【誕生日】
☆レニ・リーフェンシュタール Leni Riefenstahl (1902.8.22~2003.9.08)

ナチス・ドイツ時代にヒットラーの支援を受け、斬新な映像を世界に発信した女流監督です。
公務員の娘としてベルリンに生まれました。ベルリンの美術学校で絵画を学び、バレエでもドイツを代表する表現ダンサー
として注目されましたが膝を負傷して舞踏家の道を断念して映画界に入りました。1925年にアーノルド・ファンク監督の
『聖山』で女優としてデビューし、1931年には自ら映画プロダクションを設立して翌年には自ら主演した『青の光』で監督
第一作を飾りました。1933年にナチスが政権を取り、リーフェンシュタールの才能を高く評価したアドルフ・ヒトラー直々の
依頼により、ナチスのニュルンベルク党大会の記録映画『信念の勝利』を監督し、次いで1935年にはプロパガンダ映画の
『意志の勝利』を監督、ヒトラーの御用監督とまで言われるようになりました。
1936年に第11回オリンピックがベルリンで開催されるとヒットラーの全面支援を受けてオリンピックの記録映画『オリンピア』
(第一部は『民族の祭典』、第二部は『美の祭典』)を完成させました。この『民族の祭典』では、百米走の撮影において
奏者と同じ速さで移動するカメラのほか大型のクレーンや望遠レンズなどを駆使して選手の表情や心理などを鋭くとらえ、
『美の祭典』においても勝敗を度外視して各競技の技術と美しいフォームを捉えることを主体として、TVのなかった当時に
初めてのオリンピック映像を全世界に配信し、スポーツの記録映画として画期的な成功をおさめました。
しかし、第二次大戦後、本人はナチス構成員ではなかったにもかかわらず連合軍に逮捕され、ナチズムに協力した映画監督
として、またヒトラーの愛人だったというデマも流れるなど生涯にわたって非難を浴び続けました。
【主要監督作品】
1932年『青の光』Das Blaue Licht

1935年『意志の勝利』Triumph des Willens

1938年『オリンピア』(第一部『民族の祭典』、第二部『美の祭典』) Olympia
註・この大会の女子200メートル平泳ぎ決勝で金メダルを獲得した前畑秀子選手の映像は『美の祭典』の本編には
ありませんがニュース・フィルムの競技映像を挿入して日本公開されたようです。
(小さな頃に「前畑頑張れ前畑頑張れ、勝った勝った」という実況SPレコードを聞いていたことを思い出しました)
☆シルヴァ・コシナ Sylva Koscina (1933.8.22~1994.12.26)

『鉄道員』でデビューし注目されましたがその後は作品に恵まれずB級作品に終始したイタリアの女優です。
ホテル経営者のギリシャ人の父親とポーランド人の母親との間にユーゴスラビアのザガブリアで生まれました。第二次大戦の
勃発により1945年にイタリアの市民と結婚した妹と一緒に暮らすためにイタリアに移り、1954年にナポリ大学医学部で学んで
いたときにイタリアの自転車レースの優勝者に花を贈る係に選ばれその写真がヨーロッパ中の新聞に掲載されたことを機に
映画入りのチャンスをつかみ、1955年のピエトロ・ジェルミ監督の『鉄道員』の長女役に抜擢され女優としてのスタートを
歩み始めました。しかし、その後国際的に活躍しましたが良質の作品に恵まれず、B級アクションや史劇ものに終始して
しまいました。
【主要出演作品】
1956年『鉄道員』Il Ferroviere
1957年『芽ばえ』Guendalina
1958年『ヘラクレス』Le Fatiche di Ercole

1958年『夏物語』Racconti d'estate

1962年『すてきなジェシカ』Jessica
1962年『放浪の剣豪』La congiura dei dieci
1963年『地上最笑の作戦』Il Giorno più corto
1964年『もしお許し願えれば女について話しましょう』Se permettete parliamo di donne

1967年『キッスは殺しのサイン』Deadlier Than the Male
1967年『ベニスの出来事』Three Bites of the Apple

1969年『マルキ・ド・サドのジュスティーヌ』Marquis de Sade: Justine
1969年『ネレトバの戦い』Bitka na Neretvi
【ご命日】
★藤澤嵐子 Ranko Fujisawa (1925.7.21~2013.8.22)

日本においてアルゼンチン・タンゴの普及に貢献したタンゴ歌手。
主な歌唱曲として『ママ恋人が欲しいの』『ジーラ・ジーラ』『スール』『ボンボン・シート』などがある。