京都の各町内には、必ずお地蔵さんが祭られていて、その町内の長老がお世話をしている。
うちの町内では、ダントツの長老の姑が、長年、お世話をしてきた。
毎日、お水を替えて、時々、お花を替えて、拝む。
おばあちゃんは、家族全員の名前を唱えて、一人一人のことをお地蔵さんに報告するから、倒れるちょっと前には、それはそれは長い長い間、お地蔵さんに手を合わせていたものだ。
姑が倒れた後は、町内のお目付役の親戚筋の方が、やってくださっていた。
その方も、亡くなって、去年からは、ひと月交代で、各家庭がお世話することとなった。
うちの番になって、毎日お地蔵さんのお水を換えて、手を合わせる。
最初は、形だけ手を合わせていたのだけれど、それがだんだんと変わってきた。
何だかね、お地蔵さんが、その日によって、笑ってらっしゃり悲しんでらっしゃりするように見えるのだ。
始まりは、ちょっと重たい石の塊だったのかもしれない。
それを刻んで、お顔を描いて、そこから、毎日人々が拝み始める。
毎日、こうべを垂れて、その日の出来事を、嬉しいこと、悲しいことを、報告する。
そうしているうちに、石くれは、ほんものの『お地蔵様』になっていくのだろう。
キリスト教からすれば、偶像崇拝ということになる。
・・・私はクリスチャンだったはずなのだ。
けれどね、そんなお地蔵さんに、毎日心から手を合わせる。
それが自然な気持ちなのです。
閑話休題
今日もネコは、惰眠を貪る。
起きた?ww
うちの町内では、ダントツの長老の姑が、長年、お世話をしてきた。
毎日、お水を替えて、時々、お花を替えて、拝む。
おばあちゃんは、家族全員の名前を唱えて、一人一人のことをお地蔵さんに報告するから、倒れるちょっと前には、それはそれは長い長い間、お地蔵さんに手を合わせていたものだ。
姑が倒れた後は、町内のお目付役の親戚筋の方が、やってくださっていた。
その方も、亡くなって、去年からは、ひと月交代で、各家庭がお世話することとなった。
うちの番になって、毎日お地蔵さんのお水を換えて、手を合わせる。
最初は、形だけ手を合わせていたのだけれど、それがだんだんと変わってきた。
何だかね、お地蔵さんが、その日によって、笑ってらっしゃり悲しんでらっしゃりするように見えるのだ。
始まりは、ちょっと重たい石の塊だったのかもしれない。
それを刻んで、お顔を描いて、そこから、毎日人々が拝み始める。
毎日、こうべを垂れて、その日の出来事を、嬉しいこと、悲しいことを、報告する。
そうしているうちに、石くれは、ほんものの『お地蔵様』になっていくのだろう。
キリスト教からすれば、偶像崇拝ということになる。
・・・私はクリスチャンだったはずなのだ。
けれどね、そんなお地蔵さんに、毎日心から手を合わせる。
それが自然な気持ちなのです。
閑話休題
今日もネコは、惰眠を貪る。
起きた?ww