外国映画主要作品日本公開史 * 1955年公開 (その2)
▼参考資料・キネマ旬報1955年ベストテン
①エデンの東…エリア・カザン
②洪水の前…アンドレ・カイヤット
③スタア誕生…ジョージ・キューカー
④埋れた青春…ジュリアン・デュヴィヴェ
⑤旅情…デヴィッド・リーン
⑥やぶにらみの暴君…ポール・グリモー
⑦フレンチカンカン…ジャン・ルノワール
⑦マーティ…デルバート・マン
⑨文なし横丁の人々…キャロル・リード
⑩鉄路の闘い…ルネ・クレマン
⑪裏窓…アルフレッド・ヒッチコック
⑫ナポリの饗宴…エットーレ・ジャンニーニ
⑬喝采…ジョージ・シドニー
⑭ファンタジア…ベン・シャープスティーン
⑮砂漠は生きている…ジェームズ・アルガー
⑯パンと恋と夢…ルイジ・コメンチーニ
⑰青い大陸…フォルコ・クイリチ
⑱白毛女…王浜
⑲七年目の浮気…ビリー・ワイルダー
⑳長い灰色の線…ジョン・フォード
⑳緑の魔境…ジャン・ガスパレ・ナポリターノ
この年から映画雑誌『スクリーン』においても評論家がベストテンを選出することになり、これにともなって
キネマ旬報から重鎮的存在であった選考委員が一斉に退任してしまいます。
1955年に退任された選考委員は次の十三名です。(敬称略)
飯島正、植草甚一、大黒東洋士、岡俊雄、荻昌弘、滋野辰彦、清水俊二、清水千代太、登川直樹、南部圭之助、
双葉十三郎、山本恭子、淀川長治。
結果、1950年の選考委員でキネマ旬報に残った委員は杉山静夫、津村秀夫の両名だけとなってしまいました。
これだけの委員が抜けてしまってはキネマ旬報のベストテンの価値は皆無に等しくなってしまいます。
キネマ旬報は1951年に名もなき評論家(荻昌弘氏は別格)たちを大量に選考委員にしたため、ベストテンの価値観を
大きく失墜させてしまいましたが、今回の重鎮委員の流出でベストテンの価値は地に落ちてしまうことになりました。
▼参考資料・スクリーン1955年ベストテン
①エデンの東…エリア・カザン
②フレンチカンカン…ジャン・ルノワール
③旅情…デヴィッド・リーン
④裏窓…アルフレッド・ヒッチコック
⑤現金に手を出すな…ジャック・ベッケル
⑥夏の嵐…ルキノ・ヴィスコンティ
⑦やぶにらみの暴君…ポール・グリモー
⑧埋れた青春…ジュリアン・デュヴィヴェ
⑨スタア誕生…ジョージ・キューカー
⑩洪水の前…アンドレ・カイヤット
⑪悪魔のような女…アンリ・ジョルジュ・クルーゾー
ご覧になられて分かりますように、『フレンチカンカン』が順当ともいえる2位にランクされており、
また、キネ旬ではベスト20にも入っていない『現金に手を出すな』『夏の嵐』が堂々のベストテン入りです。
この年を境にして、スクリーンのベストテンはキネ旬を超えて、名実ともに権威のあるベストテンとなりました。
↑はルキノ・ヴィスコンティ監督の『夏の嵐』