石森則和のSEA SIDE RADIO

ラジオマンの
石森則和がお届けするブログです!

倉敷からの「たより」

2012-01-08 | Weblog
倉敷にある真言宗のお寺、高蔵寺のご住職&画家で、
ラジオパーソナリティーの天野こうゆうさんから
「高蔵寺だより瑠璃光」を送っていただいた。

これまでの「高蔵寺だより」をカラー化してリニューアルしたものだ。

こうゆうさんは僕とほぼ同じ年で
こどものための寺子屋を開くなど
地域とのつながりを大切にされている。

だから「高蔵寺だより」には
地域の皆さんの生き生きした笑顔が
そのまま掲載されている。

実は、
僕は少し驚いている。

こうゆうさんは、地元密着のお寺としては随分早くから
ホームページを立ち上げた人で、
しかも最近リニューアルしたばかりだ。

それでも敢えて
紙媒体に力を入れたのかと。

でも、
僕は、これは正しい判断だと思う。

思い出したことがあるのだ。

今、「被災地とメディア」をテーマに
チームを組んで取材&放送を進めているが
被災地で話を聞いて気付いたことがある。

「ラジオを聴いていて、
津波の情報を知り命拾いをした。感謝している」
「いつものパーソナリティーが喋ってくれていることで
安心感を持った」
「停電していても、電池がなくても
車のエンジンがかかればラジオが聴けた」

これらの声をありがたく思ったし
誇りに感じた。

しかしその一方で、
こんな声もあった。

「ラジオで聞く死者数には驚いたが現実として受け止められなかった。
新聞を見て初めて被害の大きさを実感できた」
「息子の安否をこの目で確認したくて新聞を買った」
「避難所では取材しにきた記者が持っていた朝刊にみんなが群がった」


ラジオマンとしてはハッとさせられた。

ただし、地元の河北新報は命がけで被災直後から配達されたが
全国紙の配達は難しかった。

また、ネットメディアに関しては・・・
「停電した状況ではインターネットは役に立たなかった」
「地域によってはネット環境が不備だったり、
高齢者世帯にはそもそもネット環境が無かった」という。

ただ、ラジオ福島では電話が通じない中、
辛うじてつながっていた「Gメール」(フリーメール)によって
リスナーから情報を集めたり、
スタッフ同士で連絡を取り合っていた。

何が言いたいかというと。

どんなにネット社会になっても、
活字離れが進んだといっても、

紙媒体でなければ届かない相手がいるし、
ラジオだからこそ救える人たちがいるし、
ネットじゃなくては得られない情報もあるのだ。

それぞれのメディアに関わるひとたちは
それを考え、誇りと責任感を持つべきだと思う。

自分達のメディアは時代に遅れているとか
逆に先端をいっているとか、
空しい話はやめないか。