。

のんびりと規則正しい生活をして、体調が回復したことが確認できてからでもいいのかな。

赤ちゃんの記録(その9) 入院8日目・退院。

2012-04-04 15:06:16 | 前期破水・切迫流産
■平成24年3月31日(土)入院8日目・退院

いつもと変わらない朝の診察。
消毒をして、エコーを見て。
ただひとつ違うのは、前日までそこにいた赤ちゃんの姿がないこと。

信じられない。。。

信じたくない、っていうのが正直な気持ち。

でも、エコーはお腹の中がきれいに空っぽであることを見せてくれた。


大きな出血もなく、子宮の状態が大丈夫ってことで、退院できることになった。

退院後の診察の予約をして、今日からは自宅で薬を飲んで安静に過ごす。

赤ちゃんのためにできることをしようと決め、
入院して、できる限りのことをしてきたつもりだけど、
今日から、どうやって過ごしたらいいのか全く想像できなかった。


夫に今日退院できることを連絡し、退院の準備を進めた。

1週間のほとんどをベッドの上で過ごしてきたけど、
先生やたくさんの看護師さんのお世話になってきたから、離れるのがなんとなくさびしい感じがした。

退院前に、気にかけて個人的に病室まで顔を出してくれた看護師さんは、
ここまで長く赤ちゃんが生きてこれたのは、赤ちゃんとお母さん、旦那さんで一緒にがんばったからだよ
と言ってくれた。

この看護師さんは、入院したときに、ずっと付き添ってくれた看護師さんで、
毎日赤ちゃんが元気でいるかどうかを、ほんとうに気にかけてくださっていた。

帰り際にもお会いすることができて、感謝の気持ちから、涙が出てきた。


1週間前、ここに来たときはダウンコートを着ても寒かったけど、
1週間経った今日は、風は強いけどあたたかく、もう春になってきたんだね。

この1週間は信じたくないこと、信じられないことばかりの毎日だったけど、
確実に毎日は過ぎていて、わたしだけ取り残された感じがした。

妊娠がわかった1月から3月までの日々が全てすっぽり抜け落ちて、
何事もなかったかのように、今日にタイムスリップしてきちゃった感じ。


母子手帳へは、赤ちゃんの出産記録を書いてもらった。
身長と体重と性別と。
記録を希望されない人もいるってことだけど、
わたしは、赤ちゃんが一生懸命生きてくれたことを、しっかり残してあげたいと思った。


ほかに残っているのは、1週間つけ続けた点滴の針を刺してた左腕に残った傷痕。
これはそのうち消えてっちゃうんだろうけど。

赤ちゃんの記録(その8) 17週2日・入院7日目。

2012-04-04 14:46:50 | 前期破水・切迫流産
■平成24年3月30日(金)17週2日・入院7日目

昨日の不安が的中したのか、不安になっちゃたせいでこうなっちゃったのか。

悲しい朝が来た。


朝の検診で赤ちゃんの心臓は動いていることが確認できなかった。


エコーで心臓が動いてるかどうか確認する前に、先生はもうわかってたみたい。
目視で、赤ちゃんの足が子宮から出ているのが見えてたから。

わたしもエコーの画像を見て、昨日までと違うことはすぐにわかった。
いままでは胎盤のそばに頭があって、窮屈そうにしていた姿が
今日は胎盤のずっと下に頭があって、全体的に下に下がってきちゃってた。

うそだと思いたかったけど、それが無理なくらいはっきりしていた。


診察台の上で涙が出てきた。


看護師さんはみんな、お母さんも赤ちゃんもよくがんばった、って
そうやって声をかけてくれた。
毎日エコーを一緒に見るのを楽しみしていたって言ってくれた看護師さんもいた。

たくさんの人に祈り、見守られていたんだと思ったら、嬉しかった。


ちょうど今日は夫に届けてほしいものがあるからと、朝から病院に来てもらってたので
すぐに赤ちゃんの状況を先生から伝えてもらった。

どんな気持ちだったのかな。


このまま赤ちゃんがわたしのお腹の中にいるのは危険だから
張り止めの点滴を止めて、分娩する準備に入ることになった。

施術になるので「同意書」を渡され、サインをした。
今回の施術内容は、こんな感じ。

妊娠17週(破水含む)子宮内胎児死亡で流産処置が必要となります。
子宮収縮で自然に摘出できなければ、収縮剤を使用します。

わたしができることは、
赤ちゃんが苦しくないように早く外に出してあげること。


薬の効果が無くなり、張り(つまり陣痛)が来るのをベッドの上でひたすら待つ。
でも、お昼まで待っても張りは感じられなかった。

しばらくして、薬を投与することに決まり、分娩室へ移動することに。

はじめての出産がこれからはじまるということに、不思議と不安はなかった。

早く産んであげたい。

その気持ちが強かった。


手術着に着替えて、分娩台に横になり、先生に薬を投与してもらった。
2~3時間してもお腹に痛みや何も変化がなければ、追加で薬を投与するらしい。

分娩台の上で、ただひたすら待つだけの時間は長いようで、あまり長くは感じられなかった。

今こうしている自分のことが信じられないというか、
全部が夢で、うそだったらいいのにって思ったり、
早く会いたいって話してたから、早く出てきちゃったのかなと思ったり、
早く産んであげて、ずっとがんばってきたその姿を見てあげたいって思ったり、
男の子なのか女の子なのか、わかるのかな、とちょっと楽しみだったり。

助産師さんも
ひと足早く、陣痛と出産が経験できるから、
次の子が産まれてくるときは、緊張せずにできるから、ちょっとお得な気分だね。
と話しかけてくれたり。

そうこうしているうちに時間は過ぎ、
14時半頃に生理痛のような痛み(これが陣痛)があってからは、とても早かった。

先生が到着してから、痛み止めとかの点滴をして、
産む準備をしているときに、お腹からにゅるっとした何かが出てくるのを感じた。

間違いなく赤ちゃんだと思った。

痛みもなく、ただ自然の流れに身を任せてただけで、ちゃんと産まれてきてくれた。

その後も数回、お腹の中から何かが出てくるのを感じ、
先生に胎盤を出してもらい、15分くらいの時間で全てが終わった。

お腹の中が空っぽになったのを、なんとなく感じた。


点滴の副作用でとてつもない眠気に襲われ、気が付いたら助産師さんがそばにいた。


そして、夫と一緒に赤ちゃんとのご対面。
(場合によっては、対面ができない状況で産まれてきたり、対面をあえて拒否する人もいるらしい。)


体長20センチ。体重120グラム。
顔は目と口がまだ開いてなくて、鼻の穴がちょっと見えてて、
手と足の指はちゃんと5本ずつある、五体満足な男の子だった。

きっと小顔なイケメンだったって、助産師さんは言ってくれた。

生きて会うことはできなかったけど、それでもとても嬉しかった。

産まれてきてくれてありがとう、って心の底から思ったし、
ただ見ているだけで、かわいいなって、そう思えたことにとても感動をおぼえた。

こうやって家族が増えていくんだね。


駆けつけてくれたお母さんにも赤ちゃんに会ってもらった。
はじめての孫に、こんなふうに会ってもらうことになるだなんて
きっと思ってなかっただろうけど、でも会ってもらえて嬉しかった。


赤ちゃんは、都内にある斎場から天国へ行ったあと、納骨堂に預かっていただくことに。

お骨はおうちへ持って帰らないことに決めた。
わたしたちの心の中にずっと記憶しておけば大丈夫。
いつでも思い出してあげることはできるから。


赤ちゃんを産んで、2時間もすればもう母体は回復してくるってことで
明日の診察で子宮内に特に問題がなければ、明日にでも退院できるとのこと。

今日から新たに飲み薬が処方された。
陣痛で張ったお腹を元に戻してくれる薬と、
感染を予防してくれる抗生物質の薬と、
胎盤を取り除くと母乳が出る準備がはじまるそうで、それを抑制する薬。

食欲はないけど、薬のためにがんばって夕食を食べる。

これまでは赤ちゃんのためにと思って、気持ち悪くなりながらもがんばって食べてきたけど、
その赤ちゃんがお腹からいなくなってしまったわたしに、食欲は全然わかなかった。


お腹に手を当てながら毎日夜寝ていたけど、もうそこにはお腹の膨らみはなく、
ほんとうにいなくなってしまったんだと感じられた。
まだ信じられないけど。

緊張と不安の毎日から解放されたのか、
それまで1~2時間で寝ては目が覚めていたのが、はじめてまとまった時間眠れた。

赤ちゃんの記録(その7) 17週1日・入院6日目。

2012-04-04 14:25:09 | 前期破水・切迫流産
■平成24年3月29日(木)17週1日・入院6日目

今日も赤ちゃんの心臓は動いていた。

でも、へその緒が7~8センチ出ているらしい。
それがどういうことを意味しているかは聞かなくてもわかるような気がした。

だとしても、わたしの赤ちゃんはちゃんと生きててくれて、
この子はとても強い子なんだと、そう思った。

今日は入院して1週間近く経つので、赤ちゃんの成長を見るために頭の大きさを測った。

羊水がなくてもちゃんと成長していてほしかったけど、
頭の大きさからは成長は見られず。

3.3センチ。

少しでもいいから大きくなってほしい。


入院してから、体調の変化はほとんど感じられなかったのに、
今日は夕方からお腹が少しだるくて重たい感じがした。
これがお腹の張りなのかな。

最近、食事をとっても、気持ち悪くてもどしちゃったりしてたから
そのせいかもしれないし、よくわからない。。。

看護師さんに触診してもらったけど、異常は感じられないみたい。

いろんなこと言われすぎて、少しストレスに感じているだけなのかもしれない。


毎日、夕方に来てくれる夫へも、へその緒のことと、お腹の話をした。

泣いたり、不安になったりすると、赤ちゃんにも伝わっちゃうからだめだって
いつも夫は言って励ましてくれる。

年度末で忙しいはずなのに、毎日こうやって会いに来てくれるだけで、とても安心できた。


でもやっぱり、お腹のことは気になる。

今日は今までで一番不安な夜だった。

赤ちゃんの記録(その6) 16週7日・入院5日目。

2012-04-04 14:12:35 | 前期破水・切迫流産
■平成24年3月28日(水)16週7日・入院5日目

今日は主治医の先生はお休み。
この前、話をしてくれた先生が診察してくれた。

今日も赤ちゃんの心臓はちゃんと動いていた。

でも、へその緒は昨日よりも出てきているらしい。
トイレに行ったり、立ったり座ったりすると、外に出てくるかもしれない。
今は先生に、出てきたへその緒を子宮内に押し込んで対処するしかないって。


新しくわかった症状や、前日との変化は隠さず教えてほしいと思っていたけど、
でもいざこうやって聞かされると、不安になるばかり。

診察が終わると、ベッドに戻って、横になって泣く毎日が続いた。


お昼過ぎにトイレに行ったときに、へその緒が出ているような気がして、先生を呼んで、診察してもらった。
見てもらうと、勘違いだったのか、
そのときにとってる姿勢と腹圧の関係で出たり引っ込んだりするだけで、今は大丈夫とのこと。

再度、子宮内へ押し込んでもらっって、エコーで赤ちゃんを確認。

よかった、ちゃんと動いている。

不吉かもしれないけど、
1日に2回もエコーで赤ちゃんに会えたことがとても嬉しかった。


夕方、夫にもへその緒のことを話した。
そんな話を聞かされたら、きっと心配で仕方なくなるんだろうと思ったけど、
そうだとしても、わたしたちの赤ちゃんのこと、全部知っていてほしいと思った。

家族で一緒にがんばるって決めたから。

赤ちゃんの記録(その5) 16週6日・入院4日目。

2012-04-04 14:01:50 | 前期破水・切迫流産
■平成24年3月27日(火)16週6日・入院4日目

朝の診察。
今日も変わらず心臓は動いていた。

よかった。

この子は、とっても強い子なんだね。えらいぞ。

そう思った。


明日の朝も心臓が動いていますように。

と、夜寝るときと朝起きたとき、祈り、赤ちゃんに話しかける毎日。


朝の診察は、
1日の中で一番不安であると同時に
1日の中で一番安心できる時間だった。


昨日の話が本当なら、24週で産まれられるってことは、
5ヶ月先にならないと会えなかったのが、あと2ヶ月したら会えるんだ。

そう考えるとちょっと前向きになれる気がした。


今日は昨日からの変化で
へその緒が子宮から膣に出ていることを教えてもらった。

へその緒が出てしまうと、赤ちゃんへ栄養や酸素がきちんと送られなくなって、
そのまま赤ちゃんが窒息死することがあるそうだ。
それは16週のわたしの赤ちゃんも、出産直前の妊婦さんにも、誰にでも言えることらしい。
でも、羊水がないわたしには、つらい通告だった。


夕方、仕事を終え、夫が面会に来てくれた。

友人や後輩など、医者の知り合いにいろいろ聞いてくれたとのこと。
先生からのお話やネットで調べる情報よりも、
知り合いからの話のほうが、何も包み隠さず話してくれるから信用できるのかな。

わかったことは、
同じ時期に、同じ状況だった人でも、ちゃんと赤ちゃんを産んでいる人もいる。

可能性はゼロではない、ということ。

赤ちゃんの記録(その4) 16週5日・入院3日目。

2012-04-04 13:46:44 | 前期破水・切迫流産
■平成24年3月26日(月)16週5日・入院3日目

朝の診察。
今日も心臓は動いていた。

エコーを見るのがとても怖い。

いままでは、元気な姿が見られるのが楽しみだったエコーが
こんなに怖くなるだなんて考えてもみなかった。


お昼過ぎ、先生から先日の血液検査の結果を教えてもらった。

定期健診のときにも言われていた貧血がさらに進んでいること。
炎症反応(菌の感染)の値が2倍に上がっていること。

貧血へは、毎朝、鉄剤を点滴の管から注入することになった。

炎症反応へは、今の抗生剤の点滴以外にてきることはないらしい。
このまま値が上がらないことを願うのみ。


総合的に見て、昨日よりも状況は悪化している。


赤ちゃんは昨日と変わらず元気なのに、わたしは弱ってきちゃってるんだ。
そう思うと、とても悲しい。


夕方、夫が仕事を終え、面会に来てくれた。
一緒に、先生から、今の状況と、
赤ちゃんが生まれてくる可能性について話していただいた。

赤ちゃんにとって、羊水はとても大事。
とくにこの時期(16週)で、羊水がないことは致命的。
人工羊水でお腹の羊水を増やすという手法は、まだ実験段階で治療法としては確立されていない。
しかも、いまの週数と抗生剤を投与している状況では、人工羊水の適用は無理と思う。

できることは、
赤ちゃんを感染から守ること。(点滴で対応中。)
陣痛が起きないようにすること。(点滴で対応中。)
赤ちゃんの心臓が止まらないこと。(これに対しては何もできない。神様のみぞ知る。)

この状態で、最低24週まで育って、
別の病院で、赤ちゃんを育ててくれることを受け入れてもらえれば、産むことができる。

ざっとこんな感じだった。

それ以外で、一番衝撃だったのは、
もし赤ちゃんが亡くなった場合、16週となると、手術ではなく分娩で赤ちゃんを産むということだった。

そこまで大きく育っているのに、助ける方法がないだなんて。


赤ちゃんが24週まで生き続け、
超未熟児だけど受け入れてくれる病院が見つかって、そこで育ててもらう。
これ以外に方法はなさそうに思った。

赤ちゃんの記録(その3) 16週4日・入院2日目。

2012-04-04 13:32:36 | 前期破水・切迫流産
■平成24年3月25日(日)16週4日・入院2日目

採血、検温、血圧が測定され、8時に朝食。
その後、先生の診察。
今日もエコーで、赤ちゃんの心臓が動いているのが確認できた。

よかった、今日もちゃんと生きている。

でも、お腹の羊水がないために、
赤ちゃんの頭は、わたしの胎盤のすぐそばにへばりついていて
とても窮屈そうだった。

わたしの胎盤からの栄養でちゃんと大きく成長できるのかとても心配。。。

先生の診察とエコーでの確認は1日1回。
あとは1日安静に過ごすのみ。

12時に昼食。18時に夕食。
それ以外の時間は、ベッドの中で寝て過ごす。

赤ちゃんはわたしのお腹の中にいるのに、何もできないのがつらかった。


夫は朝から夜まで、わたしのそばにいてくれた。

昨日も、ひとり帰ってからネットでたくさん情報を調べてくれてたみたい。

同じ経験をしている人。
赤ちゃんが助かるための新たな治療方法。
他の病院への転院について。

何でもいいから助かる方法を知りたいって思いは、わたしとおんなじだった。

わたしはひとりじゃない。
家族がいてくれて、ほんとうによかった。

赤ちゃんの記録(その2) 16週3日・入院1日目。

2012-04-04 13:20:19 | 前期破水・切迫流産
わたしたちのもとに来てくれた赤ちゃんの記録。

この1週間の出来事は記憶から無くなることは絶対にないけれど、
当時何をどんなふうに感じていたか思い返したくなったら、すぐに帰ってこられるように。

つらい思いが多かったけど、
そんな中でも嬉しいって思えることもあったってことを、思い返せるように。


■平成24年3月24日(土)16週3日・入院1日目

昨日の検診では何も異常がなかったのに。
1日中寝ていて、安静にしていたはずなのに。

夕食を食べているときに、急にお腹が痛くなった。
いつものつわりとも違う、何かおかしな痛み?違和感がお腹に。
立ち上がると、お腹の中から一気にお水が流れ出てきた。
何が起きたのかわからなかった。

病院に電話して、夫と病院に駆け、診察。

エコーを見る先生はとても深刻な表情だった。

羊水がほとんど流れ出てしまっている。
赤ちゃんは、いつ亡くなってしまってもおかしくないとても危険な状態。
(羊水がないということは、赤ちゃんにとっては致命的なことらしい。)
でも、心臓はちゃんと動いている。

なんでこんなことになっちゃったんだろう。

わたしたちは、選択を迫られた。

1:望みはほとんどないが、前向きな治療を施していくこと。
2:今後のことを考え、今回は治療はせずに諦めること。


わたしたちは、赤ちゃんが生き続けてくれることに望みをかけ
入院して、できる限りの治療をしてもらうことに決めた。


病室まで車いすで移動し、(ここから先の移動は全て車いす。)
腕に点滴を刺され、採血をし、ひたすら安静を続ける生活がはじまった。

「時が経てば治る」という確実なものは何もないけれど
わたしができることは、安静にすること。
ただそれだけ。


病名は、「前期破水(妊娠16週)切迫流産」


治療は、点滴を打ち続けること。

羊水がなくなったことから、子宮を通じ、
赤ちゃんと母体のわたしに感染がないようにする抗生剤の点滴を朝夜の2回。

そして、羊水がなくなったことで、陣痛しないように
(羊水がなくなると、母体は赤ちゃんを産む準備の陣痛を起こすようにできてるらしい。)
お腹の張り止めの点滴を24時間。

この2種類の点滴を打っていたとしても、
菌に感染し、それが広まっていく可能性はあるし、お腹の張りがはじまることもある。


まさかこんなことになるだなんて考えてもみなかった。

なんとも言えない漠然とした不安の中、ほとんど眠れないまま翌朝がやってきた。

赤ちゃんの記録(その1)。

2012-04-04 12:15:00 | 前期破水・切迫流産
わたしたちのもとに来てくれた赤ちゃんの記録。

結婚・妊娠と、何事もがすべて順調に進んでいた。
9月に産まれてくるはずだった、わたしたちの赤ちゃん。
幸せだった妊娠生活。

そんな楽しい思い出は、今年の1月にはじまった。


■平成24年1月3日(火)

いつも月初めにくるはずの生理。
結婚して、はじめての年末で落ち着かないことが多かったから、まだ来てないのかな?
と思いつつも、夫のすすめで、妊娠検査薬を買ってみた。

自宅へ帰り、早速試してみたら、結果は、「陽性」
くっきりと、2本線が出ていた。

信じられないくらい嬉しい気持と、どうしたらいいんだかわからない不安な気持ち。

夫に結果を報告しに行くと、「あ、やっぱり」って感じで喜んでくれた。

夫は、わたしの行動やふるまいがいつもの生理のときと違うように思ってたらしく、
結果が出る前から、妊娠を確信していたらしい。
それで検査薬を買うことをすすめたんだって。

20代のうちに、できれば子どもをふたり産みたい
って、学生のときに描いていた漠然とした理想に、1歩近づけたのかな?と嬉しかった。

偶然にも翌4日は、わたしも夫も会社はお休みをもらってたから、一緒に病院に行くことに決めて、
この日は、早めに就寝。


■平成24年1月4日(水)

うちからすぐ近くにある総合病院。
そこの産婦人科に行ってきた。

病院でお世話になった経験が少ないこともあって、病院は得意じゃない。
ただ診察に行ってみるってだけのことなんだけど、とても緊張した。

産婦人科の待合スペースで待ってると、そこにはたくさんの妊婦さんがいた。
マタニティマークをつけている人を見ると、わたしもこうなるのかな?って、顔がほころんだ。

しばらくして、名前を呼ばれて、先生のところへ。
そして、診察。
診察台に乗って、エコーでお腹の中を見てもらった結果は、まだちょっと早すぎたのか、赤ちゃんの存在が確認できなかった。

確かにエコーで見ると、丸い小さなぽっちが見えるけど、これが赤ちゃんなのかなーって感じ

この日は、再診の予約をして終了。


病院で赤ちゃんの確認はできなかったんだけど、夫はとってもテンションが高くって、
「たまごクラブ」を買いに行こう
って、ノリノリだった(笑)

家族思いのやさしい夫と一緒に本屋さんへ行って、早速購入。
「はじめてのたまごクラブ」

ふたりで一緒に読んで勉強したね。


■平成24年1月12日(木)

前回の診察から約2週間。
その後の成長過程を確認してもらいに、2回目の診察へ行ってきた。

残念ながら、この日も確実に妊娠しているかはわからなかった。

エコーの写真で、子宮内に着床したことが確認できたけど、
まだ赤ちゃんは小さすぎて、心拍が確認できなかったので、もう一度期間をおいて再診することに。

早く母子手帳もらいに行きたいねー。
って、夫と話していたけど、まだしばらくはおあずけみたい。


■平成24年1月30日(月)妊娠が確認

3回目の診察。

今日こそは
と、わたしはとくに何かするわけではないけれど、気合いを入れてのぞんだ。

その気持ちが伝わったのか、エコーでしっかり赤ちゃんが写ってるのが確認できて、
心拍も動いていることが確認できた
ようやく無事に妊娠。

先生から、そのように告げられた。

よかったー

妊娠検査薬で陽性が出てから、ここまで長かったー。

早く夫にも伝えてあげよう
と思い、診察が終わったら、待合スペースで待ってた夫へエコー写真と一緒に報告。

夫は喜んでくれたけど、とっても不思議そうな顔をしていた。
たしかに、エコー写真を見ても、「どこをどう見たら赤ちゃんなんだろう?」って感じだったからね。

診察のあと、わたしは、助産師さんからいくつかの指導を受けた。
今後の生活などのお話を聞いて、読んで知っておくべき情報がつまった本をたくさんいただいた。

そして、ようやく待ちに待った母子手帳がもらえるって思うととても嬉しかった。

病院からそのまま出張所に行って、書類にちょっとした必要事項を記入して、そしたらすぐに発行。
かわいいミッフィーちゃんの絵が描かれた母子手帳

会社の書類や手続きと違って、とてもお手軽だったからびっくり(笑)
ほかにもあわせて、申請書類や本をたくさんもらった。

これを全部読んで理解しないといけないのか。
妊婦になるって、大変なんだなー。


■つわり生活

2月は出張や外出が続く時期だったこともあって、本来はもう少し安定してから報告すべきなのかもしれないけど、
この先、何かと迷惑や協力していただくことが増えるだろうから、会社の担当のみなさんに、妊娠の報告をした。

年度末に向けた忙しくなる時期での報告は、嫌がられるんじゃないかと心配だったけど、
とても快く話を聞いていただけ、安心した。

そんな安心もつかの間。。。

2月の節分あたりまでは、なんでも食べられてた気がするんだけど、
その後、食べ物を受けつけない日々がはじまった。

これが、つわり?

想像してたよりも、きついんですけど。。。

率直な感想は、そんな感じだった。

食べられなくて、くらくらして、電車に乗りたくない。

会社へは出社時間を1時間遅くしてもらい、10時出社にしてもらったけど、
あまりに電車がつらいときは、夫に会社近くまで送ってってもらったことにあった。

そして、つわりでとても気持ちが悪いので、お昼ご飯は、ひとりで食べるようにして。

何かできることはないかと思い、サプリで、葉酸と鉄分を摂取しはじめる
効果が出るのかわからないけど、少しでもよくなればと思って期待した。

でも、体重はどんどん落ちて、妊娠前からマイナス5キロ以上を記録。。。
こんな数字見るの久しぶり(笑)

そして、まさかこの食べられない生活が、3月下旬まで続くとは思ってもみなかった。


■平成24年2月24日(金)12週2日(4ヶ月突入)

はじめての定期検診。

今日はたくさんの項目を検査してもらうために、採血の予定があるって、もらった書類に書いてあった。。。
採血は人生まだ1回しか経験してなくて、一番嫌な検査
ほんとにやだなぁー。。。

ほかにも、検尿、血圧、体重はこれから毎回測定するらしい。

やっと妊婦さんらしくなってきたなー

乗るのに慣れてきた診察台のから見る、エコー画像の赤ちゃんも、前回よりもサイズアップ
って言っても、まだ3.5センチ。

小さくっても手をばたばたさせて、わたしのお腹をパンチしているようにも見えた(笑)

つわりで大した栄養も摂れてないわたしだけど、
赤ちゃんは、まだとっても小さいけど、一生懸命生きて、どんどん成長してるんだね

きっと強くて元気な子が産まれてきてくれる
そう思った。

※でも、元気に動いている赤ちゃんをいることができたのは、この日が最後。
 夫は、のちに入院することになったときに見た、
 エコーで心臓だけが動いている赤ちゃんを見たのが最初で最後だった。


■平成24年3月23日(金)16週2日(5ヶ月突入)

2回目の定期検診。

実は、この日の2日くらい前から、血混じりのおりものが出てたから、心配になって
先生に相談してみたけど、エコーと子宮内を診察してもらう限り、異常はないとのこと。
しばらくいまの状態が続くようなら、病院に来てねって先生は言ってくれた。

エコーで見る赤ちゃんは、15センチにまで成長
こないだからすごい育ってる

お腹も大きさを測ってもらい、これからどんどん大きくなる予感。

相変わらず、わたしはつわりでほとんど食べられてないのに、こんなに成長できるだなんて、赤ちゃんってすごい。
ほんとうにそう思う。

前回は、手を動かしてたけど、今日は動いてないから寝てるのかな。

そんなことを思いながら、過ごしていた。

そして、前回の血液検査の結果が出て、血液型と、ちょっぴり貧血ってことが確認。
サプリとプルーンジュース飲んでるのに

赤ちゃんは、どんどん成長しているのに、わたしは全然よくなってないんだね。。。
お母さんもがんばらなくちゃ。

次回は、超音波検診で、はじめて夫も一緒に赤ちゃんを見れることに。
やっと家族3人で一緒に過ごせるんだねー。

ブログはじめます。

2012-04-04 11:48:02 | そのた
はじめまして。ayaです。

まずは、自己紹介。

都内に勤務する平凡な会社員。
2011年3月に結婚。
2012年1月に妊娠。
同3月に、前期破水・切迫流産で、赤ちゃんはお空へ還っていきました。

現在は、自宅にて安静&療養中。
しばらくは、いろいろ考えながら、ゆっくり過ごしていきたいと思います。


そして、ブログをはじめたきっかけ。

前期破水・切迫流産を経験し、
「自分はただネットで情報を調べるしかできない。。。」
「何か施せる前向きな治療法はないのか?」
「同じ経験をした人のことを知りたい!」
という夫を見て、同じような経験や思いをして悩んだり苦しんだりしている方へ
何かしらの心の支えになれたらいいなという思い。

そして、
わたしも退院後たくさんの方のブログ・日記を読んで
少しずつではあるけど、「がんばろう」という気持ちになれたことへの感謝。

そして最後に、
短い命ではあったけど、わたしたちのもとに来てくれた赤ちゃんの
精一杯生き抜いた記録を残そうと思い、ここにはじめることを決めました。


どんなにつらく悲しいことがあったとしても、
きっとそこには家族の支えと、幸せがあることを願って。