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離婚3週間

2019-06-11 07:46:36 | 日記

磯野貴理子 元夫出ていかない…離婚3週間も続く同居生活

「磯野さんが今のマンションを購入したのも、元夫・Tさんが経営するバーから徒歩数分のところにあるためです。彼が通いやすいよう、『少しでも愛する夫の役に立ちたい』という彼女なりの愛情だったのですが……」

【写真】今も磯野のマンションに出入りを続ける元夫・Tさん

5月19日、12年に再婚した24歳年下の男性・Tさんとの離婚を発表した磯野貴理子(55)。6月2日には自身が出演するドラマ『つばめ刑事』(ひかりTV)の完成披露挨拶に出席。共演者から離婚についてイジられる場面でも、「ついこの間、離婚しまして。でも、おかげさまでこんなに元気になりました。つば九郎と一緒にドラマの宣伝をさせてもらっています!」と明るく語っていた。

「5月末に磯野さんは大ファンである東京ヤクルトスワローズの始球式に参加しましたが、オファーがきたのは直前でした。それでも『絶対やらせて!』と引き受けたのは、“好きなことをしている間だけは離婚のつらさを忘れられる”という思いがあるのでしょう。また離婚後にバラエティ番組にほとんど出演していないのも、元夫に批判が集中しないよう気遣っているのだと思います」(知人)

人前で気丈にふるまう磯野。しかし、苦悩は続いていた――。

「実は離婚発表後も、磯野さんのマンションへTさんが毎日のように出入りしているんです。仕事場へもマンションから通っており、着替えるためだけに立ち寄ることもあるそうです。それどころか、駐車場に自分の車を止めているといいます。マンションの住人たちも『まだ出ていかないの……』とため息をもらしています」(前出・知人)

5月末日、本誌も磯野の自宅マンションから出てくるTさんの姿を目撃。現在の生活について聞くと「お話しするつもりないんで」と渋い表情で立ち去っていった。夫婦問題カウンセラーの高草木陽光さんはこう語る。

「全国でどのくらいあるかは不明ですが、こうした事例は非常にまれです。ほとんどの夫婦は離婚する前にまず別居を選択します。私は今までに約8千人の離婚相談を受けてきましたが、そのなかで離婚後すぐに家を出て行かず、一定期間夫婦で一緒に暮らしていたケースは4?5件しかありません」

離婚の理由について、自身のレギュラー番組『はやく起きた朝は…』(フジテレビ系)で磯野はこう語っていた。

「(元夫が)『自分の子どもが欲しい』って。あっ、そうか。そらそうだと思って。『何か勝手言って、俺』って(向こうに言われて)『勝手じゃないよ。自然なことだよ。当たり前じゃないの』って……」

自ら離婚を切り出したともいえるTさん。それなのに、なぜ今も磯野のもとに居座り続けるのか。高草木さんは続ける。

「単純にお金がなかったり、引っ越し先が決まらないといった現実的な問題があるのではないでしょうか。ですが大抵の人はパートナーに離婚を言い出す前に、離婚後のシミュレーションなり準備をしています。そういった意味でTさんは、磯野さんの優しさに甘えている部分があるといえるでしょう。ほとんどの女性は離婚後に姓が変わるため、さまざまな手続きをしなければなりません。ただでさえ忙しいわけですから、いつまでも居座られるのは迷惑でしょう。これから数カ月、数年とたっても出て行かない場合、磯野さんの新たな恋愛や再婚にも悪影響が出てくると思います」

それでも磯野には、Tさんの“自宅出入り”を許す理由があった。

「磯野さんは決してTさんのことを嫌いになって離婚したわけではありません。Tさんが過去に女性への暴行騒動で非難を浴びたときは、誰よりも彼のことをかばっていました。今回も『子どもが欲しい』という彼の気持ちを尊重して、前向きに離婚を選択したのだと思います。14年に磯野さんが脳梗塞で倒れた際に寄り添っていたのもTさんでした。彼女は『彼は命の恩人』と、とても恩義を感じているといいます。だからこそ、彼のことは今でも気にかけているのでしょう。再出発をできる限り応援したいと考えているようです」(芸能関係者)

磯野は17年6月13日号の『婦人公論』で、こう語っていた。

《緊急入院以来、私の事務所との連絡、仕事関係の人とのやりとり……全部一人でやってくれていましたから。飄々としていたけれど、神経をすり減らすような毎日だったのでしょうね。本当に感謝しています》

常にTさんのことを一番に考えていた磯野。たもとを分かった今でも、彼への感謝は変わっていないのだろう。そうした元妻の優しさを感じ取ってか、Tさんにも変化が見られているという。

「最近は心を入れ替えて、バーの経営に力を入れているようです。必死に切り盛りしたかいもあって、お客さんも徐々に増えてきていると聞いています。『いつまでも磯野さんの好意に甘えて迷惑をかけるわけにはいかない。早く独り立ちしなければ』という彼なりの思いがあるのでしょうね。近いうちに磯野さんのマンションからも離れると決めているそうですよ」(別の知人)

6月上旬、本誌は今の“同居”生活について聞くべく、仕事に向かう磯野に声をかけた。「Tさんへのお気持ちを聞かせていただけないでしょうか」しかし磯野は笑顔で「ごめんなさい」とだけ言い残し、去っていった。

突然の離婚発表から3週間。嘆息の日々は、2人の新たな関係に向かって少しずつ変わり始めていた――。

お金がつないだ関係

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慎ましく美しい

2019-06-11 07:34:50 | 日記

「雅子皇后」の英語力にメラニア夫人も感心 ロシア語、仏語、独語もかなりの実力

 令和の時代になって、初の国賓として来日したトランプ大統領夫妻。外国の要人の来日でこれだけ世間の関心を集めたのは、英国のダイアナ妃以来なんていう声も聞こえてくる。

【写真】天皇皇后両陛下と握手を交わす笑顔の「メラニア夫人」を見つめる「トランプ大統領」

 さる官邸関係者は、

「トランプ大統領夫妻は、天皇皇后両陛下と会見されることについて、光栄なことだと思っていたそうです。メラニア夫人は、雅子皇后と会話し、『皇后の英語はすごくきれいだ』と周囲に語っていたときいています」

 5月27日、宮殿「豊明殿」での宮中晩餐会を終えた後、天皇両陛下がトランプ夫妻を見送られたときのことである。トランプ大統領が陛下と握手し、次いで、雅子皇后とメラニア夫人に握手を促せたとき、メラニア夫人は情愛のこもった眼差しで皇后を見つめ、握手した。すると雅子皇后はメラニア夫人の手を握り、両頬を軽く触れ合わせるチークキスを交わされたのである。

「アメリカでは、チークキスはほとんど見られません。ヨーロッパの慣習ですね。メラニア夫人は東欧スベロニアの出身ですから、それを知った皇后がごく自然に振る舞ったわけですが、ほんのわずかの間にチークキスを交わせる間柄になるなんて、余程のコミュニケーションが取れないとできません。皇后の語学力は恐るべきものですよ」

 と話すのは、皇室ジャーナリストの神田秀一氏である。

 6月4日には、両陛下はクロアチアのヤンドロコビッチ議長夫妻と懇談されたが、ここでも雅子皇后の語学力が光った。皇后と議長夫人の間で話が盛り上がり、陛下と議長が先に椅子に座られたのに、それに気づかず話し続けた。陛下は笑いながら、皇后に着席を促した。皇太子妃時代にはあまり見られなかった、生き生きとしたご様子が伝わってくるのである。

 雅子皇后は、5カ国語に長けていると言われている。

雅子さまは、幼少の頃は父親の元外務事務次官の小和田恆さんの海外赴任先である旧ソ連やアメリカで過ごされています。雅子さまがモスクワで暮らしていらっしゃった頃の写真を小和田さんから見せてもらったことがあります。3歳くらいでしたが、この頃すでにロシア語を話されていたようですね」(同)

 当時、雅子さまはロシア語で夢を見たり、妹にロシア語で話しかけたりするほど堪能だったという。

 雅子さまが5歳の時、小和田一家はニューヨークへ移る。雅子さまはニューヨーク市立パブリックスクール付属幼稚園に1年間通われ、パブリックスクールに入学。7歳まで学んで帰国しているが、ここで英語をマスターされたようだ。が、元々小和田家では、家庭で普通に英語で会話する事が珍しくはなかったという。

 ご一家が1992年12月30日から1月2日まで、外国人夫妻を招いて福島県猪苗代のホテルで過ごされた時、ソムリエはこんなことを語っている。

「雅子さまは紺系のお洋服をきちっと着ていらっしゃいました。モエのシャンパンで乾杯後2杯目をおつぎしようと雅子さまのところへまいりましたら“ノー・サンキュー”とおっしゃって……。(中略)外国人夫妻と話すときも家族同士で話すときも、すべて英語で話してらしたのが、とても印象的でした」(「微笑」1993年2月6日号)

 田園調布雙葉高校1年の時、父親が在米日本大使館公使に就任したため、再びアメリカへ。当時、クラスメートとのお別れ会が教室で開かれた。雙葉の同級生は、

「クラスメートの一人が『お別れの歌』という歌をつくってオワ(雅子さまのニックネーム)のために歌ったのです。“涙は見せずに笑顔を送るから、あなたも私たちのことを忘れないでね”という内容の歌でした。すると、オワはそのお返しの意味でドイツ語でハイネの詩を朗読してくれたんです。とても美しい発音で、その時オワがドイツ語もできるんだってビックリしたのを覚えています」(「女性自身」2000年5月9日・16日合併号)

 米国では、マサチューセッツ州立ベルモント・ハイスクールに2年間通われた。この時、ドイツ語を学んでいる。ドイツ語もすぐに上達し、ドイツ語が優秀な学生に贈られるドイツ政府運営のドイツ総領事賞とゲーテ・インスティトゥート(ドイツの国際文化交流機関)賞を受賞したほどだ。ハイスクールを卒業後、ハーバード大学経済学部に入学した。

「雅子さまは、大学1年からフランス語のサークルに入って、フランス語を学んでいます」(神田氏)

 大学1年の夏休みには、ドイツのゲーテ・インスティチュートでドイツ語の特訓をし、2年の時はフランスのグルノーブル大学の夏期講座に参加するなど、貪欲なほどに語学の研鑽を積んだ。サミット晩餐会

 雅子さまは外務省時代、先進国首脳会議で当時の海部俊樹首相の通訳を務めたことがある。皇室に入られて、語学力が最初に発揮されたのは、ご結婚の1カ月後、1993年7月のサミット晩餐会だった。

「雅子さまは、米クリントン大統領とヒラリー夫人、ロシアのエリツィン大統領、ドイツのコール首相、イギリスのメージャー首相、フランスのミッテラン大統領、カナダのキャンベル首相と、各国の首脳とは通訳なしで歓談していました」(同)

 晩餐会では、雅子さまはロシア語も話されるという理由から、クリントン大統領とエリツィン大統領の間に座ったことは、印象的だった。

 昨年、フランスで開催された「ジャポニスム2018」で徳仁天皇が約3分間のスピーチをフランス語でされたが、この時、フランス語の指導をしたのが雅子皇后だといわれている。

「上皇も上皇后から色々アドバイスを受けていましたから、天皇も雅子皇后から指導を受ける事は多かったと思います」

 と解説するのは、前出の神田氏。

「皇室で語学の堪能な方は、秩父宮妃勢津子さまでした。マーガレット・サッチャー首相が来日したとき、秩父宮妃の英語に対して“パーフェクト”と言ったほどです。秩父宮妃以来、本当に語学が堪能なのは雅子さまですね。新しい天皇の時代になって、今後は外国訪問も増えるかもしれません。皇室による国際親善を目指すのではないでしょうか。6月2日の愛知での植樹祭では、その前日の夜、天皇両陛下の宿に提灯を持った人たちが大勢集まって万歳三唱を唱えましたが、両陛下は部屋の明かりを消して、窓から2つの提灯を振っていました。国民の期待が膨らんできている。そしてそれに応えようとなさっているのが伝わってきます」

日本人として誇れる雅子様です。慎ましく美しい

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