> 今日のタイトルは,「ケインジアンが沈黙している理由」ではないのですか?
> 前々回,リバタリアンの政治哲学を「理由その1」としていたので,今日
> のテーマはその続きかと?
ええ,「沈黙」とすると誤解を生じるかなと感じたので,表現を少し変えただけ
です。内容を変えるつもりではありません。
> ケインジアンが「沈黙」している訳ではない?
ネットで調べていると,それなりにケインジアン側からの意見も出てきているし,
新刊として出版されている書籍もありましたので,それらに失礼かと。
> でも,あまり目立たないですよね,正直なところ…。
> 目立つ人は叩かれているし!
> だから「小声で叫ぶ」と副題をつけた訳ですか。
そこですよ,問題の核心は!
本来,ケインズの経済学は,現在の様な深刻な不況期にこそ,輝きをみせるは
ずのものなのです。でも,現実はそうなっていない!
> ケインズ政策の実現を阻む要因-について考える事になる訳ですね,結局。
> で,その要因の2点目は何なのです?
「1990年代の日本の経験」と呼べば良いでしょうか?
日本経済が最初の大規模なバブル崩壊を経験した,あの後の経済政策運営に対
する,極めて批判的な議論ですね,その実体は。
> 日本経済の今に至る「失われた20年」の起点ですよね,時期的には。
> その時期には,まだ日本におけるケインズ主義は健在だった?
はい。80年代にアメリカでレーガノミクスやサプライサイド経済学が台頭して
きても,日本の経済学界は,これに批判的な意見が主流でした。
90年代に入っても,基本的な事情は同じです。
> つまり,90年代のバブル崩壊後の不況に対して,ケインズの経済学は無力
> だった訳ですか。
少なくとも,その効果に対する意見が分かれる事は事実です。
「期待された効果」との意味で言えば,失敗だったと言えるのかもしれません。
> 日本経済の姿は,この時期に大きく変貌しましたものね,実際。
> 「失われた10年」の言葉は,90年代の日本経済を振返って語られましたし。
この10年間に実施された経済政策が,期待された経済効果を発揮できなかった
事が,ケインズ経済学の威信を大きく損なった点では間違いありません。
> 何が問題だったのでしょう,90年代のケインズ政策では?
まず,金融機関が抱えていた巨額の不良債権の存在が,この時期の金融政策の
効果を無効化してしまいました。
> 不良債権処理と金融再編の問題は,当時よく議論されましたよね。
> 政府による規制の象徴として,「護送船団方式」が批判の的になっていました。
> 政府による過度の保護政策は,金融再編の障害になっていましたし,「不良金融
> 機関はつぶせ」との声が,日ごとに大きくなって行った。
結局,金融の自由化が,この時期に「正義」として認識された訳です。
> ケインズ政策のもう一方の翼である,財政政策の効果は,なぜ損なわれたの
> ですか?
いろいろな意見があるのでしょうが,財政政策がこの時期の景気の底割れを支
えた点では評価できると,私は考えています。
ただ,やはり巨額の不良資産の存在が,期待した乗数効果の実現を損なったの
だと思います。
> 収入が借金の返済に回って,消費や投資を充分に喚起できなかったと云う
> 事ですか。
そのとおり。結局,民間需要を喚起できなければ,財政支出は一時的な下支え
の意味しかありませんからね。
つぶれかけた企業の延命を助けるのみで,業界再編などの構造改革の促進を損
ない,財政赤字を膨らませるだけの,愚策として認識されるように変化したの
だと思います。
乗数効果を伴わない,不要な箱ものへの財政支出は,政治家の人気取りのため
の「バラマキ」に過ぎない,と考えられる様になりました。
> 原因は「不良債権の存在」なのですよね,財政政策の効果を損なうのは。
原因が一つだけとは限りませんがね。
「含み損」などの「不良資産の存在」も,民間需要の喚起を阻害する原因にな
る事が予想できます。
この時期に,経済学はそれまでのフロー中心分析から,ストック分析にまで視
野を広げて行きました。
> なるほど,豊かな社会にあっては,収入増が,即消費増に直結する訳では
> ないからですね。自分の家計の実情を考えてみれば分かる話ですね。
また,この時期の財政政策が,一見無駄にも感じる「箱もの」を中心に行われ
た点も批判の対象になりました。財政支出の効果は同じでも,使われもしない
公共建築物ばかりを作っては,結局その後の維持費の増大によって,ますます
財政を圧迫する原因にしかなりません。
> 「目的と効果が重要」だと言う事ですか,財政政策では!
薬にも毒にもなるのです,財政支出の使い方次第では。
> 2点目は分りました。
> 最後の3点目は何ですか,ケインズ政策の実現を阻む要因の。
それは,一流のケインジアンの多くが「官僚」である事です。
> なるほど,Broは以前,「ハーヴェイロードの前提」を話していましたね。
> ケインズ経済政策の実現を担う者は,エリートである必要がある。
> でも,「脱官僚」のこのご時世では,「悪者」の代表格になっていますよね。
日本経済を駄目にした犯人が「官僚達」である,との昨今の論調からすれば,
言葉を替えると,まさにケインジアンが日本経済を駄目にした事になる。
> この不景気に,ケインジアンの声が小さい理由が分りました。
> でも大学の先生や経済評論家にも,ケインジアンは居ますよね?
一流の経済評論家は,それで飯を食っている訳ですから,時代の風潮には敏感
なものです。必然,ケインジアンは減りました,それでないと食っていけない。
> 評論家と云う人種は,「一流であるほど風見鶏」だと。
> 大多数の経済評論家が市場原理主義者である理由は,小泉改革の影響ですね。
> 二流の方が頼りがいあるかもしれませんね,現在の様な改革期には!
残る期待は,大学の研究者達だと思うのです,私は。
今,自信をもって改革を語るには,彼らの力に期待するしかない気がします。
> でも,大学の研究者達の多くは,「経済の実態に疎い」ですからねぇ…。
> それこそ,数式ばかり捏ね繰り回している人々の印象が強いです,私には。
> 結局,Broの様な「超二流」のブロガー達の意見に期待する以外ないかも?
「二流」に「超」が付くと,とても侮辱的に感じるのですけど…。
> 前々回,リバタリアンの政治哲学を「理由その1」としていたので,今日
> のテーマはその続きかと?
ええ,「沈黙」とすると誤解を生じるかなと感じたので,表現を少し変えただけ
です。内容を変えるつもりではありません。
> ケインジアンが「沈黙」している訳ではない?
ネットで調べていると,それなりにケインジアン側からの意見も出てきているし,
新刊として出版されている書籍もありましたので,それらに失礼かと。
> でも,あまり目立たないですよね,正直なところ…。
> 目立つ人は叩かれているし!
> だから「小声で叫ぶ」と副題をつけた訳ですか。
そこですよ,問題の核心は!
本来,ケインズの経済学は,現在の様な深刻な不況期にこそ,輝きをみせるは
ずのものなのです。でも,現実はそうなっていない!
> ケインズ政策の実現を阻む要因-について考える事になる訳ですね,結局。
> で,その要因の2点目は何なのです?
「1990年代の日本の経験」と呼べば良いでしょうか?
日本経済が最初の大規模なバブル崩壊を経験した,あの後の経済政策運営に対
する,極めて批判的な議論ですね,その実体は。
> 日本経済の今に至る「失われた20年」の起点ですよね,時期的には。
> その時期には,まだ日本におけるケインズ主義は健在だった?
はい。80年代にアメリカでレーガノミクスやサプライサイド経済学が台頭して
きても,日本の経済学界は,これに批判的な意見が主流でした。
90年代に入っても,基本的な事情は同じです。
> つまり,90年代のバブル崩壊後の不況に対して,ケインズの経済学は無力
> だった訳ですか。
少なくとも,その効果に対する意見が分かれる事は事実です。
「期待された効果」との意味で言えば,失敗だったと言えるのかもしれません。
> 日本経済の姿は,この時期に大きく変貌しましたものね,実際。
> 「失われた10年」の言葉は,90年代の日本経済を振返って語られましたし。
この10年間に実施された経済政策が,期待された経済効果を発揮できなかった
事が,ケインズ経済学の威信を大きく損なった点では間違いありません。
> 何が問題だったのでしょう,90年代のケインズ政策では?
まず,金融機関が抱えていた巨額の不良債権の存在が,この時期の金融政策の
効果を無効化してしまいました。
> 不良債権処理と金融再編の問題は,当時よく議論されましたよね。
> 政府による規制の象徴として,「護送船団方式」が批判の的になっていました。
> 政府による過度の保護政策は,金融再編の障害になっていましたし,「不良金融
> 機関はつぶせ」との声が,日ごとに大きくなって行った。
結局,金融の自由化が,この時期に「正義」として認識された訳です。
> ケインズ政策のもう一方の翼である,財政政策の効果は,なぜ損なわれたの
> ですか?
いろいろな意見があるのでしょうが,財政政策がこの時期の景気の底割れを支
えた点では評価できると,私は考えています。
ただ,やはり巨額の不良資産の存在が,期待した乗数効果の実現を損なったの
だと思います。
> 収入が借金の返済に回って,消費や投資を充分に喚起できなかったと云う
> 事ですか。
そのとおり。結局,民間需要を喚起できなければ,財政支出は一時的な下支え
の意味しかありませんからね。
つぶれかけた企業の延命を助けるのみで,業界再編などの構造改革の促進を損
ない,財政赤字を膨らませるだけの,愚策として認識されるように変化したの
だと思います。
乗数効果を伴わない,不要な箱ものへの財政支出は,政治家の人気取りのため
の「バラマキ」に過ぎない,と考えられる様になりました。
> 原因は「不良債権の存在」なのですよね,財政政策の効果を損なうのは。
原因が一つだけとは限りませんがね。
「含み損」などの「不良資産の存在」も,民間需要の喚起を阻害する原因にな
る事が予想できます。
この時期に,経済学はそれまでのフロー中心分析から,ストック分析にまで視
野を広げて行きました。
> なるほど,豊かな社会にあっては,収入増が,即消費増に直結する訳では
> ないからですね。自分の家計の実情を考えてみれば分かる話ですね。
また,この時期の財政政策が,一見無駄にも感じる「箱もの」を中心に行われ
た点も批判の対象になりました。財政支出の効果は同じでも,使われもしない
公共建築物ばかりを作っては,結局その後の維持費の増大によって,ますます
財政を圧迫する原因にしかなりません。
> 「目的と効果が重要」だと言う事ですか,財政政策では!
薬にも毒にもなるのです,財政支出の使い方次第では。
> 2点目は分りました。
> 最後の3点目は何ですか,ケインズ政策の実現を阻む要因の。
それは,一流のケインジアンの多くが「官僚」である事です。
> なるほど,Broは以前,「ハーヴェイロードの前提」を話していましたね。
> ケインズ経済政策の実現を担う者は,エリートである必要がある。
> でも,「脱官僚」のこのご時世では,「悪者」の代表格になっていますよね。
日本経済を駄目にした犯人が「官僚達」である,との昨今の論調からすれば,
言葉を替えると,まさにケインジアンが日本経済を駄目にした事になる。
> この不景気に,ケインジアンの声が小さい理由が分りました。
> でも大学の先生や経済評論家にも,ケインジアンは居ますよね?
一流の経済評論家は,それで飯を食っている訳ですから,時代の風潮には敏感
なものです。必然,ケインジアンは減りました,それでないと食っていけない。
> 評論家と云う人種は,「一流であるほど風見鶏」だと。
> 大多数の経済評論家が市場原理主義者である理由は,小泉改革の影響ですね。
> 二流の方が頼りがいあるかもしれませんね,現在の様な改革期には!
残る期待は,大学の研究者達だと思うのです,私は。
今,自信をもって改革を語るには,彼らの力に期待するしかない気がします。
> でも,大学の研究者達の多くは,「経済の実態に疎い」ですからねぇ…。
> それこそ,数式ばかり捏ね繰り回している人々の印象が強いです,私には。
> 結局,Broの様な「超二流」のブロガー達の意見に期待する以外ないかも?
「二流」に「超」が付くと,とても侮辱的に感じるのですけど…。