Breathe & Stretch 〜マインドフルネストレーナーのメモ帳〜

縁あって辿りついたマインドフルネストレーナーの仕事。悩みは色々あれど、喜びや楽しみが増えていきますように。

マインドフルネス心理療法での拠点「北陸マインドフルネスセンター」開設。

マインドフルネス心理療法は、第3世代の認知行動療法で、日本ではまだ新しいものです。

北陸マインドフルネスセンター」ではマインドフルネス心理療法のうちの「自己洞察瞑想療法(SIMT)」で
うつ・不安障害の方を中心としたサポートを行っていきます(福井・石川・富山)。

このまま何もしないでいるとメンタルヘルスが悪化し、仕事や家事に支障を来しそうな予感のある方や、
通院しながら急性期は乗り越えたかなと思われている方、お薬を減らして行く過程にある方で、
なるべく自分の力で乗り越えて行きたいとお考えの方は、お気軽にご相談ください。⇒こちら
(病状によっては効果が確認されていないケースがございます。診断を受けていらっしゃる方は必ず事前に
お知らせください)

マインドフルネスについて記事更新中。 こちらのブログもぜひお立ち寄りください!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

幸せは不平等か?

2010-01-18 20:15:31 | 自分のおかたづけ
最近は、どちらかというと気楽な記事が続いています。

気楽な記事を書いている時は、だいたいちょっと深刻な課題を抱えていたり、発信する内容の深いところでの理解ができていない時です。

12月から2月は、私のインプットの時期で、少々詰め込み気味になっています。

先週末と今週末は、「ブレイクスルー思考」という思考法を学んでいます。

ブレイクスルー思考のすすめ (丸善ライブラリー)
日比野 創,日比野 省三
丸善

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私のような、右脳で直感と感性で生きている人間には、楽しくて仕方がない思考法です。

講師の先生は、日比野省三先生と言って大学の先生です。

第一人者から学ぶとなると講師の先生が大学の先生ということは多々あります。
それにしても、名古屋発のパワーにはグイグイ引き込まれます。

教授法からも学ぶことが多くあります。
細かいところまで良く見て、率直に情熱的にフィードバックして下さるあたりは、個人的には私の理想形です。

お手本に学べるありがたさ・・・

内容は、またまとめてレビューしたいと考えています。

講義の中で、こんなコメントがありました。

「人生とは、不平等なものである。幸せな人はずっと幸せだったり、不幸な人はずっと不幸だったりする」

ううっ、頷けるような、うなづけないような・・・

私は、最近になってようやく「私たちは、幸せになるために生まれてきた」と、迷いなく言い切れるようになりました。

それは心理学を学ぶ究極の目的がそこにあるからです。

そして、私たちは、だれもが幸せが実感できるような行動を自ら選択し生きていくことができます。

不幸な人は、自分が描く幸せが実現できるような行動を選択していないか、あまりにも非現実的な幸せを描きすぎているとはよく言われること。

生まれついた環境も幸福感を左右する要因かもしれませんが、これも同じ環境で育っても、幸せに前向きな人もいれば、前向きになれない人もいて、

結局は、周囲の大人を見たり聞いたりして刷り込まれた行動や考え方の書き換えが、いつ、いかにできるかなんじゃないかって思っています。

一人でできない場合は、誰かに手伝ってもらいながら。

そして何よりも、何をもって幸せとするかの基準は皆違っていて、しかも幸せと認知するか、不幸と認知するか、それもその人独自のモノ。

そして、認知、思考、行動、自分の意志で変えられるモノ。

他人と比較しないで、自分自身で描く幸せを考えながら行動で実現していく。

私が感じるホントに幸せな人ってそんなイメージの人です。

そして、私自身が幸せだと思えずして、深いところで、人の幸せを支援する仕事などできるはずもない。

今もそこそこ幸せなんですが、まだ幸せになる行動を選択する余地があると感じるこの頃です。

誰もが平等に幸せになる力あり・・・

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疲れない体になる

2009-12-31 15:16:19 | 自分のおかたづけ
30日から金沢に帰省しています。

東京駅から越後湯沢までは久しぶりに「立ち」でしたが、ヒーリング音楽を聴きながら、読書に没頭できた有意義な時間でした。

今朝は、父の笑い声で目を覚まし、母と他愛もない話をしながら家事の手伝いをしておりましたら、

みるみるうちに雪景色、めちゃくちゃ吹雪いています。

金沢を離れてから、関西・関東と移り住みましたが、私にはこの北陸のWetな気候は肌にはしっくりくるもので、寒いながらも和んでいます。

さて、話は変わり、

11月から取り組んで参りました減量生活もようやく効果が現われてきており、お正月太りを避ければ、来春には目標を達成できそうな光が見えてきました。

何せ、「40歳メモリアルダイエット」のリミットは残り5ヶ月です、

前半は何も手がつかず、むしろ「人生Max体重」を記録してしまった私は、後半で挽回するしかないのです。

今年も、研修のハイシーズンは随分あたふたしました。

同程度の仕事量をこなす仲間と話をし、疲労度に話が及ぶとやはり似たり寄ったりの状況のようで、慰められたのはつかの間、

同じ傷を舐めあっている場合ではないやろ・・・

昨年よりは、睡眠時間を増やすことはできましたが、登壇とその準備、報告書の作成に追われ、週末に寝だめをして、準備で終わる休日の繰り返し中で、

私自身の放電量に見合う充電はなかなかできていませんでした。

ふと思ったのは、この感覚は何かに似ている・・・

合宿、トレーニング、練習、練習試合、移動、試合・・・

これって、大学時代の春・秋のリーグ戦の時期と同じやん・・・

私は、ここ数年、全く体を鍛えていないです。

健康の維持増進とか、ウエイトコントロールとか、その程度のことも長続きしないのも不甲斐なく、

4年前から走りたいと思いつつも、いまだ習慣化していません。

そんな状況を断つために、
実は、12月からはフィットネスクラブで汗をかいています。

20代半ばまではハードなトレーニングを積んできましたが、今は、女性特有の体の周期にあわせて、時間を決めて冷静にトレーニングしています。

十分な大人になって、精神的疲労にフォーカスがあたりがちな昨今なのですが、ホントのところそれを支える体がなってないんじゃないの?

疲れない体になることが、来年を元気に過ごす上で必要なんぢゃないか?

ってことで、真面目に鍛えることにしました。

トキニハ、ドエス・ドエム、ヒトリフタヤク・・・

1年間、頑張ってくれた自分の体に感謝しつつも、新しい年の自分に期待をしながら、今年の最後は来年への抱負です。

皆さんも、1年間、それぞれのフィールドでお疲れさまでした。
しんどいことも多い昨今ですが、みんなで乗り越えていきたいですね。

どうぞ、来年もよろしくお願いいたします。

皆様も良いお年をお迎えくださいませ。

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婚活に思う

2009-12-27 16:56:17 | 自分のおかたづけ
クリスマスの夜、かんくろうさんと阿佐ヶ谷でご飯食べました。

海晴亭(阿佐ヶ谷店)

かんくろうさんは、4歳下で、出会ったのは6年前、同じ勉強会つながりでプライベートでもしばしば気晴らしの時間を共にしています。

(かんくろうさんは女性です)

仕事の話から入り、お互いの悩みを話しながら、仕事のヒントをお互いが得ながら時間が経ち、この日の話は、婚活について。

私は、すでに「離活→婚活」のひととおりの流れを経験しており、昨今は婚活を休止しておりました。

婚活という言葉が、社会に認知されたのは、2007年11月だそう。
私の最初の婚活は、それより前のことで、ネットのサービスを使った活動でした。

当時はまだ30代だったので、メールを通じて男性と知り合うことに困ることはありませんでしたし、実際、その後1年ぐらいお付き合いしていた男性もいました。

しかし、今は同じような活動をしようとは全く思いません。

最近は、婚活バーや、お見合いパーティーなども花盛りで、皆、得体の知れない何かに駆り立てられて、パートナー探しに躍起になっています。

出会わなければ始まらないのですが、
さりとて出会いさえすればいいという問題でもなかろう・・・

私は、結婚には過度な期待はありません。

今、自分の精神的なコンディションはすこぶる良い為、このままの状態がしばらく続いてもよいとも思っています。

しかし、コンディションが悪い時の恋愛には、何か大切なことを見誤るような気がしていて、それだったら、自分が安定している時期の判断の方が、自分を信頼できるんじゃないかと思ったりしてます。

無期限という訳にはいきませんので、比較的、運気が良い、来年、再来年ぐらいを目処にしてはどうかと思っています。

(いちおう、年明けに占い師の先生に見てもらいますけど)

では、なぜ結婚するのか?

テレビ番組の婚活中の方へのインタビューで聞かれる、「このまま一人だと、老後か心配だから」とか「一人より誰かといた方が楽しいから」とか、一義的には私の口からは出てこないんです。

2人でいても心配なことものは心配だし、一緒にいても寂しい結婚もあるし、何よりも自由な独り身が長くなれば、共同生活は多少なりとも煩わしいモノ。

一回結婚に失敗すると、フツーに悲観論者いや現実的になります。

でも、今の生活があまりに自由すぎて、1人でできる成長の限界を感じてしまうのも確かです。

なんか言ってること、かなり悠長なんですけど、少々煩わしいことや、ドロドロとしたものも生活に必要でありますよ・・・

既婚者の皆さんにとってみれば、隣の芝生に放し飼いにされた独り身の女は、ストレス知らずとお感じになる方もいるかと存じますが、生きていく上で、適度なストレスは必要です。

えっ、それが結婚の動機?

案外、そうかもしれません。

あの、煩わしさが恋しいのです・・・

ネット上も含めて、結婚相談所・紹介所などのサービスは、年齢・職業・年収・学歴みたいなところからフィルタリングが始まります。

職業と年収は、昨今のご時勢、未来に向かって変動するものであります。

先の婚活で思ったのは、

条件先行型のマッチングサービスは、出会った後、相手がちょっと違うかなと思っても、私には案外リセットしにくいものでした。

(私の場合は、打算的な恋愛ほど悲惨な結末を迎えています)

最近では「婚活疲れ」という言葉も良く聴かれます。

データーベース上でマッチングがうまくいかなかったり、良いお返事がないことに悲観的になり、活動そのものに疲弊してしまう人も増えてきているようです。

幸せになるための活動なのに、なんで「死にたい」とか言うの?

今、結婚できなくたって死ななくていいから・・・ねっ。

かんくろうさんと話しながら、本当に出会いたいのはどんな人なのかと整理しましたところ、

社会がどんなに変わっても、どんな未来を生きたいのかはっきりしている人
そして、どんな未来であっても、共にサバイバル的に生きられそうな人、

あとは、

健康で、人と和睦でき、明るく元気で、仕事好きな人。

先日、友人に言われたのは、
「この年になって残ってる男女は、はるさんも含めて、大なり小なりの『曰く付き』なんだから(贅沢言わないの!)・・・」

そかっ(汗)

2009年12月25日 ジタバタしない無理のない婚活を開始することになりました。

一応、目を通しましたが・・・私も明るい難民です!

【婚活最前線】結婚できない男と女 1/5
【婚活最前線】結婚できない男と女 2/5
【婚活最前線】結婚できない男と女 3/5
【婚活最前線】結婚できない男と女 4/5




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自己否定を絶つ

2009-12-27 10:27:57 | 自分のおかたづけ
サバイバルノート」を、ちまちまとつけながら思うことですが、私は、自分に対して、過度な要求をします。

書きながら、自分のあるべき姿が、「どんだけ立派なんや・・・」って思うことが、多少なりともあります。

つまり自分の「かくあるべき」っていうイメージが常時「背伸びモード」で映像化されている訳です。

たぶん、多くの皆さんも、大なり小なりともそういうところがあり、そのイメージに導かれて、行動を起こし、目標を達成したり、理想に近づく努力をしていくんだと思います。

「自分に期待する」って大事なエネルギーだと思ってるんですが、問題は、すんなりいかなかった時に下す自分への評価が、否定的であり、それを執拗に引きずる自分をどうするかってことです。

でも、それってみんな、そぢゃないのん?

っていうか、「類は友を呼ぶ」だからでしょうか、周りにそういう人が多かったからか、そんなことも疑わずにここまで参りました。

若い時と、比べるなら、体で具現化できることに少し翳りが出てきた感はありますが、問題はそれを適正に評価することなんですよね。

だいたい、過度に自分を否定している時の、自動的に性懲りもなく湧き上がってくる思考は、現実など冷静に見ていない・・・

自分しか見てなくって、目の前に広がる移り変わる環境や、相手の立場や感情をよく見ていないし。

現実対応する自我状態の成人(A)に自分がいれば、それは否定ではなくて、ただ冷静に自分を評価して、また新しい「自分PDCAサイクル」を回すだけのことなんだろうと思うんですよね。

自分を「適正に評価するモード」に自分を切り替えること。

口で言うのが簡単なことを、そのまま言い訳しないでシンプルにやること。

嫌な状況を断ち切って、今に集中できる自分を取り戻すイメージを常に持つことで、自己否定を断ちます。

今は、こうして自分を俯瞰することができる穏やか時間を過ごしていますが、渦中にいる時に実践している自分を発見できればと思います。

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沈まぬ太陽

2009-12-02 00:34:55 | 自分のおかたづけ
今日は、午後から映画を見に行きました。
予定外です。気分変えるためにです。

見たのは、「沈まぬ太陽」です。
原作は山崎豊子さんの小説で、映画も話題作。
でも3時間超えの大作ともなるとちょっと及び腰になっておりました。

とは言え、私には原作を読む根気強さはないので映画でみるべし、なわけです。

主人公の渡辺謙演じる恩地が、労組の委員長として辣腕を振るった後に続く理不尽な処遇に負けずに、正義を貫き続ける姿や、会社の上層部の腐敗しきった人間模様、中でも三浦友和演じる恩地の同僚:行天が出世と引き換えに悪事に手を染めていく姿の「悪さ加減」にかなり引き込まれてしまいました。

恩地が担当した御巣鷹山に墜落した飛行機事故の遺族対応。

この映画から、企業の社会的責任とかそんなことを語るのはナンセンス。

大企業の中で理不尽さと戦い、不毛と思える時間の中で、不屈の精神力で正しさを貫く主人公の想像を絶する強さに、些細なことに怒ったり、落ち込んだりする自分が恥ずかしかったです。

しかもエンディングで、

意図しないこと命を奪われるような絶望に比べれば、日々の理不尽さなど苦しみとは呼べないものである

みたいなセリフがあって、自分が日々苛立っていたり、自分勝手に落ち込んでいることなどホント、些末なことに過ぎないとため息です。

自分が過去に感じたことのある絶望感なんて、今は忘却の彼方です。

無論、主人公ほど強くある必要もない私ですが、ひとつ感じたことは、「正しさから逃げない生き方」を自分がしているかということです。

私は二値化が嫌いです。

正誤、善悪、強弱、大小、優劣などを明確にすることが嫌いです。自分自身が心を患って以来、白でも黒でもない中に自分を置いてきました。

それでもやっていける恵まれた環境にあるのです。
ただし、責任や影響度もそれに見合うものでしかありません。

この映画を見る前に、自分の感情が久しぶりに大きく揺れる出来事があり、いつになく率直に言葉を選びながら、多少厳しいやりとりをしなければならないことがありました。

オブラートに包みすぎてオブラートの味しかしないモノ言いじゃなくって、日々のトレーニングの成果として、なるべくアサーティブにと思うけど、冷静になればなるほど、案外冷たい私です。

でも、「正しいこと」は守らなくちゃ・・・

言葉を知らなかった若い時に比べて、今は伝え方を学び、わかちあいの力はついてきているはず。

時代は変わっているけど、普遍的に「正しいこと」って、やっぱあるじゃない・・・

不屈の精神とまでは言わずとも、譲れないものについては、ぶれずに貫く強さが実感できなかった最近の私です。

心の整理がついた3時間でした。

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書道での学び

2009-09-17 14:08:44 | 自分のおかたづけ
久しぶりに外での仕事がない日です。

基本的に土曜日が書道のお稽古日の私は、仕事で行けない時は、仕事のない木曜日の午前にお稽古を振り替えています。
今のところ、月に2~3回通えればいい方です。

木曜日は、土曜日の半分の時間しか練習ができないため、思うように書けないことが大半です。

ちょうど、学びなおして1年になるのですが、先生にも環境にも恵まれました。

展覧会に出品することもできましたし、書道会の出版している教本には、1度成績優秀者として作品を写真版に載せていただくこともできました。

先生には、「もう5年間ぐらい教えているような感じだね」と言われるのですが、たしかに、毎回毎回、「指導の濃さ・深さ・広がり」を感じます。

先生は、書道家としても一流の方です。

一流の人たちに共通しているのは、

「凡事徹底」

結局は、小さなことでも、当たり前にきちんと、しかも目的意識を持ってやっていると思うのです。

しかも、自分だけの満足のためにではなくて、誰かのために。

イチローだって言ってるじゃないですか、

「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところに行くただひとつの道だと思う」って

これからもどんな大記録が打ち出されるのか、とんでもないところに行くことをファンは見たい。

そんなことを考えさせられます。

近いというだけで選んだ教室だったのですが、幸運すぎる選択でした。

先生には、毎回、心の状態を把握されてます。

いや、言葉としては、見透かされているという表現の方が正しい・・・

教えていただく技や考え方もさることながら、先生の教授法の1つ1つを自分の仕事に置き換えることができ、本当に毎回、学ぶことが多いのです。

余暇から仕事のヒントを・・・これぞまさにワークライフバランスの恩恵ではないかと。

私の場合、メンタルが、筆の持ち方や運びにすぐに出ます。
課題は、技術面よりも、なるべく早く、雑事を忘れ、今ここに集中し、筆の動きを楽しむことに没頭することです。

今日は、この後、金沢へと移動するため、着手中の仕事を片付け、仕事道具や衣類、その他、忘れ物なく積み込む為に脳内がざわつきそうになるのをぐっと押さえるのに苦労しました。

体を通じて、心のあり方や、心の動きがわかる、私にとっては必要な内観の時間です。

書道セラピー(?)

たまによろしくお願いします。


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頑張るから「顔晴る」へ

2009-09-16 22:58:59 | 自分のおかたづけ
年のせいだけではないと思いますが、最近、めっきり頑張れなくなりました・・・。

というか、厳密に言うと、何でも全てにおいて一生懸命に頑張るということがなくなったのだと思います。

若い時は、取り組むこと全てに「燃焼する実感」がなければ、一生懸命に頑張っていないという評価を自分に下していたように思います。

しかし、最近は「一生懸命頑張っているか」という評価項目が自分から消えました。

最近は、メンタルの調子の良くない方が増えていますが、私なんて、すんごい長い間、ウツウツ状態でしたからね・・・

最近、読み始めた下さった方はご存知でないかもしれませんけど、マジで。

4年ぐらい前まで、2~3年ぐらいの間。
というか、30過ぎてから半ばまでずっとダメだったですね・・・

(どうやら、大殺界だったようです)

会社では普通に仕事もできました。その他の付き合いも、普通にできていました。
外では、ガソリン切れで平気で走れる人だったんですよね。

でも、1人になると何とも言えない、嫌な気分に支配され、朝出社するまで断ち切ることができないみたいな日がずーっと続いていました。

原因は、仕事で、もっと頑張りたいのに頑張れなかったことと、婚姻関係の整理の問題を抱えていたから。

明らかに、快適に暮らすために必要な脳内物質が出ていなかったと思います。

表情も冴えず、眉間にうっすらと縦の筋と、頬にホウレイ線らしきものができてきたのを見た時、このまま年齢を重ねたくないと思ったのが脱出のきっかけでした。

この状態から抜け出せたのは、自己理解を本気で行ったことから。

知らない自分や気づかなかった自分に出会い、経験した混乱や衝撃。
何よりも大きかった、どこかに置き忘れてきた自分に再会したこと。

逃げたくなかったので、傷口に塩を塗りこんだような痛みや、自分の膿を出すような痛みもありました。

4年前ぐらいのブログ記事はそんなこと良く書いてましたね~

今でもよく知らない自分はいますが、自分とはまだまだ長いおつき合いです。

だから、今だって、フツーに落ち込んだり、迷ったり、時に自分を責めたりすることもあるし、人を責めたりすることだってあります。

そういう気持ちを認めて、ゆっくり味わうようになった時から、誰かがカバーしてくれることで1人で頑張らなくてもいいこと判断したことは捨てる選択ができるようになりました。

最初の頃は、そんな自分がだらしなく感じられて仕方なく、ホント居心地悪かったです。

今は、どうなんだろ?

もっと頑張った方がいいのかもしれない・・・ちょっと催促される仕事も増えてきました(汗)

でも、個人的には、こうしてブログ記事を書きながら自分を整理する時間の方を持つことで保っている自分がいるもの確かで、自分への影響度で判断すべしと思っています。

もう、自分をあの時みたいに可哀想な目に遭わせないと決めています。
自分を一番近くで支えるのも、癒すのも自分だし。
(もう一人ぐらいそういう人がいてもよい・・・)

今は、周囲と調和しない自己満足な頑張りよりも、客観的に現実に対応しうる頑張りでよい。

一緒にいる人が気持ちよく過ごせるように笑顔で、頑張るから「顔晴る」でありたいです。

今日は、会うこともない同じ囚われに苦しんでいる方に届くように書いています。
忘れた笑顔を取り戻すことができますように。

たまによろしくお願いします。

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自分の感情を扱う

2009-06-14 23:45:06 | 自分のおかたづけ
今日は、疲れが抜けきらないもやーっとした1日でした。

渋谷で研修を受けた後、西友で買い物をし、店を出た頃は、小雨だったのに、10分ほどでなんでこんな雨になるのかわからんくらいの、滝のような雨に打たれました。

で、目が覚めた・・・

今日もそうなんですが、ここ数ヶ月、新しい心理アセスメントを立て続けに受けています。

先日、EQI(行動特性検査)の検査結果がポストに届いていました。

『情動が私たちの行動に重大な影響を与えている。情動を上手く管理し、利用することは知能である』

EQは心の知能指数と言われています。

過去にこんな本読んでました。

EQ―こころの知能指数
ダニエル ゴールマン
講談社

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EQ こころの鍛え方 行動を変え、成果を生み出す66の法則
高山 直
東洋経済新報社

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感情の識別・感情の利用・感情の理解・感情の調整の力ってことなんですが、やっぱり検査結果を見て気づくことが多かったです。

今回の発見をメモしておきます

1)私は、自分の中にある感情を自分でわかっている。

最も、高いスコアを示したのが「私的自己意識」であり、自分のこころの状態や動きを明確に把握できている模様。

確かに実感あるもん。感情だけでなく、自分からで気づくことは案外多いかも。でも、気づかないことは、徹底して気づかない。そんなもんなのかな・・・

もちろん指摘されて気づくこともありますが、今までの上司は、私を注意をする時、ほとんどの場合、「もう気づいていると思うけど」「もうわかっていると思うけど」という言葉を添えていました。

2)ストレスと共生できる

怒りや不安、恐れなどの否定的な感情を自分でコントロールできるらしい。

そういう感情がない訳ではなく、人並みにあるけど、不要と思った時に、意識して逃がしているのだと思います。それは自分で訓練しましたし、克服した自信もあります。個人的には、怒りはもっと表現したい感情です。

ごく一部の陽性の感情のみ暴走する傾向はあります。
 
3)共感的に理解できるが、相手の感情にほとんど影響されない。

人の気持ちはわかっているのに、巻き込まれないところはある。
情にはもろいが、それとコレは別というように、現実的な判断をするところは多分にあるかも。

4)情緒的表現性が低い

基本的に、喜怒哀楽の感情表現はあまり豊かではないと思います。

喜怒哀楽の感情は感じていない訳ではないのですが、いちいち外に出して大騒ぎするのが面倒なのかもしれません。

あと、母親が比較的そうだったから、そういうところは自分の中にコピーされていると思います。

5)案外アサーティブである

自分独自の考え方や手段が確立しているらしい。
些細なことにこだわらず多面的に考えられる、そんな自分は案外好きです。最近は、率直にモノを言うことが増えてきました。

私的自己意識は、こうして書きながら、内省・内観して高めてきたのだと思います。

それをブログで開示しているのは、痛い目にあいながらも、「自分で自分を生きること」が誰かの参考になればと思うからです。

さあ、今日もプラネタリウムで眠ろう・・・

たまにお願いいたします。

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DiSCで知る自分

2009-06-05 20:09:52 | 自分のおかたづけ
旅日記はまた別の機会に書き綴りたいと思います。
久しぶりに「自分のおかたずけ」ネタを。

私は、自分にどういう感情や思考・行動の特性があるのかということは、概ね知っているつもりでいます。

知ったつもりになっているのかもしれませんが、複数の評価ツール(エニアグラム・エゴグラム・MBTI・キャリアアンカー他)を使いながら、ここ数年は自己理解を深めつつあります。

4月から、新しい学びの中でDiSCで自分の行動特性を新しく理解しました。

DiSCがどのようなものなのかは、予ねてより、知ってはいたのですが、正規版を体験することがなかったので良い機会でした。

DiSCの良いところは、4つの行動特性の組み合わせで詳細なタイプを割り出していくところです。

4つの行動特性は⇒こちら

ちなみに、それぞれの特性をイメージしやすくするなら

D:アメリカ人的な行動
i:ラテン系の行動
S:日本人的な行動
C:ドイツ人的な行動

質問に答えることによって、4つの要素のスコアが折れ線グラフで表示されます。

しかも、テスト項目の回答上、「特定した場面(仕事とか、家庭におけるとか)の自分」と、「素の自分」がわかるから不思議。

プライベートの自分は「S」と「i」が同じくらい高いです。
簡単に言うと、人間関係を大事にし、創造性を発揮するそんな人。

でも、仕事では人間関係を大事にする「S」のスコアが最も高く出て、「i」は少し下がり、代わりに「C」の仕事の質へのこだわりと、「D」の行動や成果へのこだわりが強くなります。

ここでの気づきは、実は、素の自分は、案外「ラテン系日本人」ってこと。

皆さんにも、そう映ってます?

そして、仕事という特定場面でなければ、「成果」とか「質」とか案外どうでもいいってこと・・・・。

えっ、そ、そんな・・・(汗)

もうちょっぴり、自分はキチンとしているつもりでいたのですが、想像以上に「お気楽サン」だった模様。

仕事の中では、あくまで「適応しているんだ」ってことを知ります。

つまりは、「素の自分」と「仕事用の自分」で行動にギャップがあるということで、それがストレスの原因にもなっている可能性があるわけです。

仕事なんだから、緻密さも主張も必要なわけで、そんなのなしではやっていけるほど甘くはないから努力をしていたのですが、フツーにできる人たちもいる訳ですから、ちょっと羨ましいですね。

ちなみに、最終的に割り出されたタイプは、仕事上は「調停者」。「タイプ9」っぽい傾向ですが、「D」もスコアが高めで、さしずめ、「モノを言う調停者」ということで、今の仕事もそんなスタイルになっていると思います。

素の自分はエニアグラム的には「タイプ7」「タイプ2」あたり行動の傾向が強いらしいです。一応、それも認識済みです。

(たまに「どひゃー」という言動があるのは、どうやらそういうことらしい)

その他「タイプ4」が「i」が内向きなラテン系を匂わせ、ちょっとかぶる。THE日本人的な「タイプ6」は、「S」的でありながらも自分としてはあまり当てはまらない。

などなど、「ツールが異なる=自分を映す鏡が異なる」ということで、また自分の探索が始まります。

自分って飽きないもんです・・・

交流分析の先輩方は私の「自由な子供(FreeChild)」の面を確実に指摘します。

仕事上の、自分の役割やあるべき姿はもちろんわかっているのですが、もしかしたら、本来の伸びやかさが、もう少し出ていた方が自分らしい仕事ができるのかもしれません。

40になってまだまだ、自分の活かし方があることを知ることができるのは案外幸せなことです。

自分とはまだまだ未知であり、退屈しない存在なんだなあと思う昨今です。

たまにお願いいたします。

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Just 40

2009-05-26 06:52:43 | 自分のおかたづけ
朝 起きたら、40歳になってましたーー。
「アラフォー」と言うより、今年一年は「ジャスフォー」です。



我ながら、とてもめでたい!

外見は、仕事上、少々貫禄不足な私にとって、実年齢で、多少の経験と苦労を匂わせる「40」の響きは、案外ウェルカムなんです。

いろいろあった30代でしたが、大きな病気もなくここまでこれました。
40になる前に医療保険を1本増やしました。
健康管理が、かなり課題になるこの先10年だと思います。

でも、私は自分に期待しています。

自分自身が自分でいることを楽しむ一方で流れるように変化も楽しみたい!

そんな10年にしたいです。

ちなみに、朝起きたら、昨夜、登壇疲れからかまたもや蛍光灯をつけっぱなしで寝ていました。

こういうのは減らして行きたいと感じる40代のはじまりです。

家族を初め、すべてのつながりに心からありがとうございます。

Happy Birthday♪



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変えるものと変えなくていいもの

2009-05-24 22:18:50 | 自分のおかたづけ
会社なんかで、「自己改革だ」「自己変革だ」と、他者から掛け声ばかりかけられても、

「えっ、変わるってどう変わったらいいのー」「頭ではわかっちゃいるけど、そう簡単に変われたら苦労しないよ」ってのが本音なんじゃないでしょうか?

かくある私も、ある人生の岐路に差し掛かるまではそうでした。
たしかに、たくさんの荷物の整理が必要でした。

つか、手術したかも。
自分で、膿出したり、血を流したり、涙したり・・・。

自分の醜い部分や臆病な部分とか、浅ましい部分とか、不甲斐ない部分とか、ざくざく出てきた時の落ち込みって、そりゃひどかったです。

「Iam OK,You are not OK」の人生態度だった私が

「自分こそメチャクチャだめ人間ですからモード」に突入。

「Iam not OK,You are OK」と、自責の日々が長く続きましたし。

でも、もう一回、自分をOKだと思いたかった。

いちいち、自分を責めたり、自分を間に合わせ的に肯定するのが面倒臭くなり、自分を「本気」で肯定するには、「本気」で肯定できる自分を探すことでしょ・・・

みたいな風にしか考えられなかった私でした。

ある人が、「●●さんが、本当に変わろうと、必死にもがき苦しみ自分に向き合う姿に感動した」と、ボソッと呟きました。

そうやなぁ、何か自分が変わろうとする時って、何か手に握り締めているものを手放すことになるから、一時的につかまるところないから溺れそうになって、もがく。

でも、上手く流れに乗って泳いで、そして最終的に2本足で立てるところに立って、自信を持って歩けるようになる。

一時的には、その急な流れに強い恐れや抵抗が生じるかもしれないけど、最終的には自分が心から大事にできる、ずっと持ち続けたいものが、自分をしっかり立たせてくれる。

浅瀬で両足で立つ自分を信じられるかどうか。

不安なときは、疑心暗鬼になり、周囲も自分も信じられなくなるけど、自分こそが自分を一番近くで支えてくれるいいヤツ。

変えてはいけないものは、抑えてもふたをしても、心から湧き出してくる、自分を勇敢たらしめる原動力。

それ以外は案外どっちゃでもええやろ的に、手放したり、抱きしめたり。

一歩踏み出せるか、踏み出せないかなんて、変えなくていい自分を信じる力と、紙1枚分の厚みの勇気があるかないかなんじゃないかと思ったりします。

最後まで最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるでもない。
唯一生き残るのは、
生き延びるのは変化できる者だけである。
(ダーウィン 『進化論』)

そうなんだろうなと素直に思う今日この頃です。

変化する環境にマッチするために、状況対応力や柔軟性の必要性を感じる毎日です。

そろそろ救済が必要か?



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シアワセの更新

2009-05-16 09:49:37 | 自分のおかたづけ
少し前になるのですが、友人と2人で飲んでいる時に、「私は今が一番いいと思っている」としみじみと言ったことがあります。

その時に、私自身が「自分が今が一番いいと思っているんだなぁ」と初めて感じたんですが、仕事の不満に話が傾く中で、

相手の反応は微妙だった・・・・。

仕事だけでなく、プライベートでも、仕事の悩みや不満を自然に聴く立場になるわけなんですが、そんな時に、「自分が今が一番いい」なんて一言がどう受け入れられるかは確かに微妙です。

相手の立場に配慮する必要はある。
でも、相手の感情に、私は責任を持ちすぎる必要はない・・・

不満や愚痴を言い合っていると確かに安心するんだと思うんですが、それだけで終わる時間ってもったいないように思えて仕方ないんです。

一方、クニコ。さんと話しながら、私たちは毎日シアワセを更新していることで一致。

私どものシアワセは、どんな小さいことでも感動する、自ら喜ぶことからもたらされるわけなんだけど、

いつも感動、いつも喜び続けられる出来事ばかりが起きる訳ではありません。

正直、私は昨年の今頃は、仕事がなかった・・・

季節変動がある仕事ですが、貯金を取り崩して暮らす日はこの先どれくらい続くんやろか・・・と、去年の今頃は折鶴を折っていましたし(爆)

しかし、そんな時にはやることは、
今ある仕事に全力を投入して評判を上げることと、仕事がなくても情報発信し続けることでした。

上手く状況に流されながら、決して引きこもらない。

昨年の今に比べて、自分の1つ1つの仕事の成果によって、出会える人の数が格段に増え続けています。

このことには本当に感謝してもしきれない方々がたくさんいます。

「今生の今が幸せ衣被(きぬかつぎ)」 鈴木真砂女

最近は、時代のキーワードとなっている「婚活」も「離活」も、すでに達観できる自分も「どうなんだかなぁ・・・」と思いますが、

自分の「幸せのパラダイム」も柔軟に更新する必要ありと思う、寝不足の朝でございます。

もうすぐベスト3です。


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永遠の勝者

2009-05-12 17:40:56 | 自分のおかたづけ
昨日からの続きです。

私たちのイライラやその他のストレスは、「相手はこうあるべき・自分はこうありたいのに」という自己概念と現実のズレから生じます。

これは、カウンセリングを学ぶ人ならかなり最初の段階に学ぶことです。

そして、カウンセラー自身が、どんな自己概念を持っているのかということを知っておくことは、クライアントをありのままに受け入れることができるかに大きな影響を与えます。

私自身が、今なお自己理解の旅を続ける理由はここにあるんだと思います。

先日の黒岩先生の講演でも、自己概念は得てして「他者支配」に傾くものであることを、非常にわかりやすい事例とともに再認識しました。

私の心のどこかにある「人を巻き込み何かを成し遂げたい」「クリエイティブな活動をすべき」という欲求は、同時に「人を操作したい」という欲求を伴うものです。

こんな基本的なことを教科書的に理解できていても、実生活の中で自分の修正に生かすことができるかは、また別問題になってしまっています。

自分を俯瞰すればするほど、マジ滑稽です・・・。

人は欲求を満たそうと適切な行動を選択できるうちはいい。
でも、自分の欲求を永遠に満たし続けることはできない。

黒岩先生のお言葉を借りるなら、成功への欲求が深ければ深いほど、達成できない時の挫折感も大きく、また達成できない自分に不信感が沸く。

確かに、ほしがりやさんは、永遠に満足できんよな・・・

私の中にも、未だにあります。
自分の描くイメージが強く描けば描くほど、完全であれない時に感じられる

「不全感」

これに苛まれることが今までいかに多かったか。

でも、そんなプロセスの中でも、あるがままの現実を「それでいいや」と自分自身が納得して評価をして満足していく節目って必要だなあと思います。

じゃないと、同じところをグルグルと流されているだけになってしまうし。

流れに逆らう気力、自分から現状をバッサリ変える自分の力を信じられる力が残っている場合は、「達成できなかったらどうしよう?」という「恐れ」と徹底的に戦うことも選択できますが、

それは案外短期的な目印に向かうためのエネルギーなのだと思います。

講演の締めは、

「今のままでもいいんだけど、●●だったらもっといいなぁ」ぐらいのほどほどな願望に基づく「向上心」が永遠に勝者であるためには必要なんだってこと。

ここで大事なのは「永遠に」ということだと思う。

たまに立ち止まっては、何度でも書き換えてよい「自分でつくった人生のシナリオ」を自分らしく生きること、そのことを自分自身が喜んで選ぶこと。

誰かと比較して足りないものをほしがるのではなく、自分が本当にありたい自分で生きられることが大事だよなと思います。

結局、特定の感情に対処できない苛立つ自分も、「しょうがない」あるいは「その人間関係は自分にとってなくてもやっていける、でも上手くいけばもっといいよね」ぐらいの折り合いをつけるといいんじゃないかなと思えてきます。

それをしぶしぶではなく、自分が喜んで選んでいれば。
キリストが、永遠の勝者として最後に自分の終末を報復感情なく自ら受けたように。

もうすぐベスト3です。



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特定の感情に対処する

2009-05-11 17:58:30 | 自分のおかたづけ
昨日は、黒岩貴先生をお招きしたセミナー「人生を成功へと導く完全な方法」に参加しておりました。

軽快な語り口のバックボーンは膨大な学術の集積に裏付けられたものであり、毎回、到底人にはまねできない、先生ならではの講演を拝聴しております。

先生は、今年に入られてから、「禅」のお話しをしてくださっているのですが、今回はキリスト教のお話しがございました。

キリストが死すときに貼り付けられた十字架。
十字架は、いわゆる処刑台であるにも関わらず、「ペンダントトップ」になったりするんだろうって話。

確かに教会の屋根の上には十字架が、祭壇にも十字架が。
教会は、十字架に貼り付けられて死に絶えた、イエスキリストの思いを思い起こす場であるからであるから。

十字架に縛られたキリストの最初の言葉は
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と。

話は少し変わりますが、行き過ぎた羨望は、先生の言葉を借りると「人をひきずり落とす欲求」であります。

確かに憧れレベルだったらいいですけど、引き摺り下ろすくらい強い感情ってマジでおぞましいですし、福沢諭吉も「人生で最も寂しいことは人を羨むこと」と言っています。

「社会は平等であるべき」と考えれば考えるほど、引きずり落とすかは別に突出した誰かの存在を疎ましく思ったり、

比較しては、それに落胆し、無力感を自ら生み出すことは、現代社会ではとても多くなっていると感じます。

さて、
私の人間関係上の課題は、他者からの「抑圧」や「引き摺り下ろし」に平穏に対応するかです。

自分自身の認知が、勘違いな「思い込み」である可能性も検討しながらのことですが。

自分の中では、ある立場から引きずりおろされそうとしていると認知した結果、たとえ報復感情が沸いてきても、それに気づいた時になるべく肯定的に自分にメッセージを出す努力はしていますが、

未だ、頭でわかることと、とっさにおきる無意識の自分の反応が一致しないことに苦笑します。

キリストのように激しい苦痛に耐えながら死に絶えるのもツライのですが、その人たちとの関わりを絶つことをができないまま、

自分が何か悪いことしているように感じながら人間関係を現在進行形にするのも、心が穏やかではないものです。

個人的には、報復はしませんが、自分の感じていることぐらいはを主張したいという思いを抑えることができません。

過去にこんな記事を書いていました→こちら

「汝の敵をも愛せ」と自分にメッセージしても、片方で「そう簡単にはいかんぞよ・・・」と自分で決めた限界の中で、かなりしんどい思いをしています。

「人に妬まれても、決して妬んだりしてはいけない」

これは母の教えでしたが、私の中で数少ない母の金言の1つです。

こんな感情をぶつけられている人の相手の苦悩を思ってのことかは別ですが、案外悪くない摺り込みと思っています。

「報復はしないこと」

これらの否定形のメッセージを受け入れてくれた自分には感謝するんですが、それでもざわつく自分の気持ちを毎度ケアするのは面倒くさい作業です。

この先は、ちょっと長くなりそうなんで、今日はここまでにしときます。

もうすぐベスト3です。



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未来からの手紙

2009-05-07 23:51:25 | 自分のおかたづけ
メタ認知つながりで書きます。

未来の自分への手紙って、タイムカプセルに入れて、何年か経って開けてみることを考えてみると、ちょっとワクワクしたりしますよね。

と言っても、私はやったことないですが(苦笑)

先日、受講生として参加した講座のワークで、先述の逆、「未来の自分から今の自分への手紙」を書きました。

要するに、幽体離脱して、未来から今の自分を見て書くわけです。

このワークの始まりに参考までに、ある方の手紙が本人の許可を得て朗読されました。

すごく内省的で、今の自分に厳しいなあって感じたんです。
無理するなとか、人を思いやれとか、後悔しないようにやれとか・・・。

ご自身を客観的に見ていらっしゃって、さらに文章力も豊かで「ジーン」としました。

さて、自分が書くとなるとどうなるやら。

こういうワーク好きなんで、筆は絶好調に進みました。

なのに、途中から

事件です・・・

ナント!目、氾濫しましたっ
意味不明の大洪水でございます

「うっそやろ、何でアンタ泣いてんのぉぉーーー」

エニアグラムワークショップにて、タイプ3的自分に「お帰り」って言えた時以来、衝撃的な人前涙ですよ・・・

しかも、こともあろうに書きながら感じていたのは、今の自分への感謝でした。

「どんだけナルシストなん!?」

自分の意識できている自分なんてほんの一部分だって知っているんですが、近年は節目節目で自己理解の機会を設けてきました。

受け容れていることは、今さら、書くこともないと勝手な判断をしたのでしょう(まさにディスカウント体質)。

しかし、無意識ってしょうがないくらい正直です・・・。

内容としては、重圧や不安を解消しながら、迷いながらも自分で納得しながら、少し強情で、意地っ張りにやっている自分への労いやいたわり中心でした。

「そのままでいいから、一つ一つ年をとればいい」と言っているようなそんな感じでした。

未来の自分は、今の自分に感謝していました。

ちょっと、伸びしろ少なそうなこの先が心配です・・・。

それにしても、全然、自分を客観視できていませんね。

書き直しの必要ありの「未来からの手紙でした」

皆さんなら、どんな手紙を書きますか?

お蔭様で、こんなとこまできました。一応、見て行ってください。

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