3月4日(土)の話です。
以前から一度行ってみたかった「長岡天神」(長岡天満宮)へ、午後からふらっと梅見に出かけました。
なぜそこに行くことにしたかと言うと、以前ある超能力者から、(これからは「長岡京市」の辺りがパワースポットになるとのことで)「その辺りに住むのはどうか?」とアドバイスされたことがあったからです。
もう何年も前のことで、その頃は娘も元氣だったので、「親子で一緒に住んだら?」とも言われていたのです。
それ以来、ずっと氣になっていて、はるか昔(平城京から平安京に都が移るまでの期間)には「長岡京」という都があったところでもあり、どんなところかいつか行きたいと願っていたのです♪
そしてもう一つの理由もありました。
その4日は、娘の友だちの息子さんの合格発表の日だったので、無事希望の大学に通りますように☆ と願って、お参りしたかったのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ところが、この日は、(いつも好いシンクロの連続の筈の私が)珍しくあまりツキが無かったのです。
まず、電車の中で隣り合わせた女性から道順を尋ねられたのですが、その人は東福寺にこれから行くとのことで、私はその人も梅見なのかなと思っていたら、何と法要があるとのことで、よく見ると喪服姿だったのです。
けれどもそんなことはあまり氣にしないようにして、目的地に着くと、目の前に素晴らしい大きな池とその背景には美しい姿の山並みが広がっていて、さすがに景勝地だなと感心しました。
そして氣持ちも晴れ晴れとして「長岡天満宮」の本殿にお参りしたのですが、何度揺すってもなぜかご神前の鈴がうまく鳴らなかった(成らなかった)のです!
それでも氣を取り直して、次に神社の敷地に隣接した長岡公園の梅を観に行きました。
梅は全体にまだ五分咲きぐらいでしたが、すでに満開になっている木もあり、とても好い香りが漂っていました。
あちらこちらと観て歩いて、さて、元の道に戻ろうとしたら、来る時には氣づかなかった段差があり、片足がそこでガクッと落ちて、もう少しで転びそうになりました。
「あっ、これはマズイかも!?」(もしかして?)と、そこで少々心がざわつきました。
それからさらに進んで最初の鳥居の辺りへと帰って来る途中に、菅原道真の歌碑がありました。
「 海ならず たたえる水の底までも 清きこころは 月ぞ照らさむ」
これは新古今和歌集に載っている歌だそうですが、私は初めて知りました。
(この句碑では水の「底までも」と書かれていましたが、後で調べると「底までに」となっている歌もあり、どちらが正しいのかはよくわかりません)
どういう意味だろう?と思いながらそこにしばらく佇んでいると、なぜか急に悲しみがこみあげて来て、涙がいっぱい出てきました。
けれどもこの時点ではもちろん合否については何も知らず、自分自身の琴線に触れる何かがこの歌にあるからかな?と思っていたのです。
ちなみに、社務所でいただいた案内文によると、菅原道真公は身に覚えの無い無実の罪で太宰府に左遷させられた時、この地に立ち寄って「吾が魂、長くこの地に留まるべし」と名残を惜しまれたそうで、そのご自作の木像を祀ったのが、この「長岡天満宮」の創立のいわれだそうです。
そんな由緒のある地なので、この歌がより心に沁みたのかもしれません。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ところで、私は家を出る前に、「もしも自分がそこに住むのがふさわしいのならそのことがはっきりとわかるように」「もしもそこが私にご縁の無いところなら、それもはっきりとお示しいただけますように」と、願っていたのです。
そして、実際に行ってみて自分自身の「体感」(直観)でも直截に感じてみたいと思っていました。
もう娘は亡くなって残念ながら一緒には暮らせないけれど、もし自分自身が氣に入れば「長岡京市」に住んでみるのもいいかなとふと思ったのです。
それで、ついでながら駅の周辺をうろうろしたり、不動産屋の表に貼ってある貸家のチラシのデーターをチラっと立ち見したりもしたのです。
そのうちにだんだんに疲れて来て、ちょっとどこかで一服してから家に帰ろうと、適当なお店を探したのですが、それがなかなかいい感じのところが見当たりません。
オーリングテストでもやっぱりどこもオッケーが出ないのです。
一応ネットで調べてはいたのですが、アバウトな私なのではっきりとお店の場所を覚えていず、駅前の観光案内所でも大きなマップももらったのですが、そこには私が行きたいと思っていたところは載っていませんでした。
ともかく「勘」を働かせて歩いてみれば何となくわかるのでは?と思って、その辺りをいったいどのぐらい歩いたことでしょうか。
それでも結局どこも「ここなら」と思うような入りたいところも無くて、目当ての店も見つかりませんでした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
というわけで、結局くたびれてお腹を空かせたまま、そのままとぼとぼと家に帰って来たのでしたが、その時に、「これはもしここ(長岡京市)に住んだら『うまく食べていけないよ』」ということを教えてくれているのでは?と、ハッと氣づいたのです。
つまり、ここでは私にとってはあまり「おいしい生活」は出来無いということなのかもしれない?と思ったのです。
それに確かに神社と池の辺りはとっても感じが好くて氣に入ったのですが、駅前付近のイメージは私の想像とは少し違っていて、あまり好みでは無かったです。
「やっぱり、ここでは無かったのだな」(娘と一緒にここに住まなくて、それでよかったのだな)とわかって、何だか心がスキッとしました。
いくら私よりずっと歳下の若い男性であっても、やはり「超能力者」の言葉というのは、それなりにインパクトがあるというか、心のどこかに残るものなんですね!
だからこそ、その「お告げ」!?に頼り切りになったり、全てをおまかせしてしまわずに、「自分自身の心身で味わって、感じて、自分でも考えて、しっかりと確かめてみる」ことが必要なんですね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
それで、また話は最初に戻りますが、受験の結果は(私の家探しと同じく)「今回はご縁が無く」本当に残念だったのですが、でももしかしたらある意味では「それでよかったのかもしれない」とも思えました。
(まだ十代の若い当人自身が深く納得出来るようになるまでには長い年月がかかるかもしれませんが、、、)
きっと神さまは「もっとも自分にふさわしい好いところ」をそれぞれ見つけてくれるに違いないと。。。
そう信じていたら、何と、今朝(5日)はステキな虹を見つけました!!!
朝陽に照らされた「彩雲」が光っていて、そこからちっちゃな虹が生まれて来るところを、そっと眺めることが出来たのです♪
そしてこう思ったのです。
大陽の光は元々は一つだけれど、その光が分かれることで、その分光があの素晴らしい虹色になるのだから、「分かれることは決して悪いことでは無く、より豊かになることでもあるのかもしれない・・」と。
別れはつらくても、それも美しいたくさんの経験や想い出を生むためなのだとしたら。。。
そう氣づけて何だか心が明るく軽くなりました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
皆さまの上にも晴れ晴れと青空が広がり大きな虹が輝きますように。。。
以前から一度行ってみたかった「長岡天神」(長岡天満宮)へ、午後からふらっと梅見に出かけました。
なぜそこに行くことにしたかと言うと、以前ある超能力者から、(これからは「長岡京市」の辺りがパワースポットになるとのことで)「その辺りに住むのはどうか?」とアドバイスされたことがあったからです。
もう何年も前のことで、その頃は娘も元氣だったので、「親子で一緒に住んだら?」とも言われていたのです。
それ以来、ずっと氣になっていて、はるか昔(平城京から平安京に都が移るまでの期間)には「長岡京」という都があったところでもあり、どんなところかいつか行きたいと願っていたのです♪
そしてもう一つの理由もありました。
その4日は、娘の友だちの息子さんの合格発表の日だったので、無事希望の大学に通りますように☆ と願って、お参りしたかったのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ところが、この日は、(いつも好いシンクロの連続の筈の私が)珍しくあまりツキが無かったのです。
まず、電車の中で隣り合わせた女性から道順を尋ねられたのですが、その人は東福寺にこれから行くとのことで、私はその人も梅見なのかなと思っていたら、何と法要があるとのことで、よく見ると喪服姿だったのです。
けれどもそんなことはあまり氣にしないようにして、目的地に着くと、目の前に素晴らしい大きな池とその背景には美しい姿の山並みが広がっていて、さすがに景勝地だなと感心しました。
そして氣持ちも晴れ晴れとして「長岡天満宮」の本殿にお参りしたのですが、何度揺すってもなぜかご神前の鈴がうまく鳴らなかった(成らなかった)のです!
それでも氣を取り直して、次に神社の敷地に隣接した長岡公園の梅を観に行きました。
梅は全体にまだ五分咲きぐらいでしたが、すでに満開になっている木もあり、とても好い香りが漂っていました。
あちらこちらと観て歩いて、さて、元の道に戻ろうとしたら、来る時には氣づかなかった段差があり、片足がそこでガクッと落ちて、もう少しで転びそうになりました。
「あっ、これはマズイかも!?」(もしかして?)と、そこで少々心がざわつきました。
それからさらに進んで最初の鳥居の辺りへと帰って来る途中に、菅原道真の歌碑がありました。
「 海ならず たたえる水の底までも 清きこころは 月ぞ照らさむ」
これは新古今和歌集に載っている歌だそうですが、私は初めて知りました。
(この句碑では水の「底までも」と書かれていましたが、後で調べると「底までに」となっている歌もあり、どちらが正しいのかはよくわかりません)
どういう意味だろう?と思いながらそこにしばらく佇んでいると、なぜか急に悲しみがこみあげて来て、涙がいっぱい出てきました。
けれどもこの時点ではもちろん合否については何も知らず、自分自身の琴線に触れる何かがこの歌にあるからかな?と思っていたのです。
ちなみに、社務所でいただいた案内文によると、菅原道真公は身に覚えの無い無実の罪で太宰府に左遷させられた時、この地に立ち寄って「吾が魂、長くこの地に留まるべし」と名残を惜しまれたそうで、そのご自作の木像を祀ったのが、この「長岡天満宮」の創立のいわれだそうです。
そんな由緒のある地なので、この歌がより心に沁みたのかもしれません。
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ところで、私は家を出る前に、「もしも自分がそこに住むのがふさわしいのならそのことがはっきりとわかるように」「もしもそこが私にご縁の無いところなら、それもはっきりとお示しいただけますように」と、願っていたのです。
そして、実際に行ってみて自分自身の「体感」(直観)でも直截に感じてみたいと思っていました。
もう娘は亡くなって残念ながら一緒には暮らせないけれど、もし自分自身が氣に入れば「長岡京市」に住んでみるのもいいかなとふと思ったのです。
それで、ついでながら駅の周辺をうろうろしたり、不動産屋の表に貼ってある貸家のチラシのデーターをチラっと立ち見したりもしたのです。
そのうちにだんだんに疲れて来て、ちょっとどこかで一服してから家に帰ろうと、適当なお店を探したのですが、それがなかなかいい感じのところが見当たりません。
オーリングテストでもやっぱりどこもオッケーが出ないのです。
一応ネットで調べてはいたのですが、アバウトな私なのではっきりとお店の場所を覚えていず、駅前の観光案内所でも大きなマップももらったのですが、そこには私が行きたいと思っていたところは載っていませんでした。
ともかく「勘」を働かせて歩いてみれば何となくわかるのでは?と思って、その辺りをいったいどのぐらい歩いたことでしょうか。
それでも結局どこも「ここなら」と思うような入りたいところも無くて、目当ての店も見つかりませんでした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
というわけで、結局くたびれてお腹を空かせたまま、そのままとぼとぼと家に帰って来たのでしたが、その時に、「これはもしここ(長岡京市)に住んだら『うまく食べていけないよ』」ということを教えてくれているのでは?と、ハッと氣づいたのです。
つまり、ここでは私にとってはあまり「おいしい生活」は出来無いということなのかもしれない?と思ったのです。
それに確かに神社と池の辺りはとっても感じが好くて氣に入ったのですが、駅前付近のイメージは私の想像とは少し違っていて、あまり好みでは無かったです。
「やっぱり、ここでは無かったのだな」(娘と一緒にここに住まなくて、それでよかったのだな)とわかって、何だか心がスキッとしました。
いくら私よりずっと歳下の若い男性であっても、やはり「超能力者」の言葉というのは、それなりにインパクトがあるというか、心のどこかに残るものなんですね!
だからこそ、その「お告げ」!?に頼り切りになったり、全てをおまかせしてしまわずに、「自分自身の心身で味わって、感じて、自分でも考えて、しっかりと確かめてみる」ことが必要なんですね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
それで、また話は最初に戻りますが、受験の結果は(私の家探しと同じく)「今回はご縁が無く」本当に残念だったのですが、でももしかしたらある意味では「それでよかったのかもしれない」とも思えました。
(まだ十代の若い当人自身が深く納得出来るようになるまでには長い年月がかかるかもしれませんが、、、)
きっと神さまは「もっとも自分にふさわしい好いところ」をそれぞれ見つけてくれるに違いないと。。。
そう信じていたら、何と、今朝(5日)はステキな虹を見つけました!!!
朝陽に照らされた「彩雲」が光っていて、そこからちっちゃな虹が生まれて来るところを、そっと眺めることが出来たのです♪
そしてこう思ったのです。
大陽の光は元々は一つだけれど、その光が分かれることで、その分光があの素晴らしい虹色になるのだから、「分かれることは決して悪いことでは無く、より豊かになることでもあるのかもしれない・・」と。
別れはつらくても、それも美しいたくさんの経験や想い出を生むためなのだとしたら。。。
そう氣づけて何だか心が明るく軽くなりました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
皆さまの上にも晴れ晴れと青空が広がり大きな虹が輝きますように。。。