ぬらくら者(怠け者)を打つ棒なり
臨済義玄禅師は「喝」で導き、徳山宣鑑(とくさんせんかん)禅師は棒を打ち導きました。
ある夜の説法で、徳山和尚は「今夜は何も言うまい、何か聞きたいことが事あれば言うがよい。三十棒を以って応えよう」と言いました。一人の僧が進み出て礼拝したとたん、徳山は一棒を食らわします。僧は「和尚私はまだ何の問いかけもしてはおらぬのに、なぜ打つのか」と問いました。徳山は僧の問いに心を止めることなく、「お前さんは何処の出身の人かな」と問います。僧は「新羅から来ました」と答えました。徳山が続けて、「さようか、汝がまだ新羅を出る船の船板を渡らぬ前に三十棒を食らわせておくべきだったよ」と言いました。答えても、答えなくとも棒は飛びます。すべてを否定した絶対的境涯を引き出す三十棒なのです。打つも真剣、打たれるも真剣な修行です。