札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 赤平市の閉校①

2024-09-01 21:37:56 | 木造校舎・廃校

赤字は今回訪問 

データはwikipediaより

<小学校>

  • 赤平市立旭丘小学校(1955年百戸小大谷沢分校から改称、1970年閉校)
  • 赤平市立住吉小学校(1994年豊里小へ統合)
  • 赤平市立幌岡小学校(2002年赤平市立赤間小学校へ統合)
  • 赤平市立百戸小学校(2005年茂尻小へ統合)
  • 赤平市立赤平小学校〈初代〉(2007年住友赤平小・豊里小・赤間小へ分割統合)
  • 赤平市立住友赤平小学校(2014年茂尻小へ統合)
  • 赤平市立平岸小学校(同上)
  • 赤平市立茂尻小学校(2022年新設の赤平市立赤平小学校〈2代目〉へ統合)
  • 赤平市立豊里小学校(同上)
  • 赤平市立赤間小学校(同上)

<中学校>

  • 赤平市立住吉中学校(1971年
  • 赤平市立双葉中学校(1976年住友赤平中と統合し赤平中央中へ)
  • 赤平市立住友赤平中学校(1976年双葉中と統合し赤平中央中へ)
  • 赤平市立幌岡中学校(1984年)
  • 赤平市立平岸中学校(2007年赤平中央中へ統合)
  • 赤平市立茂尻中学校(同上)
  • 赤平市立赤平中央中学校(2018年赤平市立赤平中学校へ統合)


<高等学校>

 

赤平市は空知地方にある産炭街である
街は空知川に沿って集落があり、夕張市や美唄市ほどヤマごとに派生した飛び地などの地区が少ない

よって学校も空知川沿いに多くあり美唄や夕張ほど閉校巡りは大変ではない。

 

「旧赤平市立住吉小学校」※未訪問

滝川市から赤平市に入ると一番最初の閉校だが
ナビがダート道で山の中へと、とんでもない場所に誘導したので断念
事前調査不足でした。

記念碑があるのでいつか行こう。

 

「旧赤平市立幌岡小学校」


 

開校:1901(明治34)年
閉校:2002(平成14)年
校舎:()年

赤平市幌岡町113

ナビは「赤平幼稚園」


印象的な塔と堂々とした3階建て校舎である

現役の幼稚園が再利用しており、訪問時は平日の午前
敷地内からの撮影は避けるべき。

とはいえすぐそこに記念碑があったのでそこだけ撮影した。

校門が残っているが、校門プレートは付け替えられているのは必然
幼稚園にしては確かに大きすぎる建物である。

 

 

平成年間の閉校なので竣工もそう古くはないだろう
今後何年も残るであろう建物は卒業生にしてみれば思い出がよみがえるだろうな

私個人は幼稚園はおろか小・中学校と高校の一部はとうに無くなっている。


※2024年8月30日撮影

 

塔のイメージが強く残る校舎であった

 

 

 

「旧赤平市豊里小学校」

 

開校:1939(昭和14)年
閉校:2022(令和4)年
校舎:()年

赤平市豊栄町5丁目18番1

ナビは「豊栄町5丁目18番1」


赤平市の小学校の閉校は、1校以外は1994年以降に閉校になっている
それだけに旧校舎からRC校舎に建て替えが終わってからの閉校が多い。

校舎・体育館はもちろん、校門(校名プレート付)、ポールや遊具にバックネットなどが現存していた

 

また前庭に箱庭があり石が置かれている
だが草ぼうぼうでかつての様子は見る影もない

人工的なものは遠目から見ると綺麗だが、使用しないとどんどん悪くなっていく

 

厳しい情勢の市に望むことなどは無い
RC校舎の閉校が多いのは結構なことだけど
果たして人口減になった町に、それだけの再活用があるのだろうか。


※2024年8月30日撮影


 

 

「旧赤平市赤間小学校」

 

開校:1940(昭和15)年
閉校:2022(令和4)年
校舎:()年

赤平市豊里32

ナビは「豊里32」

 

旧赤間小学校は豊里小学校の1年後に開校し、令和4年の同じ年に閉校となった。

推測だが戦争に併せ国策として石炭の増産が必要となり
ヤマに人を集め、その一環として学校も増えたということだろうか。

その赤間小学校も、おそらく開校時の木造校舎から現在の校舎に1度だけ建て替えしたものかと思う。

 

色も形も、閉校後に再活用がないのも豊里小学校に似ている
広い前庭には草が生え放題で隣のグラウンドも同様だ。

 

ただそれは悪い情景ではないのかも知れない
長期でも短期でも役目を終えた建物は
いつかは自然に戻るものだ。


※2024年8月30日撮影

 

 

 

「旧赤平市赤平小学校」

 

開校:1899(明治32)年
閉校:2007(平成19)年
校舎:()年

赤平市大町3丁目1-1

ナビは「コープさっぽろあかびら店」

 

旧赤平小学校は平成19年の閉校ではあるが、土地は現在「コープさっぽろ」が使用している。

元は校庭のあった場所にコープが建てられ、小学校はその裏手の
今は雑草がいっぱいの広い場所に建っていた。

「赤平小学校」なので生徒も多く大きな校舎だったのだろう
ここはRC校舎に建て替えしたかは不明だ。

 

 

学校を表すものとして、正面からコープを見て駐車場の右端奥に移動する
そうすると民家か学校関係の建物かは未確認だがそこに二宮像があった

そして左側にやはり雑草に覆われた「赤平小学校」の校門とプレートがある。

そうすると位置的にはここが学校の入口だったのかも知れない
閉校時に移築もありえるが…

 

対面に「旧赤平中央中学校」校舎
この原っぱに旧赤平小学校の校舎があった。


※2024年8月30日撮影

 

 

 

「旧赤平市赤平中央中学校」

 

開校:1976(昭和51)年
閉校:2020(平成30)年
校舎:1976(昭和51)年

赤平市大町3丁目1-2

ナビは「コープさっぽろあかびら店」


中央中学校というだけに
昭和51年に住友赤平中学校と双葉中学校が統合し開校
平成19年に茂尻中学校、平岸中学校が統合し、あらたに赤平中央中学校として開校した。

これだけ他の中学校を統合したが、その11年後には
中央中学校が閉校してしまった。

 

開校から閉校まで44年、未確認だが校舎は開校時のものを使用していたと思われる
もちろん補修はしてきたと思う。



プレートはすでに無い
モニュメントらしきものが玄関側にあった

 

旧赤平小学校側から見ると一際大きさが目立つ

 

グラウンド側から

バックネットも大きいね


※2024年8月30日撮影

 

それにしても4階建ては流石に立派だ
赤平市は最盛期でも人口は5万人台だったがこれだけの校舎を建てた。

 

 

 

「旧赤平市立住友赤平中学校」※未訪問

他の方のブログでサッカー場以外何もなく、学校を表すものもない
とのことで時間も押しているしパスした。

ここは余裕があれば行こう。

 

 

「旧赤平市立住友赤平小学校」

 

開校:1941(昭和16)年
閉校:2016(平成26)年
校舎:()年

赤平市赤平665

ナビは「赤平市立住友赤平小学校」

 

この閉校校舎に来てみて本当に学校なのか?と疑ってしまった

この近辺には企業や工場などがあり、その施設かと思ったからだ
閉校してまだ8年くらいだが、何かに転用したような跡があり
校門も校章もない

大きな体育館も工場に見えたので
撮影もほどほどに早々と引き揚げてしまった。

だが、赤平市のサイトにて間違いではないことがわかった。


※入り口にあったこれはなんだろう?

 

校舎は正面玄関を連絡路的にし「H型」のように2本の長辺(教室棟)を繋いでいる

 

正面玄関側から裏側へ廻ってみたが一般住宅の間からわずかに見える程度だ

 

そういえばだが「住友」はあくまでも一民間企業であり
そこに市立の学校に名前を付けるのは、よほど赤平市にとって
「住友」が炭鉱などで大事な企業であったかがわかる

 

ちなみに札幌市で数年前まで営業していた「スーパージョイ」は
住友石炭鉱業が経営し、本社は赤平市であった。

 


※2024年8月30日撮影

 

 

②へ続く