ODORAMOX!

BABA庵から  釣り糸なんぞが ごちゃごちゃ こんがらかった状態を ここでは「オドラモクス」と言う。

『壬生義士伝』

2007-04-14 10:43:55 | 引用
60の手習いで始めた日舞。こんどのおさらい会で踊る吟詠舞踊のため『沖田総司』(童門冬二)につづいて、映画化もされた 『壬生義士伝』(浅田次郎) を読んでいます。

『珍妃の井戸』と同じく、いろいろな立場の人に明治維新の時代を語らせる手法ですが、意外とおもしろくて(日本史の勉強はたいくつで放棄していたせいか)夢中になっています。
明治維新というのは「ご一新」とか「近代化」などという抽象的な美辞でつつまれる分、欲得だけの策略家が勝って「元勲」とあがめられるような筋道の立たない(したがって義に反した)暗部がめちゃくちゃ多かった歴史みたい。下級武士を含む庶民にとって、新撰組はその象徴のような存在で、さまざまな想いを映し出せるのかもしれません。

『壬生義士伝』から、目からうろこが落ちた一節。

大坂には130もの蔵屋敷が集まって、各藩が商いをしていたという。
「侍が商売に手を染めるてえのがそもそもご法度なんです。だから実務はみんな商人まかせだった」
蔵屋敷という場を借りて名代(不動産屋)と蔵元(商社)と掛屋(銀行)、
「お上の御用をこの三つが請けてしこたま銭儲けをするってえ仕組は、何のことはねえ、今も昔もかわっちゃいねえってこってす」
「で、揉め事が起こりゃあ、・・・世間がよく見えていて、腕っぷしの強えやくざ者がしゃしゃり出て、丸くおさめる」
「こうした根っ子の仕組てえのを改めず、五十年が百年たち百五十年たった日にゃあ、へんてこな国になりますぜ、日本も」
 

そういえば「勝ち組と負け組」なんて考えも「勝てば官軍」からきているのかな。

奄美大島を旅したときに、薩摩藩の力は砂糖生産で奄美からしぼりあげたもの、文字が読めないのに契約書を渡されて土地を奪われたり、明治維新のかげに奄美の人々の塗炭の苦しみがあることを知りました。


『壬生義士伝』に岩手県の人々が登場しますが、十代の終わりに岩手山に登ろうと雫石から網張温泉(まだ山小屋でした)まで行ったときから、岩手県にはなんとなく惹かれるものがありました。
数年前に アテルイ の話を読んで、また水沢や岩泉へ行き、こんどは宮沢賢治を知りたくなったりしました。

岩手県の県都(県庁所在地)は盛岡ですが、鹿児島や山口のように県都名と県名が同じ県と、水戸(茨城県)とか岩手のようにちがう県があります。
「一般に、戊辰戦争の際に官軍に味方した県は一致させ、賊軍となった県は不一致にしたと、言われるが、俗説であるとも言われる。」 ウィキペディアから