砂川市は国道12号線を中心部とする町で、空知に多い産炭地ではなく
歌志内や上砂川から石炭を運び出す町として発展した。
町の東側は石狩川が境界で肥沃な平地があり、逆に西側が山だ
どちらにも学校はあり、工業も盛んであったので近くに学校もできた。
現在は道央道にある「ハイウェイオアシス」や12号線沿いのスィーツロードなど
三次産業も盛んである。
小学校の閉校 赤字が今回訪問
- 砂川市立宮城の沢小学校(1988年砂川市立砂川小学校へ統合)
- 砂川市立一の沢小学校(1987年砂川市立北光小学校へ統合)
- 砂川市立江陽小学校(石狩小から改称、1989年砂川市立豊沼小学校へ統合)
- 砂川市立富平小学校(1989年砂川市立空知太小学校へ統合)
- 砂川市立中央小学校〈旧〉(1991年焼山小と統合し砂川市立中央小学校〈新〉へ)
- 砂川市立焼山小学校(1991年中央小〈旧〉と統合し中央小〈新〉へ)
中学校の閉校
- 砂川市立北光中学校(1970年空知太中と統合し砂川市立石山中学校へ)
- 砂川市立空知太中学校(1970年北光中と統合し石山中へ)
- 砂川市立砂川中学校〈旧〉(1995年豊沼中と統合し砂川市立砂川中学校〈新〉へ)
- 砂川市立豊沼中学校(1995年砂川中〈旧〉と統合し砂川中〈新〉へ)
※wikipediaより
「旧砂川市江陽小学校」
開校:昭和23(1948)年
閉校:平成元(1989)年
校舎:昭和23(1948)年竣工
砂川市豊沼町
かつてこの地には三井東圧(現三井化学)の大きな工場があり
旧江陽小学校と国道12号線の間は工業団地になっている。
以前は東圧の社宅がずらりと並び、産炭地域のような賑わいを見せていたようだ
学校の校舎はとうに解体されて現在は化学製品の工場を建設中である
その横に大きく目立つ校章のある碑と、裏に沿革のある碑と二つが建っている。
しかも校名プレートこそ無いがレンガの校門が現存していた
ただ新工場が出来てしまうと、校門は撤去されるような気がする。
2022年8月撮影
※砂川市史より
「旧砂川市豊沼中学校」
開校:昭和34(1959)年
閉校:平成7(1996)年
校舎:昭和34(1959)年竣工
砂川市東5条南16丁目
先の江陽小学校とは国道12号線とJR函館本線を挟んだ対角の位置にある
江陽小学校の現住所は豊沼町で豊沼中学校は東5条である
おそらくこの近辺一帯が以前は豊沼町であったと推測する。
旧中学校は今も現役の豊沼小学校を道路1本隔てた場所にあった
現在は広い草原になっておりかつての独特な校舎は残念ながら解体された
一応、ストリートビューにはまだ校舎が映っていたので転載する。
旧校舎が現存しているころからあった閉校の碑は
敷地の一番奥にあり注意して見ないとわからない
夏は草が生い茂り、そこへ行くのも草を踏み分けながら到達した。
碑は一段高いところから今日も旧校舎跡と小学校を見守っているようだ。
2022年8月撮影
※2019年ストリートビューより