紫陽花記

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別館★写真と俳句「めいちゃところ」

10 秘密

2023-02-12 08:34:09 | 著書・夢幻★すみれ五年生


「すみれ、どこへ行くのよ」
 ポピー公園に向かって十字路を曲がった所で、後ろから久美の大きな声がした。振り返ると千秋と珠恵も一緒にこちらを見ている。すみれは、三人を無視して足を速めた。
「何か良いことでもあるの?」
 と、千秋の声が追いかけてきた。
「あるわけないじゃん」
 と、珠恵が叫んで三人が笑った。
 すみれは駆けだした。と、同時に三人も追いかけ出す。靴音が乱れて迫ってくる。懸命に走った。暫く走って振り向くと三人との距離がさっきより離れていた。これなら追いつかれないですむと思ったが、ポピー公園に行っていることを知られないためには、行くのを止めにするしかない。千代と会えなくなるが、はっきりとした約束をしていたわけでもないから、今日は我慢しようと思った。
 路地に走り込んで、また道をジグザグに方向を変えた。三人の靴音が途絶えた。すみれは一呼吸を入れて走ることを止めた。
 前方のTの路を千代が横切るのが見えた。ポピー公園に向かっているのだろう。声を掛けようとした時、あの三人の声が左の方から聞こえてきた。
 すみれは電柱の陰に身を隠した。
「どこへ行ったのかしら、最近すみれ、明るい顔をしているよね。なんか良いことでもあるのかしら」
「うん。そうだよね。私たちのことを無視しているよ、余裕って感じ」
「なんか、秘密があるのよ、きっと」
 三人は話しながら千代に近づき、千代を避けるように追い越していった。
 千代がシルバーカーを止めて立ち止まった。すみれは、三人が遠退くのを待った。



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著書・夢幻に収録済み★連作20「すみれ五年生」が始まります。
作者自身の体験が入り混じっています。
悲しかったり、寂しかったり苦しかったり、そのどれもが貴重なものだったと思える今日この頃。
人生って素晴らしいものですねぇ。
楽しんでお読みいただけると嬉しいです。
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(きのおびとなりしつつみのあわだちそう)
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9 配置換え

2023-02-05 08:17:47 | 著書・夢幻★すみれ五年生


 祖母の竜子は考えごとをしているようだ。時々箸を止めため息をついている。すみれは、見ないふりをしていたが、気になっていた。
 すみれは竜子の様子を目の端に入れながら思い出していた。千代は八十歳を二つ越したと言っていた。竜子はそれよりずっと若いと思うが、時々肩を叩いたり腰を叩いたりするのを見ると、きっと毎日の仕事に疲れているのだろう。
 それに、すみれ自身が竜子に対して取る態度は、竜子には悲しいことに違いない。かといって、自分のどうすることも出来ない苛立ちを抑えることが出来ないでいる。
「配置換えされたのよ。今度はもっと早くに出勤しないといけないわ。だから、すみれ、あなたもリュウちゃんを頼らずに学校へ行くのよ」
「はいちがえ?……」
 竜子はすみれの咄嗟の反応に、予想外だったのか目を見開いてすみれを見た。すみれは、何か恥ずかしいところを見られたような気がして、顔を背けた。
「うん。始業前の掃除をするの。だんだん追いやられて、そのうちリストラされるわ、きっと」
 すみれは、山谷を思い出した。『仕事が出来るだけでも良い』と、言っていたが、今頃どうしているだろう。もうタクシーに乗っているのだろうか。竜子も大変なのだな、と思ったが黙ってみそ汁を飲んだ。
「掃除のおばさんが来なくなったら、途端に私に掃除係をしてくれって。イヤだなんて言えば辞めさせられるし、仕方ないわ。この歳だと何処でも雇ってもらえないから。来週から早出。そのかわり、夕方は今より早く帰れると思うわ」
 竜子はため息混じりに言った。




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(いしだんをさくらもみじのかけあがる)
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8 千代の家

2023-01-29 08:32:06 | 著書・夢幻★すみれ五年生


 玄関を挟んで右が千代の部屋で、反対側に風呂やトイレがあった。玄関から突き当たりにダイニングキッチンと、その隣に娘の部屋があるらしいが、扉が閉まっていた。掃き出しのガラス戸から小さな庭が見える。赤い花の植木鉢が三個並んでいた。
 ダイニングキッチンに二人用のテーブルとイスがあった。それに腰を下ろした千代は、少し息を弾ませている。すみれは、千代に歩調を合わせて歩いたつもりだが、もっと、ゆっくりした歩き方をするべきだったかもしれないと思った。
「すみれちゃん、おやつを食べようか。そこの戸棚に紺色の缶があるから取っておくれ」
 缶には固い煎餅類はなく、クッキーや個別にパックされたケーキなどが入っていた。
「娘が買って置いてあるんだ。私のボケが始まっていると思っているらしく、買い物もさせないのだよ。もっとも、大分前のことだけど、お金を払わずに物を持ってきてしまったことがあった。それ以来、娘はお金の管理をして、僅かな私の年金さえも時々チェックするんだ」
「千代おばぁさん、その時何を持って来ちゃったの、食べ物?」
「はて、何だったかね、忘れた。でも、娘にこっぴどく叱られたことは覚えている」
 お茶はポットの湯で千代が入れた。ダイニングキッチンは整然と片付けられ、高いところには落ちて危ない物は載せていない。留守の多い娘の心配は、千代の病気や怪我などに違いない。
 ガス台の端に『ガスは使わないこと』と書いた大文字の紙が貼ってある。そして、流し台の側には『水は出しっぱなしにしないこと』と書いた紙が貼ってあった。


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(とうれいやこひはくろくろただもくす)
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7 三人

2023-01-22 08:11:08 | 著書・夢幻★すみれ五年生


 おじさんが公園に入ってきた。すみれは、何故か懐かしい感じがした。
「元気そうだね」
「おじさん、仕事、決まったの?」
「うん、タクシー会社だ。今までの仕事とまったく違うものだが、仕事しないでは暮らしていけないからね」
 山谷と名乗ったおじさんは、すみれに笑って見せてから、ベンチに腰を下ろしている千代に挨拶をした。
「すみれちゃんの一番目の友達ですって? 私は二番目の友達の千代おばぁさんです。嬉しいねぇ、私とも友達になってください」
 千代は山谷に手を差し出した。山谷は両手でその手を包み、少し揺すった。
「ね、おじさん、いつからお仕事するの」
「タクシーを運転するのだけど、これから二種免許を取得しなくちゃならない」
「ふぅーん、大変なの、おじさん」
「山谷さん、若いから大丈夫。私の子供と言ってもいいくらいの歳だろうから」
 千代が山谷を見あげて言った。
「ええ、頑張らなければ。すみれちゃん、学校はちゃんと行っているのかい」
「うん。行っている」
「この千代おばぁさんと約束したんだよね。学校だけは休まないって」
「そうか、よかったね、友達が増えて。おじさんは、しばらくはここへは来られない。何かあったら電話くれるといいよ」
 山谷は、会社の電話と自分の携帯電話の番号を手帳に書くと切り取り、すみれと、千代にそれぞれ渡した。
 山谷が帰ると、すみれは千代を自宅まで送ることにして一緒に歩き出した。千代はシルバーカーにもたれるようにして歩いた。



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(あしのほやじんせいろまでおおうほど)
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6 話し相手

2023-01-15 08:14:56 | 著書・夢幻★すみれ五年生


 藤棚の下のベンチに、八十歳代に見える老女が腰を下ろしていた。日陰なので気づかなかったが、シルバーカーを前に止めてある。老女はすみれに横顔を見せ前方を向いたままだ。すぐ側まで近づくと、はじめて反応した。
「おや、お嬢ちゃん一人かい」
 無言で頷いたすみれに自分の隣を手で示し、座るように勧めた。
「この公園は子供の少ない所だ。今日も誰とも話をしないで過ごすのかと思っていたけど。お嬢ちゃんがきたからよかった。私は毎日のように誰とも話をしないで過ごすことが多いんだ。つまらない人生さ」
「おばぁさんは独り暮らしなの」
「いや、娘と二人。娘は勤めの関係で夜遅く帰ってくるし、朝は忙しく出かけてしまうし話なんてする暇がない。ガスは危ないから使うなって言うんだ。お湯はポットで沸かして、娘の用意したおかずをレンジでチンして、昼も夜も、そうやって独りで食べるんだ。娘がいつ帰って来たのか分からない。私は早く寝てしまうからさ。毎日毎日、独りで居るようなものだよ」
「寂しくないの?」
「だから公園まで頑張ってくるのさ。少しでも、誰でも良いから話したいと思ってね」
 すみれは、私もこのおばぁさんと同じだと、思った。
「足が痛いんだけど、歩かないと歩けなくなるって、娘が。心配はしてくれるけど、一緒に歩くことはない」
 老女は膝をさすり、遠くを見た。
「おばぁさん、私明日またここへ来るよ。私このポピー公園が好きなの」
「そうかい、そりゃあ嬉しいね。じゃ明日もお話が出来るね」




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(ゆくひとのあしをとらんとくずかずら)
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