170425 柔道の技の魅力とリスク <柔道事故 手足に障害、県敗訴 1.2億円支払い命じる>を読んで
今朝も清々しい空気に包まれ、ウグイスが気持ちよさそうにまだ未熟な歌声を奏でています。相変わらずホオジロも一筆啓上を繰り返しています。静寂な中に生き物の活気を感じさせてくれます。
その雰囲気をベランダに出て、一杯の野菜ジュースを飲みながら、しばらく堪能しました。でもそうのんびりできません。出かける前に、サンルーフ用のポリカーボネートの波板が長すぎて、雨水が樋に落ちないで、そのまま落下する状態なので、これを短く切断しないといけません。それで波板ばさみというそれ専用のハサミを買ってきていたので、今朝は切断作業です。やはり素人、うまく切れません。力任せに切ると、斜めになったり、凸凹になってしまいます。これでは切れないなとあきらめかけたのですが、ハサミの形状が波打っていることから、これを波板の形状に合わせて切ればどうだろうと、試してみると、意外と簡単に切れました。これが分かったのがジグザグでめちゃくちゃに切った3分2を終えた後でした。説明書きでも読んでいれば、もう少しちゃんと切れたのにとは後の祭りです。
後の祭りはまだありました。そうやって樋に雨水が入るように短くしたのはいいのですが、こんどはピンで押さえつけていた部分が簡単にとれてしまうようになりました。波板が長すぎた分、無理矢理押さえ込んでいたのが、短くなり、ピンで押さえつけていた箇所のクッションが圧縮されすぎていたので、ピンが緩んでしまったのです。これではもう一度、穴家とピン押さえの作業が必要です。なんとも情けない話しで、まだこの波板張りは続きそうです。
と素人作業は進まないのですが、仕事の方は、今日は順調に和解成立し、今度は即決和解の申立をして、ある土地引渡請求事件が短期間で解決できそうになりました。大変な量の土砂・重機、産廃などがあり、訴訟になると時間がかかるなと心配していましたが、案ずるより産むが易しということもあります。といってもこれから計画通り進行するよう報告・現場立入など履行確保手段を実施して、監視体制をしっかりしていかないといけないと思っています。
さて、そろそろ本日のテーマに入りたいと思います。柔道の技の魅力とリスクというと、それは柔道という言葉を他の格闘技やスポーツに変えても通用する内容です。
そういえば、一昨日は井岡選手の14戦連勝記録達成のボクシング試合がありましたね。彼の鋭いパンチと安定した防御センスは見事です。力道山を直接見て感激した後、具志堅用高など活躍するボクシングファンになっていきましたが、今なおその技の魅力に時間を忘れてしまいます。
元に戻って、柔道も私の好きなスポーツ?格闘技?です。一応、耳に痕跡が残る程度には練習しました。嘉納治五郎のようにほんとに柔よく剛を制するという魅力はいまなかなか見ることができませんが、それでもやはり力に頼らず、体勢をいかに崩し、あるいは相手の腕の勢いを制しながら、縦横無尽に技をかけるような試合を見ることが出来ると、柔道の魅力が理解されると思うのです。
しかし、他方で、そのリスクは他のスポーツ以上にあるように思います。上段者がそうとうレベルの低い人を相手にするような場合だと、どのように投げても相手への衝撃がないように配慮するのが普通です。むろん上段者同志では切磋琢磨するので怪我をすることも少なくないでしょうが、その程度は深刻なものになることは少ないように思います。しかし、まだ経験の浅い人同士が柔道をすると、大きなリスクを孕むことになるでしょう。それは地からの入り具合や技の威力を知らない、無理な体勢で投げてしまう、相手への配慮まで働かないなど、いろいろな要因があるように思うのです。練習中でも必死にやっていれば、事故は起こります。ましてや試合中だと双方必死ですので、審判がいても危ない状態のまま倒れてしまうこともあります。
さて、<柔道事故手足に障害、県敗訴 1.2億円支払い命じる 福岡地裁判決>の事件は、詳細が報道されていないものの、記事によると<福岡県の県立高校の武道大会で柔道の試合中にけがをして手足に障害が残ったのは、教諭らが必要な指導を怠ったためとして、同校の生徒だった男性(22)と両親が県を相手取って計2億6800万円の損害賠償を求めた訴訟で、福岡地裁(平田直人裁判長)は24日、県に約1億2000万円の支払いを命じた。>とのこと。
そのけがの経緯については<相手に払い腰を掛けようとしてバランスを崩し、左側頭部から転倒。頸髄(けいずい)損傷などによって両手足に障害が残り、車椅子生活となった。>ということです。払い腰をかけようとした場合バランスを崩すというのはよくあることですし、ちょっとしたことで転倒しますし、相手がバランスを崩した状態を利用して技をかけることもあるでしょう。この技の掛け合い、あるいはバランスを崩して転倒したといったことで、指導教諭に責任を問うということはどういうことでしょう。
<平田裁判長は「大会はクラス対抗形式で競争心や顕示欲を必要以上にあおりかねないが、大会固有の危険性を十分に説明したとは認められない。安全指導の基本を欠いていた」と指摘。>とか、<前年度の大会で2件の事故が起きたのに予防策を協議した形跡もない>とか取り上げて、注意義務を認めていますが、これではよくわかりません。
大会固有の危険性とはなんでしょう。安全指導の基本を欠いていたというのですが、これだけでは予防的な意味も、結果回避策も具体性を欠き、有効とは思えません。と、簡単な記事だけで判決批判はしてはいけません。私もこれまで多くの事件が報道で取り上げられ、短い記事の場合などはとても的確な判決批評ができないと思っていました。
むろん判決文自体も事実認定などは、判決理由に結びつくのみを取り上げて多くの事実関係を省いてしまうのが普通で、そのような判決文の内容だけで判決批評をする論者もいますが、私自身はあまり評価していません。
話を戻します。練習中の事故の場合だと、その練習方法やその生徒の体調・能力などからリスクの程度もより明確になるかと思います。そのような事情を勘案して指導すべき注意義務も明確化しやすいように思いますが、試合となると、簡単ではないように思えるのです。
ここで、練習中の事故で頭部を受傷したのに、練習を継続させ、急性硬膜下血腫で死亡した事故について、学校側に安全配慮義務違反があったと認定した平成25年5月14日の大津地判(判例時報2199号68頁)を取り上げてみたいと思います。
同地判では、まず、「学校の教育活動の一環として行われる課外のクラブ活動(部活動)において、生徒は担当教諭の指導監督に従って行動するのであるから、担当教諭は、できる限り生徒の安全にかかわる事故の危険性を具体的に予見し、その予見に基づいて当該事故の発生を未然に防止する措置を執り、クラブ活動中の生徒を保護すべき注意義務を負うものというべきである。」とクラブ活動一般について注意義務を担当教諭に課しています。
次に、柔道の場合について「技能を競い合う格闘技である柔道には、本来的に一定の危険が内在しているから、課外のクラブ活動としての柔道の指導、特に、心身共に未発達な中学校の生徒に対する柔道の指導にあっては、その指導に当たる者は、柔道の試合又は練習によって生ずるおそれのある危険から生徒を保護するために、常に安全面に十分な配慮をし、事故の発生を未然に防止すべき一般的な注意義務を負うものというべきである。」とよりリスクへの予防という一般的な注意義務を認めています。
さらに具体的な注意義務として、
「①生徒の実態(発育・発達段階、体力・運動能力、運動経験、既往症、意欲等)に応じた合理的で無理のない活動計画を作成する義務、
②練習中に怪我や事故が生じないように、練習メニューに頸部の強化トレーニングを盛り込むなどして、生徒が確実に受け身を習得することができるように指導する義務及び
③部員の健康状態を常に監視し、部員の健康状態に異常が生じないように配慮し、部員に何らかの異常を発見した場合には、その状態を確認し、必要に応じて医療機関への受診を指示し又は搬送を手配すべき義務」
を負っていたとして、前記の頭部への受傷があったことから、③の義務違反を認めています。
そして「柔道部顧問が同生徒の異変を認識した時点において直ちに練習を中止し、専門の脳外科を受診するなどしていれば、救命可能性はあった」としています。この点はどのように因果関係を認定したか、気になるところです。
いずれにしても、練習中の事故ということ、また、負傷後も練習を中止せず、継続させている点など問題にされてよいかと思います。とはいえ、柔道はもちろん他のスポーツでも、ある程度の負傷があっても本人が大丈夫だというと医療機関の判断を仰がず、自分の経験だけで判断して練習を継続させていることが少なくないのではと懸念しています。
さて、この大津地裁の判断基準は一応、目安にはなりますが、福岡地判の事案にどうあてはまるかと考えると、事実関係も明確でなく、相当異なるようにも思えますので、前記の①、②だけで判断できるか疑問です。③は試合中、負傷するまで、事故を予見できたと考えにくいので、これも当てはまりにくいかなと思うのです。
いずれにしても、福岡地裁の判決文を見ないとなんともいえません。控訴されるような事案かもしれません。
柔道はすばらしいスポーツです。嘉納治五郎の柔道にかけた情熱、その技の記録は卓越したものです。しかし、一般の人が柔道に取り組むとき、その安全配慮の適切なマニュアルが必要な時代かもしれません。嘉納治五郎の書籍を読めば理解できるのかもしれませんが。
今日はこれで終わりとします。