ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

たいへんなことに・・・

2011年03月11日 22時44分15秒 | Weblog
 午後に発生した東北地方での大地震の規模は、これまでの私の記憶にないほどのものでしたが、時間を追って送られてくる画像でそのすさまじさを見るにつけ、数字を超越したショックを受けました。

 関東・東北地方にいる友人たちにはメールを送りましたが、返事が返ってきたのは東京在住の友人のみ。
 彼女も未だ自宅に向かって歩き続けています。

 一番心配なのは、仙台市在住のKさん。
 そして秋田在住のTさん。

 すさまじい揺れを仕事中に迎えていたのではないかと思います。
 
 とても心配です。



 明日になれば、被害の実態がより明らかになると同時に、ライフラインもいくらか回復するはずです。
 まずは返事がほしいです。

 無事であればいいのですが。
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ありがとう、8万人のみなさん

2011年03月10日 21時16分42秒 | Weblog
 サンキューの日の3月9日、昨日までにこのブログを訪問した方が8万人を突破しました。
 日付通り、「サンキュー」「ありがとう」と言いたいです。

 そもそもは年が明けてからですが、特に3月に入り、年度末ということもあり、日に日に仕事に追われ、プレッシャーと残務だけがどんどん山のように積み上がっていきます。

 風呂上がりに鏡に見た自分の頭には白いものがやたらと増えています。
 ふだんからおしゃれっ気が全くないため、せいぜい髪を分ける時にのぞくぐらいだったので、正直びっくりしました。

 そのうち「白髪日記」なんて連載でもしようかしらん(笑)なんて、自虐的な気分にもなるものです。


 話がそれましたが、そんなわけで、ここ最近更新することができずにいます。
 たくさんの方々が訪問してくださるのに申し訳ないです。

 そのうち、ぼちぼち始めますんで、見捨てずに訪問してください。
 今後もよろしくお願いいたします。
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国鉄・宮之城線の今 2011冬 ⑱新たな発見 ~最終回~

2011年03月06日 19時42分03秒 | Weblog
 今回が「国鉄・宮之城線の今 2011冬」の最終回です。

 2009年秋から2010年夏まで続いた連載を続けながら、これまで漠然としていた私にとっての宮之城線の姿を明らかにすることができました。
 が、それは同時にまだまだ不完全なものでした。

 今回、あちこちで再び工事が始まり、この3月に一定の形を成すことが決まっています。もしかすると、まだまだ変貌していくかもしれません。

 これからもその都度の「今」を発信していくことが私の務めなのかもしれないということを今回、感じたしだいです。


 さて、今回の探訪で私の気づいた新たな発見を3つ紹介します。いずれも薩摩永野~針持間の椿越トンネルの薩摩永野側での発見です。

 まずは・・・・・

 

 側溝に水が流れていました。
 以前は、枯れ葉が積もっていましたが、枯れ葉が取り払われ、側溝としての働きをしっかり果たしていました。
 こうした小さなことも現役時代の姿を彷彿とさせるのには十分です。


 次に・・・・・・

 

 51㎞のキロポストです。
 以前は枯れ草に覆われて完全に見落としていました。

 25㎞地点など私が見つけた範囲ではここを含めて5ヶ所に立っています。しかし、宮之城~佐志間の工事のために、1本撤去されてしまいました。
 残すは4本となってしまいました。


 そして・・・・

 

 椿越トンネルの入り口のすぐ真上に通称「ハエタタキ」が残っていました。
 これはまとまった姿ですが、5mほど離れた場所には碍子が1個だけ転がっていました。

 もしかすると、もっといろいろなものが枯れ草などに埋もれているのかもしれません。

 またいつか、そんな遺物との出会いがあるかもしれませんね。

 
 
 
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明日は晴れるといいのだれど。

2011年03月06日 17時08分11秒 | Weblog


 土曜日は暖かく、長時間、外にいたため、すっかり「日焼け」してしまいました。
 藤川天神に行ってきました。

 菅原道真ゆかりのこの神社には、道真が植えたと言われている臥龍梅が境内に多数植えてあります。
 枝には白い花が多数ついていました。

 参道には出店もあり、おいしそうなにおいを漂わせていました。

 
 とても気持ちよかったのですが・・・



 今日は朝から雨。

 

 時折、強く降ったり、霧が周囲を覆ったりの繰り返しでした。
 寒々とした一日でした。
 庭の梅花もどこか凍えているように見えます。

 とは言え、どこへ出かけるわけでもなく、部屋にこもってずっと仕事や頼まれたことを片付けていました。

 雨はあまり好きではありません。
 明日は晴れるのでしょうか。
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国鉄・宮之城線の今 2011冬 ⑱椿越トンネル手前の謎の地点(その2)

2011年03月04日 23時10分28秒 | Weblog
 この写真の中に、構築物があるのが分かりますか?

  

 枯れ草の中にうっすらと姿を現していますよ。

 実は、金属のレール状の物体がありました。
 それは↓↓↓です。

  

 私が着ていた上着を広げてみました。

 場所は線路跡の山手側にある路盤らしき所。ただし、このレール状の物体の向きは線路跡に対して垂直になっています。
 平行ならば、宮之城線に残された第三のレールの発見だと色めき立った私でしたが・・・


 枯れ草を払い、よくよく見てみると・・・

  

 レールではありませんでした。
 残念。お騒がせしましたね。

 正体が何なのか分かりませんが、レールではなかったことが残念でした。
 これが「謎の地点」と題した場所での新発見でした。


 ただ、やはりここに、何かがあったということの証拠ではないかと思います。

 知っている方、いらっしゃらないでしょうか。
 
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国鉄・宮之城線の今 2011冬 ⑰椿越トンネル手前の謎の地点(その1)

2011年03月02日 22時15分08秒 | Weblog
 椿越トンネル手前の鉄橋とトンネルの中間の辺りに謎の構築物があるということは、昨年5月7日付けの「国鉄・宮之城線の今 №527」で紹介しました。

 今回、それが何なのかを確かめたいという思いもありました。

 結論、すぐそばを流れる小川の護岸ではないかと思います。
 この場所とぴったり合うのか分かりませんが、現在も護岸があります。
 
 
 トンネルの中を流れる水が川となって流れてくる途中の川の中にあった距離標はもうありませんでした。
 その後の増水で流されたのでしょうか

 この小川を石伝いに対岸に渡り、線路跡に行きました。

 目的地は、この先のやたら広い場所です。
 ↓↓↓ ここです。 

  

 トンネル側からアクセスしたので、写真は南側を向いています。

 写真の中央の盛り上がりがかつての線路跡です。
 山側(写真左側)にも同じくらいの幅で盛り上がっているのが分かります。約50mほどありました。
 そして、川の側(写真右側)も盛り上がっていることが分かると思います。

 それぞれにバラストらしき石が散乱しています。
 

 まず写真右側を調べてみました。
 すると、kuo-taさんが見つけた遺物に再会しました。

  

 おそらく電柱があったことがうかがえます。

 足元には枕木・境界標らしき残骸が多数散乱していました。

  


 何か特別なものがないか草を払ったりしながら、観察しているうちに、驚くべきものに出会いました。
 (次回に続く) 
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卒業おめでとう!!    ・・・だけどね。

2011年03月02日 00時40分56秒 | Weblog
 鹿児島県内は今日が一斉に高校の卒業式でした。

 私の二女(鉄橋の上でVサインしていた子)もめでたく卒業となりました。

 高校の卒業式は淡々と進むものですが、本当に淡々と進みました。

 残念だったのは、娘の通う高校は再編整備の対象校であり、もう2年生と3年生しかいないこと。1年生は新設校で「別高校」ってことで授業だそうです。
 
 そこで、先に文句を言いたい。
 新しい再編された高校は同じ敷地内。同校舎なのになぜ授業しているのか理解できないのです。

 ふつうは在校生が会場準備をするものですが、卒業生も準備にかり出されながら、再編による新設校の子らは授業。
 自分の棺桶は自分で準備しろっていうことならば、自分のゆりかごを準備したのは誰なのか。新高校生の入学式の準備は、「なくなる高校」の子どもたちでした。「違う高校」ということなら、入学式準備は新設校の先生方だけですればいいのに。
 また、部活動でもインターハイ予選が終わった途端に、顧問が指導に出てくる・新しい道具は届く・・・
 結局、再編の対象となった高校では、なくなる高校の子どもたちの教育条件は、新しい高校の子どもたちと同じ水準じゃないってことか・・・。

 それっておかしいじゃないですか。
 同じように学費払って、子どもの教育を委ねるっていうのに・・・。

 もちろん、私が矛先を突きつけたいのは学校の先生方ではなく、こういう方針を提示している県教育委員会です。
 
 

 ただ、子どもたちは純粋に卒業がうれしかったようです。
 教室に戻っての時間は楽しく、親としてもうれしく感じられたひと時でした。

 真っ先に、思いを語れとなったのは私の娘でした。

  

 30人の思いを交流しつつ、楽しいひと時は過ぎていきました。


 
 ただ、これだけは言いたい。
 
 再編の対象となった高校で、「なくなる高校」「新しくできる高校」あるけど、どちらにしても、同じ鹿児島の子どもってことです。
 高校がなくなる・できるということは子どもの責任ではありません。行政の責任です。子どもたちに「しわよせ」のない方法をとっていただきたかった。同じ高校生として尊重してほしかった。
 もっと現金な事を言えば、同じシステムの下で税金を収め、学費を払っているわけです。形式にとらわれてほしくない。形式にとらわれて格差のある対応があるならば、学費についても格差を設けるべきです。


 「おめでとう」の思いと併行して、どうしても、そんな思いも払拭できませんでした。



 そんな中でも、担任の先生、ありがとう。
 副担任の先生方、ありがとう。

 そして、娘よ。


 卒業、おめでとう。
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