あやめな日々 in OSAKA

広島女学院同窓会大阪支部の活動をゆる~く報告&プライベートを気ままにひとりごと

明智光秀ゆかりの地、亀岡へ行ってきました~3、亀山城址

2020-10-14 17:05:20 | 京都へのお出かけ

お屋敷がんこ・楽々荘でランチした後、亀山城址へ行きました。

丹波亀山城は、光秀公が本能寺の変を起こした際に出陣したお城です。

光秀軍は、備中への援軍を命じられ、居城の坂本城からまず亀山城へ入りました。

そして、西へ向かうはずが目指すは京都、本能寺。

歴女ではないので、ざっくりとしか知りませんし、忘れていることや間違ってることもたくさん

それでもやはり歴史は面白いし、実際に見たり聞いたりするのはとても楽しいです。

 

でも…亀岡の亀山城…  どうせなら亀岡城だったらわかりやすいのですが…

 

楽々荘からは正門ではなくて裏門から抜けて行きます。

 

裏門

もう城内です。

 

亀山城址は、現在は神道系新宗教 大本の所有となっています。

コロナの影響で、9月までは入場禁止でしたが、10月から見学可能になりました

 

本部の総合受付で見学料を払い、入場券代わりのシールをもらいます。

それを胸に貼って、いざ登城

 

大本教の神殿 万祥殿

神殿の横を通って行きます。

 

一つ目の門

 

二つ目の門

この門が、亀山城当時の本丸入口に当たるそうです。

 

復元された天守石垣

下から約3分の1は、光秀公築城当時の穴太衆積みが奇跡的に残っているそうです。

石積も苔も美しい

よく、ここまで復元できたものですね。さぞ大変だったでしょう。

 

さらに上へ

 

大イチョウ

光秀公お手植えと伝えられますが、江戸時代に台風で倒れ、

後継ぎに若木を植えた記録が残っているそうです。だからたぶん2代目。

 

天守石垣に沿って奥へ進みます。

 

 

入場可能区域はこちらまで、上は神域になるようです。

クルンとUターン

 

 

神殿前の橋の上から、かつてのお堀跡を眺める

 

 

降りて、お堀を歩いてみる。

ほとんどもう、妄想モード突入

 

石垣に大名たちが残した天下普請の刻印があるそうなので、

友人一同、必死に歩き回って探しております

閉門時間までは、あと残り僅か

 

発見

 

 

□と卍これですね

 

正門

 

南郷池

 

まだ妄想モードから抜けてなくて、いろいろな思いが交錯します。

光秀さんは、本能寺の変の前夜、何を思い何を見られていたのでしょうか?

家臣の皆様は、いつも通りの出陣として、こちらを立たれたのでしょうか?

なんだかもの悲しい

やはり、天海さんであって欲しいです~

夕暮れ時、トボトボとJR亀岡の方へ歩いて行きました。

 

でも、まだ帰りません

ステキなカフェを発見しておりましたので、そちらへ寄ります。

リカバリー早い

次回へ続く

 

それではまた~

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 明智光秀ゆかりの地、亀岡へ... | トップ | 明智光秀ゆかりの地、亀岡へ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

京都へのお出かけ」カテゴリの最新記事