やっと晴れましたね。 久しぶりに青空と太陽を見ることが出来て、氣持ちも晴々しますね。
もうこのまま「梅雨明け」となるのでしょうか!?
ところで、14日にご紹介した「とほかみえみため」のことだまですが、皆さま試されましたでしょうか?
私は15日の朝、たまたま早朝に目が覚めたので、そのままふとんの上に座って、「 と〜ほ〜か〜み〜え〜み〜た〜め〜 」と40回唱えました。
一音一音丁寧に間を伸ばして唱えるとかなり時間がかかり、後で氣付いたら1時間余かかっていました。
これでは、時間がかかり過ぎるのと、さすがにいきなり40回は多過ぎるので、
次からはまず10回だけから始めようと思いました。
そしてスラスラ出来るようになってから、回数を増やせばいいかな。。と思って。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、その実践結果ですが、何と私は、「とほかみ」の言葉を、いつの間にか間違えて、
「おおかみ」と唱えていました!(汗)
そして最後まで氣づかず、何かおかしいな?と思いつつ、それでも30回を過ぎた頃には、
亡母のそのまた亡母(つまり私の祖母)のことなどがなぜか思い浮かんで来ました。
というのも、私の母の実母(私の実の祖母)は、母が2歳ぐらいの時に亡くなり、母たち兄妹3人は再婚した義母に育てられたのです。
と言っても、その義母は亡くなった母の実妹だったので、母たちはとても可愛がってもらい、大事に育ててもらって、
その後に生まれた実の子以上に、何かにつけてよくしてもらったらしいのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
昔はよくそういう事例もあったと思いますが、その義母は、若くして亡くなった自分の姉の子である幼い子どもたちを放っておけず、
つまりは姉の夫だった人のところに嫁いでくれたわけです。
ただ私たち孫(4姉妹)は小さい頃はそんなことは全く知らず、実の祖母と思って、素直に甘え、なついていました。
夏休みなどは姉妹全員がずっとおばあちゃんの家で過ごしたりして、とっても楽しかったです。
(祖母にすれば、自分の実の子も居て、大変だったと思いますが、分け隔てするどころか、むしろ私たちの方をえこひいきしてくれたのです)
そんなわけでとてもしっかりした祖母でしたが、94歳ぐらいで亡くなった時に、実の子であるその息子(長男)から、
「焼香順位」のことで、「お前たちはほんとうの孫では無いから、、」ということで、後回しにされるという、ちょっとショックなことがありました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
焼香順位などはどうでもいいことですが、そんな時に、いきなりそういうことを言われて「差別」されたことが悲しかったのです。
なぜって、それはせっかく私たち義理の孫を実子と同等に扱ってくれて、
大事に育ててくれた祖母の氣持ちに背くことになるのでは無いかと思ったからです。
祖母は優しくてみんなほんとうのおばあちゃんだとずっと思って育ち、とっても大好きだったからです。
けれどもその実子である跡取り息子にすれば、ずっとガマンしていたのかもしれません。
だって、自分以上に義理の孫たちがいつも優先されていたからです。
そんなことがあったので、私たちは、実の祖母の名前すら知らず、当時2歳の子(その上に兄、その下に生まれたばかりの乳飲み子)たちを遺して
死んで逝かざるを得なかったその人(母の母)の存在を意識したのは、義理の祖母のお葬式の時が初めてでした。
私たちの実母が40代後半で亡くなった時、もちろんこの祖母はつきっきりで看病してくれて、最期まで看取ってくれたのでしたが、
私たちの父とその後なぜか関係性がギクシャクしてうまくいかなくなり、その遠因に、その祖母が実の祖母では無く、義理の関係であったことを、私は後から知ったのです。
祖母は、自分がせっかく生涯をかけて(自分の子以上に?)愛して、手塩にかけて育てた私の母が亡くなったことがどんなにか悔しく、不甲斐無く思えて、
「父が母を大事にしなかったからだ」と責めた(なぜもっと早く病氣に氣付いてやれなかったのか。。と言った)そうで、
それが祖母の悲しみのあまりの言動だとしても、父に取っては最愛の妻を亡くして、しかも遺された4人の子(私たち)を
これから男手一つで育てあげる責任もあり、そんなふうに責められた父もどれほど辛かったことでしょうか。。
(父は全く反論しなかったようですが、その後も祖母はずっと怒っていたとか。。)
どっちも何も悪く無くて、本当はどちらもお互いに慰め合い、支え合い、助け合って生きたかった筈なのに、
母の死以後、すっかり付き合いも遠去かってしまったのでした。
それが結局は「実の母子」で無く、義理の関係であったことが、祖母と父とが率直に氣持ちを打ち明けて話し合え無かった遠因でもあり、
すでに祖母も父も亡くなった今でもそのことは、ほんとうにさみしく残念でならず、長年私の心に引っ掛かっていた事柄だったのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
すみません、話が横道にそれて長くなってしまいましたが、
そういうわけで、どうしてか、この「とほかみえみため」を唱えている時に、そんな昔の事柄がふと浮かんで来たのです。
そして、涙と共に、そのような確執もこだわりも流れていった氣がしました。
それがこの「とほかみえみため」詠唱効果なのかどうか!?
(途中言葉を間違えて唱えていたこともあり)まだ確信は持てませんが、
昨夕(15日)は、それはそれは美しい夕焼けで、黄金色をした雲がまるで「光の船」のようなかたちをしていて、
それが西方浄土に還ってゆくようにも見えて、今回の大水害で亡くなられた方々のご冥福を祈りながら、
亡母や亡父や二人の祖母たちのことも、もうみんなすべて赦されて仲良くこの船に乗って、天上に帰って行く氣がしました。
思わず掌を合わせてしまったほど、ほんとうに辺り一帯がまばゆいぐらいの荘厳な光に包まれていました。
こんな夕焼けが見られただけでも、このことだまを唱えて良かったなと、私は思いました。
(果たして因果関係があるのかどうかはわかりませんが。。)
ほんとうに一生に一度と言うぐらいの忘れられない光景でした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本日も「光のチャレンジ」にお立ち寄りくださってありがとうございました。
今朝は「とほかみえみため」を10回だけ唱えましたが、それでも10分以上はかかっていました。
この時に感じたことや心身の反応については、長くなりますので、また次の機会に。。
もうこのまま「梅雨明け」となるのでしょうか!?
ところで、14日にご紹介した「とほかみえみため」のことだまですが、皆さま試されましたでしょうか?
私は15日の朝、たまたま早朝に目が覚めたので、そのままふとんの上に座って、「 と〜ほ〜か〜み〜え〜み〜た〜め〜 」と40回唱えました。
一音一音丁寧に間を伸ばして唱えるとかなり時間がかかり、後で氣付いたら1時間余かかっていました。
これでは、時間がかかり過ぎるのと、さすがにいきなり40回は多過ぎるので、
次からはまず10回だけから始めようと思いました。
そしてスラスラ出来るようになってから、回数を増やせばいいかな。。と思って。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、その実践結果ですが、何と私は、「とほかみ」の言葉を、いつの間にか間違えて、
「おおかみ」と唱えていました!(汗)
そして最後まで氣づかず、何かおかしいな?と思いつつ、それでも30回を過ぎた頃には、
亡母のそのまた亡母(つまり私の祖母)のことなどがなぜか思い浮かんで来ました。
というのも、私の母の実母(私の実の祖母)は、母が2歳ぐらいの時に亡くなり、母たち兄妹3人は再婚した義母に育てられたのです。
と言っても、その義母は亡くなった母の実妹だったので、母たちはとても可愛がってもらい、大事に育ててもらって、
その後に生まれた実の子以上に、何かにつけてよくしてもらったらしいのです。
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昔はよくそういう事例もあったと思いますが、その義母は、若くして亡くなった自分の姉の子である幼い子どもたちを放っておけず、
つまりは姉の夫だった人のところに嫁いでくれたわけです。
ただ私たち孫(4姉妹)は小さい頃はそんなことは全く知らず、実の祖母と思って、素直に甘え、なついていました。
夏休みなどは姉妹全員がずっとおばあちゃんの家で過ごしたりして、とっても楽しかったです。
(祖母にすれば、自分の実の子も居て、大変だったと思いますが、分け隔てするどころか、むしろ私たちの方をえこひいきしてくれたのです)
そんなわけでとてもしっかりした祖母でしたが、94歳ぐらいで亡くなった時に、実の子であるその息子(長男)から、
「焼香順位」のことで、「お前たちはほんとうの孫では無いから、、」ということで、後回しにされるという、ちょっとショックなことがありました。
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焼香順位などはどうでもいいことですが、そんな時に、いきなりそういうことを言われて「差別」されたことが悲しかったのです。
なぜって、それはせっかく私たち義理の孫を実子と同等に扱ってくれて、
大事に育ててくれた祖母の氣持ちに背くことになるのでは無いかと思ったからです。
祖母は優しくてみんなほんとうのおばあちゃんだとずっと思って育ち、とっても大好きだったからです。
けれどもその実子である跡取り息子にすれば、ずっとガマンしていたのかもしれません。
だって、自分以上に義理の孫たちがいつも優先されていたからです。
そんなことがあったので、私たちは、実の祖母の名前すら知らず、当時2歳の子(その上に兄、その下に生まれたばかりの乳飲み子)たちを遺して
死んで逝かざるを得なかったその人(母の母)の存在を意識したのは、義理の祖母のお葬式の時が初めてでした。
私たちの実母が40代後半で亡くなった時、もちろんこの祖母はつきっきりで看病してくれて、最期まで看取ってくれたのでしたが、
私たちの父とその後なぜか関係性がギクシャクしてうまくいかなくなり、その遠因に、その祖母が実の祖母では無く、義理の関係であったことを、私は後から知ったのです。
祖母は、自分がせっかく生涯をかけて(自分の子以上に?)愛して、手塩にかけて育てた私の母が亡くなったことがどんなにか悔しく、不甲斐無く思えて、
「父が母を大事にしなかったからだ」と責めた(なぜもっと早く病氣に氣付いてやれなかったのか。。と言った)そうで、
それが祖母の悲しみのあまりの言動だとしても、父に取っては最愛の妻を亡くして、しかも遺された4人の子(私たち)を
これから男手一つで育てあげる責任もあり、そんなふうに責められた父もどれほど辛かったことでしょうか。。
(父は全く反論しなかったようですが、その後も祖母はずっと怒っていたとか。。)
どっちも何も悪く無くて、本当はどちらもお互いに慰め合い、支え合い、助け合って生きたかった筈なのに、
母の死以後、すっかり付き合いも遠去かってしまったのでした。
それが結局は「実の母子」で無く、義理の関係であったことが、祖母と父とが率直に氣持ちを打ち明けて話し合え無かった遠因でもあり、
すでに祖母も父も亡くなった今でもそのことは、ほんとうにさみしく残念でならず、長年私の心に引っ掛かっていた事柄だったのです。
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すみません、話が横道にそれて長くなってしまいましたが、
そういうわけで、どうしてか、この「とほかみえみため」を唱えている時に、そんな昔の事柄がふと浮かんで来たのです。
そして、涙と共に、そのような確執もこだわりも流れていった氣がしました。
それがこの「とほかみえみため」詠唱効果なのかどうか!?
(途中言葉を間違えて唱えていたこともあり)まだ確信は持てませんが、
昨夕(15日)は、それはそれは美しい夕焼けで、黄金色をした雲がまるで「光の船」のようなかたちをしていて、
それが西方浄土に還ってゆくようにも見えて、今回の大水害で亡くなられた方々のご冥福を祈りながら、
亡母や亡父や二人の祖母たちのことも、もうみんなすべて赦されて仲良くこの船に乗って、天上に帰って行く氣がしました。
思わず掌を合わせてしまったほど、ほんとうに辺り一帯がまばゆいぐらいの荘厳な光に包まれていました。
こんな夕焼けが見られただけでも、このことだまを唱えて良かったなと、私は思いました。
(果たして因果関係があるのかどうかはわかりませんが。。)
ほんとうに一生に一度と言うぐらいの忘れられない光景でした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本日も「光のチャレンジ」にお立ち寄りくださってありがとうございました。
今朝は「とほかみえみため」を10回だけ唱えましたが、それでも10分以上はかかっていました。
この時に感じたことや心身の反応については、長くなりますので、また次の機会に。。