最近専業主婦の私はわがまち委員でかなりの時間家を空けることができてきた。
13時から16時30分までの話合いがある。
そのためには食事などの家の準備をして行かないといけない。
まず、子どもたちのことを預ける時間はおじいちゃんに頼めるかどうか確認。
そして、当日のスケジュールを紙に書いてテーブルに置いておく。
その負担が増えないように子どもたちが幼稚園と小学校に元気に行けるように預ける日に病気にならないことを祈る。
早寝早起きを心がけたり、食事では消化のいいものを食べる、お風呂で湯ざめしないようにするとか。
洗濯物も早くするとか、仕事の日にはソフト洗いのものをしないように計画するとか。
まあ、細かいことだけどいろいろ考えて出掛けている。
子どもたちもそうだけど主人も私がいないことになれていない。
いないとどういうことになるのか。
次女がまずぐずぐずいう。
「お仕事行かないで」っていう。
これが一番大変だから、次女がいないうちに出掛けていることがいい。
長女や長男が小学校から帰って来た時はいつも家にいる。
でも、このごろいないことがある。
そういうときは友達と遊ぶ約束がうまくいかなかったりする。
このごろ連絡網もない小学校。
私がメールでママ友とやりとりしたり、送り迎えしたりして陰ながらお世話をしているからうまくいっていることがある。
だから、お母さんがいないときは変わった動きはしないようにと言っている。
それっておかしいことだなって思う。
いない間おじいちゃんが子どもたちの写メをとって送ってくれる。
これが一番安心する。
ああ、元気に小学校から帰って来たんだと思う。
長女にはわがまち委員のことをよく話している。
だからかな、いないときには長女がよくがんばって家のことをしてくれている。
家族の仕事への理解は大事だなと思う。
働く前によく話合い、仕事についても子どもに話すことで理解して、助けてくれるような気がする。
わがまち委員は仕事ではないけどちょっとお母さんがいないことへのシュミレーションになったような気がする。
わがまち委員は話合いだけでなく、家でも原稿を考えたり、なんだか忙しい。
だから、ついついイライラしてしまうこともある。
なんでこんなことをしないといけないんだろうか、そう思ったこともあるけどいいこともあった。
わがまち委員での話合いを何度も体験して、わからないことをわからないとその場で言えるように努力するようになったと思う。
そんな話を自分のこととして子どもに話すことで「今日はわからないことを授業で先生に言えたよ」といってくれるようになった。
スピーチも「紙をじっとみて言っていたからなるべく紙を見ないように言う方が人に伝わるって言われたから見ないように努力したんだ」と話すと参観日で紙を見ずに長女がスピーチを発表していた。
すぐ何に役に立つかは分からないけど一生懸命していたら結局は自分のためや子どものためになるんだっていうことが分かった気がする。
人のためにすることは自分のためにもなる、このごろそう思うようになったんだ。
そんな姿を子どもたちはじっと見ているから。
「人にしてもらったことはその人に返さなくても同じように困っている人に返せばいい」そんなことをわがまち委員で教えてもらいました。