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美しい知覧の町を、車は記念館へと向かう。
前回とは違い、三角兵舎とは逆の方向から正面玄関に入る。
丁度、語り部による特攻隊の悲劇の講話が始まるところだった。
夫に促されて、部屋に入りかけたが、無理矢理出てしまった。
資料館に入る勇気がない。
20分ほど、外のベンチで座っていた。
その間、ずっと考えていた。
なぜ私は資料館に入れないのか。
決して亡くなった特攻隊員たちが恐ろしいのではない。
恐怖の気持ちはかけらもない。
写真の向こうからやってくるのは、強烈な哀しみだ。
私の中の何かは、その哀しみと共振しようとしている。
それなのに、それ以外の私は、その哀しみに捕われてしまうことを恐れている。
すこし落ち着いてきた。
資料室に足を踏み入れる。
以前の様な、透明の「なにか」は、やって来なかった。
右の壁から中央へと続く、遺影の前をゆっくりと歩く。
遺影を直視することは出来ない。
遺影の青年たちに目を合わすことができない。
ひとたび目が合うと、そこから強烈な「哀しみ」が放たれることがわかる。
心の中で手を合わせながら、ひたすら受け入れる。
あと少しですべての遺影の前を通り終わる、というところで、ある写真に呼ばれた。
まだ幼さの残る隊員が、制服姿で、子犬を抱いて笑っている。
とたんに、あらゆるところから、「なにか」が溢れ出してきた。
それは、前回のような、「触れられる存在」となって、私に集中する。
無惨
無惨
無惨
心から若い命を悼む。
以前は、これは霊体験だと思っていた。
ある意味そうだったのかもしれない。
そうではないのかもしれない。
彼らが私に求めたのは、あるいは私がそう錯覚したのは、「母性」だったのかもしれない。
そうではないのかもしれない。
誰かがその哀しみに触れること
忘れないこと
そのメッセージを大切にすること
それだけは理解できたように思う。
敷地内にある神社で、手を合わせた。
何も考えず、心をそのまま差し出す。
「なにか」がすとんと腑に落ちた気がした。
この経験が、霊体験であろうと、私の単なる激しい思い込みであろうと、そんなことはもうどうでもいい。
私は一生この経験を忘れない。
ことあるごとに、いろんな人にこの経験を話すだろう。
突然、理不尽とも思われる不思議な方法で経験した、この「なにか」を。
それがある意味で、私に課せられた役割だと、今は思うのだ。
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