以前にこのブログでも一度ご紹介したことのある
岸見一郎さんの『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)は
もう皆さんとっくに読まれたことでしょう。
何せ60万部!?以上もの大ベストセラーだそうですので。
私も「アドラー心理学」のファンとして
もちろん一応は読みましたが、正直な話、
私の場合はなぜか読み終えるのに
「勇気」ならぬ「根気」が要りました。
なかなか始まらないウィスキーの醸造のように?
最後まで行き着くまでに「待ちくたびれる」というか、
読み疲れる?というか・・
ともかく「まどろっこしい感じ」で眠くなり、
読み終えるのにかなりの努力が必要でした。
岸見さんのファンの一人として私は、
どちらかと言えば『アドラー心理学入門』(KKベストセラーズ)
の方がはっきり言って好きです。
これはもう古典とも言える名著だと思います。
前にもどこかに書いたかもしれませんが、
「心理学の本で泣いたのは初めて!」です。
『嫌われる勇気』の帯文には「自由とは他者から嫌われることである」
という名文が踊っていますし、「最後にはなぜか泣いていました」と
書かれていましたが、私はこの本では泣けず、
それよりも私が涙したのは入門書の方です。
岸見さんの本はこの一冊だけで
あとはもうどんな本も要らないのでは・・・と思ったぐらいです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そして最近読んだのが、帚木蓬生(ははきぎ ほぉせい)さんの
『生きる力』(朝日新聞出版)です。
これは副題が「森田正馬の15の提言」となっていて、
帯文のキャッチコピーには
「西のフロイト、東の森田正馬」と書かれています。
そうです、まさにフロイトに匹敵するぐらい
「森田療法」は海外での方が有名!?だそうなのです。
その帯文には下記のように説明されています。
患者さんにも一般の人々にも役立つ
「森田療法」を15の核心的な言葉から読み解き、
その生涯を見事に描き出す力作。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私は「森田療法」のことは全く詳しく無く、
たまたま何かのセミナーがあった折りに
一度だけ「森田療法でのカウンセリング」をしている
大阪のクリニック(ミニ図書館も兼ねている)を
訪ねたことがあるだけです。
けれども全く「森田療法」のことも何も知らなかった
20代の初め頃に知らないうちに「鬱」になり、
(後で「仮面鬱病」と診断されましたが)
ともかく1週間以上も誰とも口をきかず、食事とトイレ以外は
ただひたすら寝てばかりいた時がありました。
幸いにもその頃は寮生活でしたので
そういう「臥褥」(がじょく)が無理無く出来たのです。
(そういうひたすら寝ている状態を森田療法では
そういうふうに呼ぶということも、今回この本で初めて知ったのです)
そしたら驚いたことに「何となく自然に起きたくなって」
起きてみたら、そのまま普通に生活出来るようになり、
鬱の方も自然に治ってしまったのでした。
ですから私の場合、「森田療法」の治療法の、
その第一番目を全くそれとは知らずに
偶然にも(我流で)実践していたわけです。
そうしてそんなふうに治ってとてもラッキーでしたが、
それは傷付いた動物が自分の体を自ら舐めたり、
あるいは穴に籠って傷の癒えるまで動かずに
「ただひたすらじっとしている」のと
どこか似ているかもしれません。
いずれにしても最初の段階(臥褥)を
そうとは知らずに実践しただけでも私の場合は自然に
いつのまにか「鬱」が治ったので、
この「森田療法」の威力(効力)というのは、
相当確かなものがあるのではないかと今でも思っています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ところがそれに比して
なぜか「アドラー心理学」の場合は、
私は相当の期間ちゃんと先生に付いて学んだにも関わらず、
あるところまではうまくいってもその先はなぜか
いつも途中でストップしてしまって、
それどころか逆に症状が悪化する!?というか、
「苦痛」になってしまったりするので、
これは本当に不思議です。
自分では「アドラー心理学」が大好きで
(他人に対しては)その効果ももちろん認めているし、
「自分でもうまく使いこなせたらどんなにいいだろう!!!」
とずっと思っているにも関わらず、
(本も読んだりカウンセリングを受けたりしても)
まずその第一歩の「課題の分離」という
基本の基本が私にはどうしても出来ず、
なぜか苦手なのです。
一方は習わずに自然にうまく出来て
もう片方の方は一生懸命勉強してもどうしても出来ない
「森田療法」は私の場合実にすんなりと
知らない内に実践してしまっていたにも関わらず、
なぜか「アドラー心理学」の方はどんなに意識しても出来ず、
何年かかっても身に付けることが出来ないし、
ほんとうにその基本の一つの実践でさえ
今でも私には相当難しいのです。
(ただし、人に説明したり、ご紹介することは出来ます)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この本『生きる力』は
だから私にとってはとても興味深く
面白く読むことが出来ました。
ただし、書いてあることは私には相当耳に痛い内容でした。
なぜかアドラー心理学の方はその言葉が耳に心地好く響くのですが、
これも不思議と言えば不思議な話です。
それでも今回発見したことは、
結局のところ、この二つは似ていて
どちらも同じことを言わんとしているのではないか。
そして行く着く先は同じなのではないかと感じたのです。
つまり、単純に言えば
自分に合う、合わないというだけのことかもしれません。
なあ~んだ、長文を読んでみたら最後は
そういうことなのか、、とがっかりされたかもしれませんが、
はい、そういうことなのでした。
ただ、何事も自分で体験し、実践し、体感してみて自分で知る(気付く)
ということが大事なのではないでしょうか。
ほんとにごく当たり前のことですが、
そういうシンプルなことに気付き、自分で納得し、
真の理解に到達するまで、私には
それだけの時間がかかったということです。
どうか、皆さまも怖れず勇氣を持って
ぜひ「自分だけの体験」をなさってみてください。
あの『嫌われる勇気』の中の青年のように・・・。
岸見一郎さんの『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)は
もう皆さんとっくに読まれたことでしょう。
何せ60万部!?以上もの大ベストセラーだそうですので。
私も「アドラー心理学」のファンとして
もちろん一応は読みましたが、正直な話、
私の場合はなぜか読み終えるのに
「勇気」ならぬ「根気」が要りました。

なかなか始まらないウィスキーの醸造のように?
最後まで行き着くまでに「待ちくたびれる」というか、
読み疲れる?というか・・
ともかく「まどろっこしい感じ」で眠くなり、
読み終えるのにかなりの努力が必要でした。
岸見さんのファンの一人として私は、
どちらかと言えば『アドラー心理学入門』(KKベストセラーズ)
の方がはっきり言って好きです。
これはもう古典とも言える名著だと思います。
前にもどこかに書いたかもしれませんが、
「心理学の本で泣いたのは初めて!」です。
『嫌われる勇気』の帯文には「自由とは他者から嫌われることである」
という名文が踊っていますし、「最後にはなぜか泣いていました」と
書かれていましたが、私はこの本では泣けず、
それよりも私が涙したのは入門書の方です。
岸見さんの本はこの一冊だけで
あとはもうどんな本も要らないのでは・・・と思ったぐらいです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そして最近読んだのが、帚木蓬生(ははきぎ ほぉせい)さんの
『生きる力』(朝日新聞出版)です。
これは副題が「森田正馬の15の提言」となっていて、
帯文のキャッチコピーには
「西のフロイト、東の森田正馬」と書かれています。
そうです、まさにフロイトに匹敵するぐらい
「森田療法」は海外での方が有名!?だそうなのです。
その帯文には下記のように説明されています。
患者さんにも一般の人々にも役立つ
「森田療法」を15の核心的な言葉から読み解き、
その生涯を見事に描き出す力作。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私は「森田療法」のことは全く詳しく無く、
たまたま何かのセミナーがあった折りに
一度だけ「森田療法でのカウンセリング」をしている
大阪のクリニック(ミニ図書館も兼ねている)を
訪ねたことがあるだけです。
けれども全く「森田療法」のことも何も知らなかった
20代の初め頃に知らないうちに「鬱」になり、
(後で「仮面鬱病」と診断されましたが)
ともかく1週間以上も誰とも口をきかず、食事とトイレ以外は
ただひたすら寝てばかりいた時がありました。
幸いにもその頃は寮生活でしたので
そういう「臥褥」(がじょく)が無理無く出来たのです。
(そういうひたすら寝ている状態を森田療法では
そういうふうに呼ぶということも、今回この本で初めて知ったのです)
そしたら驚いたことに「何となく自然に起きたくなって」
起きてみたら、そのまま普通に生活出来るようになり、
鬱の方も自然に治ってしまったのでした。
ですから私の場合、「森田療法」の治療法の、
その第一番目を全くそれとは知らずに
偶然にも(我流で)実践していたわけです。
そうしてそんなふうに治ってとてもラッキーでしたが、
それは傷付いた動物が自分の体を自ら舐めたり、
あるいは穴に籠って傷の癒えるまで動かずに
「ただひたすらじっとしている」のと
どこか似ているかもしれません。
いずれにしても最初の段階(臥褥)を
そうとは知らずに実践しただけでも私の場合は自然に
いつのまにか「鬱」が治ったので、
この「森田療法」の威力(効力)というのは、
相当確かなものがあるのではないかと今でも思っています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ところがそれに比して
なぜか「アドラー心理学」の場合は、
私は相当の期間ちゃんと先生に付いて学んだにも関わらず、
あるところまではうまくいってもその先はなぜか
いつも途中でストップしてしまって、
それどころか逆に症状が悪化する!?というか、
「苦痛」になってしまったりするので、
これは本当に不思議です。
自分では「アドラー心理学」が大好きで
(他人に対しては)その効果ももちろん認めているし、
「自分でもうまく使いこなせたらどんなにいいだろう!!!」
とずっと思っているにも関わらず、
(本も読んだりカウンセリングを受けたりしても)
まずその第一歩の「課題の分離」という
基本の基本が私にはどうしても出来ず、
なぜか苦手なのです。
一方は習わずに自然にうまく出来て
もう片方の方は一生懸命勉強してもどうしても出来ない
「森田療法」は私の場合実にすんなりと
知らない内に実践してしまっていたにも関わらず、
なぜか「アドラー心理学」の方はどんなに意識しても出来ず、
何年かかっても身に付けることが出来ないし、
ほんとうにその基本の一つの実践でさえ
今でも私には相当難しいのです。
(ただし、人に説明したり、ご紹介することは出来ます)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この本『生きる力』は
だから私にとってはとても興味深く
面白く読むことが出来ました。
ただし、書いてあることは私には相当耳に痛い内容でした。
なぜかアドラー心理学の方はその言葉が耳に心地好く響くのですが、
これも不思議と言えば不思議な話です。
それでも今回発見したことは、
結局のところ、この二つは似ていて
どちらも同じことを言わんとしているのではないか。
そして行く着く先は同じなのではないかと感じたのです。
つまり、単純に言えば
自分に合う、合わないというだけのことかもしれません。
なあ~んだ、長文を読んでみたら最後は
そういうことなのか、、とがっかりされたかもしれませんが、
はい、そういうことなのでした。
ただ、何事も自分で体験し、実践し、体感してみて自分で知る(気付く)
ということが大事なのではないでしょうか。
ほんとにごく当たり前のことですが、
そういうシンプルなことに気付き、自分で納得し、
真の理解に到達するまで、私には
それだけの時間がかかったということです。
どうか、皆さまも怖れず勇氣を持って
ぜひ「自分だけの体験」をなさってみてください。
あの『嫌われる勇気』の中の青年のように・・・。