札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 歌志内市の閉校

2024-09-12 12:09:17 | 木造校舎・廃校

赤字は今回訪問 

データはwikipediaより

<小学校>

  • 歌志内市立新歌小学校(1963年閉校)
  • 歌志内市立文珠小学校(1979年新設の歌志内市立西小学校〈当時:神威小〉へ統合)
  • 歌志内市立神威小学校(同上)
  • 歌志内市立上歌小学校(1981年歌志内市立歌志内小学校〈初代〉へ統合)
  • 歌志内市立歌志内小学校〈初代〉(1984年新設の歌志内小〈2代目〉へ統合)
  • 歌志内市立中央小学校(同上)
  • 歌志内市立歌志内小学校〈2代目〉(2010年新設の歌志内小〈3代目〉へ統合)
  • 歌志内市立西小学校(1979年12月1日神威小から改称2010年新設の歌志内小〈3代目〉へ統合)
  • 歌志内市立歌志内小学校〈2代目〉(2021年歌志内市立歌志内中学校と統合し歌志内市立歌志内学園へ移行)


<中学校>

<高校>

 

歌志内市も山の谷間の川沿いに炭鉱と集落が出来ており
飛び地が少ないので巡りには楽なほうだ。

内陸の小さな町だが産炭地だけあって学校は多かった

 

 

「旧歌志内市立上歌小学校」

 

開校:1951(昭和26)年
閉校:1981(昭和56)年
校舎:()年

歌志内市上歌44-4

ナビは「上歌新栄地区集会所」

 

現地へ行ってみると校舎はとうに解体され、新築のような民家がすでにあった
これは敷地内進入はおろか撮影も止めた。

廻りに学校があったような跡はまったく見受けられなかったが
L字型の大きな校舎が昔の航空写真から見てとれる。


すぐのところに集会所があり、ここが旧校舎跡地に一番近いナビの場所
ここも昔は炭住が並んで建っていた。

 

炭住があったんだという痕跡は道路などを見ればわかるが
それ以外は草しかない

 

近くの集合住宅は炭鉱住宅だろうか

2024年8月20日撮影

 

 

 

「旧歌志内市立神威小学校」

 

開校:1904(明治37)年
閉校:1979(昭和54)年
校舎:()年

歌志内市神威43

ナビは「歌志内市消防本部歌志内市消防団 第二分団詰所

 

歌志内市はペンケウタシナイ川と道道114号線沿いに集落がある
その道道114号線を赤平側から南下していくと左手の少し小高いところに旧神威小学校の校舎が現存している。

消防団の駐車場をちょっとお借りして正面玄関まで行ってみる

 

 

プレートの無い校門にはチェーンで立入禁止措置になっており
玄関はベニヤ貼り 校庭はさらに坂を上ったところだが、草ぼうぼうで行く気がしない

一般的な箱型鉄筋コンクリート造りであるが下から見上げたら良く見える
ある程度の歴史からくる疲れが建物に表れて、それが年輪のように感じるからかも知れない。

2024年8月30日撮影

 

 

 

「旧歌志内市立西小学校」

 

開校:1979(昭和54)年
閉校:2010(平成22)年
校舎:()年

歌志内市文殊

ナビは「歌志内西小学校閉校記念碑」

 

歌志内西小学校の開校は、まだ新しい方で昭和54年 これは「文殊小学校」と「神威小学校」を統合させ、新たに新設したとある。

当初は「神威小学校」の名称であったが統合を機に「西小学校」と改められた。

統合し閉校した両小学校はその必要にせまられるくらい生徒数が少なくなったのだろう。


道道から1本中道に入った住宅街に校舎は現存している
校舎は一直線で体育館でL字型をつくる

平成22年の閉校なので、ほとんどが閉校時のままで
校門がそのまま記念碑になっている珍しい学校だ。

 

学校の前には今でも花が植えられており、地域住民のお世話がうかがえる。

2024年8月30日撮影

 

 

 

「旧歌志内市立文殊小学校」

 

開校:1943(昭和18)年
閉校:1979(昭和54)年
校舎:()年

歌志内市文殊200

ナビは「歌志内 認定こども園」

 

ナビはあくまでも目印になる場所であって、学校がそこにあったということではない。

文殊小学校があったのは「認定こども園」奥に平地があり小山で終わるが、その山の手前くらいに学校があった。

今は跡地には学校があった記は何もない
ネットの奥を見るだけだ。

 

 

しかし閉校の記念碑があった
そこは道道114号線に面しており、信号がある交差点の一角に記念碑があった。

ちょっと一段高くなった場所にある
登って撮影をした。

 

2024年8月30日撮影

 

 

 

「旧北海道歌志内高等学校」

 

開校:1949(昭和24)年
閉校:2007(平成19)年
校舎:()年

歌志内市文殊200

ナビは「歌志内市立歌志内学園」

 

現在の「歌志内市立歌志内学園」の校舎は以前は「歌志内高等学校」だった。

訪問日は平日であり、普通に授業も行われているはずだ
そこで玄関のインターホンで説明し外観の撮影許可を取る。

すぐ隣に「旧文殊小学校」があったことも当然知っており
やはり記念碑以外に何もないことを確認した

また「歌志内高校」としての記念碑は未確認だが、それと思われるものは見当たらなかった。


※「歌志内市立歌志内学園」は令和3年に空知管内初として開校した小中一貫校です

2024年8月30日撮影

 

 

歌志内市の閉校はいったん終了です

 


赤平市の建築探訪

2024-09-08 11:11:39 | 赤平市 歌志内市 上砂川町

今回は赤平市から産炭地巡りをしました

やはり炭鉱に関する建物が多いが、市街地にも素敵な建物が残っていると感じた。

 

 

「赤平 徳川城」

 

所在地:赤平市幌岡町147
建設年:1991(平成3)年 
指定等:なし

 

ここは結構有名な建物で、国道から見上げるように見えるので初めて見た人は驚くだろう

一般企業(人形の製作と販売)の施設ですでに廃業している
ただ敷地内への「立入禁止」標示やロープなどもなく真下まで行った。

訪問時はパトカーがいたので定期的に監視していると思う。

 

天守閣は本州にある本物の城のようだ
ただ一面だけは特に洋風の窓造りが見られる

 

北海道には天守閣を持った城が松前城くらいしかなく
とても面白い存在だ

歴史的な価値はないのでドライブのついでに見に行くくらいか

2024年8月30日撮影

 

 

「豊里記念の丘公園の展望台」

 

所在地:赤平市宮下町3丁目8
建設年:(不明)年 
指定等:なし

 

公園自体もそんなに昔からある公園でもなさそうだ
段々になった地形の一番下に石碑があり、元鉱山跡だということがわかった


駐車場は下と上にあり、特になにがあるというわけではない公園にしては充分な駐車場だと思う

所謂、展望台だろう ユニークな形の展望台があった
ここへはストリートビューで散策し見つけたもの

ただ以前は塗装が剥げており、そこがいい雰囲気を醸し出していたが
現在はきれいに再塗装されている
綺麗になったのを残念がるのもなんだが……


またビューにはこれまたユニークな公衆便所があって期待したが
これは撤去されていた 残念!

 

2024年8月30日撮影

 

 

「赤平市内の住宅」

 

所在地:赤平市泉町
建設年:不明 
指定等:なし

 

詳細は不明だが、その大きさと複数ある玄関により集合住宅と思われる
中には店舗としての活用もあったかも知れない
一番古い2012年のストリートビューでもほとんど同じ建物だ。

 

正面から見るとマンサード屋根の建物に増築を重ねたように見えるがどうか

縦長窓が多くすっきりしており、枠が木製なのも素敵だ
見る場所によって表情が変わる建物だった。

 

2024年8月30日撮影

 

 

「旧住友赤平炭鉱立坑櫓」

 

所在地:赤平市赤平485番地
建設年:1963(昭和38)年 
指定等:日本遺産「炭鉄港(たんてつこう)」


赤平駅の裏側にあり、赤平市を象徴するような施設
過去に赤平を通ったときも停まって見れば良かったように目立つ。

隣に入館無料で約200点の展示資料がある「ガイダンス施設」に寄るのもよし
立坑櫓の内部見学は有料で実施されている

空知地区を代表する炭鉱の一つで、このような立坑魯は歌志内市や美唄市、三笠市などにもみられる

 

炭鉱は平成6年(1994)年に閉山した

尚、事務所棟の向かいにも廃墟の施設があり、炭鉱で働く人たちのための浴場「坑口浴場」のようだ。

何かの催事で見学が出来る可能性があるかも。

 


住友の井桁マークの跡が残る

2024年8月30日撮影

 

 

「北炭赤間炭鉱原炭ポケット」

 

所在地:赤平市美園町1丁目
建設年:()年 
指定等:なし


「ズリ山展望台」に登る駐車場には説明看板とトイレがある
奥に目を移すと古いコンクリートの建物が目に入る

これが原炭ポケットと呼ばれるもの


この一帯は石炭に混じる不純物を取り除き、品質別に選別をする施設があった。

昭和48年に赤間炭鉱が閉山し他の施設は取り壊されたが、採掘された石炭を一時保管する原炭ポケットの一部だけが残されている

同様のものは美唄市にもある

 

近くまで寄れるが柵内は立入禁止だ。

 

2024年8月30日撮影

 

 

「三浦電機倉庫」

 

所在地:赤平市茂尻春日町2丁目
建設年:(不明)年 
指定等:なし

 

詳細不明
会社の本社は同じ茂尻にある

外観から当初は会社社屋として使用していたように見える
連続した縦長窓に歴史を感じる

また住宅ではよく見る板張りだが、横の下見板張りは多いが
縦の板張りで古い建物はあまり見たことがなく珍しいと思った

縦の板張りはすっきりした印象を与えるように感じる

 

2024年8月30日撮影

 

 

「家具インテリアのやまもり」

 

所在地:赤平市茂尻中央町南3丁目7
建設年:(不明)年 
指定等:なし

 

家具店の詳細は不明だが現役の家具店

何より一階の売り場窓の形状が懐かしさを覚えた
1970年代あたりだろうか

白地の枠は柔らかな曲線を持ち、今の時代には新鮮に思える
よく見ると店舗入り口の形状は若干窓と違いお洒落になっている。

 

2024年8月30日撮影

 

 

「旧北海道大賀クロージング」

 

所在地:赤平市茂尻春日町3丁目2
建設年:1970(昭和45)年 
指定等:なし

 

北海道大賀クロージングは赤平市などの誘致で1970年に炭鉱跡地に創業して以来、54年の歴史に今年の1月幕を閉じた。
 
スーツなどの縫製工場として、札幌などのデパートに納品していたらしい
雇用の面で赤平市に貢献していただいたが本州の拠点に集約するそうだ。
 
 
敷地内には人も車も出入りが出来そうだったが、止めて敷地外からズームで撮影した。
 
印象的な尖塔の時計台と正面に向かって3つあるミラー面の窓が凝った工場を作ったのだなと感心した。
 
外観からはさほど古さを感じないので建築年の違いか改築があるのかも知れない。
 
 
 
 
 

2024年8月30日撮影

 


木造校舎・廃校 赤平市の閉校②

2024-09-03 10:33:04 | 木造校舎・廃校

続きです

 

赤字は今回訪問 

データはwikipediaより

<小学校>

  • 赤平市立旭丘小学校(1955年百戸小大谷沢分校から改称、1970年閉校)
  • 赤平市立住吉小学校(1994年豊里小へ統合)
  • 赤平市立幌岡小学校(2002年赤平市立赤間小学校へ統合)
  • 赤平市立百戸小学校(2005年茂尻小へ統合)
  • 赤平市立赤平小学校〈初代〉(2007年住友赤平小・豊里小・赤間小へ分割統合)
  • 赤平市立住友赤平小学校(2014年茂尻小へ統合)
  • 赤平市立平岸小学校(同上)
  • 赤平市立茂尻小学校(2022年新設の赤平市立赤平小学校〈2代目〉へ統合)
  • 赤平市立豊里小学校(同上)
  • 赤平市立赤間小学校(同上)

<中学校>

  • 赤平市立住吉中学校(1971年
  • 赤平市立双葉中学校(1976年住友赤平中と統合し赤平中央中へ)
  • 赤平市立住友赤平中学校(1976年双葉中と統合し赤平中央中へ)
  • 赤平市立幌岡中学校(1984年)
  • 赤平市立平岸中学校(2007年赤平中央中へ統合)
  • 赤平市立茂尻中学校(同上)
  • 赤平市立赤平中央中学校(2018年赤平市立赤平中学校へ統合)


<高等学校>

 

 

「旧北海道赤平東高等学校」

 

開校:1949(昭和24)年
閉校:1989(平成元)年
校舎:()年

赤平市百戸町西1丁目2

ナビは「光生舎メディック·エル」

 

閉校巡りの順で行くと次は高等学校になった

この付近は「光生舎」の施設が立ち並び壮観でもある
ナビではメディック・エルでこの素敵な建物が目印になった。

 

現在駐車場に使われている広大な土地はよく見るとバックネットがあった
ここはグラウンドだったのだろう

やはり高校生が使うので広い 
それに高校時代と思われる建物もあり。


グランドと逆側に体育館が現存していた。

現在の用途は判らぬが、その独特の屋根スタイルは「赤平市史」に出ていた写真と一緒だ。

校舎は無くなったが何かしらの建物が現存しているのは
まだ良い方なのだ。


※2024年8月30日撮影

 

 

 

「旧赤平市立百戸小学校」

 

開校:1899(明治32)年
閉校:2005(平成17)年
校舎:()年

赤平市百戸町東4丁目13

ナビは「光生舎フーレビラ」

 

次の閉校も閉校後は「光生舎」のグループが再活用している

※HPより
「光生舎フーレビラは、18歳以上の障がいを持つ方が必要に応じた援助を受けながら自立していくことを目的とした施設です。」

閉校の利用は施設内の廊下などが広く、車いすで余裕をもってすれ違えるとのこと。

なるほど、これは一理ある

 

その理由もあり校舎も体育館も外側は、そんなに改装していないようだ
もちろん校門や校章は外してあるが

玄関屋根と2階の曲線が特徴

 

訪問時は、敷地内の駐車場に停めさせていただき
インターホンで許可を取ろうとしたがちょうど12時をまわっており
昼休みで誰も出なかった。

外に障がいの方もいたので元気に挨拶し、記念碑などを最低限撮影をしてここを離れた。

 

表には開校百周年記念だが、裏には閉校年月日も入っているので
閉校後に建てられたものだろう。

 

こちらは八十周年記念

※2024年8月30日撮影

 

 

 

「旧赤平市立茂尻小学校」

 

開校:1902(明治35)年
閉校:2022(令和4)年
校舎:()年

赤平市茂尻本町1丁目4

ナビは「茂尻小学校開校八十周年記念碑」

 

天気はすっかり青空となり気温も上昇中に学校に着いた
一目見てハっとした

それだけ見事な青色で閉校校舎が飾られていた
海のない赤平市だけに、やはりここはスカイブルーのイメージだろうか

 

また校舎も体育館も記念碑も二宮像も百葉箱も現存しているのに
校門にある校名プレートだけがツル性の植物に邪魔されて見れない!

しかしここはそのままにしておくのが良いだろうね

 

 

わずか2年前の閉校
すでに雑草が伸びており、校舎のブルーもいつかは色あせるだろう

でもそれはそれで仕方がないことだ。


※2024年8月30日撮影

 

 

 

「旧赤平市立茂尻中学校」

 

開校:1947(昭和22)年
閉校:2007(平成19)年
校舎:()年

赤平市茂尻本町1丁目4

ナビは「赤平市立茂尻中学校」

 

学校の前に着いて、茂尻小学校は鮮やかさに「ハっと」したが
茂尻中学校の前では「うわぁ」だった。

 

何しろ雑草が多い
おそらく立入禁止でチェーンがあったようだが切れていた
それでも進入する気にならなかった。

また木々も多く校舎自体がよく見えない
なんとか遠望で見える箇所をズームで撮影したのみ

なんらかの記念碑や何かがあるのかも知れない
もっと葉の落ちる晩秋が良いだろうし、靴やズボンもそれなりのを用意すべきか。

 

 

ただ小学校では見ることが出来なかった
校門の校名プレートだけはしっかりと見ることができた。


※2024年8月30日撮影

 

 

 

「旧赤平市立平岸中学校」

 

開校:1947(昭和22)年
閉校:2007(平成19)年
校舎:()年

赤平市平岸新光町7丁目3番地

ナビは「平岸新光町7丁目3番地」

 

赤平市平岸は市の東端にある町で、すぐ隣は芦別市である
空知川沿いにある集落には茂尻同様に国道38号線が中を貫き
南北に住宅がある

旧平岸中学校は国道と空知川に挟まれた地区にあり国道からも望むことが出来る。(玄関は裏側)

 

正面玄関へ行ってみたが、先の茂尻中学校と同年の閉校で、
やはりというかこちらも雑草がすごい
すぐの転用がないとやむを得ないだろう

 

雑草だらけのグラウンドの反対側に体育館的な建物がある
もしかすると旧校舎の一部と体育館かも知れない?


ここも敷地外から眺めるだけに終わった
典型的な箱型の校舎と思ったが、2階の角部屋が2面採光で
窓越しに見える空がきれいだった。


※2024年8月30日撮影

 

 

 

「旧赤平市立平岸小学校」

 

開校:1933(昭和8)年
閉校:2014(平成26)年
校舎:()年

赤平市平岸仲町2丁目3

ナビは「赤平市平岸コミュニティセンター」

 

先の旧平岸中学校から芦別方面へ移動
国道38号線の左側 少し奥まった場所にある校舎だが、ピンク色の建物ですぐにそれとわかる。

現在は「平岸コミュニティセンター」に転用されており
以前は国道側に校門があって校舎の色は白だった(閉校時)

 

 

校舎の前に記念碑もある 中学校はあの雑草の中に記念碑はあるのだろうか

 

建て替え年が比較的新しく見えるので塗装して再活用したのだろう
小学校時代には隣がグラウンドだったが今は大きな病院に代わった。

雑草だらけの原っぱになるより大きな病院になったほうが住民にはありがたいか。


※2024年8月30日撮影

 

 

以上で赤平市の閉校巡りは終了

行き逃した跡地などもあるので、いつかのついでになるだろうが
マークしておこう。

 


木造校舎・廃校 赤平市の閉校①

2024-09-01 21:37:56 | 木造校舎・廃校

赤字は今回訪問 

データはwikipediaより

<小学校>

  • 赤平市立旭丘小学校(1955年百戸小大谷沢分校から改称、1970年閉校)
  • 赤平市立住吉小学校(1994年豊里小へ統合)
  • 赤平市立幌岡小学校(2002年赤平市立赤間小学校へ統合)
  • 赤平市立百戸小学校(2005年茂尻小へ統合)
  • 赤平市立赤平小学校〈初代〉(2007年住友赤平小・豊里小・赤間小へ分割統合)
  • 赤平市立住友赤平小学校(2014年茂尻小へ統合)
  • 赤平市立平岸小学校(同上)
  • 赤平市立茂尻小学校(2022年新設の赤平市立赤平小学校〈2代目〉へ統合)
  • 赤平市立豊里小学校(同上)
  • 赤平市立赤間小学校(同上)

<中学校>

  • 赤平市立住吉中学校(1971年
  • 赤平市立双葉中学校(1976年住友赤平中と統合し赤平中央中へ)
  • 赤平市立住友赤平中学校(1976年双葉中と統合し赤平中央中へ)
  • 赤平市立幌岡中学校(1984年)
  • 赤平市立平岸中学校(2007年赤平中央中へ統合)
  • 赤平市立茂尻中学校(同上)
  • 赤平市立赤平中央中学校(2018年赤平市立赤平中学校へ統合)


<高等学校>

 

赤平市は空知地方にある産炭街である
街は空知川に沿って集落があり、夕張市や美唄市ほどヤマごとに派生した飛び地などの地区が少ない

よって学校も空知川沿いに多くあり美唄や夕張ほど閉校巡りは大変ではない。

 

「旧赤平市立住吉小学校」※未訪問

滝川市から赤平市に入ると一番最初の閉校だが
ナビがダート道で山の中へと、とんでもない場所に誘導したので断念
事前調査不足でした。

記念碑があるのでいつか行こう。

 

「旧赤平市立幌岡小学校」


 

開校:1901(明治34)年
閉校:2002(平成14)年
校舎:()年

赤平市幌岡町113

ナビは「赤平幼稚園」


印象的な塔と堂々とした3階建て校舎である

現役の幼稚園が再利用しており、訪問時は平日の午前
敷地内からの撮影は避けるべき。

とはいえすぐそこに記念碑があったのでそこだけ撮影した。

校門が残っているが、校門プレートは付け替えられているのは必然
幼稚園にしては確かに大きすぎる建物である。

 

 

平成年間の閉校なので竣工もそう古くはないだろう
今後何年も残るであろう建物は卒業生にしてみれば思い出がよみがえるだろうな

私個人は幼稚園はおろか小・中学校と高校の一部はとうに無くなっている。


※2024年8月30日撮影

 

塔のイメージが強く残る校舎であった

 

 

 

「旧赤平市豊里小学校」

 

開校:1939(昭和14)年
閉校:2022(令和4)年
校舎:()年

赤平市豊栄町5丁目18番1

ナビは「豊栄町5丁目18番1」


赤平市の小学校の閉校は、1校以外は1994年以降に閉校になっている
それだけに旧校舎からRC校舎に建て替えが終わってからの閉校が多い。

校舎・体育館はもちろん、校門(校名プレート付)、ポールや遊具にバックネットなどが現存していた

 

また前庭に箱庭があり石が置かれている
だが草ぼうぼうでかつての様子は見る影もない

人工的なものは遠目から見ると綺麗だが、使用しないとどんどん悪くなっていく

 

厳しい情勢の市に望むことなどは無い
RC校舎の閉校が多いのは結構なことだけど
果たして人口減になった町に、それだけの再活用があるのだろうか。


※2024年8月30日撮影


 

 

「旧赤平市赤間小学校」

 

開校:1940(昭和15)年
閉校:2022(令和4)年
校舎:()年

赤平市豊里32

ナビは「豊里32」

 

旧赤間小学校は豊里小学校の1年後に開校し、令和4年の同じ年に閉校となった。

推測だが戦争に併せ国策として石炭の増産が必要となり
ヤマに人を集め、その一環として学校も増えたということだろうか。

その赤間小学校も、おそらく開校時の木造校舎から現在の校舎に1度だけ建て替えしたものかと思う。

 

色も形も、閉校後に再活用がないのも豊里小学校に似ている
広い前庭には草が生え放題で隣のグラウンドも同様だ。

 

ただそれは悪い情景ではないのかも知れない
長期でも短期でも役目を終えた建物は
いつかは自然に戻るものだ。


※2024年8月30日撮影

 

 

 

「旧赤平市赤平小学校」

 

開校:1899(明治32)年
閉校:2007(平成19)年
校舎:()年

赤平市大町3丁目1-1

ナビは「コープさっぽろあかびら店」

 

旧赤平小学校は平成19年の閉校ではあるが、土地は現在「コープさっぽろ」が使用している。

元は校庭のあった場所にコープが建てられ、小学校はその裏手の
今は雑草がいっぱいの広い場所に建っていた。

「赤平小学校」なので生徒も多く大きな校舎だったのだろう
ここはRC校舎に建て替えしたかは不明だ。

 

 

学校を表すものとして、正面からコープを見て駐車場の右端奥に移動する
そうすると民家か学校関係の建物かは未確認だがそこに二宮像があった

そして左側にやはり雑草に覆われた「赤平小学校」の校門とプレートがある。

そうすると位置的にはここが学校の入口だったのかも知れない
閉校時に移築もありえるが…

 

対面に「旧赤平中央中学校」校舎
この原っぱに旧赤平小学校の校舎があった。


※2024年8月30日撮影

 

 

 

「旧赤平市赤平中央中学校」

 

開校:1976(昭和51)年
閉校:2020(平成30)年
校舎:1976(昭和51)年

赤平市大町3丁目1-2

ナビは「コープさっぽろあかびら店」


中央中学校というだけに
昭和51年に住友赤平中学校と双葉中学校が統合し開校
平成19年に茂尻中学校、平岸中学校が統合し、あらたに赤平中央中学校として開校した。

これだけ他の中学校を統合したが、その11年後には
中央中学校が閉校してしまった。

 

開校から閉校まで44年、未確認だが校舎は開校時のものを使用していたと思われる
もちろん補修はしてきたと思う。



プレートはすでに無い
モニュメントらしきものが玄関側にあった

 

旧赤平小学校側から見ると一際大きさが目立つ

 

グラウンド側から

バックネットも大きいね


※2024年8月30日撮影

 

それにしても4階建ては流石に立派だ
赤平市は最盛期でも人口は5万人台だったがこれだけの校舎を建てた。

 

 

 

「旧赤平市立住友赤平中学校」※未訪問

他の方のブログでサッカー場以外何もなく、学校を表すものもない
とのことで時間も押しているしパスした。

ここは余裕があれば行こう。

 

 

「旧赤平市立住友赤平小学校」

 

開校:1941(昭和16)年
閉校:2016(平成26)年
校舎:()年

赤平市赤平665

ナビは「赤平市立住友赤平小学校」

 

この閉校校舎に来てみて本当に学校なのか?と疑ってしまった

この近辺には企業や工場などがあり、その施設かと思ったからだ
閉校してまだ8年くらいだが、何かに転用したような跡があり
校門も校章もない

大きな体育館も工場に見えたので
撮影もほどほどに早々と引き揚げてしまった。

だが、赤平市のサイトにて間違いではないことがわかった。


※入り口にあったこれはなんだろう?

 

校舎は正面玄関を連絡路的にし「H型」のように2本の長辺(教室棟)を繋いでいる

 

正面玄関側から裏側へ廻ってみたが一般住宅の間からわずかに見える程度だ

 

そういえばだが「住友」はあくまでも一民間企業であり
そこに市立の学校に名前を付けるのは、よほど赤平市にとって
「住友」が炭鉱などで大事な企業であったかがわかる

 

ちなみに札幌市で数年前まで営業していた「スーパージョイ」は
住友石炭鉱業が経営し、本社は赤平市であった。

 


※2024年8月30日撮影

 

 

②へ続く