170830 長寿と援助の在り方 <長寿リスク社会 検証・介護報酬改定/上 生活援助「乱用」に異論>を読んで
久しぶりに電子内容証明郵便を使ったのですが、どんどんやり方が変わるため、なかなか新しいやり方が飲み込めません。高齢者の頭の体操としては少々きついです。20年近く前でしたか、このソフトの開設当初は簡単で便利でしたが、OSやワードもどんどん進化するので、それに追いつくために、ややこしくなってきたというのが私の印象です。
世の中、<毎日イノベーション・フォーラム AIやIoT、不可欠に 新技術で社会変える(その1)><AIやIoT、不可欠に 新技術で社会変える(その2止)>なんか読んでいますと、AIもIoTやらIoHなんてのもでてきて、ややこしやが増える一方です。便利にするということですが、はてさて高齢者や普通の頭脳の庶民には手が届かないものになるかもなんてことになりかねません。
で、電子内容証明郵便の作成で時間をとってしまい、もう6時半を回っています。それで今日も安直に、重い問題ですが、簡単に要約するべく、見出しの記事を取り上げることにしました。
財務省は危機に瀕した(もう破綻寸前?)といわれる財政赤字を削減するべく、福祉分野に大なたを振るかのように削減策を次々と出しているようです。今回は介護のうちの生活援助で、<「生活援助のみ」を昨年9月に90~101回利用した16自治体の21例が並んでいる。「月31回以上の利用者が6626人にのぼる」と「必要以上の提供」だと乱用を強調。1日の「報酬の上限設定」を提案した。財務省は「便利だから使うということではない」と削減案の意図を説明する。>
便利だから使うといっても月90回以上も利用したら、ちょっと使いすぎでは、過剰ではないかといわれると、この数字だけ見ればそうかと思ってしまいます。
便利で利用するということと、それが過剰だというのとは介護の実態をよくみて判断する必要があるというのが、記者斎藤義彦氏の視点かなと思うのです。
たしかに回数が月90回を超えると聞くとそんなに利用回数が必要なの、自分が動くのが面倒だから安いサービスを過剰に使っているんじゃないなんて疑問が湧くのも自然な感覚かもしれません。数字だけ見れば。でも一日3回食事などの世話が必要な人だと、当然な場合もあるでしょう。
記者は指摘します。<毎日新聞が16自治体に問い合わせ、人物の特性が判明した80~91歳の10例を見ると、8例が独居の認知症で、1例は早朝から夜まで働く息子と暮らす物忘れの激しい80代の女性だった。最大の101回だった北海道標茶(しべちゃ)町の女性(80)は山間部に住み、軽度の認知症で、元々の疾患のため自発行動が弱く、食事や衣服の着脱に促しが必要だ。町の特別養護老人ホームは100人待ち。町は「回数だけ問題にされるのは心外。やむをえない事例」と話す。>一人で自立して生活できない人がほとんどです。
別の例は「在宅介護の限界事例」です。<岩手県八幡平市などで作る盛岡北部行政事務組合管轄の認知症の男性(89)は、2人暮らしだった認知症の妻が入所し、介護していた息子の嫁も入院。精神的に不安定で向精神薬の服薬確認や3度の食事の準備で1日3回、月90回利用した。組合は「特別な事情がある」と話す。厚労省振興課は多くの例が「在宅介護の限界事例だ」と話す。>
その実態は施設不足の中、<生活援助で認知症の人が在宅で暮らせる良い例ではないか」と話す。>また<生活援助は利用者を安心させ、生きる意欲を引き出すことを理解すべきだ」と話す。>のであって、きわめて有効な代替策ではないかと思われるのです。
ちょっと話が変わりますが、ある施設の実態を探っていたら、施設建設費が何億円もかかっているのですが、それが全額助成金(ただし民間)でした。そんな助成金で施設を増やすより、在宅介護の費用に回すことの方がより効果的といえる場合がすくなくないのではと思うこともあります。
そして財務省の議論は砂上の楼閣ではないかと思われるのです。つまり限度額を超えるのはわずかか、ほとんどないのです。意味のない削減論ではないかと思うのです。
<財務省が示した例で個人が特定できた14例のうち11例の費用は「区分支給限度基準額」(限度額)以下だった。介護保険制度には元々、「利用に歯止めが利きにくい」(厚労省)ため、要介護度ごとに在宅サービス費用の限度額がある。これを超えた利用は自己負担だ。限度額は2000年の制度発足以来、消費税引き上げに伴い1度、上げられただけで、ほぼ据え置かれている。1人当たりの平均利用額は限度額の約32~65%。超過利用する人は全体の0.2~5%しかおらず乱用とは言い難い。神戸市などの3例は超過分を自己負担する。神戸市は「適切なケアプランに基づいている。本人が限度額を超え自己負担で使うのは自由」と話す。>
最後に、生活援助によって生きる意欲を引き出している例を記者は細かく描写していますので引用します(記事では最初ですが)。
<「ご飯、しっかり食べて。牛乳も飲んで」。静岡県三島市のアパート。ヘルパーの小林聖子さん(49)が促す。1人暮らしの飯田安夫さん(77)は「うるせえなあ」と笑いながら卵かけご飯を完食、牛乳も飲み干した。「愛のムチだわね」と小林さんも笑う。飯田さんは肺気腫で昨年入院。退院後、生きる意欲が湧かず、食事は残し、薬も飲まず、起き上がれず失禁も始まった。
ヘルパーが食事の準備や食べるのを促す「生活援助」を始めると、飯田さんは徐々に意欲を取り戻し食べられるようになった。現在、要介護1と認定され週5日程度、朝夕に生活援助を受ける。
小林さんは朝9時に訪れるとエアコンが利いているかチェック。「夏は熱中症との闘いです」。冷凍していたご飯を温めて卵をかけて朝食に。薬を目の前で飲んでもらう。急いで買い物に行った後、昼食をテーブルに準備。着替えやベッドの様子、ごみの内容など生活ぶりや、携帯電話の充電も確認した。
小林さんが所長を務める訪問介護事業所「ラ・サンテふよう」は、入院後、施設に短期滞在して食欲が低下、車椅子で「このまま死ぬかも」と話していた女性(89)を自宅に戻し、生活援助中心に食事で元気にさせ、自力で歩けるまで回復させた。「生活援助がなければ施設入所していた。ヘルパーが生活をマネジメントし、安心を与え意欲を持たせる生活援助は在宅生活の基盤だ」と話す。>
最後に一言。以前、コペンハーゲンで、在宅介護をしている人からヒアリングをしたりしたことがありますが、基本歩きとか自転車とかで回れる範囲だったと思います。そういう意味では、この在宅介護にこそ、コンパクトシティというか、コンパクトな在り方を真剣に検討してもらいたいと思うのです。
30分で引用ばかりのブログでした。今日はこれでおしまい。