今回が「国鉄・宮之城線の今 2011冬」の最終回です。
2009年秋から2010年夏まで続いた連載を続けながら、これまで漠然としていた私にとっての宮之城線の姿を明らかにすることができました。
が、それは同時にまだまだ不完全なものでした。
今回、あちこちで再び工事が始まり、この3月に一定の形を成すことが決まっています。もしかすると、まだまだ変貌していくかもしれません。
これからもその都度の「今」を発信していくことが私の務めなのかもしれないということを今回、感じたしだいです。
さて、今回の探訪で私の気づいた新たな発見を3つ紹介します。いずれも薩摩永野~針持間の椿越トンネルの薩摩永野側での発見です。
まずは・・・・・
側溝に水が流れていました。
以前は、枯れ葉が積もっていましたが、枯れ葉が取り払われ、側溝としての働きをしっかり果たしていました。
こうした小さなことも現役時代の姿を彷彿とさせるのには十分です。
次に・・・・・・
51㎞のキロポストです。
以前は枯れ草に覆われて完全に見落としていました。
25㎞地点など私が見つけた範囲ではここを含めて5ヶ所に立っています。しかし、宮之城~佐志間の工事のために、1本撤去されてしまいました。
残すは4本となってしまいました。
そして・・・・
椿越トンネルの入り口のすぐ真上に通称「ハエタタキ」が残っていました。
これはまとまった姿ですが、5mほど離れた場所には碍子が1個だけ転がっていました。
もしかすると、もっといろいろなものが枯れ草などに埋もれているのかもしれません。
またいつか、そんな遺物との出会いがあるかもしれませんね。
2009年秋から2010年夏まで続いた連載を続けながら、これまで漠然としていた私にとっての宮之城線の姿を明らかにすることができました。
が、それは同時にまだまだ不完全なものでした。
今回、あちこちで再び工事が始まり、この3月に一定の形を成すことが決まっています。もしかすると、まだまだ変貌していくかもしれません。
これからもその都度の「今」を発信していくことが私の務めなのかもしれないということを今回、感じたしだいです。
さて、今回の探訪で私の気づいた新たな発見を3つ紹介します。いずれも薩摩永野~針持間の椿越トンネルの薩摩永野側での発見です。
まずは・・・・・
側溝に水が流れていました。
以前は、枯れ葉が積もっていましたが、枯れ葉が取り払われ、側溝としての働きをしっかり果たしていました。
こうした小さなことも現役時代の姿を彷彿とさせるのには十分です。
次に・・・・・・
51㎞のキロポストです。
以前は枯れ草に覆われて完全に見落としていました。
25㎞地点など私が見つけた範囲ではここを含めて5ヶ所に立っています。しかし、宮之城~佐志間の工事のために、1本撤去されてしまいました。
残すは4本となってしまいました。
そして・・・・
椿越トンネルの入り口のすぐ真上に通称「ハエタタキ」が残っていました。
これはまとまった姿ですが、5mほど離れた場所には碍子が1個だけ転がっていました。
もしかすると、もっといろいろなものが枯れ草などに埋もれているのかもしれません。
またいつか、そんな遺物との出会いがあるかもしれませんね。