たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

成年後見の今後 <日弁連新聞「三類型の判定と診断書等の在り方」>を読んで

2017-08-18 | 人の生と死、生き方

170818 成年後見の今後 <日弁連新聞「三類型の判定と診断書等の在り方」>を読んで

 

以前は毎月配布されてくる日弁連新聞や「自由と正義」を読むことがあまりない、あるいはほとんどない時期が長くあったように思います。最近は高齢者となり、仕事も忙しくないこともあり、こういうブログを書いていることもあり、・・・要は目を通すようになりました。

 

同期や知り合いの活躍が紙面に掲載されているとやはり目を通します。みんないろいろなところでまだまだがんばっているな、なんて。Wさんは国連会議に参加したというのですが、国連本部に入場する仕方というか、ガイドなしで入ろうとしたのでしょうか、危ないところだったようです。私も昔、これは完全に観光でガイドツアーで入った記憶がありますが、まったくどんなところか覚えていません。でも外観はかわりませんね。活動の中身や存在意義は相当変わりましたが。

 

さて、本日のテーマとして取り上げるのは成年後見制度です。この制度も昔の禁治産者精度に比べて相当普及してきたと思いますが、それでも本当に必要とされる方に利用されていない比率はまだまだ高いと思います。他方で、とはいえ相当普及する中で、いろいろ問題が多様に起こっています。

 

164月成立の「成年後見制度の利用の促進に関する法律」はその制度課題を見いだし対応することで促進を図ろうとするものでしょうか。こういった法律では一般的な仕組みとして、plandocheckというような感じで、計画策定が行われますが、本年1月「成年後見制度利用促進基本計画」が閣議決定されました。

 

で、見出しの記事ではその基本計画にある施策にいろいろ課題があると言うことで、日弁連で連続学習会を開催し、その第一回として、見出しのテーマが取り上げられ、その概要を報告しています。

 

その記事では、まず、知的障がい者の親の立場から、重度知的障がい者は現行の診断書式では後見類型に該当するが、後見制度では本人の意思が尊重されないため、そういった障害のある家族の多くが制度利用をためらっているといった趣旨の報告がなされています。

 

重度知的障がい者といっても、いろいろなレベルがあり、また管理する財産の内容によっても、現行の三類型をどのように適用すべきかは、簡単に判別できるとは思えないというのは私の経験上からも痛感しています。

 

私が後見人になった重度知的障がい者の方は、それこそ通常の日常的な生活や判断をすることが困難な方でした。そのため施設に入所していましたが、そういう重度の知的障がいの方でも、なんらかの形で意思疎通ができたりする人もいます。

 

私が担当した方は資産も多様な有価証券や不動産も含め巨額のものが両親から残されていたため、後見制度以外の利用は考えにくいと思います。しかし、重度の知的障がいの方でも上記のような人、そしてさほど管理する資産もない場合は後見制度を利用するのはどうかと思うのです。

 

これは知的障がいの方ではありませんが、視覚障害の方で、普通に会話ができることから、補佐か保佐相当と考えて、申し立てたところ、医師がなぜか後見相当と診断したのです。その方の夫については、私が任意後見人となって財産管理や話し相手になっていましたので、その夫より、妻のことを心配して依頼を受け、妻も了解したので、申立をしたのです。

 

目が不自由なだけで、私とは普通に会話ができるものの、夫より少し高齢で(当時70代後半だったか?)、若干、認知症の症状とまではいきませんが物忘れもでてきたこともあったなどの理由で、成年後見制度を利用しておいた方がいいかと思ったのです。

 

その後、後見人になった人から、投票できなくなったということで、妻から悲しみと苦痛の連絡が繰り返しあったという話を伺いました。それはそうだろうと思いました。なぜ彼女が後見相当と診断したのか私には疑問でしたが、財産もあまりなく、その結果を話したときもとくに異論を述べなかったので、そのままになってしまったのですが、いざ選挙権がなくなったことに直面し、衝撃を受けたのでしょう。

 

その後総務省の<成年被後見人の方々の選挙権について>で掲載されていますが、

 

<平成255月、成年被後見人の選挙権の回復等のための公職選挙法等の一部を改正する法律が成立、公布されました(平成25630日施行)。

これにより、平成2571日以後に公示・告示される選挙について、成年被後見人の方は、選挙権・被選挙権を有することとなります。>

 

私の場合その10年くらい前の話です。法改正を求めるも大事だったかもしれません。それよりは今回テーマの診断の在り方を変えることを求める方も重要です。

 

というのは、別の件で、こんどは後見相当という医師の診断書で、私の知り合いの弁護士が申し立て、私に後見人候補になって欲しいと依頼されて、待っていたら、かなり時間がかかりました。そして結果は、なんと保佐相当になったのです。

 

これにはおどろきでした。この方はご主人が結構な企業の役員をされ資産も相当あり、デラックスな老人ホームに入居していましたが、私とは話がかみ合わないのです。この方が判断能力が劣っているが一応あると診断されたわけですが、ご主人が亡くなった後相続処理がいろいろ残っており、そのようなことに対処できる能力はとてもありません。むろん保佐であっても内容によって代理権を付与されるので、後見人に近い対応ができますが、前記の奥さんが後見相当となって、この方が保佐相当という診断にはかなり疑問を感じてしまいました。

 

私自身のそれぞれの仕事はつつがなく終わったというか、重要な権限行使はすべて終わり、当地に移るに当たり、すべて若い元気な弁護士に依頼して引き継いでもらいました。

 

さて、見出しの記事では五十嵐禎人教授(千葉大学社会精神保健教育センター)が講演を行い、次のように意見を述べられています。適切な内容なので全文引用します。日弁連新聞さん、ご寛容ください。

 

「処理すべき情報量の大小に応じて必要とされる意思能力には差があり、年金収入だけで暮らしている人と、数億円の資産を保有している人とでは、財産管理のために求められる能力に大きな違いがある」と意思能力が問われている人の取り扱う収入・資産・情報量の多寡に応じてその評価基準を設ける必要を指摘されているように思います。同感です。

 

次に意思能力を判断する医師と現行診断方式の問題を指摘しています。

「本人の生活状況を把握していない医師が本人の財産管理能力を判定する現行の診断書式の不適切さを指摘し、この診断書式を改め、三類型に直結する判定の記載をやめるべきだと提言した。」というのです。

 

私が関わった多くのケースでも、医師が初めて会って診断するのです。それもきわめて短時間だと思います。それは、医師に無理を強いるものであり、また、その判断結果を重視することで、被後見人等のご本人の生活が決定的になることの問題を関係者は真剣に検討すべきだと思います。これだけが原因ではないですが、現行制度の普及が今ひとつ進まない理由の一つと考えます。

 

また、「五十嵐教授は、本人の生活状況に関しては、福祉専門家からソーシャルレポートの提出を受け、裁判官が、診断書だけではなく、ソーシャルレポートや調査官調査を基に総合的に三類型を判定すべきとの見解を示した。」これがオーソドックスというか、本来的な在り方でしょう。

 

ただ、問題はコストです。慎重に丁寧にこの判断を行うとすると、医師としても現在、一般に行われているような簡易な方式で安価にというわけにはいかないでしょう。

 

ただ、少なくとも年金収入がほとんどとか、財産が一定基準未満といったような方については、簡易な方式で、しかも意思能力を緩やかに認めることなど、ダブルスタンダード的な方式もありえるように思うのです。その場合に異議権も整備すれば問題を少なくできるようにも思うのです。

 

この記事を見ながら思いつきで書きました。

 

この成年後見問題は本年1月日弁連が発表した<「成年後見制度利用促進基本計画の案」に盛り込むべき事項に対する意見書>に多様な視点から問題を取り上げていますので、本格的な議論はこれを見ていただければと思います。

 

今日はこの辺で終わりとします。