ODORAMOX!

BABA庵から  釣り糸なんぞが ごちゃごちゃ こんがらかった状態を ここでは「オドラモクス」と言う。

「空振」は振動か震動か

2011-01-25 17:35:34 | 言語の表現
新燃岳の噴火で「空振」ということばを聞いた。
「からぶり」ではなく「くうしん」とよむ、
爆発や噴火による大気の振動をいうそうだ。

「しんどう」には「振動」と「震動」の両方がある。
大地の揺れを震動といい「地震」と書くなら、
「空震」のほうが合っている気がする。

こんな細かい使い分けをする常用漢字なのに、
なんで「障碍」の「がい」に「害」の字を当てはめてしまうのだろう。
常用漢字を決める人々の悪意を感じざるを得ない。

「小ざゝ」の本を紹介したが、
補助金とは関わりなく雇用している社長(著者)は、
もちろん「障がい者」とひらかなで書いていた。

「パラパラ」 と 「ぺらぺら」

2010-11-06 16:54:35 | 言語の表現
赤川次郎の杉原彩香シリーズ、今年は『コバルトブルーのパンフレット』。
そのパンフレットを「高須はペラペラとめくって・・・」という表現がある。

「ペラペラ」に違和感を感じて、それから辞書をあたる。
A 『広辞苑』 ④本のページなどを繰る音。また、そのさま。「書類を-めくる」
B 『大辞泉』 ③続けざまに紙をめくるさま。「-(と)ページをくる」

出版社に尋ねたら、担当者からはAが送られてきた。
(「ぺらぺら」が音を表すのかなぁ?それは今後の宿題)

Aの「また、そのさま」とはどんな「さま」なのか、
説明がないからわからないけれど、
Bのように「続けざまに」ということだと、
「パンフレット」は、薄い紙でできている印象になる。

前のほうに「しっかりと重みはある」「厚み」などと述べられているところから、
硬さのある紙を用いたパンフレットを思い描いていたから、
違和感を感じたのだ。

そんなパンフレットだったら、めくるさまは「パラパラ」になるのではないか。

赤川次郎は原稿を手書きすると、聞いている。
擬音語・擬態語とも表記はカタカナ(すべてかどうか確かめていない)。

そうすると、ひょっとして手書きの「パラパラ」を、
入力のときに「ペラペラ」とまちがったのではないか、
という疑問が消えない。

辞書には「ぱらぱら」にも同じ語義があるが、
「ぺらぺら」は
「軽薄な調子でしゃべり続けるさま」「流暢にしゃべるさま」「薄くて貧弱なさま」、
「ぱらぱら」は
「粒や紙片がまばらに打ちあたる音」「まばらなさま」
だから、紙をめくる表現で「ぺらぺら」と「ぱらぱら」では態様がちがう。

はたして「コバルトブルーのパンフレット」の用紙は、薄いか厚いか、
「原稿はどちらですか?」と聞いたが、まだ出版社から返事は来ない。


とりあえず? 終着駅

2010-09-24 13:40:35 | 言語の表現
中国のテレビチャンネルに「CCTVnews」という英語による報道チャンネルがある。
  CCTVは、中国China中央Central電視台TeleVision局のこと
 アナログ・デジタル合わせて50近いチャンネルがあり、
 いくつかは24時間放送、すべて広告収入で運営。
 第9チャンネルが今年2010年4月に英語の24時間放送。
 
アメリカのCNNにそっくりなのがすごい。
アナウンサーはもとより記者も、CNN並み(以上かも)の英語を使う。
言語力において日本はかなわないなぁと思った。
言語をおろそかにしない中国の姿勢に、である。
  簡体字も記号「標点符号」の使用も、
  文化を破壊するものだ!と大論争の上で採用されている。
  誤用を一般化してしまう日本の言語は品格を失うだろう。


例1 (前に書いたかもしれない)
新しくなる羽田の国際線ターミナル、
つい最近(少なくとも去年)まで中国語訳が、
「国際終点站」=国際終着駅 だった。
国際空港なのに標示の誤訳を放置するのである。
「国営」放送局NHKはもっとひどい。
例2
初めのニュースを読み上げるとき、アナウンサーがかならず言う。
まずは・・・のニュースから」
歌謡番組で最初の歌手を紹介するのにも
まずは・・・さんです」
「まずは」と「まず」で、前者には「とりあえず」の意味と語感がある。
とりあえずビール!じゃあるまいし・・・
「とりあえず」と紹介された歌手は怒らないのだろうか、
たとえ「最初に」の意味があっても「とりあえず」という意味もあることばを、
なぜ、あえて使い続けるのか、世の中に流行らせるのか、わからない。
「まず」あるいは「はじめは」「最初は」となぜ言わないのか、
ひょっとして、発声がきちんと訓練できてないので、
「まず」と言えなくなっているのかもしれないと思うようになった。
例3
句読点の組み方を指導している本で、
 「?」「!」のあとは一字分の空白を置く
とあって、眼を疑った。
疑問符も感嘆府も、文の終わりを示す記号で、
句点「。」と同じもの。
句点は現在の活字で隅に寄せたスタイルになっているから、
「。」の後ろに空白があるようにみえるが、空白は置かない。
(読点「、」も同じで、昔の活字は行の真ん中に)
欧文のピリオドや?!の後ろは1字の空白をおく(つまり2字分空白)が、
日本語(中国語でも使用)で使う?!を、英語の組版に合わせるなら、
語と語のあいだを一字分空けなければならなくなる!
近ごろ読む本に?の後ろが空いているのが多くなったが、
句読点と同じく、隅に寄せた小さい活字(font)もあるのに。

  (上海で1930年代の手書き文書を見たあとで)



パジャマの店で

2010-06-27 18:01:01 | 言語の表現
通るたびに「いいな!」と思うネーミングの店がある。

「伴家猫」発音はBan-Jia-Mao、そう、パジャマの店だけど、
「--家居服」つまり部屋着の店とある。
店内はパジャマばかりで、いわゆる部屋着はない。

寝巻としてのパジャマの中国語は「睡衣」と習った。

「伴家猫」音の響きも意味も、ほっと寛げる感じ。

ところで、Pajamaはヒンズー語だそうだ。
Paは脚、Jamaは着物で、ズボンの意味とか。
(あの大きくゆるやかなインドのズボン)

インドのことばは、思わぬところに伝わっているようだが、
あまりに疎くて気付かないし、わからないことばかりだ。
流行りのYogaは「サンスクリット語で」というけれど、
サンスクリットとヒンズーの関わりも相違も知らない。
けれどYogaには「実践」の意味がある哲学語彙とか……

いま『Bhagabadgita』の翻訳書を読みかけています。
「ヒンズー語を知らずに経典を理解できない」と、
空海は中国でヒンズー語を学んだそうです。
確かに、翻訳では誤解してしまいそうな世界が展開されています。


あてがりぃ 

2010-04-09 17:39:20 | 言語の表現
「いいかげんな」ことを島で「あてがりぃ」という。
とても気楽にさせてくれる響きが好きだけど……

「一所」が「一生」に、「碍さまたげ」が「害」に 

 「いっしょけんめい」を「一生懸命」と書くのが一般的になってしまった。 中国人向けの日本語教材をつくるとき「いっしょうけんめい(一生懸命)」という原稿にあたると「中国人はどう受け取るのだろうか」と、恥ずかしいきもちを抑えきれないが、決まりがあるからしかたない。
 YiSuoXianMing 一所懸命 
 もとは中国語である「ひとつところに打ち込む」四字句を、日本人は「いっしょうけんめい」と「う」をいれて発音しながら、「一所」を「一生」にしてしまった。
 こういう誤りを発生させ、しかも一般的になってくると、臆面もなく「標準表記」に繰りこんでしまう、それは、おろかな官僚や学者のせいというよりも、日本文化の性(さが)のような気がしてきた。

 「いっしょうけんめい」と言うのはいい、それなら「いっしょう懸命」でもいいから、ひらがな(音声)で表記するべきなのだ。
 それなのに、漢字を使いたくて、「一生、命をかける」(「一生、命がけで~をする」ではない)などと、変な四字句を作り出すなど、もとより誇れる性ではない。文化の内容をどんどん粗略に、どんどん即物的にしていく性だと思う。

 「碍さまたげ」が「害」に

 みっともないではすまない問題も生じる。

 「障碍」を「障害」と表記して、障碍(がい)者にはばかることなく強要する常用漢字表の制定など、誤用の普遍化に追随し「まあ、いいじゃないか」と居直りながら、差別の助長、排外的ふるまいの許容へとつながっていく。
 「傷害」は人を傷つけ害をおよぼす。このもとの中国語は「傷害」。
 しかし「妨害」の中国語(原語)は「妨碍」である。呉音なら「ゲ」で「むげに断る」の「無碍」、でも「害」の呉音は「ガイ」。
 「碍」を使えなくして、かわりに「害」をあてるなど、いいかげんも極まると「害」になる。
 「碍」は妨げるものであって「害」とはなんら関わらないのに、音が同じであるだけで、障「害」者にされてしまう。「がい」の音を表記するなら「外」も「貝」もあるのになぜ「害」なのか、そこにある差別意識を公的に認定する常用漢字表は、憲法違反だと思っている。
(電柱の「碍子がいし」は「害子」にならないのに)

 ある語彙や表現を使いたいと、その背景や一般性を調べるのに、辞書に代わってインタネットが優勢になってしまった。その結果がどうなっていくだろうか。インタネットは事象の収集にすぎない。データの収集から、それぞれの分析、過去にさかのぼる調査・研究を経て編纂される事典(辞典:ネットの辞典・事典を含む)とは異なるものだ。「この語彙は***万件のヒットがありますから、だいじょうぶです」という、検証のないその思考は、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」(ビートたけし・きよし)と同じであり、赤信号の目的を臆面もなく消してしまう。
 どんな政治であろうと、どんな悪逆であろうと、みんながそうならと従っていき、そして波が過ぎれば「時代だからしかたなかった」と恥じらいもなく生き、外部から批判されれば「大和魂」とか「サムライ」をもちだして居直る・・・・・・それが日本文化なのかもしれない。

英会話は怖い

2008-04-08 08:44:37 | 言語の表現
カナダでのこと。

ウェイトレスに「ダン?」と問われて、しぐさから食事は終わったか皿を下げてもいいかと聞かれているようなので「OK,Finished.」と答えたら、連れの高校生が目を丸くした。
私「え?ダンって何?」
高校生「done」
私「でしょ? finish ってことだよね」
・・・とたんに高校生は必死で声を殺しながら笑い転げた。
finish は、究極の終わり、つまり死ぬことだと言うのである。

この会話の場所が、高校生がボランティアをしている Senior Activity Center のカフェテリアで、まわりは80歳をはるかに超えたかと思われるお年寄りばかり。
そこで「finished」なんて大きな声で言っちゃったわけである。
でも、アメリカや日本のレストランではウェイターが「finished?」と聞いてきたと記憶しているのだけど、なんでも確かめてから使わないと、外国語は怖い。

年寄りに「さっさとfinishしろ!」と脅してくるような世相に(老親の介護をした厚生大臣とはとても思えない)、なんとなく思い出した話。

YOGA 

2007-12-26 18:43:27 | 言語の表現
こちらにきてからもヨガを楽しんでいます。いっしょにやってくれる仲間がいるのはありがたいことです。
ヨガを楽しめるのは、最初に教わった先生のおかげ。その先生が遊びに来てくださるときはヨガ教室をひらきます(マットが足りない!)

YOGA はサンスクリット語で「荷台を引く牛馬に頚木をつける」から「結びつける」意味だそうで、先生のヨガでは「五感を結びつける」ことを意識されるそうです。

ヨガのポーズ・・・ポーズは「アーサナasana」の英語訳ですが、先生は「アーサナは地球のearthに通じるもので、地球に座る、と考えてください」と説明されました。「かたち」よりも「安定」ということでしょうか。
あるサイトで、asana を“to be seated in a position that is firm, but relaxed”と解説しています。ポーズという訳が、ヨガへの誤解を生んでいると思いました。
ヨガは、ストレッチでも柔軟体操でもなく、呼吸法(だけ)でもなく、地球と一体化する「座法」「体位法」と理解しました。
 60度の角度にきた太陽に向かって礼拝アーサナ。
<身体が柔らかく反っている>かたちより、しっかり地について安定しているところに着目。


この先生、毎年、進化しています。次はどんなヨガ指導をしてくださるか、楽しみです。

  * ちなみにヨガ仲間は、火曜日夜7時から三根公民館2階に集まります。 



あいさつ考

2007-02-27 12:33:43 | 言語の表現
終了時間まであと40分という時間に温泉へかけこんだ。
浴室へ急ぐ背中に 「ごゆっくり」 と声をかけられた。いつものあいさつ文句だけど、
その瞬間、急がなくっちゃ・・・というせわしさが消え、ゆったりした気分で温泉に入れた。

受付(番台)の方はシルバー人材センターから派遣されているお年寄り。
終了時間のあとに、おふたりで浴室や更衣室、休憩室・厨房などの片づけ・点検をしなければならない。
気は急いていらっしゃるだろうに「ごゆっくり」と言える心の余裕がすごい。

(ゆっくり温泉に浸かれたけど、玄関を出たのは終了時刻を3分とまわらず)

たった4文字の決まり文句なのに、こんなにも心をくつろがせる。
日常のあいさつを、あらためて見直してみたくなった。

じかに会う、顔と顔を付き合わせるとき、あいさつがある。
会わないで間接的な接触になるほど、あいさつは形式的になっていく。
そして瞬時のスピードが売りの電子メールではしばしば消える。
いっしょに、相手を思いやる心の余裕も消えていく・・・

 「 お も う わ よー い 」
別れのあいさつだけど、この島でいちばん好きなことば。
文字からは生れないことば。

人生が綴じこまれた本

2006-11-28 15:03:11 | 言語の表現
上梓された本が二冊、前後して送られてきた。
ひとつは京ことばの研究書。
もうひとつは、5年前に亡くなった友人の句集。
どちらも数十年にわたる研鑽のうえにできあがったりっぱな本だ。
印刷物と本とのちがい・・・後者には著者の魂がこもっている。活字の間から気魄が伝わってくる。

『明治三十年代生れ話者による 町屋の京言葉 付 近世後期上方語の待遇表現』 寺島浩子著 武蔵野書院
から、私が使いそうなあいさつ。

 「ホンマニ急(キュー)ニアガリマシテ、御馳走サンドシタ。」
 「スンマヘンケド、オヨバレダチイタシマス。」 


ご馳走になってすぐに帰ることを「呼ばれ立ち」と言うそうだ。

「ハンナリ」
 副詞 「すかっと。陽気で上品な明るさを、主に色彩について言う。性格にも用いる。」 

このよく知られた京ことばの意味は、しとやかで優雅なことの形容と思っていたが、ぜんぜんちがっていた。

先斗町がキャンバスで研究室はお茶屋さん、お酒がペンで、肴がインク・・・とは、うらやましい学者生活とも思えたけれど、40年近く女将のことばを採集しつづけた苦労に敬服する。


『銀河は海に 金澤葭舟句集』 舷燈社 から、ほのぼのとした故人の人柄を偲ばせる2句。

  日 々 掃 き て 日 々 新 し き 落 椿

  妻 の 声 路 地 よ り 聞 こ え 十 二 月 


息子たちを通して知り合ったご夫妻が、俳句をよんでいらっしゃるお話は伺っていたが、半世紀の永きにわたって俳句の道を歩まれてきた方だったとは、御本をいただくまで知らなかった。おつきあいして25年以上になるのに、その方のほんの一面しか見ていなかったことが悔やまれる。

カタカナ語は語学のじゃま@上海

2006-11-06 16:30:08 | 言語の表現
図書館で、カタカナ語言い換えの手引きという本を見た。
たしか国立国語研究所の編纂で、出版社も「ぎょうせい」と、かなり公けに参照される本だと思って手に取ったが仰天。
カタカナ外来語と、その言い換え表現がのっているが、外来語の由来となる原語がない。
(よくよく見たら、目次のカタカナ語リストには外国語(英語)が付記されていたけど、本文には無し、索引にも無い)

「もとの外国語をわかる必要などない、言い換え表現をおぼえればいい・・・」という本である。
原語にさかのぼろうとしない感覚では、外来語のあふれる日本なのに、外国語習得に弱くなるばかりではないか。

上海で、カタカナ語のせいで困った体験をした。

新しくできた超高速リニアモーターカーに乗るべく地下鉄を降りた。
出口が二つあるので改札口の若い女性に、
「リニアモーターカーに乗るのはどちらの出口か」
と聞いた。もちろん中国語で・・・しかし相当する中国語(磁浮車)がわからない「リニアモーターカー」だけは英語らしく発音して。
とたんに「日本語はわからない、英語ならわかるけど」とつっけんどんに逃げられ、
こんどは英語で尋ねたが「日本語はわからないって言ってるでしょ!」とはねつけられる。
意地悪されているのかととまどっていたら、隣の男性が「マグレブ?」と言う。
手と声で「ピュッ」と表現したのでうなずき、出口を教えてもらうことができた。

英語では maglev (magnetic levitation) なのだと辞書を引いてわかった。
自慢じゃないけど中国語も英語も簡単な会話ならできるのに、カタカナ語にじゃまされたわけ
女の子が日本人に意地悪しているのではなかった・・・
でも、カタカナ語を英語と思ってしゃべる日本人をからかっていたのかもしれない。
日本人がゴマンといる上海のこと、わたしみたいな者に何度も出逢っているは
ずだから。 


大学生の多くが使うという「ジーニアス」(電子辞書)英和には linear motor car が見出しになっていた(つまり英語だという扱い)が、
「リニアモーターカー」は和製英語だ。かろうじて linear motor train なら通じそうだとのこと。

 脱線 
最近の電子辞書はほとんど「ジーニアス」を採用しているけれど、こんなふうに整理・点検・校閲が雑で、信頼できない。
便利な電子辞書だからこそ(コストはかかっても)いろいろな辞書を網羅して、使用者の選択にまかせるべきで、英和・和英が2社の辞書のみに集中している現状は問題だ。