Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

歴史分析を「虹と水滴」に喩えるは?渡部昇一先生的「心眼」か!

2006-08-10 19:35:15 | 教養・文化・歴史
 まずは「虹」と「富士山」の話をしてみたい。
「・・・・!」
「歴史というものは虹のようなものである。それは近くによって、詳しく見れば見えるというものではない。近くに寄れば、その正体は水玉に過ぎない」
この文章にぶつかった時、私はそれまで歴史というものに関してなんとなくもやもやしていたものが一挙に整理され、分かったような気がした。
(上記、3行~6行目まで、渡部昇一先生から、引用・・)

なんと、羽田空港から、わが国のシンボル富士山がくっきりと見えた経験があるのを、思い出した。
数年前のお正月のさなか、羽田空港の滑走路から飛行機に搭乗するときのこと。
「滑走路から航空機に搭乗?きょうび、ジェット機の搭乗はゲートから直接機体に密着するジャバラを通って機内に乗り込むのでは?」
「・・・?!」
「滑走路から飛行機に乗る?」なんて、たぶん前時代的な表現である。しかし、我輩の郷里のローカル空港に向け出立する航路はマイナーにて、ターミナルゲートも端っこの端っこ。搭乗案内の放送を聞くやいなや、乗客は数台のバスに分乗し、エプロン(駐機場)に並み居る大小さまざまなジェット機の機体と機体、主翼と主翼の隙間を潜り抜けつつ、さらにまたエプロンの端っこに駐機してあるジェット機の傍まで走ること、約5~6分。
たぶん、元旦から2~3日間、都心とその界隈の交通量の激減にあわせ、いつもの澱んだ東京都心の空気は、年末年始数日の間に少しばかり、本来あるべき自然の清浄?正常?な状態に戻っていたのであろう。
葛飾北斎の絵画の中、日本橋と富士山の組み合わせ?
そう、江戸のど真ん中から富士山の見える「確証」を、初めてつかんだのはその時であった。

分かったようなわからないような本日記事内容に、「賛」!「否」?両論いずれの方も、まずはエセ男爵ブログの人気・不人気を、ランキングチャートでご確認ください。

毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング)

飛行機といえば、台湾からの戻り(広島行き)に、逆光の夕日で赤く照らされ黒潰しシルエット状態になった(長崎沖の)夕暮れ時、茜色の西の空のもと、五島列島の島影と東シナ海の穏やかな洋上を、左手に見ながら帰った記憶あり。はたまたシンガポールから夜行便で関西空港に向かう帰路には、沖縄上空あたりから夜は白みはじめ、午前5時頃?に四国沖を通過する。晴れていれば!という、条件付。(なだらかな中国山地と比較し)いかにも山懐深く緑多き四国の山並みと、地図上では到底確認できない四国太平洋側の複雑な海岸線の傍を通る海は、いかにも黒潮をたたえているごとくに海黒く、太平洋に流れ出でる土佐の高知四万十川も、確認。その後わずか数分すれば、見る見る飛行高度を下げて淡路島上空に至り、ジェットエンジンの回転数を落としつつ飛行高度を緩やかに下げ、少しばかり行き過ぎて、すでに和歌山市上空か。堺市あたりの上空からは見る見る地上が近くなり、航空母艦に滑りこむように、海上に浮かんだ関西空港に着陸する。
ヨーロッパ線の記憶もある。
夏場に限るのであるが、ちょうど昼にオランダのアムステルダムを発つと、約1時間30分(あるいは2時間近くか?)後には、ロシアの古い都サントペテルブルグの上空に達する。すでに夕刻となる。地球の自転に逆らうから、時間経過はめっぽう早い。スウェーデンやフィンランドの海岸線からロシア西北部などなど、バルティック海の事細かな情景を目視できるから、楽しくて面白い。
もちろん、何度も何度も夏のシベリア大陸も目視しながら緩々と且つ確実に、地球の表面を移動しているのを逆目視(ぎゃくもくし)し、体感し、実感した経験を思い出す。
ジェット機の窓から観る夜の北京上空は、圧巻である。漆黒の空間の中、橙色の光りに取巻かれ、かの橙色の一郭にある(はずの)紫禁城のその時の有り体を、勝手に想像するは幻想的か。
太平洋上の無数の入道雲は高度1万メーターには届かず、白い碁石模様の入道雲を眼下に見下ろしながら太平洋洋上を航行するハワイ航路などなど、、、。思い出は尽きなく、合わせて各種世界地図的航空動画は、今尚、我が瞼に焼き付き、動く立体鳥瞰図として記憶の引き出しに入っている。
地球は丸く、且つ一年かけて太陽の周りを一周し、一日に一回、一年間で365回自転しているという実感を、何度も何度も体感した。

話を本筋に戻す。
我輩は今、我国の近世近代現代の歴史に興味を持っている。もちろん、自分の専門分野ではないし、事前の知識は浅い。しかし一旦興味を持ったなら、ある程度は突っ込んでみたい。今、靖国問題に端を発し、1945年を境とした第二次世界大戦前後の我国の史実の認識に、没頭している。手元資料は限られているものの、しかし、片寄った資料ではない。すでに年表順次確認的な世界史の知識はある。いかにも世界の歴史の中の日本の歴史をみていかないと、「事」を誤る。加えて、可能な限り高所高見から「日本」を見てみたい気持ちは、十二分に持ち合わせている。
そんな時、渡部昇一先生の一冊を、思い出した。取り出してみた。そして本日、本シリーズの確信から、少し距離をおきたい。
渡部先生の著書「日本史快読」の中から抜粋し、あらためて我が目視と精神的審眼の「正常なる距離感覚」を取り戻しておきたい。

*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ

----------------------------------------------------
以下、渡部先生の一冊より、抜粋・・

渡部昇一の日本史快読!

ワック

このアイテムの詳細を見る

「歴史というものは虹のようなものである。それは近くによって、詳しく見れば見えるというものではない。近くに寄れば、その正体は水玉に過ぎない」
この文章にぶつかった時、私はそれまで歴史と言うものに関してなんとなくもやもやしていたものが一挙に整理され、分かったような気がした。
 自分の国の歴史を書くことは、弁護士が自分の依頼人のための弁論をするようなものである。そこに虚偽があってはならないが、「言い分」の筋は通さねばならない。各国にはそれぞれの「国史」があって、それぞれの国の「言い分」があってよい。
 戦後に日本は、相手側の言い分だけを尊重し、自分の依頼人(クライアント)の言い分を故意に無視する弁護士みたいな歴史家が横行し、しかも、それが公平な史観であるかのごとく錯覚した時代である。そんな事件・発言が毎年のごとく起こってきた。
 弁護士が自分の依頼人の言い分を無視して、相手側と通じ、その言い分に有利な発言をすれば、それは刑事的犯罪であり、弁護士資格は褫奪(ちだつ)される。つまり取り上げられる。敗戦後の日本の歴史家には、弁護士資格を取り上げられてしかるべきであるような人が少なくなかった。
 -------------------------------------------------
虹は、見る人から一定の距離と角度を置いた時に初めて、明瞭に見える。逆にいえば、その距離と角度が適当でなければ虹は見えない、ということである。同じ時間に空を見ていながら虹を見なかったという人は、いた場所が悪かったか、あるいは虹に近すぎたからにほかならない。
それでは、歴史に於ける水玉というのは個々の資料や個々の歴史事実といったものであろう。だが、こういった歴史的事実を集めてみても、その観察者の立っている場所が悪ければ、歴史の事実は一向に見えてこないのである。
見る側の人間がいなければ、虹と同様で「歴史」は存在しない。いわゆる客観的なものは個々の「史実」だけであり、それはあくまでも虹における水滴のごときものである。たとえば、この前の戦争、すなわち第二次世界大戦の歴史を考えてみれば分かるであろう。
 -------------------------------------------------
第二次世界大戦に関しては、その虹の水玉一滴一滴を全て数えられるほどに、私たちは情報を持っている。参戦国の政策決定に関する内部文章、当時の政権担当者たちの詳細な日記、新聞・雑誌の記事、さらに死んでいった兵士達の遺言までが出版され、容易に入手する事ができる。読者の中にも、そのような精細な記録の一部を読まれた方は多いであろう。
もちろん、そういった記録を読めば、あの戦争が如何に日本にとって勝ち目のないものであったかは、誰の目にもよく分かる。また、勝ち目のない戦争を指導していた当時の軍部は政府がいかに無能な集団であったかも、同じ日本人として一種、歯がゆいくらいの思いがするほど、よく分かるのである。
だが、そのような記録を読めば読むほど、「なぜ日本人全体が、あのような勝ち目のない戦争に平気で突入したか」という疑問ばかりが湧いてきてしまうのは、どうしてであろうか。そして、この疑問に答えてくれる専門家はなぜ少ないのであろうか。
もちろん、「あの当時の日本人はバカの寄せ集めだったから、無謀な戦争を始めたのだ」と単純に決めつけて満足していた人が終戦後多かったのは、よく知っている。また、そういう決め付けに終始するような“歴史書”も、たくさんある。
しかし、そのような単純な結論では問題の解決にならないことは、だれにでも分かる事だ。第一、そんなに「バカな日本人」なら、どうして戦後わずか十数年で経済や技術などの重要な面で世界のトップに立つような奇跡をなしとげられるというのか。それとも、終戦を境に、日本人はまったく別の民族になってしまったのか。
それは、おとぎ話としては面白いかもしれないが、理性的な結論とはいえないであろう。やはり、日本がなぜ戦争に突入したのかに関して、今日のわれわれが納得できる説明が必要なのであり、それが歴史における虹を見せるということではないのだろうか。
そして、これは“水玉”を一生懸命に見つめていたところで、答えが出てくるというものでもないだろう。なぜなら、この問題に関しては、少なくとも明治維新から現代に至るまでの日本史と世界史を見通さねば、答えは分からないと思えるからである。(この問題に関する私なりの答えは、後章できちんと述べるつもりである)。
繰り返すが、いくら歴史的事実を山のように積んでみても、全体像としての歴史、つまり“虹”はなにも見えてはこない。やはり、距離と角度が必要なのだ。
(以上、抜粋引用・了)
『日本史快読』渡部昇一著2003年9月20日初版より、前書きと序章「日本という虹を見よ」を抜粋したものである。
 ご存知、渡部昇一先生は英語学者にて今尚上智大学の名誉教授であらせられる。なんと今、「文明評論家」とも評価されているから世の中は面白い。さて我輩、渡部昇一先生とは(直接の師弟関係はないものの)現存される学者の中、数少ない尊敬に値する師であり、師と称するに値する人物である。以って学問としての英語学の師にとどまらず、教養人としての人生の先輩であり先生であると信じている。

*人気ブログランキング参加中!人気blogランキングへ

ちなみに、高度1万メートル前後を航行するジェット機の窓から「虹を見た」記憶は、思い出せない・・・

<添付画像>:衛星画像技術について(こちらから入れます)