Breathe & Stretch 〜マインドフルネストレーナーのメモ帳〜

縁あって辿りついたマインドフルネストレーナーの仕事。悩みは色々あれど、喜びや楽しみが増えていきますように。

マインドフルネス心理療法での拠点「北陸マインドフルネスセンター」開設。

マインドフルネス心理療法は、第3世代の認知行動療法で、日本ではまだ新しいものです。

北陸マインドフルネスセンター」ではマインドフルネス心理療法のうちの「自己洞察瞑想療法(SIMT)」で
うつ・不安障害の方を中心としたサポートを行っていきます(福井・石川・富山)。

このまま何もしないでいるとメンタルヘルスが悪化し、仕事や家事に支障を来しそうな予感のある方や、
通院しながら急性期は乗り越えたかなと思われている方、お薬を減らして行く過程にある方で、
なるべく自分の力で乗り越えて行きたいとお考えの方は、お気軽にご相談ください。⇒こちら
(病状によっては効果が確認されていないケースがございます。診断を受けていらっしゃる方は必ず事前に
お知らせください)

マインドフルネスについて記事更新中。 こちらのブログもぜひお立ち寄りください!
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ブレーキを踏む

2006-12-12 00:53:41 | TA(交流分析)
昨日、ヒューレック研究会で交流分析を学ばれている皆さんの講座に顔を出し、そのまま金井先生のお宅でお夕飯をいただき、親友と呼んでいいか確認していないMさんと先生と奥様と夜遅くまで話し込んでしまいました。

交流分析に絡んだ話でしたが、Mさんは一向に自分の話はせず、他人の話の方が言葉数が断然多い。

そう、あなたはエニアグラムで言うところの「タイプ2」。
エゴグラムではNP(養育的な親)がぐーんと高い人・・・・。

推定「タイプ2」の金井先生の奥様とMさんが意気投合し、腸ねん転を起こしそうな楽しい話が多くなり、時間があっと言う間に流れました。

そんな楽しい時間の中で、ほんの短い時間だったと思いますが、私の話にもなり、「はるちゃんは交流分析で変わったか?」という金井先生の問いにMさんが「基本的にあまり変わっていないが、ブレーキが利くようになった」とポツリと言いました。

実は、これまで「はる、やりすぎ・・・」ってところがあったのが、最近はひかえるようになったと言うことらしい。

確かにそれあるかも・・・

2,3年前の私って、ガソリン入ってないのに、力任せで運転したりとかそんなこと平気でできる人間でした。

何かを払拭するためとか、何か手ごたえをつかむまで振り返らずにとにかく走り続けるみたいなところもあり・・・。

最近は、調子のいい時でも、多少ブレーキを踏みながら運転したほうが良くもあり、左右を見ながらもう少し慎重に運転した方がいいことも知りました。

走り終わったら、その手入れもした方がいいことも知りました(笑)

表面上は、別に快活さを忘れたとかそういう意味ではないのであまり変わっていないと思いますが、やはり心の中では、「今、エゴグラム的にはどんな状態なのかなぁ」とか「心理ゲームに迷い込んでるぞ」とか、意図的に「完璧でなくてもいいんじゃない」って自分を許したり、実は理屈っぽいことを考えたりもしていてて、コントロールがきくようにはなっているのだと思います。

何かに囚われすぎて、不快な迷路にの中でぐるぐる回り続けることは少なくなったかもしれません。

自分をあまりしんどい目に合わせたくないのでしょう。

認められるために、ただ何かスキルに貪欲だっただけの時期から、自分の心に栄養を与えたり、人として豊かに成長ができる人間関係に身を置く時間は増えたと思います。

交流分析の目的である、信頼関係に基づく「親密さ」については、自分が実感できることも大事ですが、相手にも実感できるような関わり方をしていくことができているか?

そこには自分で物足りなさとちょっと不甲斐なさを感じています。

自分が、軽くつま先で踏んでいるブレーキは、そういうものの獲得のためにありたいと思っています。

何か感じることがありましたら、今日もぽちっとお願いします。


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いじめから考える

2006-11-18 00:18:31 | TA(交流分析)
今週は、子供たちのいじめによる自殺のニュースで週が明けました。

そして文部科学大臣の呼びかけも及ばず、また自殺が・・・・

いじめられる子は、心ない言葉や暴力などで傷つけられたり、卑劣な方法で何かを奪われたりするマイナスのストロークと、攻撃しないまでも無視をされたり、助けてもらえないノーストロークの「Wパンチ」で窮地に追い込まれてしまうのだと思います。

無視される・・・

いじめられる子を黙ってみて見ぬふりをする子供だって、目に見える形で激しく相手を傷つけなくとも、いじめ行為に知らず知らず参加してしまっています。

先日、いじめが話に上った時、「誰か1人がいじめられているうちは自分に矛先が向くことがないので安心な状態」なのではないかという話になった。

そして次は自分がいじめられるのを恐れ、いじめられている子を助けられなかったりして・・・・

自分の子供時代には、次は「自分かも?」っていう恐怖みたいなのは多分なかったと思います。

今の子供たちのいじめの方が数段陰湿なのでしょう。
いじめは良くないことだと教えても、形を変え、なくなることはないようです。

子供たちにいじめを止めようと呼びかけても、いじめているという自覚のない子、悪気のない子だっているかもしれないし、「子供の自治」だけでは完全にいじめはなくならないと思います。

いじめられていた子が、死んでしまって初めて、自分たちのしたことを責め、命の尊さを知り、激しくいじめた子供も、何も手を尽くさず傍観していた子供も涙を流す・・・

命と引き換えに過ちを知るのでは遅すぎます。

学校の中で、リアルタイムでいじめ対策ができない体制に問題があると言うけど、せめて大きな間違いになる前に、間違いだと教えてあげなくてはならん・・・

先生であったり、親であったり、それ以外の大人でもかまわないと思う。

私は、小学校から中学2年生にかけて、「いじめた」「いじめられた」「いじめられた子を助けた」「いじめている子をとがめた」全ての立場を経験しています。

最も早く経験したのは小学校2年生の時、意地悪なことを友達に言って「いじめた」立場。

その時には、どこで聞きつけたか、母に「○○ちゃんに意地悪なこと言っているらしいけど、それが本当なら○○ちゃんに謝りに行きなさい」と言われて、何と言ってわからないまま、大切にしていたおはじきの半分を持って仲直りをしに行った記憶があります。

親同士の話し合いがあったのかもしれません。
先生から、何か話があったのかもしれません。

そうやって、私の場合は、私の過ちをただす大人がいました。

私自身が、いじめられた時というのは、長くつづきませんでしたが、このことも後の私の人生に大きな影響を与えています。このことは別の機会に書きましょう。

大人社会は、景気も回復し多少の明るさは取り戻しつつあるのに、子供には説明がつかない違反行為、汚職、淫行、虐待、そんなニュースも後を絶ちません。

なんだか、ニュース見たくないんですけどね、最近は・・・

ドラマ「14歳の母」のように、中学生の体に宿った命をどう扱うかであたふた、じたばたする大人が描写されるのを見ると、今も昔も子供の本質は本当はあまり変わらなくて、むしろ変わっているのは大人であると思ってしまいます。

そして、自分自身もその大人の1人であります。

子供たちに対して、恥ずかしくない生き方をしているかは全く自信は持てませんが、ヘトヘトになってもひとまず「生命力」は充実していますから、生きることには貪欲であるという点では恥ずかしくはないかもしれません。

学生時代、教育実習の時に、生徒に「どんなことがあっても死んだらだめ」って言った記憶があります。なぜ、そんな話になったのか覚えていません。でも、その時も今も気持ちはかわらないです。

そして、「生かされている」のだということを忘れずに、感謝の気持ちを持ち、時々休みながらも、強く美しく生きていきたいものでございます。

今晩は、ちょっとヘトヘトですが、そんなことを考えながら、爆睡しそうです。

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北の大地の熱さ

2006-10-26 23:05:03 | TA(交流分析)
44年ぶり2回目の日本ハム優勝、本当に最高の終わり方でしたね!

素晴らしい・・・

それにしても、リーグ戦で優勝した時もそうでしたが、SHINJOがこんなに涙を流す人だと思いませんでした。今日も、試合が終わる前からもうずっと泣いてましたよね。

でも、自然体で、本当に見ていて、気持ちの良い涙でした。

野球が好き、ファンが好きであることはもとより、阪神からアメリカに渡った時のこと、アメリカで頑張った時のこと、いい時もつらい時もあったこと、北海道に来たこと、自ら仲間から離れていくこと、あんなにやんちゃ坊主だったSHINJOにも振り返ることがたくさんあったのだろうと思います。

感極まるってこういうことでしょう?

交流分析的に言えば、SHINJOのエゴグラムは、感情が開放され、自分が野球を心から楽しみ、自分を喜ばせる点から言うと、ダントツFC(自由な子供)のエネルギーが高い。

あとNP(保護的な親)のエネルギーで、若手に気を配ったり、育成したり、そしてファンを愛し、野球だけでなくその他のパフォーマンスでも楽しませることに身を捧げた感あり。

M字型のエゴグラムかしら?
たかQ先生読んでたら、解説をコメントにお願いしまーす。

日本のプロ野球界において物珍しさも手伝って、本当に愛されるプレイヤーであったですよね。

FC(自由な子供)は、人を動かすエネルギーの根源だということが、SHINJOを見ていると本当に良くわかりました。ヒルマン監督が「SHINJOは本当にたくさんのエネルギーをチームに与え続けた」と言っていました。

自分が野球を楽しみ、背中で野球の楽しさを教え、そして若手が吸い込まれ、巻き込まれ、オールスター以降本当に強かったですよね。

若い時の新庄はFC(自由な子供)のネガティブな面の、わがまま・好き放題的な面ばかりがクローズアップされがちでしたが、今のSHINJOはポジティブなFC(自由な子供)のエネルギーで本当に人々を魅了しましたね。

SHINJOの花道は決して誰かによって脚色し作られたものではなく、SHINJO自身が、自分を変えて、その結果、すごく自然な成り行きのものになったと感じました。

FC(自由な子供)の開放は、結果として個人のエネルギーを高め、そして、チームのエネルギーを高めたわかりやすい事例でした。

SHINJOYに万歳!

SHINJO、お疲れ様!次は何で魅せてくれるのか?
日ハムの優勝でじーんとしてしまった皆さん、ぽちっとお願いします。

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感じてもOKである

2006-10-24 18:29:53 | TA(交流分析)
禁止令の続き「愛するな・信用するな・近づくな」「感じるな」について思うこと。

はぁ・・・恋愛に特化した禁止令ではありませんけど、はるさん、そんな禁止令ずっと大事にしてたら恋愛不全症が深刻化しますよ。

っていうのは冗談ですが、笑えない・・・(苦笑)

小さい頃は、母がなぜ幼稚園のお迎えの帰りに他のお母さんとの井戸端会議を避けていたのか、ちょっぴり不思議でした。人の好意を好意と受け取らずに何だか遠慮がちのところもありましたかね・・・。

今こうして大人になってみれば、周囲にもそういう人は他にもいるようで、取り立てて母は珍しい人間でもないようで。

私が同居していた祖母と仲良くするのもあまり良く思っていなかったようです。口では言いませんでしたけど。表情からそう感じたことはすごく小さい時にあったかもしれません。

にもかかわらず、私はすぐ信用してだまされがちです。それは父譲りです。私のような人間は、絶対に絶対に借金などの保証人にはなってはいけないはずです。

したがって「あまり信用できない人間には近づくな」という摺り込みは教育的には有効なはずでしたが、過去に大きな失敗をし、大きな痛手も負いました。

私は泣かない子供だったと思います。涙がこぼれないように我慢する感覚には慣れ親しんでいます。

母が泣くまいと我慢しているところを見ることの方が多く、禁止令の影響より、見てそうプログラム化されているのでしょう。

小さいときは、短気なところもあったと思いますが、最近は周囲の人に比べるとあまり感情に起伏のない自分に物足りなさを感じてしまいます。人前に出る仕事で身に着けた役割的な性格にも拠るかもしれないですけどね。

そんな私が、エニアグラムのワークショップで「今の感情を味わってみて下さい」ってファシリテーターの方に言われて、その時間をどうしていいのか途方にくれた時に、自分が感じていることが全くわからないことに初めて危機感を覚えました。

元夫とは、別居してからも理由があってなかなか婚姻関係を解消することができませんでした。

その時の私のエネルギーは極めて低い状態にありました。当時を振り返ってみると、その時の無力感は、私に涙を流すことすらさせませんでした。

その頃の母は、電話の向こうで何度となく「泣きなさい」と私に言いました。
母が若い頃、感情を押さえ込んだため神経を患い、ホルモン分泌の異常に苦しんだから経験からの言葉でした。

悲しいと感じていいんだ、悔しいと感じていいんだ、むかつくって感じていいんだ、うれしいことはうれしいって感じていいんだ・・・・

そうよ、だいたい感じなければ、気持ちを伝えられないでしょっ
感じ方は、自由。きっと、どう感じても良いよね。

その表し方や伝え方があまりにも周囲を困惑させるものでなければ・・・

今は、1人でうれし泣き、悔し泣き、もらい泣きもできるようになりました。
そして、その涙が思ったよりも温かいことに安心をしています。

何かわからないけど、感じることがあったら今日もぷちっとお願いします。

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女性でいてOKである

2006-10-20 17:52:20 | TA(交流分析)
基本的に禁止令は、鵜呑みにしているわけではなく、人はそのようなメッセージを受けつつも、自分で選択して受け入れているはずです。

窮屈だった脱ぐだろうし、ほどよい締め付け具合で、本来はゆるくて、もろくて、溶け出しそうな自分が「しゃんと」していられるという恩恵もあり(笑)

私が受け取ったと心当たりのある「子供であるな」「女であるな」「愛するな・信用するな・近づくな」「感じるな」という禁止令ですが、

「子供であるな」という禁止令を、類似する言葉としても、ダイレクトに言語で受け取った記憶はないです。

私は姉と7歳違い、多少遅く生まれたこともあり、大人ばかりの家庭に育っています。そのせいか、比較的早い段階で「自立」を求められ、「自分のことは自分でやろう」と育てられ、母の期待以上に自主性を発揮し、何か形になった時のまだ若かりし日の母のうれしそうな顔は今でも覚えています。

何でも自分でできることがよいことなのだという私の価値観はこうして形成されていっていると思います。

全く可愛げはありませんが、おかげ様で、たくましく自活しています(笑)

「女であるな」そんなこと、真顔で直接言う親は少ないでしょう・・・でも、いるかも。

これは私が、本家の末娘に生まれて後を継がなければならない立場だったことも影響しています。

それは、小さい時に、親が私を「下の娘です」と紹介した時、「お宅は、男の子はおいでではないのか?」とよく周囲の大人たちに聞かれたことが原因でしょう。

父も母も、毎度、毎度、本当に歯切れの悪いリアクションでしたね・・・・。
んったく、なんかモゴモゴしてるっていうかぁ~。

実家の金沢は古くは加賀藩で藩主であった前田家が「命は一代、名は末代」と戦国の世の争いを極力避け、今もなお誇り高き文化都市を見守っている、そんな街です。

私の姓は非常に珍しく、私が養子をもらわない限りは、名前が絶えることを両親が残念に思っていたことをいつも感じていました。

男に生まれていれば・・・などと無意味に自分を責めることはしませんでしたけどね。

ん、結構お気楽なコ?・・・って言うか、当時の科学が産み分けの知恵を授けるはずもなく、誰も選べませんでしたからねっ。

母が、不妊の時期を乗り越え、私を生み育て「あなたは望まれて生まれてきた子だ」と言ってくれることや、いまだに「へその緒」を見て感想をメールで送ってくるあたりに、もう「女性でいていいんだなぁ」と遠慮なく思えるようになって来ました。

年をとり、力なく、諦めも混じり、またそんなことよりも、娘の人生を何よりも案じる親心でしょうかね・・・。

まっ、不肖の娘ほどかわいい・・・って不名誉な誉め言葉も、親の元気なうちはありがたく受け取るとして(苦笑)

最近、自分が、母になる日がくるのか来ないのか、まったく霧の向こうのことが「ほんの少しだけ」気になるようになってきました。

とは言え、ものには順番がありますので・・・(笑)

と、急に成人(A)の自我がむっくり起き上がり、全く妄想に耽れない(苦笑)。

はるさん、自由な子供(FC)を高めてください・・・・
イメージって大事ですから。

「あんたは一生1人でいるひとじゃないと思うから」そんな母の言葉が、夫と別れ、1人で生きていくことを後押ししたひとことでした。

「禁止令(Injunctions)」には「許可するもの(Permissions)」といって、禁止令に対して、それを選ぶか否か選択を促すメッセージがあります。

「女でいてOKだよ」

私は、このメッセージで、女性として強く、美しく生きることを選びます。

外見の経年劣化はいたし方なく、今から劇的に容姿端麗な女性になりたい訳ではなく、心身ともに錆びつかないように、可能な限り努力は続けていきたいと思う訳です。

そういうお手本となる年長の女性の方々に、最近接する機会があったのもラッキーでした。

脚本を分析しながら、こうして次の生き方を見つけ、具体的にしていくことには少し時間がかかっていますが、自分にとって、とても大切な時間だと思っています。

私の人生の再決断を、今後もこっそり応援してくださる方は、今日もクリックお願いします。

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12の禁止令

2006-10-19 00:06:04 | TA(交流分析)
私たちが幼い頃に親からもらったメッセージは、これから自分はどうやって生きていくのかという幼児なりのシナリオづくりに大きな影響を与えます。

「~してはだめ!」というメッセージは際限なく作れますが、グルーディング夫妻は12のリストを示しました。

1)何々するな
2)存在するな
3)成長するな
4)子供であるな
5)成長するな
6)男(女)であるな
7)健康であるな
8)所属するな
9)重要であるな
10)愛するな・信用するな・近づくな
11)考えるな
12)感じるな

交流分析では、こんな禁止令が私たちの生涯に大きな影響を与えると言われています。

これらの禁止令は、言葉であるとは限りません。まだ、言葉がわからない子供であっても、親の表情で機嫌がわかり、衝動に駆られた時も、親の表情でGO!・WAIT!・STOP!なんかを判断し・・・。

言葉がわかるようになってからも、親の顔色を見て、ことの善し悪しを判断します。ご機嫌損ねないようにとか、なんかマズイ雰囲気ね・・と空気を読むみたいな。

私には子供がいませんので、かすかな記憶をたどっていくと自分もそうだったかなぁと感じますし、未だに多少は、母親の顔色をのぞき込みますし。

私が、親からもらったメッセージで自分の生き方に影響を与えていると感じるのは「子供であるな」「女であるな」「愛するな・信用するな・近づくな」「感じるな」だと思います。

振り返れば、母の表情とリンクしますね。

そして、非合理的な禁止令に無意識に囚われることによって、自分の生き方を窮屈にしたり、後ろ向きにしたり、小さな失敗を繰り返したり、お決まりの嫌な終末感情を味わったりして・・・。

そのような禁止令の、背景を探ることは、時にとても切なくて、特に意識せず年を重ねていくこともできるのに、その煩雑な作業を踏み倒し投げ出すこともできるのに、と思うこともあります。

いくら自分のこれまで生きてきた人生脚本を書き換えて「新しい脚本で生きていきたい」と願っても、私の場合、掘り下げることをためらって途中で逃げ出したくなることがしばしばでございます。

脚本分析が進みません・・・交流分析やる人って誰もがそうなんですか?

親からもらったメッセージにしたがっていれば、特に変化もなく、変化を受け入れなくてもよい分、楽チンでお気楽に生きていけますよ・・・

なのに、なぜにそんなに果敢に立ち向かう必要があるのかい?

嫌なんですよ・・・

同じ失敗したり、いっつも同じような「嫌な感情」を味わってその場しのぎの癒しだけに頼るのって。

私には「失敗することは怖いこと」という囚われがあり、2度同じ失敗をしたら生きていけないかもしれません・・・自殺行為かもぐらい思い込んじゃってます。

失敗を避けることは自分を締め付けるものでもあり、同時に自分を動かすエネルギーでもあり。

そのエネルギーを新しい人生目標のために活かすことで、自分を許し、変えられない過去と決別すべし。

そんなことを考える、第1回の人生脚本の分析も終盤に入ってきた昨今です。

なに?人生脚本の分析とやら、頑張って完成させてごらんと応援してくださる方は今日もぷちっとお願いします。



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ストロークフィルター

2006-10-17 11:39:37 | TA(交流分析)
さまざまなアクシデントや感動秘話に溢れがちな私の生活は、なかなか地道に交流分析の記事を書かせてくれません・・・・

またストロークについて書いてみたいと思います。

ストロークって何っ?て思われた読者の方がいらっしゃったら、右側の「TA(交流分析)」のカテゴリから少しさかのぼってお読みくださると幸いです。

「誉める」「励ます」は「プラスのストローク」でしょうね。

心から無条件に誉められたり、励まされると人はやはり自分の存在や価値を認められとてもうれしいものです。

私は「励まし」というストロークが、かなり好きです。

なぜ故に?

認めたくはないのですが、私は、そもそも自尊心やうぬぼれが強いのかもしれません。

それに目を向け始めたのは、どうやら私がエニアグラムで言うところの「タイプ3」や「タイプ4」の性格を持っているのではないかということで、この2つのタイプに特徴的な性質として「ひょっとしてそんなとこあるかも・・・」と思い始めたんです。

エニアグラムは自分を映す鏡である・・・(苦笑)

それゆえに落ち込みやすくまた、「励ましによって容易に回復し、次の行動に向かう」というパターンは私のお決まりのパターンなんです。

その一方で「誉められる」は、これはなかなか素直に受け取ることができません。「ありがとう」と笑顔でにっこり、素直に受け取ることは、私のコミュニケーション上の継続課題です。

なぜにそのようなありがたいストロークを受け取らんのだ・・・・

これがねぇ、最近気づいたことなのですが、母からのすり込みでしょうね。

母は決して私を誉めない訳ではなく、どちらかというと評価は正当で、「誉める量」に過不足がなく、誉めて欲しい時に誉めてくれたので、幼少期に特に寂しい思いをすることはなかったように記憶しています。

しかーし、学校から帰ってくると「今日ね、先生から誉められた」「○○ちゃんのお母さんから誉められた」という話には、「俄然」ノリが悪いのでした。

そして、返ってくるのは「あまり調子にのらないように」「人の言う、いいことは信用しないように」という返答。

はぁ・・・有頂天モードから急降下(涙)

あぁ、ここで母から「信じるな」という禁止令をもらっているのでございます。

そして、自分は「まだまだなんだ」「母から誉められるには完全ではないのだ!もっと頑張れ!」と自分を奮い立たせ、這い上がってくるこの泥臭い「ど根性人生」を歩んでしまうのですよ。

小学生の頃からこういう生き方を選び、以後そういう生き方(人生脚本)を強化してきたワタクシです。

こうして、「誉める」というストロークを受け取ることを躊躇し、「禁止される」だけではやる気がでないので、代わりに「自分からの励まし」「人からの励まし」を受け取ることを好んで次の行動につなげるのが私の傾向です。

「自分好みのストローク指数に合わないストロークが来ると素直に受け入れない」ことを、交流分析的には「ストロークフィルター」にかけるといいます。

無条件で誉められていると気づいた時には、ストロークをフィルターにかけて価値を値引きせず、ありがたく受け取ることが、相手との親しくつきあっていく上でとても大切だと感じています。

よし、誉められたら小さなガッツポーズ(略して小ガッツ)で応えよう!

じゃなくってぇ~、いくら体育会気質とは言え、笑顔でにっこり「ありがとうございます」でいこうよ。

皆さんはどのようなストロークを「選り好み」したり受け取らないようにしていますか?

あなたのクリックが私にとって何よりの「励まし」。
交流分析のことをもっと多くの人に知ってもらいたいのでぷちっとひと押しお願いします。


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踊る大捜査線もどき

2006-09-25 20:03:49 | TA(交流分析)
残念ながら織田裕二には会えなかったです・・・

ワタクシは、昨日から立て続けに盗難に見舞われています。
昨日は、駐輪所で自転車を、本日は鞄を背後からひったくり。

はぁ~、どういうことなんでしょっ。
お祓いした方がいいかも・・・。

秋に向けて運気が上がる予定とか全く根拠のない自信を覗かせておきながら、
なんたるざまなのさ・・・

さすがに腰痛を皮切りに訪れるアクシデントにイライラ指数も緩やかに上昇中。
「レベル5」ぐらい。10段階のね・・・(笑)

ストレス耐性の値は全国平均を上回っているでしょう(苦笑)

財布を含め、カード類は一切取られてますので、んっと、明日は銀行に行って、とりあえず、通帳でお金を下ろして、携帯も買い換えなくちゃ・・・、一人歩きは怖いから自転車も早めに購入せねば、みたいな段取りの方が先行気味でございます。成人(A)高めで推移中っす。

今日の鞄はもう想定外でした。
最近、自転車通勤だったので、ひったくりは無縁と全く油断していました。
後ろからきた原付にミゴトにサラワレました。

キレイに「もち手」をすくわれました。
しばらく握り締めていたのですが、腰が不安で体重が乗りませんでした。

いつも鞄の中に入れている自宅の鍵が服のポケットの中に入っていたのが不幸中の幸い。家の近くだったので、すぐに自宅の電話で交番と110番に電話しました。

110番は、ひったくりでも結構、緊迫感ありました。
発生から時間もまもなく110番しましたので犯人が近くにいる可能性もあり、またひったくりは連続することが多いから、緊急に警官を配備するそうです。

現場検証とかに来られて、近所が物々しい雰囲気になるは、自宅のリビングで事情聴取。久しぶりに来たゲストがおまわりさん・・・とまあこの1時間半の間にいろいろありましたよ・・・とほほ。

後をつけられていた可能性があるんですって。
むしろそっちの方がショック。キモいし、コワい(泣)

自分の本当の感情にFocusすると・・・・
正直言うと、「強くあれ」のドライバーは手放し、
さすがに弱音のひとつも吐きたい感じ。

プラスのストロークたっぷり欲しい感じです(欲しいな・・・)。
とりあえず、ストローク銀行に行っておろしてこようかな、
プラスのストローク貯金。

ったく、アンタって人は、こんな時にも交流分析をネタにするぅ?

一時的に一文無しになりましたので、おまわりさんに現金を借りました。
明日はとりあえず出勤できそうです・・・

あっつ、携帯電話は暗証番号ないとロック解除できないように設定してますので、私に個人情報をお預けになっている方、ご安心くださいませ。携帯にメールいただいてもしばらくは返信できませんので不義理をお許しください。

防犯には気をつけようと思ったデキゴトでした。

押してくれないと頑張れない・・・(嘘) でもちょっぴりホント!? 
⇒ 参加してます。
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ストローク飢餓

2006-09-22 22:06:27 | TA(交流分析)
人は生まれながらにストロークなしでは生きて行けない・・・

教科書的な例ですが、
-------------------
Aちゃんはお母さんとスーパーにお買い物に行きました。スーパーの帰り道に、近所のおばさんに会い、お母さんとおばさんはAちゃんはそっちのけで立ち話をはじめました。
Aちゃんはお母さんに「早く帰ろうよぉ~」と何度も言いましたが、全く聞き入れてもらえません。それどころか、お母さんたちは噂話で大盛り上がり・・・。
そのうちAちゃんはお母さんの手をつねったり、体を叩いたり。お母さんも「やめなさい!」「ちょっと待って!」と強い口調で抵抗します。挙句の果てにAちゃんは「母さんのデブ・ブタ!くそババぁ!」と口汚く罵ったり、お母さんも手を挙げる始末・・・
-------------------
Aちゃんが陥っているのが「ストローク飢餓」です。

人は、相手から無視され、何もストロークがないより、たとえ否定的なストロークであったとしてもたくさんストロークを得られれば安堵する。

「そんなばかな!」と思うあなたも、日常生活の中で似たような事例ってありません?

■夫が仕事で多忙な夫婦関係における、妻の湿っぽい感情の絡みつきの後に訪れる夫の爆発を伴うようなやりとり。

■子離れで存在感を失った母と子の関係において、母の窒息そうな感情が絡みついた末に子が決別を言い渡すやりとり。

■不甲斐ない上司とレッテルを貼られた上司からの重箱の隅をつつくような執拗な攻撃に部下が反発するようなやりとり etc.

えっ、例がエグすぎるって?

スミマセン・・・・(苦笑)

ストローク飢餓に陥った人は、不快なストロークで私たちが息詰まるような「ゲーム」を仕掛けてきます。仕掛けられた方も、仕掛けた方も、あまりに濃密で不快なストロークの「迷宮」、そこから抜け出すことに手を焼き、疲弊し、最後は何らかの不快な感情で終わる。

こんな「不毛なやりとり」が良いはずがないとわかっていても、特効薬を試すことなく、繰り返されてしまう不快なやりとり。お互いがそんなコミュニケーションの悪い癖を繰り広げる常習犯。

ドロドロですが、読者の皆さんも経験ありません?

ちなみに、私は、たっぷりありますよーーー(苦笑)。
自分がストローク飢餓に陥ったことも、相手を陥れたことも。
(自慢げに言うなって?)

不快なストロークを仕掛けがちな人は、愛されることを求めがち。

「どうやら不快なストロークの迷宮に入り込んでしまったゾ」と察知したら、冷静になって抜け道を模索しなくては。

どうやって抜け出すか?

特効薬の処方箋、それはまた別の機会に・・・。

不快なやりとりの断ち切り方、知ってみたいなぁ・・・という方はぽちっとクリックお願いします!⇒
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あげといて落とす

2006-09-19 00:29:50 | TA(交流分析)
私の社会人生活は、ある関西の「ものすごい下町」でスタートしました。

関西弁を身に着けることは、幸い私には難しいことではなく、ここでのコミュニケーションの経験は今思えば本当に愉快なものでした。

■他虐的・自虐的ネタ
A:「おまえんとこの嫁はん、めっちゃデブやんなぁ」
B:「そやねん、こないだ、足踏まれて骨折してもうてんやんかぁ」
A:「ほんまかいな」
B:「んでな、もう一回、踏まれたら治ってもうてん」
A:「んなわけないやろー」

こんな感じかな・・・

■ ボケとツッコミ
A:「なんやったかいな?あの中国の女の子が、足、大きならんようにするやつ」
B:「あ~、トンソクやろ?」
A:「アホ、何で豚の足やねん!」

ボケのセンスも問われるね・・・・

■ 上げといて落とす
A:「あんた、かわらしいスカート履いてんなぁ。それどこの古着屋でこうたん(買ったの?)」
B:「んなわけないやろ、大丸でこうてんやんか~」

一旦気持ちよーくしといて急降下(↓)・・・

どれも、間違いなく東京では展開されにくいやり取りでしょう。関西ではごくフツーなんですけどね。いずれも東京では「ムッ」とされたり、「バッカじゃない?」と一蹴されそう。

首都圏で暮らすようになって10年になり、関西テイストのやり取りは関西人限定で楽しんでます。しかし、関西人でもない人の前で、うっかりボケてしまって、突っ込みがない味気なさを味わうこともあります(あれっ、今ツッコむとこやのに・・・)。

上げといて落とす・・・字面だけ追うとこれは交流分析的に言うと、「まがいもののストローク」。気持ちの良いストロークを与えたかと思うと、すぐに取り上げて、「けなす」みたいな不快なストロークで終わる。

関西では、受け止め方が違うから一概には言えないけど。

地域の文化や信頼関係によっても、「ふわふわ」にもなり「ちくちく」にも「ふわふわなのにちくちく」したストロークにもなり、そして、コミュニケーションの印象は受け止める側にいつも決定権がある・・・・

まっ、敢えて落とさなくても、暖かいままのストロークでいきましょ。

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マシュマロを投げる

2006-09-18 22:57:47 | TA(交流分析)
また、話をストロークに戻しましょうかね・・・

一見、ポジティブなストロークなのに、不誠実なストローク。

思っていることと口から出てきている言葉が一致していないストローク。いくら暖かい働きかけしてても、心の中では全然違うこと考えているってこと。全然、自己一致してない。

「そのスカートすごく素敵よ。
(裏はる:よくそんな派手なスカート会社にはいてくるよね)」

「昨日の飲み会は遅くまでお付き合いくださってありがとうございました。
(裏はる:へっ、あんたが早く帰ってくれりゃ、今日はもっと化粧のノリが良かったのにサ・・・)」

まっ、楽しめる程度ならいいけど。混乱きたすようなのは嫌ね~。
あと、女子トイレとか更衣室で繰り広げられそうな、明らかに本音と違って褒めちぎりすぎな「カユイ感じ」っていうの?あれ、超ニガテかも・・・

ワタクシ的には嫌いよ・・・。結局、嘘ってことなんでしょ?

交流分析的にはそういうストロークのことを「マシュマロを投げる」とか「安っぽい人工的なストローク」とか言うんです。

暖かいストロークの裏側に、「あれっ今って『裏はる』いたんじゃない?」って、自分で確認したりして・・・。

マシュマロ?へーっ初めて知ったよ!という方は、ぽちっとお願いします。 ⇒

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ピグマリオン効果

2006-09-14 00:02:15 | TA(交流分析)
私のブログに遊びに来てくれるseiさんも書いていたね。ピグマリオン効果⇒詳しくはコチラ

期待のこもったまなざしを持って接すれば、相手は期待された通りに成果を出す。

日常的にはどうかなぁ?

期待を裏切られることが続くと、期待することに慎重になったりしている人とか組織ってありません?「どうせ、できっこないに決まってるぢゃない」「信じて裏切られた時のショックってわかるぅ?」って。

そう言われると私の場合返す言葉がないんだよね・・・。そりゃ、信じてバカ見たことも多少はあるけどさ。

私の場合は「君はできる」から「君にできないはずがない」とアツ苦しいまでに信じきってることが多いのです。だって本当にできないはずがないって思っちゃってるんですから、ホント仕方ないよね~(笑)。

人によってはありがた迷惑だったり、プレッシャーと感じ、つらく感じる人もいるでしょう(苦笑)。期待だけぢゃダメ。日ごろの信頼関係って大事ですよね・・。

ビジネスの場となると、陰を潜めてしまう「ピグマリオン」のココロ。

エゴグラム的にCP(支配的な親)の強い組織においては「何を生ぬるいことを!期待されなくても成果出すのは当然!!」と一蹴されそうです。

でも、危機的な時とか大事な局面では、こういった心の持ち様があって、きちんと事情や期待の程度を伝えたり、現状の到達度なんかもフィードバックし、理解がえられれば、爆発的なエネルギーを生み出すことってあると思うんです。

エニアグラム的に考えても、人は皆、根っこに持つエネルギーが違うでしょ?違いを認め、尊重する、そしてできると信じること。「You are OK」よ、そんな職場環境にしていきたいと思うのに・・・そうでない組織が多いと聞くのも残念でもあり、今後に期待したりもする。期待かぁ・・・

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ストロークって?

2006-08-30 12:50:32 | TA(交流分析)
今日はお休みなので、先日、空海望さんからいただいた「ストロークって何?」という私への宿題に取り組んでいます。

自分が当たり前のように使っている言葉を、皆さんにわかる言葉で説明するって、何でもそうなんだけど、難しいですよね。自分自身が深く理解できていて初めて、かゆいところに手が届く表現ができたりしてってことで、もいちど整理。

いつの世も、人間関係が自分にとって居心地の悪いものであることを「OK」と思う人は少ないように思います。そこで相手の存在や自分との違いを認め合い、尊重し「相手への働きかけ」や「相手からの働きかけ」が心地のよいものであったならばストレスなく日々の生活を送っていけそうなのになあ・・・と私なんかは思ってしまいます。

人は生まれながらに暖かいココロを持っていて、人生をよりよく生きる素晴らしい力を持っています。性善説ですね・・・・

ストロークは「そんな素晴らしい私たち」の「自分の存在を認めてもらえるような働きかけ」「相手の存在を認める働きかけ」。ストロークを受けた側の印象や感じ方によって「肯定的なストローク」と「否定的なストローク」に分かれます。

■肯定的ストローク
【肯定的なストローク】とは、ひとことで言えば「心地よく」感じる働きかけです。相手を誉めたり、励ましたり、撫でたり、抱きしめるなど、「言葉」や「態度・行為」で心地よさが実感できるストロークです。「態度・行為」によるストロークは「身体的ストローク」とも言います。「身体的ストローク」以外のストロークは「心理的ストローク」と言います。したがって、撫でたり、抱きしめるは「肯定的・身体的ストローク」です。誉める・励ますなどは「肯定的・心理的ストローク」となります。

■否定的ストローク
【否定的なストローク】とは、ひとことで言えば「不愉快」に感じる働きかけで、相手の心を踏みにじったり、身体を痛めつけるような働きかけです。したがって、殴る、たたく、踏みつけるなどは「否定的・身体的ストロークと言い、怒鳴る、悪口を言う、けなす、嫌味を言うなどは「否定的・心理的ストローク」となります。

私たちが欲しいのはどちらのストロークでしょうか?
敢えて「否定的なストロークぅぅ~」って手を挙げる人は少ないでしょう。

人間関係にくたびれた時って、うまく行かない対象の人を責めたり、拒絶したり、逃げ出したりしたくなったりしませんか?私だってあります。

自分が変われば相手も変わる。相手が変わらないまでも、相手のを見る見方が変わる・・・・なんてこともあるでしょう。

暖かい「肯定的なストローク」は与えても与えてもなくなることはありません。使っても次から次へと湧き出してきて、使いすぎても涸れることがありません(そうらしいです)。

しかし、私自身がいかなるときもできているかと言うとコンディションによってはできないことも多くあります。疲れている時とか、時間的・精神的に余裕のない時は特にそう。

でも自分自身のストロークは可能な限り暖かいものでありたいと思います。そうできる、自分のコンディションを自分から作ることも大切ですが、最近は暖かいストロークをもらいに行ってみたり、欲しくないストロークは返上したりもしています。そういう時って、一時的でも何だかココロは軽やかです♪

交流分析的には「自分と未来は変えられる」のですから。

自分の中にあるストローク経済の法則は書き換えることの意義を実感し、自分の変化の一歩に喜びを感じる今日この頃です。

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空海望さん、宿題のおかげで私もすっきりしました(感謝)。今度は条件付・無条件のストロークについて書きます。
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ストローク経済

2006-08-27 10:30:31 | TA(交流分析)
本当は、際限なく与えられるはずのストロークを、敢えて不足気味にすることで、親は子供をコントロールしようとしている・・・・

言われてみればココロあたりが・・・・。

子供は、不足気味のストロークを獲得するために、親のお気に入りの振る舞いでストロークを獲得しようとする。「親好み」の振る舞いかぁ~、そうさえしてれば、誉められたり、怒られなかったり、うんうんあったもんな。振り返れば、子供ながらに、「親ごのみ」な振る舞いを「顔色」見ながら決めちゃったりしてて・・・。

その振る舞いを身につけていくにあたり、大きく影響する法則は5つ。
これが「ストローク経済」なるもの。日本交流分析協会のテキストを参考に書きますと・・・

□第1の法則 与えるストロークを持っていてもストロークを与えてはいけない
□第2の法則 ストロークが必要なときでも、ストロークを求めてはいけない
□第3の法則 もしそのストロークが欲しくても、それを受け取ってはいけない
□第4の法則 欲しくないストロークであっても、それを拒否してはいけない
□第5の法則 自分に与えたくても、ストロークを与えてはいけない

いやー、改めてみると、なかなか手厳しいものでありますな・・・(苦笑)

なのに、悲しいかな、ほとんどすべて、程度の差はあれ、無意識にしたがってるし、こわっ(怖)

子供がこの先生きていくために必要と身につけ、染み付いてきた振る舞いの中には、大人となった今となっては、何だか自分を生きづらくしてしまうものもありますよね。

今でこそ、脱皮しているけど、私は、かなり長い間、「私はOKではない」って思ってました。今も、うっかりしてると、そういうポジションに戻りそうになるけど、「私はOKよー」って思うためには、上述の第1~5の法則を拒否する必要がアリ。

自分もOKになるために先の法則を書き換えるなら・・・

◎第1の法則 ストロークはいくら与えてもなくならない
◎第2の法則 ストロークが必要なときは自由に求めてもよい
◎第3の法則 与えられた時はいつでも受け取ってもよい
◎第4の法則 もしもらったストロークが気に入らなければ率直に拒否してもよい
◎第5の法則 自分にはポジティブなストロークをどんどん与えてよい

最近は意識してるけど、私が弱いのは、第2・第3の法則のストロークかと・・・。第4も最近は、ぼちぼちかあ~、無言で拒否しがちだけど(苦笑)

交流分析を学び始めた頃、初めて教わったは「私はストロークの分野が一番好き」って言ってた意味があまりよくわかりませんでした。私もここまであまり「ストローク」についてはココロに響かなかったんだけど、今は何だかちょっと好きかも。

皆さんはどうでしたか?

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ストロークと親密さと

2006-08-21 13:19:05 | TA(交流分析)
8月後半になって7月からの未消化の休暇をようやく取得。ブログの更新ペースも、もとに戻したいものです。

昨日の交流分析の講座では、「ゲーム分析」「脚本分析」でしたが、しばらくは「ストローク」について書いてみたいと思っています。なぜか?

その理由はとても重いかも。読んじゃったら、次どんな顔して会ったらいいかわからない読者の方いるかも。みんな目、泳ぐよね・・・・(笑)

ストロークとは、繰り返しになるけど、教科書的には「他者の存在を認めるための働きかけや行為であり、存在認知の一単位」と定義されます。

敢えて、事実を書きます。過ぎ去った私の結婚生活の多くの時間はいわゆる「仮面夫婦」であり「家庭内別居」でした。本音が語れない「裏面交流」の繰り返しや、お互いが暖かいストロークに飢え、形は違えど「否定的ストローク」ばかりを交換した不健全な時期が長かったです。そして、交流分析の創始者のエリック・バーンは「人は何のために生きるのか、それはストロークを得るためだ」と言っているのに、家庭生活の晩年は否定的なストロークすら交換がありませんでした。だいたいそんなものかも・・・離婚する時って。

交流分析が目指す「自律の為の自己変容」を支えるのは「気づき」「自発性」「親密さ」です。その中で、実は私が一番苦しんでいるのが「親密さ」です。この「親密さ」を回復するにあたり、本物の感情が使えないのがかなりのネックなのです。思いのままに感情を出せる人が羨ましいのが本音です。

交流分析講座の2級と1級の違いは、2級では根幹となる考え方やキーワードや縦断的な理解だったのに対し、1級講座に進むと、7つ領域が密接に絡んでくるのがわかります。今も自分の「ストローク」のあり方について考えながらも「脚本分析」の親から受けたメッセージ「5つのドライバーや12の禁止令」なんかが「これでもか・これでもか」とまとわりついてきて、わずらわしいのを実感するくらいだし。

親には恨みつらみはなく、幼いころに私に送ったメッセージの動機をメールで聞いては「そうだったのか」と納得したり、協力してもらっています。

親が参加する「脚本分析」?
それも私と母の間の存在認知のあり方なんです・・・。
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