170821 不公正と人の選択 <わたしの生き方 母とは違う方法で ・・重信メイさん><もう一度夫に好かれたい=回答者・高橋源一郎><被災者支援法・・首長、要件見直し訴え>を読んで
今日も1000字を目標にしながら、上に上げた3つの記事をどう自分で考えるかチャレンジです。
<おんなのしんぶん・MyWayわたしの生き方 母とは違う方法で ジャーナリスト・重信メイさん>は驚きました。70年代、テルアビブ空港乱射事件など日本赤軍のテロは世界を震撼させ、そのリーダー格の重信房子は頻繁にクローズアップされていました。
仲間の内の議論ではほとんどすべてが非難囂々でした。その中で私はイスラエルの不法占拠やパレスチナ難民などに対する非道な無差別爆撃などにも配慮するべきだなどと反論したような記憶があります。ま、いえばテロへの一種の弁護的な反論をしていたように思うのです。とても理解されない状況ではありましたが。
その娘さんがジャーナリストになって活動していると知り驚きとともに、そのしっかりした言動は日本人の一人として公正な視点で問題に取り組もうとしているように思い、激励を送りたい気持ちになりました。
彼女の言葉<中東問題で伝えたいことは、いろいろあります。特に思うのは欧米メディアは中東のことをセンセーショナルに報じているので、日本の人たちはメディアリテラシーを身につけてほしいということです。人間の価値、人間の扱いが不平等であることも知ってほしい。欧米でテロの犠牲になった人がいれば大きく報道されますが、イラクで多くの市民が殺されてもあまり報じられません。これからも中東を取材し、映画もつくりたい。新しいことにチャレンジしていきたいです。>
次に私の好きなコーナー、<人生相談もう一度夫に好かれたい=回答者・高橋源一郎>です。離婚事件を担当していますと、とても二人の関係はお互い理解し合える対等・平等な関係にはないと感じることがほとんどです。なぜそうなったのか、ある意味では一方に原因があるようにも思えますが、他方もそれに真剣に取り組み悩みをぶつけ合って、問題点を明確にして解決する試みがとられた例はまずないと思います。
<夫に嫌われています。また好きになってもらえるでしょうか?>という相談に対して、高橋氏はまず、<憎しみでさえ、愛情の裏返しの可能性があるでしょう。しかし、ふたりの関係にとって致命的なのは、嫌悪や軽蔑の感情です。そして、その感情の由来は、当人にもわからないことが多いのです。>これは国同士でも似ているように思うのです。ただ、感情の由来は掘り下げれば国民それぞれ、ある程度理解できるのではないかと思うのです。
結論として、高橋氏は<「あなたを嫌悪している」という相手と暮らし続けることは、わたしにはできません。なぜなら、そのことによって、いつか必ず、そんな自分自身を嫌悪することになるだろうから。>私も同感です。国同士であれば、いくら嫌悪していても、一緒に暮らす訳ではないので、改善の見込みというか、他の方法で付き合う工夫ができます。しかし、夫婦は無理でしょう。
そしていつも高橋氏が言葉にするあなたが自分自身の心に問いかけて決めることのセリフが好きです。<相談者は夫の気持ちを心配されています。けれど、いちばん大切で、考えるべきなのは、相談者自身の気持ち(とりわけ夫への)と人生だと思います。>
最後の<被災者支援法8割「拡充を」 首長、要件見直し訴え 都道府県・政令市、毎日新聞調査>は、被災の多発と深刻さを受けて、ある種の公正さが問われているのだと思います。被災件数を多くしている要件は私有財産制を前提にして、少数の被害だと個人負担にという考えが基本かもしれません。
しかし、地域・環境条件次第では、わずかしか居住していない集落だと、いくら全戸が半壊・全壊しても該当しないことになりますが、それが集落を消失させることになりかねないとすると、そのような要件該当性を形式的に取り扱うことの公正さに疑問を感じるのは現場の首長や住民でしょう。
<「認定、柔軟に」 独自支給自治体も アンケート調査>では全壊・半壊の指針自体が問われています。一定の数値基準で線引きすることは行政上やむを得ない部分もありますが、現場ではわずかの違いで支給されるか否かが決められることに、困惑と疑問が残ることになるのでしょう。
<日弁連災害復興支援委員会委員長・津久井進弁護士の話>では<実際にどの程度の金銭的負担が被災者にかかったのかなど、救済の「物差し」を再考する必要があるのではないか。>と制度の見直しの一つを指摘していますが、実態に即した合理的な意見ではないではないでしょうか。
私自身は、以前から、結果だけをみて全壊・半壊などの基準で支給の有無・金額を決めることに疑問を感じていました。耐震構造に一切かまわずに暮らしてきた住宅が半壊・全壊した場合と、耐震基準に適合するよう、建築し、補強してきた人の場合と一緒に扱ってよいのかという問題です。
こういった何が公正であるかという問題は、最後の被災の場合の対応の方がより客観的で合理的な基準を示すことができるのですから、また人が作った制度の問題ですから、早急に問題点を洗い直し改善を検討してもらいたいものです。
それに比べ、人同士は、虐待でさえわかりにくいですが、まだ客観的な裏付けが可能です。その内心の嫌悪や軽蔑・不公正さなどは本人同士はわかりにくもので、第三者の協力が必要でしょう。
やはり3つの話の共通項を探るには無理がありました。1時間で仕上げたのはよかったのですが、字数制限を大幅に超えてしまいました。
今日はこれでおしまい。