たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

自律と専門的知見 <続・マンション漂流/1 修繕費+リベート=積立金 つけこむコンサル>を読んで

2017-04-20 | 不動産と所有権 土地利用 建築

170420 自律と専門的知見 <続・マンション漂流/1 修繕費+リベート=積立金 つけこむコンサル>を読んで

 

今朝は目覚めると青空から光りが降り注いできました。外を見ると、ツバメが何羽か麗しいワルツでも踊っているかのように青空を舞台に流れるように飛んでいったかと思うとクルッと回転して別方向に飛翔しています。

 

そういえば病床生活の長かった子規ですが、結構ツバメの句があるんですね。あの華麗な飛翔にあこがれたのでしょうか。自分もそうありたいと思ったのでしょうか。明治22年から34年まで膨大なツバメの句を残しています。以下の句で、明治22年喀血して初めて子規と名乗った以降の6段までと、28年に喀血して重態になった年の「我床・・・」以降とでなにか違うような気がするのは思い過ごしでしょうか。終焉の地、根岸でもやはりツバメを活写しています。

 

つきあたるまで一いきに燕哉

春雨やよその燕のぬれてくる

大仏を取て返すや燕

あら海や燕ゆらるゝ椀の上

馬の尾やひらりとかはす乙鳥(ツバメの別称)

燕の家尋ぬるや桃の花

我床を出る時燕室に入る

逢阪の山を越え行く燕哉

燕や根岸の町の幾曲り

 

さてもう5時を過ぎていますので、本題に入りたいと思います。マンションと言えば、その価値はどこでみるかというと、最初はどうしても自宅という専有部分の広さ、設備、眺望といった区分所有権の対象に着目しがちでしょう。しかし、マンション住まいに慣れた人なら、その管理がどうか修繕積立金がどうかといった共用部分の管理がしっかりしているかについてもより着目するようになるかもしれません。

 

私自身、35年以上前にマンション管理をめぐる事件を取り扱い、地裁、高裁、最高裁くらいまで争いましたか、しばらく管理のあり方が頭の中から離れない時期がありました。相手方の代理人は優秀な先輩で、厳しい議論をやり合い、いろんな面でいい勉強になりました。しかし、それから20数年ほとんどマンション管理の問題から離れていて、昨年久しぶりに取り扱うようになり、少し注目するようになりました。

 

見出しの記事、マンション管理のコンサルが問題にされています。そもそもマンションは見知らぬ人が集合して居住する共同住宅ですが、マンションが出始めた頃、昭和40年代は50戸くらいの小規模が多かったように思います。それがどんどん高層化し、しかも一棟ではく、それが複数、場合によって10棟以上といった集合体となると、管理する組織、管理組合はよほどがんばらないと機能不全に陥りかねません。

 

そもそもマンションに入居希望するような人は生活の場で管理組合のような組織に入って全体の管理に携わることをあまり好まない人が多かったと思います。しかし、マンションは日常的な管理がどのくらい適切になされているかで利便性・快適性が変わってきますし、当然マンションの価値にも影響します。とりわけ大規模修繕といった長期的な計画を要する問題は、管理組合にとっては大変重い負担になるでしょう。

 

そんなとき、専門的な知見をもった人がマンション管理組合の立場でアドバイスしてくれたり、さらに具体的な計画の立案、業者選択、施工管理にまで目を配ってくれれば、助かるでしょう。そこにマンション・コンサルタントの必要性・有益性があるのでしょう。

 

しかし、コンサルを全面的に信頼したり、依存すること、かえって問題が生じることになりかねないのは、別にマンション・コンサルに限らないと思います。弁護士・税理士・公認会計士など国家資格があるからといって、その専門的知見に全面的に委ねるようなことはおかしな結果になるリスクもありえます。むろんマンション・コンサルの場合、管理組合は委任者であるとともに、多数の区分所有者の利益を代表しているのですから、その利益がきちんと図られているか、自らの判断でチェックする必要が高いというべきです。株式会社で言えば、取締役の忠実義務といったものに類似する注意義務が求められるでしょう(むろん無報酬でしょうから取締役のように有償であるのと同じには扱えませんが)。

 

とはいえ、毎日記事の例はひどいですね。<約2年前、初の大規模修繕を控えた埼玉県の高層マンション。コンサルタントが管理組合に示した工事の概算額は、住民がためた修繕積立金とほぼ同じ4億円だった。「積立金を使い切ろうとしているのでは」。修繕委員長の40代の男性は不信感を覚えた。

 東京の設計事務所をコンサルに選んだ決め手は、他社の3分の2というコンサル料の安さだった。仕事も丁寧だった。担当者は会社の規模や実績など自ら決めた「条件」で応募業者を約10社に絞り、こう言った。「見積額は各社とも概算とほぼ同じになるでしょう」

 談合ではないのか。管理組合で話し合い、「別の業者からも見積もりを取る」とコンサルに告げた。応募条件ではじかれた旧知の地元業者と比べるためだ。すると、コンサルから内容証明郵便が届いた。「当社の関与なく施工業者を選定するなら、今後の業務は辞退させていただく」

 別のコンサルが教えてくれた。「逃げたのはリベートを取れなくなるから。倍近い規模のマンションでも3億円余りでできた」。修繕委員たちは顔を見合わせた。「いくらリベートを取るつもりだったんだ」。コンサルを代え、来年に実施予定の大規模修繕は約2億円で済みそうだという。>

 

上記の記事のように、最近の管理組合の役員の人たちは、過去の経験を踏まえて、ずいぶん慎重になっているのと、ウェブ情報でさまざまな問題情報を入手して、検討するようになり、悪質なコンサルによる被害を回避する場合が増えているかもしれません。

 

とはいえ、コンサルに任せてしまったり、管理業務を委託している管理業者(通常、管理業務主任者がいて、相当程度のマンション管理の知見をもっていますし、さらにマンション管理士という国家資格をもつマンション・コンサルタントになっている人もいるでしょう)に一任するのでは、管理組合の理事会としては適切な管理を行ったとはいえないでしょう。

 

以前も紹介したと思いますが、昨年3月、国交省は「マンションの管理の適正化に関する指針」を見直し、より適正な管理を求める趣旨を明らかにしています。

 

残念ながら、この方針だけでは、まだ具体的実効的な適正な管理のあり方を示したとまではいえないように思うのです。その意味で、管理組合としては、この方針に則り、より実践的な管理手法を具体化しないと、悪質なコンサルの横行を阻止できないおそれがあります。

 

マンション管理、とりわけ大修繕といったことについては、専門的な知見が不可欠ですが、だからといって、たとえばコンサルが具体的な工事費用や入札方式を提案したとき、そこに合理的な説明がなければ、それは信頼するに値しないとみるべきでしょう。むろん個々のマンション毎に、修繕の要否、その程度は異なるでしょうし、それぞれ専門的知見が必要ですが、適切な競争入札などにより、相対比較できるデータを提示してもらうことなどにより、素人でも理解できるようにするのが、コンサルト役割ではないかと思うのです。

 

専門家の言うことだから、任しておけでは、信頼に値しないのです。業者からリベートをとるなどといったことは言語道断です。そこまでひどくなくても、業者選定において、適切な修繕費用の明細が提示されていなかったり、修繕の必要性について合理的な説明がなされていないような場合など、コンサルの意味をなさないでしょう。コンサルはある種のインタープリターでもあるわけだと思うのです。

 

これは弁護士なども同じです。依頼を受けた仕事をするのに、どのような問題があり、どのような方針で行うかについて、依頼者に説明し理解してもらいながら業務を進めることが信頼の基礎ですし、専門家として求められる業務の中核だと思うのです。マンション管理士とか、マンション・コンサルタントといわれる専門家は、信頼を得るための情報提供を納得してもらえるまで行うのでなければ、その国家資格なりが絵に描いた餅になりかねないと思うのです。これは弁護士も同じですが。

 

天に唾するような話しにもなってきたかもしれませんが、私としてはできるだけそうありたいと思いますし、専門家と言われるそれぞれの分野の人は心すべきではないかと思うのです。記事で問題にされているリベートは論外です。

 

そしてコンサルに依頼する管理組合も、最終責任は自分たちですから、自らの判断で理解できるまで、また区分所有者の理解を得ることが出来るかの合理的な基準で、判断する必要があると思うのです。毎日記事の管理組合の方はしっかりした対応をされたと思いますが、そうあるべきであり、国交省の指針もそのような方向性を示していると思うのです。


僧侶を考える <追跡2017 住職は経営者、覚悟はあるか 塾で示す寺業計画>を読んで

2017-04-19 | 宗教とは 神社・寺・教会 信仰

170417 僧侶を考える <追跡2017住職は経営者、覚悟はあるか 塾で示す寺業計画>を読んで

 

早暁、サイレンスの世界を堪能しています。高野山の宿坊などでも朝の勤行が始まるまではそんな感じでしょうか。昨夜は窓の外にオリオン座が手に取ることが出来るように感じるほど間近に感じました。街の明かりが少ないと言うことは省エネになるだけでなく、美しい星空を満喫できる妙味を味わうことができますね。

 

さて、今日のテーマはと、いろいろ考えている間に5時を過ぎ、来客の予定が近づいてきました。なんとか7時前に終わりたいと思い、新日鐵住金の技術流出事件での元社員との和解成立の話しを検討しつつ、うまく整理するのに時間がかかりそうと思い、見出しのテーマを選びました。選んだのはいいのですが、私なりの考えを披露する前に、知見のある方々の意見を参考にしようとウェブサーフィンをしていると、時間がまたまたかかってしまいました。

 

ともかく本題に入ります。見出しは毎日昨日夕刊記事です。お寺を経営する住職が経済的に困っているという話しは、別に現代に限ったことではありませんね。戦前もそうですし、戦後もたいていの住職は学校の先生をやったり、いろいろな仕事をされたりして、兼業というか別の仕事で収入を得て寺の切り盛りをしていたと思います。檀家制度で安定収入を得ていたといわれる江戸時代くらいが異例だったのではないでしょうか。

 

それはともかく、現在の状況は他の職業の中には右肩上がりの中で、住職なり僧侶の収入が低減傾向にあるということでしょうか。そういう意味では、程度の違いはあっても、士業の多くも似たような状況にあるでしょう。従来通りの資格を持っているだけでは収入減となり、経営が成り立たないということもあるでしょう。弁護士や税理士だけでなく開業医の中には厳しい状況にある人もいるでしょう。

 

来客対応が長引いて、どんな筋書きにするつもりだったか忘れてしまい、少し紆余曲折になっています。少し本筋に戻します。

 

毎日記事では、調査データで住職の困窮状態を示しています。

<人口減少や過疎化による檀信徒の減少などで、困窮する寺院は増えていると言われる。最大級の伝統仏教教団、浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺、京都市下京区)が2015年に全寺院を対象に実施した調査によると、回答のあった約7000カ寺のうち10.4%が年収50万円未満、11.3%が100万円未満だった。一方で2000万円以上を得ている寺院も5.6%あり、格差が広がっていることも示している。またおよそ27%の住職は兼職しており、その大半が「寺院ではない仕事から得られる収入の方が多い」と答えた。>

 

これほど収入が少ないかはよく分かりませんが、私が担当した事件に関係する僧侶の給与では高額ではないとしても中小企業の職員並み程度の人もいました。でもそういう人も住職をしている寺の収入ではなく、格の高い寺院で職員となって得た収入だったようです。私が見聞きした情報では、兼業と言っても、戦後のある時期のように全然別の仕事に就いて収入を得ている人より、格の高い寺院の職員として勤務をしながら寺を経営している僧侶が結構多いのではないかと思うのですが、データがないので、正確なところは分かりません。

 

たしかに人口減少は大きいかもしれません。しかし、それ以上に檀家制度自体が崩壊の危機にさらされていると思います。いや、葬儀、法要、墓に対する意識も大きく変わってきたと思います。いずれもその必要性、とくに僧侶との関係性が薄弱になっていると思います。それはそうでしょう。故人の具体的な生き方に触れた説教でもあれば別ですが、単に分からないお経を読んでさっと帰ってしまうといった儀式の形骸化した中では、僧侶・住職に対する信頼や尊敬といったものも生まれにくいのではないかと思うのです。

 

葬儀、法要、墓といったものが本来のインド仏教にとっては必須のものではないのですから、それが日本古来の習俗監修や神道、中国から伝来した儒教思想と融合して儀式化していったわけですから、それを仏教の担い手である僧侶がよほどがんばらないと人々にとっては必然のものとはならないでしょう。とはいえ、私自身社協の相談を長くやっていましたが、結構、死んだ後の葬儀はもちろん、墓のことを気にされます。仏教であれば宗派がどうのこうの、檀家寺がどうだとかといった相談がありました。いまの高齢者世代にとってはまだまだ息づいているのでしょう。これから先10年あるいは50年も経過するとどうでしょうか。

 

で、毎日記事が取り上げたのが、寺経営に困っている住職、ないしはその予備軍の副住職などを集めて、「未来住職塾」というのが最近人気を呼んでいるとのこと。本来、寺というものは、妻帯しないことが求められている住職が担うわけで、その子による相続継承なってものがありえないはずですが、事実は長年にわたり、寺は住職の家の家業となり、それを子が承継するのが当たり前になってしまっています。

 

親鸞は法然に妻帯を許され、子を残し、その子孫が天皇家並みというと失礼ですが、宗祖を何世代にもわたって継承しているのが浄土真宗です。しかし、その他の宗派も隠れ妻帯はいつ頃からか起こり、江戸時代の檀家制もあいまって、家業となって、長くその家系(養子も含め)が継承してきたのではないかと思うのです。

 

中小企業でも2代、3代と事業を継承するのが難しいわけです。まして経営をならったことのない住職の場合、檀家制度と葬儀・法要・墓といった体制が経営感覚がなくても安定した収入を得てきたのだと思います。といっても、檀家が数百人いて(家族を含めるとその45倍くらい)、墓地を保有している寺院なら安泰でしょうが、そういう寺院は限られます。すこし広い境内地があると保育園とかマンション経営とか、いろいろ手を出して経営破綻する武士の商いの例も少なくないのは当然です。

 

ただ、広大な境内をもつ地域の中心的な寺院だと、住職の風格も違いますし、余裕が感じられます。昔、そういった住職から業務の依頼がありましたが、高級車を運転手付きで乗られていて、住職というのはたいしたものだと感心したこともありました。でもそれは例外中の例外ではないかと思います。

 

普通は、住職も、跡取りが仏教に関心がない、修行が嫌い、とても厳しい修行に耐えられないと、僧侶の道に入るのを嫌がる子をなんとか僧籍をとらそうと苦心惨憺しているのが現実ではないかと思います。しかも宗教関係の大学に行かすにもそれだけの経済的余裕がなく、子もアルバイトしながらなんとか大学を卒業するといった状況を、その子が刑事事件を犯したことから私が担当して知ったこともあります。その外にもいやいや修行を続けている子の事件を担当したこともあり、家業の継承というのなかなか大変だとおもった次第です。

 

で、問題は「家業」である寺を継ぐことができたとしても、その経営を行い、安定した収入を得るようになるには、より大変です。むろん大きなお寺の場合はいろいろな安定収入があるので、そういった心配が少ないところもありますが、それは例外でしょう。

 

未来寺塾の<「塾長」の松本紹圭(しょうけい)さん(37)>が経営を伝授しているわけですが、それはたしかに経営破綻して檀家が困るといったことにならないように、このような経営塾も俗の社会では意味があると思います。しかし、そもそも全国の寺院の中で、宗教法人法で求められているのは俗社会、まいえば、一般社会で、求められている多くの事項がきちんとなされているかというとはなはだ悲しい現実があると思います。

 

宗教法人の経営組織としては代表役員と責任役がいます(18条)。そして「宗教法人の事務

責任役員の定数の過半数で決し、その責任役員の議決権は、各々平等とする。」(19条)と当たり前のような規定がありますが、このような法が予定している議事が行われ、議決が行われている宗教法人がどのくらいあるでしょうか。さみしい状況だと思います。

 

また重要な財産処分については、次のような財産について公告が義務づけられていますが、どの程度履行されているか、疑問があります。

 

「(財産処分等の公告)

第二十三条  宗教法人(宗教団体を包括する宗教法人を除く。)は、左に掲げる行為をしようとするときは、規則で定めるところ(規則に別段の定がないときは、第十九条の規定)による外、その行為の少くとも一月前に、信者その他の利害関係人に対し、その行為の要旨を示してその旨を公告しなければならない。但し、第三号から第五号までに掲げる行為が緊急の必要に基くものであり、又は軽微のものである場合及び第五号に掲げる行為が一時の期間に係るものである場合は、この限りでない。

 不動産又は財産目録に掲げる宝物を処分し、又は担保に供すること。

 借入(当該会計年度内の収入で償還する一時の借入を除く。)又は保証をすること。

 主要な境内建物の新築、改築、増築、移築、除却又は著しい模様替をすること。

 境内地の著しい模様替をすること。

 主要な境内建物の用途若しくは境内地の用途を変更し、又はこれらを当該宗教法人の第二条に規定する目的以外の目的のために供すること。}

 

こういう俗社会が要請する宗教法人法のたくさんある事項について、どの程度「家内事業化」している寺院において履行しているか、はなはだ疑わしい状況だと思います。

 

私自身、ある寺院の宗教法人法に定める各種法定事項を整備すべく長年支援してきました。その寺院はそれなりにある程度は履行してきていましたが、十分ではなかったので、その制度作りを行ってきました。

 

未来塾の塾長は経営と言われています。そのとおり寺院事業の経営をきちんとする必要があります。会計処理においても寺院と家計の分離は当然です。それに加えて経営ですから労務管理もしっかりしないといけませんん。就業規則をはじめ雇用環境も適正に整備する必要があるのです。

 

経営のあり方は、記事では紹介されていませんので、あえてここではとりあげませんが、むろん収益事業を営むことが主たる目的ではないので、勘違いされると困ります。

 

それはおいておいて、住職・僧侶のあり方について、より整理された私も賛同する見方をされている意見を紹介します。大阪府などのご意見番的な立場、あるいは築地の豊洲移転問題、東京五輪の事業費問題に鋭く冷静に意見を述べてきた上山信一氏です。

 

ちょっと古い情報ですが、日経ビジネス<これからのお寺はNPOになれ>という見出しで述べています。

 

先祖代々の墓などについては、<釈迦の説いた本来の仏教では、人は死んだら49日を経て人や動物に生まれ変わる(輪廻)。だからちょっと不謹慎な物言いかもしれないが、元祖仏教的には、私たちはお墓の前で泣く必要はない。なぜなら「そこに私はいません。眠ってなんかいません」という状況だからだ。この意味でヒットソング『千の風になって』は元祖仏教的に正しい。>というのは私たちが四半世紀前に始めた葬送の自由を進める運動の出発点でした。

 

<お葬式や法要は仏教だけでなく儒教や神道の風習もパッケージにした“パック商品”で、それをお寺と僧侶が一手に引き受けている。いかにも雑食性の日本らしい展開である。>といのは上山流で切れ味がいいですね。

 

上山氏は<もっと生きている人を助けよ>と活を入れて、<日本では年間約3万人弱が自殺するが、その責任の一端はお寺にもあるのではないか。僧侶は仏壇や墓に向かい死者を弔う。それはもちろん十分に尊いことであり、遺族の心を癒す。そして世の中に欠かせない大事な役割でもあるが、それだけでよいのか。本当は、悩み苦しみ自殺を考える人々にも向きあうべきではないか。>と言うのです。まったくそのとおりです。

 

僧侶は、庶民に支持されたのは官僧ではなく、国家から否定された民間僧です。行基がいい例です。彼は国家が認めた僧のみしか宗教活動が行えない時代、人々の救済活動を率先して行い、橋をかけたり、道を作って庶民の生活を便利にしたり、飢餓や病気で苦しんでいる人に食料や薬を配布するなど行ったわけです。寺院にこもって国家安寧を祈って仏法を説いていません。その行基らの活動を禁止して信仰活動を一旦否定した律令政権は、仏教を広げるためには、また東大寺大仏を築造するためには、あまりに人気のある行基に頼らざるを得なくなり、こんどは大僧正までの地位を与えたわけですが、それは余禄みたいなものでしょう。

 

僧侶として期待されるのは、生きている庶民のいまを助けることでしょう。空海も各地で空海伝説が残るのは、庶民の助けを求める声を聞き、各地に出かけていった、あるいはそう会って欲しいと願った庶民の意識が生んだものではないかと思うのです。

 

上山氏は、さすが目の付け所が違います。彼は<これからのお寺は駆け込み寺になってほしい。>というのです。そうです。いま世の中で必要とされているのは心のケアでしょうか。精神科医や心療内科医などによって救われる場合もあるでしょう。しかし心の悩みはけたはずれていろいろです。医学的知見や社会福祉、法曹的な知見などこれまでの実践的知見だけでは有効でない場合が少なくないと思います。そのとき幅広い、深い心持ちで対応してくれる僧侶がいれば、それこそ真の阿弥陀様、観音様ではないでしょうか。

 

僧侶は少なくとも法要のときは自由に他人の家に入って自由闊達に意見を述べ、また聞くことも出来ます。法要の時期だけに限定する必要は仏法の決まりにありません(法要自体が仏法の要請ではないわけですから)。

 

上山氏の話は見事です。<僧侶はたいがいの家の中に入って行くことができる。そして仏壇にたどり着き、家人と話ができる。定期的に訪問するので、その気になれば家の中の様子が定点観測できる。「もしかして、子どもが虐待されている」、「このところ夫婦仲がよくない」などと気付く。仏壇でお経を読んだあと、ちょっと話しかけてみたらどうだろう。ふと気が楽になって、悩みを語り出す人もいるのではないか。>

 

たしかあの「寅さん」の映画で、住職の代わりをやって自由奔放に話して大受けしたストーリーがありましたが、いま求められているのはそういう住職ではないでしょうか。

 

そして上山さん、<人に真向かえば、檀家寺の未来も明るいのではないか。そして、たった1人の自殺未遂者でも救うことができたなら、それこそが僧侶の道を選ばれた本望となるのではなかろうか。>とおっしゃる。そう人一人助ける、あるいは助ける努力をする、それがいまの僧侶、住職に求められていることではないでしょうか。

 

寺の経営といったしょぼい話しではなく、もっと明るく、人間味のある僧侶・住職の姿を見たいと思うのは私だけではないと思うのです。

 

今日はこれでおしまいです。


「業務の棚卸し」? <はたらく 時間内で成果、個人でも改革>を読んで

2017-04-18 | 働くことを見直す

170418 「業務の棚卸し」? <はたらく 時間内で成果、個人でも改革>を読んで

 

昨夜は強風と雨がたたきつける音で真夜中に目覚めてしまいました。昨日は予想に反して終日雲行きが怪しいものの、雨も小降りで風もさほどでなく、夜は朝日を浴びたいため雨戸を開けて寝てしまいました。その雨戸のがたがたなる音も気になりました。

 

明け方、外を見ると、高野の山々付近はまだ異様な感じの雲が長く漂っていて、まるで幕別のバーナムの森のように、いつこちらに向かって襲ってくるかと思うほど、不吉な感じになりましたが、それは思い過ごしでした。反転して北の空を見上げると、青空が少しのぞかせていて、天候の回復が間近であることを感じさせてくれます。

 

さて今朝の毎日は諫早開門差止を認める長崎地裁の判決が大きく取り上げられ、開門を求める漁業者と判決を支持する営農者との対立構造が今なお解決不能な状態であることを痛感してしまいます。また、築地の豊洲移転問題も、移転支持派と反対派との譲れない対立がまるで無限の延長戦状態で、小池知事による決断が難しい状況に陥っているようです。土壌汚染の先例でもある、豊島不法投棄事件と後処理が20数年経過して今なお継続している状況を「記者の目」は当時の廃棄物処理法のざる法の問題と、行政トップの対応に問題があったことを指摘しています。これだけでもそれぞれ重要な問題で議論するとなかなか深刻で簡単には整理できないと思います。

 

今日は、昨日取り上げることができなかった働き方改革の問題について、少し私も悩んでいるので、言及してみたいと思います。毎日<はたらく時間内で成果、個人でも改革>は、制度的な見直しとともに、個人的なレベルでの働き方を変えていく取り組みの必要を指摘して、いくつかの企業内での取り組みを紹介しています。

 

その中で興味を持ったのは<「業務の棚卸し」>というキーワードです。長時間労働、長時間残業など、日本企業特有の問題は日本社会に長く根ざしてきた企業慣行かもしれません。しかし、元々日本人が長時間勤務を当たり前としてきたかというと、それは違うと思うのです。少なくとも維新前は、あるいは戦前までは違っていたと思うのです。

 

以前にも引用した日本書紀の第17条憲法で厩戸皇子は官僚が朝早くから出勤してしっかり仕事をすることの必要性を説いています。少なくとも7世紀初頭ではそのような働き方が普通だったのでしょう。その後も平安期はもちろんさほど大きな変化はなかったのではないかと思っています。ちょっと今文献を当たることが出来ませんが、藤沢周平の「たそがれ清兵衛」を映画で見ましたけど、役人たちもあのように時間が来ればたそがれ前には仕事を終えてしっかり家路に向かうか、一杯でもやっていたのではないかと思うのです。

 

江戸時代の武士たちの仕事ぶりはどこかに書かれていましたが、似たような状況だったと記憶しています。企業も工場もない社会、資本主義の影も形もない社会では長時間労働なんてだれも考えもしなかったのではないかと思うのです。

 

さて脱線はそこまでとして、いまの長時間労働はまともではないでしょう。カナダ・アメリカでは夕方になると家路を急ぐのが普通でしょう(巨額を稼ぐ経営者や専門家は別でしょうけど)。自宅で家族との晩餐が大事なわけです。そして食事後にまたエンターテインメントを楽しむため外出するといった具合でしょうか。ヨーロッパの先進国も同じようなものではないかと思うのです。

 

政府が残業時間の規制を推し進めたりしても、企業や企業社会の体質、そして構成する社員一人一人の意識が変わらないと、簡単には仕事以外に時間を使うだけの余裕がない状況ではないかと思います。

 

そういう中で、「業務の棚卸し」を導入することによって、業務の効率化(労働時間の短縮)を目指している企業、社員がいます。それによると、業務を分類しないまま仕事をすることで、①作業時間、作業頻度が不明確となっていて、②不要、不急の作業に時間がかかり、その結果③業務が非効率化していたというのです。これに対し、業務の棚卸しにより、「業務を細かく分類することで、①業務量から作業時間、頻度を算出し、②業務の優先付け、残り時間の把握ができるようになり、③業務の効率化を達成できるというのです。

 

まだ、業務の分類のイメージがはっきりとはつかめませんが、毎日記事によると<化粧品開発・販売会社ランクアップの川口真紀・製品開発部マネジャーは午前9時から午後4時までの短時間勤務で働く。>これを短時間とみるのはどうかと思いますが、それだけこれまでは長時間労働だったわけでしょうね。

 

川口さんの効率化された仕事はというと、<午前8時半過ぎ、朝礼の途中で出社すると、まずは社内で共有しているスケジュールや朝礼内容を確認し、メールをチェック。その後は会議や面談が続き、終業前1時間で再びメールを確認、スケジュールや資料を作成する。帰りの電車の中でライバル社の動きや仕事で役立ちそうな情報をチェックしてウェブ上で共有する。>まだこれだけで、なにが効率化したのか私にはいまいち理解できていません。

 

次の記事を読むと少しは見えてきます。<「以前はその日の仕事が終わるまで仕事するという感覚だったけれど、今はスケジュール管理が絶対です」と川口さん。変化のきっかけは、2015年に会社が導入した「業務の棚卸し」だ。日常の業務を細かく分類し、一つ一つの作業がどのくらいの頻度か、かかった時間や重要度を可視化する。>

 

この業務の棚卸しで、どのように業務を分類し、その業務ごとの作業頻度や時間を可視化するかがポイントであることは分かります。

 

その点より具体的に取り上げています。<「例えばネット上の情報収集や考える作業に時間をかけ過ぎて、一番大事な製品企画の時間が足りない場合があった。業務の棚卸しによって、タイムリミットがある中、生産性を高くするには、『今何が最優先されるべきか』を常に自問します」。続けるうちに、目の前の仕事にどれくらいの時間がかかるか、感覚で分かるようになり、効率的な仕事ができる。>

 

ここでは業務の分類として、①ネット上の情報収集と考える作業、②製品企画の二つが分類されています。そしてどうやら2つの業務のうち、優先度は②が高いという価値評価が入ることが分かります。

 

ここで別の取り組みの話しになっているため、テクニカルな意味で、業務の棚卸しの分類方法や基準、その時間、頻度、優先基準といったものについて、誰がどのように収集してそれを業務の効率化に生かすのかが、いまいち分かりかねています。

 

この業務の棚卸しといったことは、人事管理を担う場合、常に意識しているのではないかと思うのです。四半世紀前でしたか、東京弁護士会でも似たような話があり、職員の個々の業務内容を分類し、それぞれの作業時間、頻度を個々に把握するといった取り組みの話しがあった記憶ですが、それがどうなったか思い出せません。

 

それはともかく私はいまある組織で、同様のことをやろうかと検討してきましたが、それには職員の理解と協力なくしては困難です。そのような分類作業自体に時間を割くことはその分、それが効率化にならないと、余分の作業負荷となりかねません。

 

私自身は、業務内容を分類して、それぞれの作業の要否、他に代替可能かどうか、職員の作業配分の見直し、優先順位とそのスケジュール化、その進行管理などを、数値化して情報共有していくことにより、全体での業務の効率的運営に資するように思っています。

 

ちょっと話しは違いますが、昨夜のNHK番組だったと思いますが、早大ラグビー部のコーチが選手個々の日々の体調管理、トレーニングの負荷程度を選手個人がチェックして、数値化し、調子のリズムを見ることにより、怪我や故障を少なくし、また、試合でのベターないしはベストの体調にもっていくよう、コーチと選手で可視化した情報共有していることに、ある種納得できるものを感じました。

 

たしか駅伝3連覇の青山学院大学でも、似たようなことをやっていたかと思います。それを最近優勝から遠ざかっている名門早大ラグビー部の復活をかけて、より徹底したIT管理を目指しているように思えます。

 

アスリートたちの能力アップのための手段は、いま問題にしている働き方改革における効率化・そして労働時間の短縮は同じようにはいかないでしょう。しかし、いまはやりの可視化と情報共有は、それぞれの仕事の意味づけ、価値、優先度、事業化の目標の明確化など、さまざまな場面に影響を与えると思うのです。

 

そして目標は、何かというと、上記企業では退社時間を4時にするということ、それに応じて業務内容の優先順位を明確化すること、それを企業全体で共有して理解できるようにすること、それによって、ある種の作業はやらなくてよいとか、先に延ばしてよいとか、個人の判断ではなく、組織全体で意識し、理解し、決定できるようになり、すると、そのような分類と作業の短縮化は他のメンバーも当然可能になり、全員が4時に退社できることになるかもしれません。

 

といって、私は短時間労働がベストとは思っていません。好きなように仕事をすれば、それは長時間であってもあまり関係ないことです。無理に強制された仕事をしている限り、4時間でも長すぎると思います。

 

まだまだこの問題は整理できていない中で、思いつきで書いていますので、いずれまた改めて、自分の取り組みとの関係で参考になるものができればこの場で紹介したいと希望しています。いつになるかは神のみぞしるでしょうか。

 

今日は夕方前に終わりにします。久しぶりに早いブログの終わりになりました。この後会合があり、戻って書くだけの元気がないと思うので、無理に終わらせています。ではまた明日。


学芸員を考える <山本地方創生担当相 「がんは学芸員」発言を撤回>を読んで

2017-04-17 | 日本文化 観光 施設 ガイド

170417 学芸員を考える <山本地方創生担当相「がんは学芸員」発言を撤回>を読んで

 

今朝は異様な空模様です。雲の動きが活発で見事な墨絵の世界を描いたかと思いきや荒れ狂う荒らしのようにも見えてきます。それでも一筆啓上・・・のホオジロが高らかに歌っています。そうかと思えば色鮮やかなジョウビタキのつがいがうれしそうに飛び交っています。ラジオから流れる天気予報は雷雨、豪雨のおそれということで、つい雨戸を閉めることにしました。私はあまり雨戸を閉めるのが好きではなく、雨が降る様子を眺めるのが好きです。歌川広重の東海道五十三次・庄野宿・白雨のような風景を眺めるのが好きです。が、留守の時は何が起こるか分からないので、台風並みの豪雨であれば雨戸もやむなしでしょうか。

 

昨日たしか、わが家の擁壁降りをチャレンジする話しをしたと思います。ロープを持ってきて、擁壁を見たのですが、どうもぶり縄用のロープが身近すぎるようで、継ぎ足してはみたものの、途中で引っかかっては大変と思い、断念しました。というか、庭いじりで疲労困憊していたため、それだけの体力も残っていないことが主たる理由かもしれません。いや、別理由でしょうか。

 

ロバート・ダウニー・Jrが演じる新しいスタイルの映画シャーロック・ホームズで、相手の攻撃に対しどう対応するかをシミュレーションするのを、この擁壁降りもロープを使ってシミュレーションしてみましたが、どうも降りるのはなんとかいけそうなんですが、登るときがイメージできません。これは大変。登るときのロープの動きが見えてこないのです。これは少し時間がかかりそうです。そんないろいろの理由を繰り出して、一時断念を自分で弁解しています。

 

さて今日は内容証明一本といくつか仕事をさばいて、少し余裕があったので床屋にも行き、来客を待つ間に、少しブログ書きを始めています。そろそろ今日の本題に入ろうかと思います。

 

驚きましたね。昨日私が学芸員の方々たちの活躍をたまたま取り上げたら、その学芸員をガン呼ばわりして、一掃する必要があるとまでのたまう大臣が出てきました。すぐ撤回したそうですが、なんとも恥ずかしい話しです。

 

とはいえ、私も学芸員の方とはさほど話した経験があるわけではなく、仕事ではたぶんなかったように思います。趣味の世界では時折話しを伺う程度ですので、私もその実態を知っているわけではありません。

 

さて、毎日16日記事<インバウンド山本地方創生相「学芸員はがん。一掃を」>では、<山本幸三地方創生担当相(衆院福岡10区)は16日、大津市での講演後、観光やインバウンド(訪日外国人)による地方創生に関する質疑で、「一番のがんは文化学芸員だ。観光マインドが全く無く、一掃しないとだめだ」と述べた。>と報じられています。そして<【動画で見る】山本地方創生相の発言>では、京都・二条城での対応を取り上げてやり玉にしています。

 

しかし、<現場の学芸員「事実誤認」「理解ない」>では、<山本氏は二条城について「文化財のルールで火も水も使えない。花が生けられない、お茶もできない」などと発言。>に対し、<管理する元離宮二条城事務所の久野育・総務課長は「基本的にかなりの事実誤認があると思う」と首をかしげる。

 昨年10月のイベントでは国宝・二の丸御殿の大広間や黒書院などで能や生け花が実演されており、久野課長は「そもそも担当相が二条城に来られたわけでもなく、さまざまな報告を読んで勝手に間違ったイメージを作っているのでは」と疑問を呈した。>とのことで、そのとおりでしょう。

 

インバウンドはたしかにその意識が必要でしょうが、それは学芸員のみを問題にする話しではないでしょうし、そもそも学芸員の活動実態という事実をよく認識した上で、担当大臣として発言すべきでしょう。

 

そもそも山本大臣は、いま人気のNHK番組「ブラタモリ」を見たことがあるのでしょうか。この番組の面白さはタモリの博識と女性アナのとんちんかんな応答を絶妙に組み合わせている点もそうですが、やはり学芸員の演出力や知見によっている部分が大きいと思います。

 

また、昨日紹介しておりますが、文化財レスキューといった活動だけではありません。学芸員の方々のボランティア活動もさまざまな場面で見られます。私もいろいろな深みのある蘊蓄を吐露していただき参考にさせてもらうことが少なくありません。

 

そして毎日記事でも指摘されていますが、学芸員は博物館法で登録博物館では必須の職員とされています。

 

同法4条の当該規定を援用します。

「3  博物館に、専門的職員として学芸員を置く。

 学芸員は、博物館資料の収集、保管、展示及び調査研究その他これと関連する事業についての専門的事項をつかさどる。」

 

そして博物館法にいう「博物館」は狭義の博物館だけではなく、とっても広範囲なのです。美術館・天文台・科学館・動物園・水族館・植物園なども含まれます。

 

博物館法2条に「博物館」の定義規定があります。

 

「歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む。以下同じ。)し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、

その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関(中略)のうち、

地方公共団体(中略)が設置するもので、・・・登録されたもの」とされています。

 

「歴史、芸術、民族、産業、自然科学等」が対象ですから、とても広いのです。しかも「教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し」ですから、パブリックユースを本来目的にしています。しかも「レクリエーション等に資する」ことも重要な目的となっているのですから、本来、インバウンドと相容れないような利用方法になるはずがありません。

 

むろん、中には「調査研究」を追求してそれに固執する学芸員もいるかもしれません。しかし、それも時代の要請により、重点の置き方が変わる程度の話しであり、あるいは、いままで重視されていなかった演出の仕方もこれからう「創出」されるかもしれません。

 

繰り返しますが、動物園や水族館、植物園も博物館なのです。そこに所属する職員が学芸員というわけではありませんが、学芸員の深い教養と専門的知見が最近はやりの見事なエンターテインメントの舞台形成にも役立っているはずです。私も子どもが幼い頃、よく通ったところですが、大人も子どもも楽しめるようにさまざまな演出・工夫がされてきたように思います。上野動物園、旭山動物園、品川水族館、沖縄美ら海水族館などなど、あげればきりがありません。

 

それぞれの博物館も、年々歳々同じようなことを繰り返してきたのではなく、脱皮の繰り返しであり、破綻状態から学芸員を含む多数のスタッフによる創意工夫で誰にも好かれるような博物館に這い上がってきたところも少なくないのは、TVなどで紹介されています。

 

最後に、これは学芸員プロパーではないですが、たまたま昨夜見た<NHKスペシャル 熊本城再建“サムライの英知”を未来へ>を見ての感想を付け加えたいと思います。

 

熊本地震で崩壊寸前になった熊本城の石垣の映像は、何度見ても驚嘆に値します。一列の石垣だけで上の城郭を支えている姿にはほれぼれします。そしてこの番組では、その石垣の叡智に迫ります。それは歴史家、地盤工学、城郭研究など各界の専門家が集まり、石垣の全体形状、石垣一つ一つまで分析しつつ、謎の秘密を追求するのです。

 

そもそも反り返った石垣の形状については、兵士が上れないようにという軍事目的であったというのが一般的な理解だったと思います。しかし、この調査の結果、耐震性のための科学的知見に基づいた合理的なものであったことが推認されました。現代でも難しい数式でその石垣の形状が構成されていたのです。三角形の高さを上に上がるほど低くしていくことにより、耐震性が強化されるというのです。

 

さてこれを考えたのが築城の名手といわれる加藤清正とのこと。「サムライの英知」だとして番組はその経緯をも探ります。築城が1599年。清正は、朝鮮出兵のとき、1593年に韓国ウレサン市にあるソセンボ倭城を築城していますが、その石垣の形状は直線的なもので、耐震性の点では従来通りのものとして劣ります。番組ではこの間の6年になにがあったかを探り、1596年に起こった慶長伏見地震を取り上げ、そのとき伏見城が全壊したことから、清正が反り返り構造を発見したというのです。

 

さてさてここは私自身、まだ合点がいきません。そもそもなぜ清正なのか。彼は賤ヶ岳の七本槍の一人で、腕に自信があったことは確かでしょうが、では築城の技術はどこで得たものでしょうか。そこはいまのところ私自身理解できていません。いや、私自身は、ほんとうの発明者は石積み技術をもつ専門家ではないかと思っています。いわば企業内研究者のようなもので、実際は研究者、あるいは研究チームが発見したが、企業が特許権を持つといったようなものではないかと思うのです。そして当時は企業に代わって、武家集団のトップであり、大名となった清正が築城の名手という特許権を獲得したのではないかと愚考しています。

 

では、その技術者ないしはその集団はどんな人たちかです。私は、紀元前から長い築城経験をもつ朝鮮の技術者集団が日本の技術者集団と協力して、台湾企業とシャープのように、創造的発展をして、新たな築城技術を生み出したのではないかと想像しています。いまは何の根拠もありませんが、当時、朝鮮から大勢の技術者が強制的にわが国連れてこられ、九州各地で新たな文化を生み出していますが、築城においても似たようなことがあったのではと推測するのです。

 

学芸員の話から脱線しましたが、途中、来客対応をしたこともあり、2時間を優にオーバーしました。まとまりがないのはいつもの通りですが、なにか忘れ物をしたように思いつつ、それなりに満足して今日は終わりにします。


埋もれた文化の助っ人たち <災害と文化財 77施設でネットワーク 収蔵品保全へ情報共有>を読んで

2017-04-16 | 災害と事前・事後

170416 埋もれた文化の助っ人たち <災害と文化財 77施設でネットワーク 収蔵品保全へ情報共有>を読んで

 

昨日は天候の乱れに油断しました。春うららかな日和と思って洗濯物を珍しく外の干しで出かけていました。夕立ほどではないですが、雲行きが怪しくなったと思ったら、突風が吹き、細かな雨が落ちてきました。案の定、無残に乾いていたはずの干し物がびっしょりでした。これも天運ですから、と昔の人の心意気で受け入れることで心も安らかになります。

 

今日はほんとに穏やかな一日のようで、もうNHK囲碁トーナメントも終わりのんびり状態です。趙治勲名誉名人が負け戦をまるで関ヶ原の薩摩軍のごとく堂々と四目半で終着。午前中は庭いじりをして、また花の苗を100近く買ってきては植えて、少しは花園?に近づいてきたとまでは思いませんが、気分転換にはちょうどいい作業です。

 

庭いじりしていて気づいたのですが、庭の背後の斜面は高さが7mはありそうで、勾配も70度以上に見えます。間知擁壁ではないかと思うのですが、首都圏の政令都市などで制定している、最近の宅地造成法などの擁壁構造基準だと、高さが5m以下で勾配が65度以下となっているかと思うので、地方だから、あるいは古い時代だから、OKだったのでしょうか。それはともかく、その擁壁底部には枯れ草が伸び放題です。咄嗟にこの擁壁を降りてみようかと考えるところが私らしいところです。

 

私はカヌーイストの端くれですので、川を見るとどうやってカヌーで下ろうかとか、つい思ってしまいますし、海に出ればあの島の周りシーカヤックでのんびり回ってみたいとも思うのです。そして沢登りストというのはないでしょうが、崖を見るとどうやって登ろうかと思うのと同時に、どうやって降りようかとも思うのです。

 

昔、40年以上前、ダム開発調査のお手伝いをするアルバイトをしたことがあり、これは大変な作業でしたが、とてもいい経験になりました(今はダム開発反対の立場で動いているのですから不思議なものです)。そのとき、だれが言い出したのか、消防士の経験者がいたのか、ある高さ5mないし10m(このあたりの記憶はありません)のコンクリート擁壁をロープで降りる練習をしようという話になり、私も参加して、そのときはできた記憶です。そのときのアドバイスは、壁に直角に脚を向け、体は脚と直角に曲げるということでした。

 

それで今はやりのウェブ情報を探ってみたのですが、海兵隊からフリークライミングまでいろいろな情報がありました。しかし、最近の登山道具を使ったもので、ロープだけを頼りにするものは見当たりませんでした。これはやるしかないと、枝打ちように使っているぶり縄のロープを用意して、この後か明日でも挑戦してみようかと思います。失敗したら大けがもありうるので、そうしたら、このブログもしばらくお休みになるかもしれません。とはいえ、私もそれなりに慎重なところもあり、年寄りの冷や水と言われないように、危ないと思ったら辞めます。途中で引き返せないので、要は降り出しの瞬間が判断の分かれ目です。この成否は明日?でも報告しましょう。

 

さて、ここまで書くのに一時間近くを要したようです。実は我孫子の女児殺害事件について、容疑者が保護会会長で児童たちを見回る前線にいた人ということから、安全のあり方、リスクへの対処について書いてみようかと悩んでいました。ただ、この件は当分の間報道されるでしょうから、別の機会に譲りたいと思います。

 

で、時にはいい話をと思い、毎日記者・稲生陽氏が和歌山版で、連載している途中ですが、見出しのテーマを取り上げたいと思います。

 

わが国は自然豊かな国土をもっているとつくづく思うと同時に、各地で災害が頻繁に起こることも外国で生活していた経験から痛感します。首都圏で暮らしていると、とくに軟弱地盤の上で暮らしていたこともあり、頻繁に地震の揺れが襲ってきて不安な思いをしていました。カナダで滞在していた頃は、寒さは厳しいものの、地震や津波といった災害の危険をまったくといってよいほど感じたことがありませんでした。

 

そして災害が起きると、障害のある人たち、病気を抱えた人たちは、その他変化に対応することが苦手な人たちは災害弱者とでも評されましょうか、一般の人以上に大変な思いをされるでしょう。それでも最近はようやくこういった災害弱者に対する対応が徐々に整備される方向に一歩前進といったところでしょうか。

 

これに反し、物言わぬ、というか自ら救済を求めることが出来ない物の場合(生物もそうですが、ここでは物に限定)、救済する意識を私たちが抱かないと、埋もれたままというか、災害まではなんとか長い風雪を耐えて存在し続けてきたのに、災害によって存在したことすら分からないまま、自然と一体となるというといいですが、現実には消滅してしまうことが少なくないのが現状ではないかと思うのです。

 

文化はいろいろな物に体現されています。古文書や仏像、生活道具などなど。それらが解読、解析されることにより豊かな文化の営みを知ることができ、私たちの心の豊かさを育んでくれることも少なくないでしょう。

 

ところが、その豊かな価値に気づかなかったり、信仰の対象とか自分の物だからとかの理由で特定の人や団体だけの世界の中にあると、災害時救済されないおそれがあります。

 

毎日記事<研究者らがレスキュー 歴史の痕跡、後世に>によると、このような文化的危機の状況にいち早く気づき、文化財保全に立ち上がったのが<藤本清二郎・和歌山大名誉教授(76)=近世史=>です。藤本氏は、2011年9月の紀伊半島豪雨災害のとき、<発生5日後の同月9日、自ら呼び掛けて、博物館の学芸員や大学教員、歴史ファン、一般市民らとボランティア団体「歴史資料保全ネット・わかやま」を設立し、「文化財レスキュー」に着手した。>そうです。

 

「文化財レスキュー」というネーミングは、なかなかいい感じですが、文化財のみを対象としているわけではないそうです。文化財に指定されていれば、行政的には一定の対応が可能でしょうし、保全措置も予防的に行われてきたと思います。むしろ文化財に指定されていない多くの個人や地域の歴史・生活・文化を刻んでいる物こそ、埋もれた遺産ではないでしょうか。それらをも対象とするレスキューだからこそ、余計大変ですし、事前対策が必要となるでしょう。

 

藤本氏は、<「文化財は人間が生きた痕跡だ。可能な限り残していくことが文化の豊かさを生む」>と語っています。誠にその通りだと思うのです。

 

連載2段目<散逸する「地域の宝」 生活道具、混乱で誤廃棄>で指摘されている<「古文書は古くて汚いから燃やしたなどというケースが多い」。>というのも分かります。まだ蔵の中にねむっているときはともかく、災害で泥にまみれたり、かび臭くなったりしたら、それだけで要らない物になってしまうでしょう。

 

私自身、生兵法で古文書を少しずつ読んでいますが、とても大変です。たいした内容ではないですが、江戸期の譲渡書などであることが分かると、歴史教科書の見方が生々しく変わってきます。田畑永代売買禁止令をもって江戸幕府による土地譲渡禁止を金科玉条のごとくとらえて、所有権を完全に否定し、他方で、明治政府による西欧文化導入を通じて、地租改正によって地主の所有権を認めたとか、明治民法によって近代所有権が確立したとか、といった見方の一面性を感じることが出来ます。土地の譲渡書は、江戸時代を通じて相当流布していたと思うのです。それを地方の百姓たちが普通に取り交わしていたことが鮮明に映し出されるのです。

 

さて話を戻します。<紀伊半島豪雨の際、泥水につかった文書を保全・補修する「文化財レスキュー」に中心的に関わった県立文書館の藤(とう)隆宏・文書専門員(43)>さんの言葉も重要です。<古文書は行政の文化財指定を受けていないものが大半で、災害時にはさらなる散逸が懸念される。藤さんは「行政の目が届きにくい未指定の文化財をどう守るかが文化保護の大きな課題となる」と対応の必要性を訴えている。>

 

見出しの毎日記事<77施設でネットワーク 収蔵品保全へ情報共有>では、上記の「歴史資料保全ネット・わかやま」とは別個の組織として、<「博物館や美術館は災害に遭った場合、早めに所蔵品の救助を要請して『助けられ上手』になろう。日ごろから連絡を取り合い、危機感が薄れないように努めてほしい」 >との考えで、<県内の博物館、図書館、歴史民俗資料館、各市町村教委などが参加する「和歌山県博物館施設等災害対策連絡会議」(和博連)が<文化財の災害対策に協力して取り組もうと2015年2月に発足した。県内の77施設・組織が加盟するネットワークで、伊東史朗・県立博物館長が会長を務めている。>

 

<「東日本大震災や紀伊半島豪雨の際、文化財レスキューで問題になったのは、どんな品がどこにあるのかすら分からないことだった。情報を共有し、助け合える関係作りが急務だった」>

 

<和博連は発足翌年の16年2月、収蔵品のある59施設に対し、各収蔵品の品目や数量などをまとめたリストを作って事務局の県教委文化遺産課に提出するよう求めた。

 しかし、これまでに提出があったのは、「該当品なし」とした施設も含めて19にとどまる。未提出の40施設は主に小規模館といい、このうちの一つで県中部にある施設の担当者は取材に「専門知識のある職員がおらず、どこまでがリスト化の対象か分からない」と話す。>と、予防的措置には、人的物的に十分でない状況が分かります。

 

私も当地で「大畑才蔵ネットワーク和歌山」の一員として活動を始めていますが、才蔵に係わる資料を含め、橋本市郷土資料館には多くの文化遺産ともいうべき物があります。この才蔵ネットワークもなんらかの協力ができるよう働きかけをしてみたいと思います。