goo

啄木、一、小川

 小川なおしさんと、この2.3日、ブログのコメント機能でのやり取りがありました。

 「最新のコメント」でチェックできるわけですが、そこまでこのブログに関心がある方などいないと思います。

 また、久しぶり(1年?)に「表」に出してみます。

 

啄木の本 (小川)
2007-12-03 02:43:38

松田さん、こんばんは。
もう取り上げないと思いますので、ここに書きます、啄木の本。題名は「悲しき玩具 直筆ノート」。啄木のノートを、そのままコピーしたものです。ノートの最後まで使っているわけではないので、終わりの11枚はなんと罫線のみ。こまかい配慮ですね。
せっかくなので、この本の中でお気に入りの一首を紹介します。
「考えれば、
 ほんとに欲しと思ふこと有るやうで無し。
 煙管をみがく。」
実物は手書きで、「考えれば」の前に「かへり見れば」と書かれていたことがわかります。「かへり見れば」の六文字が、縦線三本で消されているので。
繰り返し、読み入ってしまいます。

啄木 (m)
2007-12-03 19:39:25

はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ

葡萄色(えびいろ)の 古き手帳にのこりたる かの会合(あひびき)の時と処(ところ)かな

今夜こそ思ふ存分泣いてみむと 泊りし宿屋の 茶のぬるさかな

本を買ひたし、本を買ひたしと、 あてつけのつもりではなけれど 妻に言ひてみる。

この四五年、 空を仰ぐといふことが一度もなかりき。 かうもなるものか?

『石川はふびんな奴だ。』ときにかう自分で言ひて、かなしみてみる。

話しかけて返事のなきに よく見れば、 泣いていたりき、隣の患者。

或る市(まち)にいし頃の事として、 友の語る 恋がたりに嘘の交るかなしさ。

長く長く忘れし友に 会ふごとき よろこびをもて水の音聴く

なおしさん、こんばんは。

五十を越えた松田の、啄木の歌パッと10選です。

「考えれば、」の方が軽さというか、「考え」てないでスラーと歌が始まって「煙管をみがく。」の重量感が出ている気がします。的外れでしょうか?

的外れ (小川)
2007-12-04 01:05:34
松田さん、こんばんは。
「的外れでしょうか」なんて、私に訊ねるところが的外れですよ。私にはわかりません。ただ、確かに「考えれば」の方が軽さを感じさせますね。
私は、「かへり見れば」だと過去のことのように思われるかもと啄木は思ったのかな、などと考えたのですが、どんなものでしょう? 
かへり見れば (m)
2007-12-04 01:32:42
省みれば→反省。
顧みれば→歴史を振り返る。
だそうです。

いきなり、のような印象出したくなかったのでは
その方が、カヘリミル感が出たりして。
この歌は、啄木何歳くらいのものですか?
啄木の歳 (小川)
2007-12-05 00:40:10

調べてみました。
このノートの一ページ目に「一握の砂以後(四十三年十一月末より)」とありますから、この歌は啄木が25歳か26歳の時のものなのでしょう。

 (m)
2007-12-05 01:54:07

なおしさん、こんばんは。

啄木は26で亡くなっていますね。享年27歳です。

あれは晩年の一首と思ったのですが、なおしさんから「25歳か26歳の時のもの」というメールを見たとき「若いときの歌か?」と錯覚しました。

啄木は27になって間もなく死んでいるんですね。
松田は、その倍生きたわけです


『松田はふびんな奴だ。』ときにかう自分で言ひて、かなしみてみる。

あのー (小川)
2007-12-05 02:11:03
松田さん、こんばんは。
「松田は、その倍生きたわけです」って、過去形になっちまってますけど、いいんですかー。
まあ面白いからいいんですけど。
それにしても、この絵文字スゴイですね。
最後の歌も、なにやらスゴすぎて、いやはやなんともツッコミようがありません。まいりました。
 (m)
2007-12-05 21:31:26

なおしさん、こんばんは。
啄木の本名は、石川一です。
はじめ、と読みます。

クワタさんのお父さんも
一さんでした。

晩年の2.3年、足腰が弱って車椅子生活になるまで一人上京し、早稲田の古本屋街を歩いていたそうです。

クワタパパ、の話しはクワタさんよりエネルギッシュです。クワタパパありて、クワタさんありです。
一さんで思い出しました。

一(はじめ)さんですか (小川)
2007-12-06 00:57:59
松田さん、こんばんは。啄木の本名は一(はじめ)でしたか。クワタパパもですか。そう来ましたか。
私の通っていた中学には、小川一という名前の男がいました。書きやすい名前でうらやましく思っていたのですが、そこは同じ苗字。仲が良い、ということはなく、もうひとりの小川がいる、ということで互いによくは思っていませんでした。ある日の休み時間、彼と偶然に顔を合わせた私は、ここぞとばかり言ってやりました。「あっ、ニセの小川だ」と。ところが、まったく同じタイミングで、やつも「あっ、ニセの小川だ」と言っていたのです。お互いに呆気にとられてしまいました。こんなことがあると、やっぱりどちらかがニセモノなのかも、と思ってしまいます。ありふれた苗字は、ちょっと困りものですね。

  ついに風邪をひいてしまいました。

 お医者さんに行ったら「美味しいもの食べて、薬を飲んで、よく休養をとってください」と言われました。 

 「薬を飲んで」がなければ望むところですが    

  

 

 




 

 

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
« 続・Sさんの... 量だけでなく... »
 
コメント
 
 
 
コメントにコメント (小川)
2007-12-07 14:25:33
松田さん、こんにちは。
「悲しき玩具 直筆ノート」のことですが、ずいぶん高値がついていますね。私の持っているものは、盛岡啄木会発行のもので、「昭和五十五年 啄木忌 複製」とあります。古本屋で手に入れました。
話は変わりますが、きのうの朝日新聞の夕刊の12ページのコラムがスゴイことになっています。林家正蔵と佐々木閑と「なだいなだ」の三人のものなのですが、三者三様で、極限の人間のありようが描かれています。見習おうにも見習えないほどの気高さを感じさせるものもあり、反面教師にすべきものもあり。奇跡的なページになっています。ぜひ見てみてください。
 
 
 
すみませんまだです (m)
2007-12-11 22:47:31
なおしさん、こんばんは。
なんかバタバタしていて、図書館に行って「朝日新聞の夕刊」を、まだ見ていません。

朝日のHP、探したんですが見つけられませんでした。サッと見つけられないというのは、新聞社の陰謀なのかこちらがおバカなのか

ところで、なおしさん。
最近、仕事お忙しいのでしょうか?

「お薦め本」待ってます。
 
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。