ODORAMOX!

BABA庵から  釣り糸なんぞが ごちゃごちゃ こんがらかった状態を ここでは「オドラモクス」と言う。

「チルチンびと」から「八丈島としょうがい者」

2020-10-04 14:49:28 | 引用
コラム「雑誌屋の昔話/第5回」から

1970年代の八丈島。

「島の人は親戚に一人はしょうがい者がいて、日常生活の中でそれぞれの役割りを果たして暮らしていた。」という。

筆者の身近にいたしょうがい者は、ヤギや牛と話せる、畜産の天才、あるいは、ストレリチアをみごとに咲かせ、観葉植物を幾種類も育てる、花や植物と話せる人だったとのこと。

「島の年寄りはそれぞれの才を見つける名人で、子どもでもしょうがい者でも必ず褒める。そして、先生にしてしまう。種蒔時期や水やり、牛の具合やら、なんでも相談に行く。先生は見事に答え、見事な作物や花が育つ。先生はちょっと変わり者だが、働き者でやさしい。年寄りの屋敷に草が茂れば、ニコニコと「お蔭狩り」(草刈り)に行く。茶の一杯と、お蔭さまの一言のお礼で十分。僕はそんな村の暮らしが懐かしい。」

筆者は風土社の山下武秀氏。

「チルチンびと」は中之郷出身の方が発行している雑誌と聞いて、島に来た時から購読している。
都内の書店で見つけると嬉しくなって、重複するのに買ってしまう。

「しょうがい者が、日常の中でそれぞれの仕事を持ち、暮らしの役に立ち、居場所を持つ。そんな社会の仕組みを、もう一度つくれないだろうか。」

「ロべの会」や「どろっぷす」などの活き活きとした活動の基盤は、先人が暮らしの中で守ってきた生活様式だと思われる。「新しい生活様式」を、歴史に学んでつくりだしていく賢さをもちたい。