Breathe & Stretch 〜マインドフルネストレーナーのメモ帳〜

縁あって辿りついたマインドフルネストレーナーの仕事。悩みは色々あれど、喜びや楽しみが増えていきますように。

金沢のお正月、能登半島地震から1年

2025-01-03 21:14:18 | 能登半島地震のこと
元旦は、能登半島地震から1年ということで、テレビ番組は追悼式や関連番組が続きました。

思い起こせば、昨年の元旦は、金沢市北部のわが家も激しい揺れに見舞われ、海抜の低いわが家は、大津波警報の発令により、

車を高いところに移動させねばならず、私はそのまま避難所の設営や運営にあたっていました。

その後、私の地区でも液状化による被害が大きく、川に近いエリアや水脈の関係で地盤がやられたお宅が想定外に多く、私の自宅の周りも公費解体が続いています。

昨年のお正月は、父はショートステイ、母は入院と私は自宅に一人だったこと、ライフラインにほぼ影響がなかったことが不幸中の幸いでした。

上空にはヘリコプター、能登へと続く道路は救急車や消防車がサイレンを鳴らして走る中、2月に控えた精神保健福祉士の試験勉強に

何とかして集中しようと試みるも、急性ストレス反応で心拍、血圧とも高い日々が続き、苦戦したのを懐かしく思い出します。

国家試験が終わってからは、金沢市内と輪島市門前町でのボランティア活動を細々と続けておりましたが、状況を一転させたのが能登半島豪雨でした。

そこから2ヶ月、後方支援としてほぼ週末には集めた支援物資を持って輪島に行くという生活になり、12月にようやく落ち着いたのでした。

細々と長くつながっていこうと思っていたのが、仕事の繁忙期にどっぷりと濃厚な活動となり、てんやわんやな日々となりました。

公認心理師や精神保健福祉士だからと言って、被災者の心理支援の活動をしていたかというと、生活がままならない方には物資の支援が先になります。

もともと傾聴ボランティアとか心理支援を単独でやろうなどとは考えていませんでしたので、そこは柔軟に動けたのかなと振り返ります。

能登半島地震・豪雨災害と復興はままなりません。

そして、ご家族を亡くされた方の悲しみは1年間で癒えることはあろうはずもなく、発災から1年後の「記念日反応」が被災された方に起きたことと思います。

あの恐怖体験、救えなかった命、避難所での大混乱や支援物資が届かない中での不安、気が休まらない避難所での生活、この先の不安など、

1年後に、またいろんな記憶や思いが反芻するそんな元旦だったのではないかと思います。

そんな中、お正月を祝うこともはばかる訳ですが、

自分の暮らしは、自分の暮らしとして健全な状態に保つことなくして、被災地区のお手伝いや被災された方への伴走などできないと自戒し、

今年のお正月は、お節料理のミニマムメニューだけを何点か手作りしたあとは、お節料理にこだわらない作り置き料理で食べすぎないように。

年に1度しかとらない、鰹と昆布の一番出しで作るシンプルな金沢風の雑煮





金沢風のおでんと年末に漬けた大根ずし(大根と身欠きニシンの麹漬け)



被災された方々の変わりゆくニーズを捉え、少しでも以前の暮らしが取り戻せるように、関わっていけたらと思っています。

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