たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

電子内容証明郵便 <しあわせのトンボ 春はどこから>を読みながら

2017-04-06 | 心のやすらぎ・豊かさ

170406 電子内容証明郵便 <しあわせのトンボ 春はどこから>を読みながら

 

今日は穏やかな一日でしたが、朝から来客、被疑者接見、電話に来客と、なぜか貧乏暇なしの忙しさで、終わって時間を見ると7時すぎ。時間超過もいいところです。

 

といっても誰も長時間労働とか、過労とかいってくれそうもないし、私もそうは思っていませんが、ブログを書く時間が最近、どんどん減ってきている印象です。そんなわけで考える余裕がいつも以上になく、ひょいと浮かんだのは、なぜ忙しくなったかの一つは、電子内容証明郵便を出すのにとっても時間がかかったことに思い至ったのです。

 

私が電子内容証明郵便を使い出したのは、おそらく開始当初の2000年頃でしょうか。記録を調べないと正確な時期は思い出しませんが、これは便利だととびつきました。

 

どうしてかというと、普通の内容証明郵便だと、用紙が決まっていて、行数、一行当たりの字数制限があります。当時は縦書きですので、ちょっと横文字を入れるのも大変です。また画像なんかも入れることが出来ません。それ以上に不便なのは、中央郵便局まで持って行って、窓口で本人、相手方(これが多ければその分)、郵便局控えの3部(ないしそれ以上)を用意して、全部について、字数制限等のチェックがされないと出せないのです。

 

当然、中央郵便局といっても地方だと、さほど内容証明郵便を扱ったことがないので、とても時間がかかります。それが枚数が多いと余計です。でも郵便局によってはとてつもなく素早くやってくれる担当者がいるところがあります。どこでしょう。予想できるでしょうか。

当時郵政省があった省内の名前はたしか霞ヶ関郵便局?だったか、でしょうか。いやいや、東京駅前の東京中央郵便局でしょうか。私の知る限り、これらの郵便局も、横浜を含め他の中央郵便局よりは早いと思いますが、それ以上に素早いのは・・・・東京地裁・高裁合同庁舎の地階にある郵便局だと思います。(名前は失念)

 

ここはほんとに早いのです。法律事務所職員や企業関係の人も列をなして内容証明郵便をたくさんもって待っていますが、あっという間にチェックしてしまいます。これもプロフェッショナルの技でしょうか。むろん私の知らない、大企業、とくに銀行関係は大量の内容証明を出すので、そういうところが利用している素早い郵便局もあると思いますが、裁判所の地下に勝てるところはそうないのではと思います。

 

これが10数年ないし20年くらい前の話です。そんな時代に、電子内容証明郵便を知ったときは、手放しで喝采です。なにせ当初の段階は、書式も字数も自由で画像も入れられ、時間は24時間いつでもOK、待ち時間なし(その後も待ち時間はないのですが、郵便局で発行する時間が多少遅れる段階になっています)。ストレスがなくなりました。

 

それでそれ以降は電子内容証明郵便に頼りきりです。ところがITのあるいはマイクロソフトによるワードソフトやエクスプローラーの進化が早すぎて、郵便局の対応が遅く、次第にいろいろと切り替えに手間がかかるようになりました。やっと新しい様式に慣れたかと思ったら、すぐにまた新しくなり、その進化に追いつくのも大変ですが、依存症みたいな状況で、電子内容証明を手放すことが出来なくなったのです。

 

そして今は、結構、最悪状態になりつつあります。最新のウィンドウズになり、オフィスソフトになってから、大幅にチェンジして、書式や書体制限が厳格になり、いままでの自由な方式がまったく使えないどころか、原案を用意していて、コピペで新書式に移すこともできなくなりました。

 

そのためストレスがかかり、時間もかかっています。原案はさほど時間がかからないで作ることが出来るのですが、なかなか電子内容証明の新方式が自分のものになっていないため、何度も繰り返す羽目になっています。それで今日も大きな時間ロスとなりました。

 

おそらく郵便局用の内容証明用紙を持参してやる方式は、こんなに電子内容証明が不便になってきても、まだましかと思っていますので、郵便局にその用件で出かけることはないでしょう。不満ばかり言ってしまうのは、懐古調かもしれません。それでも現行の電子内容証明郵便も、まだ便利さが残っているということでしょう。

 

そんな便利とか不便とかという話しよりは、見出しの<しあわせのトンボ春はどこから=近藤勝重>の話しの方が一日の終わりとしては、どれだけ休まるかと思います。

 

<春が来た、と歌う。どこに来た、と歌い、山、里、野と歌う。でも、どこから来たか、とは歌わない。>と春がどこから来たかを歌わない疑問とその解を次のように言っています。

 

<恐らくこうではなかろうか。天候の推移で四季がある。それは当然のことでも、とりわけ春が来た喜びは他のどの季節よりも大きい。人々の明るい装いにあふれる日の光、日のぬくもり。頬に優しい風と共に、うららかな一日は日に日にのびてゆく。そして何よりも花の盛りの花時である。そこかしこに満ちる生気を頂いて、これ以上、何をか歌わん、そんなところではあるまいか。>

 

この解が腑に落ちるかどうかは別にして、春の素晴らしさを上げつつ、<冬場、雪国の人はどんな思いで暮らしているのか、瀬戸内の温暖の地で生まれ育った身には全て想像の世界でしかない。>と春を待ち焦がれる雪国の人への思いをイメージの世界でしか感じられない筆者の立場に言及する。私も同じ瀬戸内の育ちで、春を特別待ち焦がれることはありませんでした。

 

良寛さんのような生活をすれば、どれだけ春への憧れ、春が来たときの喜びが素晴らしいものでしょう。でも私は、四季それぞれにその良さを感じてきました。うだるような暑い夏、汗だくだくで仕事をする、そこに充実感、苦しみと喜びを感じてきました。だからでしょうか、赤道直下の熱帯を何度も訪ねることも厳しい自然を感じつつも楽しみました。

 

春秋の良さは誰もが感じるでしょう。でも厳冬の凍てつく寒さもまた自然の素晴らしさと感じるのも人として生きてきてよかったと思う季節です。そんな思いもあって、北極海沿岸まで出かけていったり、何度も北極圏を旅したのかもしれません。

 

とはいえ多くの多様な生物は、春を喜んでいるかもしれません。今朝もいろんな野鳥の鳴き声で目覚めました。生き物が快活に行動する、植物や昆虫、いろいろな生物が新しい季節の到来を祝福しているのかもしれません。

 

今日も1時間くらいブログ作成に時間を要しました。指の痺れが少し出てきたところで、おしまいとします。


生きて死ぬ <声がでなけりゃミイラ 歌丸さん、病気すら笑いに>を読んで

2017-04-05 | 人の生と死、生き方

170405 生きて死ぬ <声がでなけりゃミイラ 歌丸さん、病気すら笑いに>を読んで

 

今朝も夜明け前に目覚め、高野の山々の頂が少しずつ薄紅色に染まってくる様子を眺めていました。多くの日本人は山を憧れの対象とも、黄泉の世界とも、考えてきた長い歴史をもっているのではないかと思うのです。

 

宗教学者・山折哲雄氏は、魂の行き着く先は山、しかも奥山というより里山といった近くの山ではないかと日本人が考えてきたのではないかといった話しをされたことがある記憶です。山折氏はたしか実家が浄土真宗のお寺ではなかったかと思いますが、長きにわたって世界の宗教を研究され、さまざまな著書で宗教哲学的な論究を行ってきたのではないかと思うのです。私自身は、私が長く関与していたある会に、山折氏が顧問となられ、何度も講演やパネルディスカッションに参加いただいたりする中、その平易な話しを通じて、柔らかな考え方、生き方をされている先達として、尊敬のまなざしをもってきました。

 

さて山折氏の話を唐突に出したのは、見出しのテーマを語るのに、ちょっと登場していただいてから、スタートを切るのがいいかなと思った次第です。実は、6時過ぎまで、忙しくしていて、そして最後は20分ばかり、なんども同じ説明をしてもなかなか理解していただけない方と、徒労に終わる話をしたこともあり、少々疲れてしまっていることもあります。

 

以前、このブログでも紹介した日本保釈支援協会の手続きというか、保釈制度や保証金制度、そして保釈支援制度といったものについて、直接関係しない人に説明するというのは簡単ではないです。勾留中の被疑者の場合は、留置施設でそういった情報を経験ある他の同房者から聞いてすぐに理解するのですが、一般の方は簡単に理解できるとは限りません。それに身内だと、中身はあまりよく分からなくても、助けたい思いが先に立って、弁護人の説明も完全に理解できていないかもしれませんが、積極的に協力する傾向にあります。でも赤の他人だとなかなか踏ん切りがつかないでしょうし、内容がすぐには理解できず、説明しても言葉だけでは混乱するかもしれません。電話での会話というのはそんなものかもしれません。それを利用していろいろな詐欺商法がはびこりますが、そういう電話を信じるのは分かっているから信じるというより、異なる精神状態に追いやっているから、詐欺犯の思いのままになるのではないかと思うのです。

 

また余分の話しをだらだらと書いてしまいました。今日もまだ腕、肩などに痺れ感があり、600字を目処にしたいと思います。

 

さて、見出しの桂歌丸さんの話し、芸人は死ぬ瞬間まで芸に生きるという、そして落語家は自分のすべてをネタにして笑いを誘う、その姿を示しているのかなと思い、取り上げてみたのです。

 

芸人の死、それ自体を見た経験はありません。しかし、直前まで芸をしていた人が亡くなったことは、その芸を見た一人として、さすがと思うのです。たとえば宇野重吉さんです。昔からその表情、声、姿、非常に癖のある、なんともいえない魅力のある役者でした。彼の最後の舞台、8712月三越劇場で自ら演出の『馬鹿一の夢』に主演したのを拝見しました。

 

当時病気続きで、とても舞台にたてれる状況ではなかったと思うのですが、舞台での宇野の演技は、気迫があり、声がよく通り、とても重いガン手術後とは思えないもので、手術がうまくいって元気になられたのかと思ったくらいです。しかし、翌年1月黄泉の世界に逝かれました。これぞ役者魂と思う次第です。きっと舞台で死ねれば本望と思うくらいにがんばっていたのでしょう。

 

で、桂歌丸さんですが、彼の演技は、先代円楽や柳家小三治、古今亭志ん朝など同時代を生きた優れた演技力に比べると、残念ながら少し器量が落ちるかもしれませんが、しっかりした演技はさすがと思わせるものと感じています。

 

その歌丸さんが、笑点の大喜利司会を降り、<酸素吸入器を付けて高座に上がっている>というのですから、それは見事な役者魂であり、生き様ではないかと思うのです。

 

彼は<「酸素がないと、声が震えて落語にならない。抵抗がありましたが、お客様がもし満足できなければ即引退しようと覚悟を決め、鼻に管を付けました。こんなに苦しいならと、引退も考えています」>とまでの思いで、高座に上がっているのですね。

 

私はむろん比較する器量も能力もありませんが、この指が動かなくなっても仕方がないと思いながら、タイピングしています。私にとってこのブログは芸でもなんでもありません。ただエンディングノートという生き様の一つを日々、書いています。別に今、死に直面しているわけではありません。しかし、死は生と隣り合わせにあると思いつつ、生きています。

 

私は、人にとって、あるいはヒトという生物が人になるために、必要なのは生き様、死に様であって、死んだ後、通夜・告別・葬式といった儀式をすることは、残された人がどう考えるかであって、死者としては必要がないと思っています。むろん墓地も不要です。のたれ死にしたとしても、その遺体や遺骨を探すことは無駄なことだと私個人は思います。むろん他の方それぞれの異なる思いは尊重し、大事にしたいと思います。

 

私にとっては、この中身のないブログが書き続ける中で、少しは意味のあるものになる、それが私の存在を示すものになりうるとしたら、それが唯一、大事なのかもしれないと思っています。いや、このように書き続けた後、何もない自分を死の床で自覚したとき、それが最高かもしれません。

 

歌丸さんの意気地というか、次の言葉も、私がもしかしたらこのブログを書いている意識の底にあるものに通底しているのかもしれませんが、それほどはっきりしているわけでなく、ただ日々の思いをまじめに書こうと思っています。

 

<芸歴66年のいぶし銀。「笑いが薄っぺらな時代になった。真の笑いとは言葉からくるものです。それを担うのが寄席芸だと思っています。芸人だけじゃない。日本語を大切にしてほしい。若い方は言葉を省略し、無理に変えてしまっている。日本人の根底にある日本語を取り戻さなければ、大変なことになってしまいますよ」と憤る。>

 

私は、落語が好きでした。小さい頃、よくラジオから聞こえてくるその抑揚や快活さ、筋書きの面白さに魅了されてきました。しかし、最近の笑いの番組をみることはありません。それは偏屈なんでしょうかね。

 

歌丸さんの次の言葉も、私にはカンフル剤になります。

 

<こうなったら、出ばやしと共に介護ベッドが起き上がってくるかもしれない。お客様も見舞いに来たと思えばいいんです、って。みっともないと言われたって、息絶えるまでやってください。最後まで落語にしがみついた人間、それでいいじゃないですか」>

 

そして最後がいいですね。<「実は欲の深いことを考えているんです。『桂歌丸 引退興行』といって各地を回っていこうかと思います。一体いつ引退するつもりだ、詐欺だと言われても、生涯ずーっとね」>

 

私も死と生は裏表、いつ死ぬか分からないといいつつ、いつまでもブログを書き続け、ぱたっと止まったときが最後かなと思ったりします。とりあえずは一日2000字(これはどうでもよい字数ですが)、ブログ千日を目処に日々綴っていこうかと思っています。


自然への作法 <山林寄付 高齢化で増加><さだまさし「ビフォーアフター」>を読んで

2017-04-04 | 心のやすらぎ・豊かさ

170404 自然への作法 <山林寄付 高齢化で増加><さだまさし「ビフォーアフター」>を読んで

 

今朝は少し冷え冷えした感覚になりました。和泉山脈が見える紀ノ川南岸から北岸の和泉山脈の麓に移って最初の朝でした。窓からは高野の山々がちょうどいい具合によく見えます。眼下には鎌倉流に言えば谷戸が広がり、柿畑、田んぼの中に家が点在しています。目の前にはスギ・ヒノキの林があり、身近に感じることが出来ます。ウグイスの鳴き声はもちろん、いろんな野鳥がここでも元気に早朝を楽しんでいます。

 

今日もすでに夕方6時を過ぎています。仕事が片付かず、なかなかブログの時間がとれません。まだ指先の痺れを感じながらですので、今日も600字コースです。毎日記事を読んでもどうも気乗りしません。毎日のウェブ情報を見ると、見出しの記事が目に入り、これなら少し興味がそそられます。ついでに見逃したさだまさしさんの島改造番組をウェブ情報だけ見て少し色を染めてみようかと思っています。

 

さて、毎日記事は<山林寄付高齢化で増加 自然保護団体に>という見出しで取り上げて、山林・原野などの寄付が増えていて、寄付先が自然保護団体が多いとのこと。

 

取材したのは5つの公益法人で、<日本ナショナル・トラスト協会(東京都)▽埼玉県生態系保護協会(埼玉県)▽トトロのふるさと基金(同)▽天神崎の自然を大切にする会(和歌山県)と大阪自然環境保全協会(大阪府)>でした。最後を除き、私にはいずれも懐かしいというか、それぞれの活動には興味を抱き、仕事で関係した団体もあります。

 

それはともかく、以前から山林の荒廃、放棄が問題になっていることをなんどか指摘し、所有者の責任問題としても取り上げてきた私としては、こういった寄付方式も一つの解決策であると思います。しかし、それで事足りるわけではありません。

 

私自身、20年以上前に、大先生の事務局の立場で、著名な各界の専門家に参加を募り、自然保護活動の実践的な団体を立ち上げる、下働きをしたことあります。メンバーには元環境庁長官をはじめ、日本ナショナルトラスト協会名誉会長など多様な人材の参加があり、私もいろいろ実践計画を練ったことがありますが、いろいろな事情と私の力不足も影響して、うまくいきませんでした。

 

私の計画では、山林の荒廃に対して、実践的な保全管理する運動体になる必要があると考えたのですが、参加していただいた方があまりに著名で、なかなか参加できないことはもちろん、実践活動してもらいたい若い人が集まるような組織作りができなかったのです。

 

このことは、私が関与していた団体でも、ときに10haくらいの山林の寄付があり、私も場所の確認、境界の確認を兼ねて調査に訪れたこともあります。私としてはそれを単に放置するのではなく、適切に管理することを訴えたのですが、会の中では少数派で、結局断念しました。また、メンバーになった人の中に林業家がいて、彼の森林保全への情熱を受け、彼のやり方を支持したのですが、これも受け入れられませんでした。この点、上記の別の組織でできないかと私なりに計画したのですが、甘かったです。

 

鎌倉に居住していたとき、鎌倉風致保存会に入会し、その里山や放棄林などの維持管理の手伝いをしたことがありますが、やはり素人ばかりの集まりで、適切な管理を行うには、大変な努力が必要でした。

 

そのほか、四半世紀以上前から里山管理を行う団体に参加してきたのですが、自ら実践的に行うことはありませんでした。

 

このようにいろいろ私のつたない経験を書いているのは、単に自然保護団体に寄付することだけでは、問題の解決になるわけではないということを理解してもらいたいからです。

 

自然に対する考え方の違いもあり、どのような保全が望ましいかといった基本的な考えも根本的なことから、枝葉末梢まで、異なることもあるでしょう。それでも実践することにより、なにが望ましいか、自然との対話で試行錯誤しながら、絶対の解はないものと思いながら、やっていくのが自然への作法ではないかと思うのです。

 

で、当地にやってきて、私一人で私なりに山林保全の真似事のようなことを続けてきました。地域では密林状態が整備され喜んでくれる方もいます。お世辞でしょうけど、褒めてくれる方もいました。私として自然とはなにかを学ぶいろいろな経験をしてきたように思います。といってもほんの、わずかな一面でしかありませんが、私なりに充実した期間でした。それもいつかまた復活するまでお預けです。

 

所有するということは、その対象に対して、全身をもって責任を負うことが、本来の所有権思想と考えています。このような考えは異端かもしれませんが、それが私の考えです。対象が家なら家、宅地なら宅地に対して所有者としての責任のあり方は背景・環境によっていろいろでしょう。しかし、権利だけを主張するのであれば、所有権者として失格ではないかと思うのです。

 

責任を果たせないのなら、適切に対処できる団体などに寄付することがベターかもしれません。しかし、その団体が適切に対応しないのであれば、それは別のより望ましい団体に委ねる必要があると思うのです。

 

こういう意見は、少数派なんでしょう。でもここでさださんを登場させてみたいと思うのです。さだまさしという名前を知ったのは、数十年前、京都に滞在しているとき、その後馴染みになった喫茶店のマスターが私のことを彼に似ているというのです。それでどんな人だろうと調べてみたら、グレープのカセットテープを見つけ、聞いてみたら、とても惹かれ、ちょうどその頃、中島みゆきも「時代」で売れ出したばかりで、二人の歌はその後私にとって大事な心の友達になっています。

 

と関係のない私的な話になりましたが、さださん(まったく会ったこともありませんが、さん付けしたくなるのです)は、売れた歌の印税2000万円で島を買い、「詩島」となづけたそうです。でも映画製作で失敗して大借金をして、島の管理を長年放置して、ようやく再生を遂げたとのこと。これぞ所有者としての長い、長い苦労の中で思い続ける責任であり、夢ではないかと思うのです。

 

そろそろ時間となりました。今日はこれでおしまいです。

 


幸せとはたらくこと <家事代行、特区で解禁><育休中の就労>を読んで

2017-04-03 | 働くことを見直す

170403 幸せとはたらくこと <家事代行、特区で解禁><育休中の就労>を読んで

 

今日も暖かい一日でした。朝、FM橋本を久しぶりに聞いていると、開局5周年ということで、なんともすばらしいことです。そして話題の一つが、橋本のどこかの峠から、高野や吉野の緑深い山々が見えるだけでなく、遠くに冠雪した峰々が見える、それが大台ヶ原とか・・・とかということでした。ほんとかしらと思いつつ、ちょうど高野道を眼下にしてバイパスが出来てたところを走ったところ、ほんとに見えました。いや、まるで北アルプスを遠くに見ながら高速道路を走っているぐらいの雰囲気にさせてくれました。

 

この話はこの程度にして、すでに6時を過ぎており、左腕の方に痺れ感がきていますので、今日も600字を目処にして書いてみようかと思います。

 

毎日一面のトップに、<女性活躍、外国人が支え>との見出しで、<家事代行、特区で解禁>を取り上げています。その内容がふるっています。

 

<首相官邸のホームページは、解禁の狙いを「女性の活躍促進や家事支援ニーズへの対応」とする。>そして<外国人家事代行サービスが認められ、第1陣として来日した>一人である<アミラ・ロザーリー・レブレスさん(33)が研修で、利用を検討する神奈川県内の時枝亜希子さん(38)方を訪ねた。時枝さんは会社員の夫と子供2人の4人家族で、家計をパートで支える。>

 

その<アミラさんが台所や浴室の清掃を始めた。排水溝の内側まで手際よく磨く。小学生の長女は「掃除の神さま!」と絶賛した。時枝さんも「ここまでやってくれるとは」と感激した。>そうなんです。アミラさんは日本人家族から「掃除の神さま」と褒められるほどすばらしいはたらきをしているのです。

 

しかし、<家事代行の外国人も公的には「外国人家事支援人材」と呼ばれ><アミラさんとパソナの契約は最長3年間で、契約が切れたら帰国する。現行ルールでは再び日本で働くことができない。>と、極めて窮屈な仕組みとなっています。

 

それより何よりも、日本の家庭は外国人の女性によって掃除の神さまと言わなければいけないほど、自分の家のことも出来なくなる状態であることこそ気になるのです。

 

家事を女性の仕事とする時代ではないでしょう。家事こそ極めて重要な人の生活の要素ではないかと思うのです。家庭を構成するすべてのメンバーがそれぞれの能力と時間を考慮しながら、行っていくのが自然ではないでしょうか。それは維新時に訪れた異邦人の記録では日本人の家族、家庭の生き生きした様子の中で描かれているように思うのです。

 

それが働き方改革のメインコースだとすると、残念な思いというか、日本人の美徳を失うのではないか、いや人としての本質的な要素を劣化させるのではないかと感じるのは、時代遅れなのでしょうか。禅の世界では、日々、終日はたらき、清掃に明け暮れるように指摘されていることもあり、実践している僧侶もいるようです。そこまでしなくても、やはり家事は老若男女すべてが生活の一要素としてやるべきことではないかと思うのです。

 

このような家事代行といった流れがあるとしても、一時的な物であって欲しいと思うのです。ここで昔なら、姑などが口うるさく仮に言っていたとしたら、今は若い外国人の女性が模範を見せてくれる分けですから、それを家族のみんなが自然に学び自分のものにするよい機会ではないかとみることも出来ます。

 

この話とは別に、<はたらく育休中の就労、労使に利点>は、育児休業取得者が増えることはいいのですが、次には、<育児休業の後、スムーズな職場復帰>が気になるでしょう。育児休業給付金の支給要件が緩和されたこともあり、育休中の就労が増えてきたそうです。<国の育児休業給付金は、最大で賃金の67%が支給され、労働者が希望すれば、一定条件内で働いても受け取れる。14年に月10日以内から月80時間までに緩和された。>というものです。

 

育児という夫婦と赤子にとって最も重要な人生の一時期、夫婦が育休により夫婦で子どもを育てる喜び、苦しみを体験することは、働き方改革としてより進めてもらいたいし、他方で、育児に余裕が出来てきたら、育休中の就労は、育児にも有効に働くことが少なくないでしょうし、その後の職場復帰も円滑にいく可能性が高まり、育休制度の進展につながることで、望ましいと思うのです。

 

この制度が将来、子どもが大きくなり、教育費に多大の費用がかかるために、家事もおろそかになるほど、共働きしなければならなくなるという前段の状況になるとしたら、これも制度の一貫性を欠いていると思ってしまいます。まだまだ制度が動き出したばかりですが、人生全体を見通した改善策を検討してもらいたいと思うのです。

 

そんなとき、<そこが聞きたい国民総幸福量(GNH) 幸せは終わりのない努力 ブータン王立研究所所長 カルマ・ウラ氏>は、幸せのあり方を問うとともに、幸せは棚からぼた餅に得るものではないことを語っています。

 

<幸せになるというのは、終わりのない旅路をゆくようなものです。完璧に達成した国はどこにもありません。ですから、何らかの形でこれからもずっと努力してゆかなければならないのです。>私たちは日々、日常の選択をしながら、その中で幸せのあり方を思考し、判断して行動することを示唆しているのではないでしょうか。

 

これまでも何度か繰り返してきましたが、維新時に訪れた異邦人が見た日本人の姿は幸せに満ちあふれていたとも言われています。他方で、西方文明をもたらすことによって多くを失うのではないかと危惧していたのもその異邦人たちでした。

 

むろん私たちは、文明を放棄したり、昔の時代に遡ることは出来ません。しかし、なにかそこに精神的豊かさ、心の持ち方のヒントが隠されているのではないかと思うこの頃です。


自分の健康とは <養老孟司・評 『健康診断は受けてはいけない』>を読んで

2017-04-02 | 健康に生きるとは

170402 自分の健康とは <養老孟司・評 『健康診断は受けてはいけない』>を読んで

 

今日も穏やかで暖かな一日です。今日も午前中荷物運びをして、少々疲れたもののブログを書く時間が割合早くとれたので、600字を目処に書いてみようかと思います。

 

毎日日曜版は「今週の本棚」が楽しみです。今回は養老孟司氏の書評。そういえば養老氏は以前も取り上げました。やはりパイプの煙以来、なにかとそのエッセイは気になります。

 

とはいえ以前、養老氏を私が関係する会でお招きして、講演をして頂いたとき、期待が大きかった分、内容が少し物足りない印象でした。というかお忙しい方でしょうから、引っ張りだこで準備も十分でなかったのかもしれません。講演の内容があっちこっちに流れ、その意図、主旨を理解するのになかなか骨が折れました。とはいえさすが養老先生、観客席は満杯で、皆さんの拍手の大きさからも好評でした。主催者としてはなによりでした。

 

余談はその程度にして、養老氏がとりあげた書籍のタイトルがいいですね。著者は「ガンと闘うな」というお医者さんで、今度は「健康診断は有害無益だ」と主張する内容とのこと。

 

これは私自身も同感なのです。素人が言ってもそれは影響がないですが、著者も、評者の養老氏も医学の専門家です。養老氏も自ら健康診断を受けていないと告白しています。その意見は一つの科学的根拠によっているところがいいです。

 

<私は人体を理解しようとして、ほぼ諦めた。ヒトの始まりは一ミリの五分の一の大きさの受精卵である。それが数十年経(た)つと数十キロの個体に育つ。その中に脳ができて、意識が生じ、その意識があれこれ言う。その発育過程全体が論理的に理解できるだろうか。>

 

この人体の不思議に挑戦してきたのが医学ですが、この指摘だけで納得する人はいないでしょう。しかし、長く医学部(解剖学)で多くの医学生を世に送り指導してこられた養老氏だからこそ、重みのある発言ではないでしょうか。

 

この点、医学における診断・治療といっても、基本的にはデータが基本的な根拠だと思います。TVなどで症状の診断・治療を研修生に回答させるNHK番組だったと思いますが、いかに医学生の能力が高いか、緻密かが垣間見られるとともに、その適切な診断や治療方法の選択の難しさの一端を知ることができます。しかし、彼らも膨大なデータで得られた疫学的因果関係を基礎にして、病理的解析を加えて適切な医療知見を生み出してきた先達や社会システムによって得られた成果をある意味利用しているにすぎないというといいすぎでしょうが、活用させてもらっているのでしょう。

 

養老先生は、見事に、著者の主張の根拠に迫るのです。まず<健康診断は有害という主張は、それをシステム化している日本の世間の常識に反する。それならその主張には相応の根拠が必要である。じつは欧米のデータはそれを示す。>とデータの根拠を示すのです。

 

そして返す刀で、<なぜ著者は自分でデータをとらないか。その理由はよくわかる。データを自分でとるには人手と手間、つまり研究費が必要である。それを出してくれるのはシステムを動かしている人たち、たとえば厚生労働省、製薬会社、医学界。個人ではとても太刀打ちできない。あとは自然に理解できるであろう。>と述べて、プロとしてのメスをしっかり本質に切り込んでいます。

 

最後がいいですね。<意識は自分の身体を十分に理解できるようにはできていない。それを理解できると思い、できるように語るのは、現代人の傲慢である。そう思うから、身体のことは身体に任せるのである。>ここでつい相槌を打ちたくなるのです。

 

私はなぜ健康診断を受けないのか、養老先生ほど、高度な意識ではありませんが、現代の医学的知見ではまだまだ人の健康を診断することは困難だと思っています。むろんさまざまな成人病やガンの初期段階での診断の可能性はある意味高まると思います。しかし、健康診断を定期的に行っているから大丈夫といった判断は過信以外の何物でもないと思っています。

 

少し飛びますが、たとえば子宮頸がんの診断なども、疫学的データからは、その診断の効果がさほど高いともいえないことが以前の医学文献で見た記憶があります。

 

といって素人考えで、いろいろなウェブ情報を基に、自分の症状をあれこれ悩んだり、効果的な治療を喧伝する医師に頼ってしまうのも、これまたいかがかと思うのです。

 

私自身、素人であることを自覚しつつ、自分の体の変調を常に意識し、あるときは多種多様な診断をしていただくこともありました。そのとき発見が遅ければ、それは自分の天寿と思っています。日々、自分の体のそれぞれと対話して、どうかなとお伺いをたて、大丈夫そうな範囲で生活を送る、いまどきの高齢者の一人の生き方かなと思っています。

 

体を構成する60兆の細胞を理解するということは、とりあえずあきらめ、対話の喜びを感じる方に生きる楽しみを感じた方が私らしいと思っています。むろん健康診断といった検査データも一つの対話だと思うので、それを一つの手がかりにするのもいいでしょう。それは人それぞれの生き方でしょう。

 

今日も短く終わることが出来ました。残念ながら600字というまとまったものには到底近づけませんが、これも徒然なるままに書き連ねる「たそかれの散策」の心意気か、あるいは限界か、それは読者の判断にお任せします。ただ1時間600字といういま掲げているテーマの1時間というのは優にクリアしていますので、こんどは600字に挑戦して、痺れ感の続く指の回復を待ちたいと思います。