社会人になって初めての社員旅行。部長以下男女三十人は、藺草香る広間のコの字形に並べられた膳に着いた。俺は一番出入り口に近い末席。中途採用で二年前に入った五十八歳の小泉さんの隣だ。小泉さんは、仕事中は無口で、口を尖らせて書類に向かっている。
「無礼講で今夜は楽しんで下さい」
部長が表情を崩した。
「仕事のことはあっちへ飛ばしておいて」
隣の小泉さんが俺にビールの入ったグラスを上げて見せた。俺はあまりアルコールに強くない。たった一人の新入社員だ。
「イワタロコ君。君の名は何とも言えないな」
先輩の一人が捻り寄ってきた。普段俺を無視している鼻髭だ。
「はぁ」笑顔で受けたが、緊張が走る。
「誰か、唄をやらんかね」
部長の酔った声が響いた。仲居さんがカラオケのマイクを持って会場内を見回した。
手を挙げたのは眼鏡の先輩。『星のフラメンコ』を選んで、浴衣の前を掻き合わせて立ち上がった。得意な曲らしい。リズム感も声も良い。座は一気に盛り上がった。
小泉さんがコの字型の中心に出て行った。大して酔っている風ではない。浴衣の腰ひもをきつく結び直すと、上半身を脱いだ。いつの間に着ていたのか黒いシャツ姿だ。口に真っ赤なハンカチを銜えている。
「ドン」と右足で青い畳を踏み鳴らすと、胸を突き出し、尻をアップさせて踊り出した。
「イエーイ、いいぞう」
「うわっ、なに?」
会場内のざわめきなど意に介さず踊る。唄の終盤になった時、真新しい畳に足を取られた。傾斜体勢三十度の小泉さんが、部長めがけて滑って行った。
著書「夢幻」収録済みの「イワタロコ」シリーズです。
楽しんで頂けたら嬉しいです。
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