170406 電子内容証明郵便 <しあわせのトンボ 春はどこから>を読みながら
今日は穏やかな一日でしたが、朝から来客、被疑者接見、電話に来客と、なぜか貧乏暇なしの忙しさで、終わって時間を見ると7時すぎ。時間超過もいいところです。
といっても誰も長時間労働とか、過労とかいってくれそうもないし、私もそうは思っていませんが、ブログを書く時間が最近、どんどん減ってきている印象です。そんなわけで考える余裕がいつも以上になく、ひょいと浮かんだのは、なぜ忙しくなったかの一つは、電子内容証明郵便を出すのにとっても時間がかかったことに思い至ったのです。
私が電子内容証明郵便を使い出したのは、おそらく開始当初の2000年頃でしょうか。記録を調べないと正確な時期は思い出しませんが、これは便利だととびつきました。
どうしてかというと、普通の内容証明郵便だと、用紙が決まっていて、行数、一行当たりの字数制限があります。当時は縦書きですので、ちょっと横文字を入れるのも大変です。また画像なんかも入れることが出来ません。それ以上に不便なのは、中央郵便局まで持って行って、窓口で本人、相手方(これが多ければその分)、郵便局控えの3部(ないしそれ以上)を用意して、全部について、字数制限等のチェックがされないと出せないのです。
当然、中央郵便局といっても地方だと、さほど内容証明郵便を扱ったことがないので、とても時間がかかります。それが枚数が多いと余計です。でも郵便局によってはとてつもなく素早くやってくれる担当者がいるところがあります。どこでしょう。予想できるでしょうか。
当時郵政省があった省内の名前はたしか霞ヶ関郵便局?だったか、でしょうか。いやいや、東京駅前の東京中央郵便局でしょうか。私の知る限り、これらの郵便局も、横浜を含め他の中央郵便局よりは早いと思いますが、それ以上に素早いのは・・・・東京地裁・高裁合同庁舎の地階にある郵便局だと思います。(名前は失念)
ここはほんとに早いのです。法律事務所職員や企業関係の人も列をなして内容証明郵便をたくさんもって待っていますが、あっという間にチェックしてしまいます。これもプロフェッショナルの技でしょうか。むろん私の知らない、大企業、とくに銀行関係は大量の内容証明を出すので、そういうところが利用している素早い郵便局もあると思いますが、裁判所の地下に勝てるところはそうないのではと思います。
これが10数年ないし20年くらい前の話です。そんな時代に、電子内容証明郵便を知ったときは、手放しで喝采です。なにせ当初の段階は、書式も字数も自由で画像も入れられ、時間は24時間いつでもOK、待ち時間なし(その後も待ち時間はないのですが、郵便局で発行する時間が多少遅れる段階になっています)。ストレスがなくなりました。
それでそれ以降は電子内容証明郵便に頼りきりです。ところがITのあるいはマイクロソフトによるワードソフトやエクスプローラーの進化が早すぎて、郵便局の対応が遅く、次第にいろいろと切り替えに手間がかかるようになりました。やっと新しい様式に慣れたかと思ったら、すぐにまた新しくなり、その進化に追いつくのも大変ですが、依存症みたいな状況で、電子内容証明を手放すことが出来なくなったのです。
そして今は、結構、最悪状態になりつつあります。最新のウィンドウズになり、オフィスソフトになってから、大幅にチェンジして、書式や書体制限が厳格になり、いままでの自由な方式がまったく使えないどころか、原案を用意していて、コピペで新書式に移すこともできなくなりました。
そのためストレスがかかり、時間もかかっています。原案はさほど時間がかからないで作ることが出来るのですが、なかなか電子内容証明の新方式が自分のものになっていないため、何度も繰り返す羽目になっています。それで今日も大きな時間ロスとなりました。
おそらく郵便局用の内容証明用紙を持参してやる方式は、こんなに電子内容証明が不便になってきても、まだましかと思っていますので、郵便局にその用件で出かけることはないでしょう。不満ばかり言ってしまうのは、懐古調かもしれません。それでも現行の電子内容証明郵便も、まだ便利さが残っているということでしょう。
そんな便利とか不便とかという話しよりは、見出しの<しあわせのトンボ春はどこから=近藤勝重>の話しの方が一日の終わりとしては、どれだけ休まるかと思います。
<春が来た、と歌う。どこに来た、と歌い、山、里、野と歌う。でも、どこから来たか、とは歌わない。>と春がどこから来たかを歌わない疑問とその解を次のように言っています。
<恐らくこうではなかろうか。天候の推移で四季がある。それは当然のことでも、とりわけ春が来た喜びは他のどの季節よりも大きい。人々の明るい装いにあふれる日の光、日のぬくもり。頬に優しい風と共に、うららかな一日は日に日にのびてゆく。そして何よりも花の盛りの花時である。そこかしこに満ちる生気を頂いて、これ以上、何をか歌わん、そんなところではあるまいか。>
この解が腑に落ちるかどうかは別にして、春の素晴らしさを上げつつ、<冬場、雪国の人はどんな思いで暮らしているのか、瀬戸内の温暖の地で生まれ育った身には全て想像の世界でしかない。>と春を待ち焦がれる雪国の人への思いをイメージの世界でしか感じられない筆者の立場に言及する。私も同じ瀬戸内の育ちで、春を特別待ち焦がれることはありませんでした。
良寛さんのような生活をすれば、どれだけ春への憧れ、春が来たときの喜びが素晴らしいものでしょう。でも私は、四季それぞれにその良さを感じてきました。うだるような暑い夏、汗だくだくで仕事をする、そこに充実感、苦しみと喜びを感じてきました。だからでしょうか、赤道直下の熱帯を何度も訪ねることも厳しい自然を感じつつも楽しみました。
春秋の良さは誰もが感じるでしょう。でも厳冬の凍てつく寒さもまた自然の素晴らしさと感じるのも人として生きてきてよかったと思う季節です。そんな思いもあって、北極海沿岸まで出かけていったり、何度も北極圏を旅したのかもしれません。
とはいえ多くの多様な生物は、春を喜んでいるかもしれません。今朝もいろんな野鳥の鳴き声で目覚めました。生き物が快活に行動する、植物や昆虫、いろいろな生物が新しい季節の到来を祝福しているのかもしれません。
今日も1時間くらいブログ作成に時間を要しました。指の痺れが少し出てきたところで、おしまいとします。