札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 小樽市の閉校①

2022-05-07 22:30:10 | 木造校舎・廃校

小樽市の閉校(小学校)

  • 小樽市立富岡小学校(1969年小樽市立稲穂小学校と緑小へ分割統合)
  • 小樽市立桃内小学校(1990年小樽市立忍路中央小学校へ統合)
  • 小樽市立堺小学校(2006年稲穂小と小樽市立花園小学校へ分割統合)
  • 小樽市立量徳小学校(2012年花園小と小樽市立潮見台小学校へ分割統合)
  • 小樽市立祝津小学校(2013年小樽市立高島小学校へ統合)
  • 小樽市立若竹小学校(2013年潮見台小と小樽市立桜小学校へ分割統合)
  • 小樽市立色内小学校(2016年北手宮小、手宮西小、手宮小と統合し小樽市立手宮中央小学校、小樽市立長橋小学校、稲穂小へ分割統合)
  • 小樽市立北手宮小学校(2016年色内小の一部、手宮西小、手宮小と統合し手宮中央小へ)
  • 小樽市立手宮西小学校(2016年色内小の一部、北手宮小、手宮小と統合し手宮中央小へ)
  • 小樽市立手宮小学校(2016年色内小の一部、北手宮小、手宮西小と統合し手宮中央小へ)
  • 小樽市立天神小学校(2018年小樽市立奥沢小学校へ統合)
  • 小樽市立最上小学校(2018年)
  • 小樽市立緑小学校(2018年入船小の一部、最上小と統合し山の手小へ)
  • 小樽市立入船小学校(2018年奥沢小、花園小、山の手小へ分割統合)
  • 小樽市立豊倉小学校(2020年小樽市立朝里小学校へ統合)

 

小樽市も古い都市で、人口の減少が止まらず学校の統合による閉校が増えている

今後もその可能性が高い町だ。

 

 

「旧小樽市立豊倉小学校」跡

 

開校:1912(大正元)年
閉校:2020(令和2)年
校舎:1972(昭和47)年竣工

小樽市朝里川温泉1丁目23-1

 

豊倉小学校は地理的には札幌寄りの朝里川温泉地区になる
南北に長い温泉地区の手前側になるだろうか
ちょっと先の頭上には開通した高速道路がある。

一応住宅街の一番奥にあたるが廻りは森でヒグマが出る場所だ
よくここに毎日生徒も先生も通ったものだ
私なんぞはビビッて体育館の奥まで行けなかった…


小樽市は北海道でも古くから栄えた町なので学校も歴史ある学校が多い
豊倉小学校は朝里地区で創立から100年を超えて閉校した
この辺の土地名が以前は豊倉だったために付いた校名だ。

校舎は可愛らしいが体育館は堂々としている
後から改築したのかも知れない

校庭には遊具が残り、校門のところに手作りのような校名表記がある
「とよくら」の横に描かれているのは学校の略地図かな
なんとも微笑ましい学校です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年9月撮影

 

 

 

「旧小樽市立若竹小学校」跡

 

開校:1926(昭和元)年
閉校:2013(平成25)年
校舎:1972(昭和47)年竣工

小樽市若竹町22


若竹小学校は札幌寄りにあり、高台と坂が多い街の中に建っている
校舎は何代目かわからないが、閉校年から8年しか建っていないのに劣化が目立つ気がする。

在校生は潮見台小学校と桜小学校に通うことになった。

正門はすでに草木に覆われ入口にはがっしりと立入禁止
工事現場で使用するような柵なのでもしかしたら解体の可能性もあるかも…

地形により学校を望めるのはこの角度だけのようだ。

戦後、米駐留軍による同校の使用などあったそうで
何故、若竹小学校が選ばれたのか興味深い。

 

旧東山中学が「教育委員会庁舎」となり3階に閉校記念室として
「東山」「石山」「住吉」の3中学校と「量徳」「若竹」の2小学校の思い出の品々を展示している。

無料で閲覧できるが職員の業務の都合があるので電話をしてから行くべきかな。

 

 

 

 

 

 

 

2021年9月撮影

 

 

 

「旧小樽市立天神小学校」跡

 

開校:1934(昭和9)年
閉校:2018(平成30)年
校舎:1979(昭和54)年竣工

小樽市奥沢5丁目3-1

 

天神小学校は80年続いた古くからある学校で
奥沢や松ヶ枝から合流し、坂を登って行けば望洋台や赤井川村へと繋がる道にある

また海方面に向かえば小樽潮陵高校や龍徳寺に出て国道5号線にも繋がる。

校舎の正門にはしっかりと立入禁止処置がなされている
だが写真の通り進入は容易だが止めよう。

正門側をちょっと離れて見ると木々の間から校章が見えた
葉があるうちは綺麗に撮れないが仕方がない。

坂側からは体育館と校舎が見える
こちらも立入禁止処置である

1階の窓にはベニヤが打ち付けており対策が講じてある
4階建ての校舎は堂々としておりいかに以前は生徒が多かったかを物語る。


閉校年の2018(平成30)年は「最上小」「緑小」「入船小」とともに閉校になった
いずれも歴史があり多くの卒業生を輩出した学校である。

このうち、「最上小」は松ヶ枝中学の新校舎として活用され
「緑小」は解体された 
「入船小」も土地転用のため、この10月から解体が始まった。


果たして「天神小」は?
小樽の地元有名ブロガーさんの情報で

「小樽市は旧天神小学校の建物に、市の清掃事業所と事業内職業訓練センターを移転させる方針を示したということで、移転は2023年度を予定しているとのことです。」

これから説明会を経てから正式決定だが
OBもまずは一安心でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年9月撮影

 

 

 

「旧小樽市立松ヶ枝中学校」跡

開校:1957(昭和32)年
閉校:2020(令和2)年
校舎:1992(平成4)年竣工

小樽市松ヶ枝2丁目4-1


松ヶ枝中学校は昭和32年開校でやはり小樽にしては新しいほうだろう
現在の校舎は2代目であり、当初は木造の校舎だったと聞いた。

坂の町小樽でも最も高い場所にある中学校のようで、なるほど下町からの通学は疲れたろうなぁ
その替わり下校は楽しいね

 

この日は実は2回目のチャレンジで
実は数か月前に行ったときは坂の下でロープが張っており立ち入り禁止だった

旧最上小学校に行ったので何気なくついでに坂を上って行くとロープがなく
グランドで少年サッカーの練習をやっていた。
校舎前の駐車スペースは父母の車がたくさんいたが一角に停めさせていただき
父母とは反対の校舎の撮影をした。

市中心部へ向けての全面ガラス張り校舎は見事であった
体育館が見えなかったのは砂利があるので奥まで行けなかったからだろう

重機が1台と積まれた砂利を見て、解体が近いのかなぁ?
いや、何かの整備だろう

 

スキー授業のときは履いたまま滑って帰ったという坂道から小樽の港が見えた
今日はツイていたなぁ

 

校舎は旧最上小に遷ったのに、これはこのままだった

 

2021年9月撮影

 

 

 

「旧小樽市立最上小学校」跡

開校:1952(昭和27)年
閉校:2018(平成30)年
校舎:1986(昭和61)年竣工

小樽市最上1丁目31-1

 

最上小学校は天狗山に向かう坂道の道路沿いにあった。
最上町といえば山の方で天狗山、最上公園、そして小樽市の火葬場などがある町

学校は1952年の開校と歴史ある町、小樽にしては新しいほうだ
開校当時の校舎は現在のグラウンドのある場所で、建て替えを機に校舎とグラウンドの場所を取り換えた。

現在残った校舎は、より古く近くの高台にあった「松ヶ枝中学校」に代わった。
在校生は新築された「山の手小学校」へ、同じく閉校した「入船小学校」「緑小学校」の生徒たちと通うことになった。

 

まだ新しくどっしりした外観の立派な校舎
正面にあった校章の跡だけが、以前は別の学校だったのだなと思い出されることだろう。

 

2021年9月撮影

 

 

 

「旧小樽市立富岡小学校」跡

 

開校:1901(明治34)年
閉校:1969(昭和44)年
校舎:1901(明治34)年竣工??

小樽市富岡1丁目5-12


富岡小学校は、あまり例のない学校のようだ
学校があったのは現在の保健所、医師会館、福祉センターの場所です

医師会館




福祉センター

 

現地に行けばわかるが、グラウンドを挟んで隣に稲穂小学校がある
つまり小学校が2校並んで建っていたのだ。


左が富岡小学校側の福祉センター 中央・右が稲穂小学校のグランドから校舎へ続く

 

元々は稲穂小学校が先に竣工し、その後に富岡小学校が出来た
もっとも最初から富岡小学校ではなく「女学校」として建てられた
男女一緒の学校で勉強が出来ない時代が確実にあったのですね。


福祉センターも中々味のあるファサード
小学生のころ、ここに卓球をしに来たのです 懐かしいなぁ




戦後に、女学校は「富岡中学校」になる。

しかしそのわずか10年後の1957(昭和32)年に児童が増えたため「富岡小学校」となった
閉校する1969(昭和44)年まで富岡、稲穂と二つの小学校が隣合わせだった

グラウンドのない富岡小学校の運動会は小樽公園のグラウンドを使用したらしい
(体育の授業はわからぬが)

 

まぁそういう奇妙な?形はよろしくなく閉校したようだが
住所は富岡なのだから富岡小学校を残してもと思うかな。

在校生は稲穂小学校と緑小学校に転校したが稲穂への転校は場所がほぼ同じな転校であった。

現地に閉校の碑等は見ることは無かったが保健所の中とかに
その痕跡でもあればいいな

 

*当時の写真は同窓会様のFBよりお借りしました

2021年9月撮影

 

 

 

 

「旧小樽市立緑小学校」跡

開校:1920(大正9)年
閉校:2018(平成30)年
校舎:1971(昭和46)年竣工

小樽市花園5丁目2-4

 

改めて知ったのは緑小学校の住所が緑町ではなく、花園町なこと
確かに真上には小樽公園があるので花園なんだなと納得。

さて緑小学校は大正9年尋常小学校から始まる歴史のある学校であった
多くの卒業生を出し、閉校時の校舎も鉄筋コンクリート3階建てである
残念ながら解体年は昨年であり興味を持つ前であったのが悔しい。

すっかり更地になった奥の真ん中に植え込みの島があり
それを囲うように入口からL字型の校舎だった
私が覚えている緑小学校はまだ木造校舎だから何十年前のことだろう

門柱には校舎のプレートも外され学校があった証が無いと思ったら
そばに石碑があり、その裏に緑小学校父母と教師の會と刻んであった。

在校生は新築された「山の手小学校」で同じく閉校になった最上小学校と入船小学校の生徒と
クラスメートになっている。

 

 


*2015google ストリートビューより

 

2021年8月撮影

 

 

 

「旧小樽市立堺小学校」

開校:1902(明治35)年
閉校:2006(平成18)年
校舎:1992~(平成4~7)年竣工

小樽市東雲町9-12


旧堺小学校に最初に訪れたのは昨年で
旧寿原邸の内部見学に訪れたときの駐車場が堺小学校の校庭であった。

門柱にプレートこそないが立派な校舎と石碑がある
校舎は3方向に延びる形で三笠市役所と少し似ている
玄関は校庭側と裏側にもありそちらが正面玄関のようで校章もそのままなのが嬉しい

大変歴史のある学校で途中に中学校に一時なったので小学校としては98年の歴史であったが
学校としては100年を超えた歴史だ

石碑には「北の学習院」と彫られている
小樽は当時北海道の商業の中心地であり全道はもとより本州からも経済界などの住宅が出来
その子弟が多く通ったことで名門学習院と称された。

場所も港を見下ろす高台にあり、上部に水天宮、旧寿原邸、近くに旧板谷邸などの旧家も多い

現在は小樽市のいくつかの団体が活用しており当分は校舎も安泰であろう。

2021年8月撮影

 

 

 

「旧小樽市立東山中学校」

開校:1947(昭和22)年
閉校:2002(平成14)年
校舎:1981(昭和56)年竣工

札幌市花園5丁目10-1

 

東山中学は、比較的近くに別の中学があり廃校になっても他よりは生徒もましだったかも知れない
幸いにも市の教育委員会の庁舎として活用されており、取り壊しをされずに済んだ。

正面玄関には校章と校名の跡が残り寂しさを感じる
中は古さはあまり感じず、やはり木造校舎とは違う
体育館も新しくスポーツ施設として使われているようだ。

前庭はあまり広くなく現在は駐車場に活用
すぐ上に小樽公園と桜が丘球場があり、校舎へ向かっての斜面は冬のスキー授業として使われた。

ちなみに田上義也設計の「坂牛邸」も校門横の細い坂を登り切ったところにある。

 

 

閉校記念室は「東山中学」のほか、「石山中学」「住吉中学」「量徳小」「若竹小」の
校旗、卒業アルバム、周年記念誌、記録写真など、思い出の品々を展示しています。

この日は突然行って見学させていただいたが、職員の方がずっと立ち会っているので業務の邪魔をして申し訳なかった
電話してから行くべきですね。

 

残念ながら現在はコロナのため4月から、しばらくお休みとのこと

まだまだ色んな展示があった
他の学校分は随時紹介します。

 

大きな学校であった 体育館は校舎と山に囲まれている
もっと古い写真では校舎は写真の左、草のない箇所にあったらしいが火事で焼失したとのこと。

 

角を挟んで同じ意匠です アーチ型が実にお洒落に見える素敵な外観だった
生徒玄関が左側に見える。

2019年5月、2020年6月撮影

 

 

 

「旧北海道小樽商業高等学校」

開校:1913(大正2)年
閉校:2020(令和2)年
校舎:2002(平成14)年竣工

小樽市緑3丁目4-1

 

北海道小樽商業高等学校は大正2年創立の伝統ある学校で、何度か名前が変わったり「科」が増えたり減ったりであった
特に商業科は当然として、いち早くコンピューターの勉強をする情報処理科は当時としては珍しいかと思う。

校舎は木造2階建ての校舎から順次鉄筋コンクリートに改築され現在に至る
過去の写真を見ると、非常に複雑な校舎に見えた。
またプールも作った時は珍しかったのではと推測する。

令和2年に、小樽工業高等学校と合併し「北海道小樽未来創造高等学校」となった。
校舎は小樽工業高校を使用し、この校舎は国立小樽海上技術短期大学校が使用して廃校を免れた

まだ充分に使える校舎なので大事に使ってほしい。

 

*撮影は統合による廃校が決まり、閉鎖される前に急いで行った。
「小樽商業」を表示するものはもうない。

 

 

坂の途中にあるため、このような独立した施設もあり 何の施設かは分からず。道場?

 

以前はここに生徒用のスロープがあった。

以前の生徒玄関はもっと海側にあり、写真のようなスロープが長い間利用されたが
新校舎になり玄関が変わるとスロープは無くなり入口は最奥になった。

 

 

昭和53~54年当時の生徒玄関
右に旧校舎、奥に新校舎、その右隣に新校舎の二期工事中の珍しい写真。

 

2019年5月撮影

 

 



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