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アンケートとして読んでいただけると嬉しい

 2023-07-09精度よりも速度を優先するように教えられる」のMさんについてです。

 アラサーの研究者。

 片道2時間半かけて教室に通っています。

 まずは通信文です。

 

クリエイト速読スクール

松田さん 劉さん

 

お世話になっております、受講生のMです。

皆さん、お元気にされていますでしょうか。

最近、茨城は涼しくなって、過ごしやすい日々が続いています。

池袋も同じくよい気候であることを信じています。

 

さて、190回目のアンケートをさぼり続けていました。

書こうと思ったのですが、最近、教室に行く頻度が前よりも下がっていて、トレーニングやそれに伴う自身の変化に関してフレッシュなフィードバックが難しいと考えています。

 

そこで今回は、夏休みに行ったアフリカ旅行の中で考えた内容を書こうと思います。
 

今年のお盆に10日の休みを取って、ケニアとエジプトに旅行に行ってきました。

旅行中に考えたことを、ひとまとまりの文章にしてまとめていました。

その内容を松田さん、劉さん、そして皆さんに読んでもらいたいと思ったので、編集してご送付します。

速読や読書と関わりがある内容は1%くらいしかないかもしれませんが、アンケートとして読んでいただけると嬉しいです。

以下、内容です。


   Sent: Friday, September 27, 2024 11:02 PM届いた「アンケート」です。

   文演は受講済みです。

  受講190回は、23/10/28。

  最新は受講199回(24/9/21)です。   


 

旅の備忘録新石器革命の意義

マサイマラ国立公園でゲームドライブをしていたとき、子どものヌーを捕まえたチーターをみつけた。30分ほどヌーの前で休憩したチーターは、ゆっくりとヌーを食べ始めた。しかし、ヌーの皮が硬いからか、チーターの歯と顎が弱いからか、なかなか血肉の部分にたどりつけなかった。1時間ほど皮を噛み続けてようやく肉が現れて、チーターは腹を満たすことができた。

この光景をみて私は、新石器革命における磨製石器発明の重要性を腹の底から理解した。鋭い石器の発明は、チーターが60分かけるプロセスを数分に短縮したのだろう。当時の人間は食糧の探索と採集、調理、食事に大部分の時間を割いており、それ以外の活動にはあまり時間をかけられなかった。磨製石器の発明は主に食糧の採集、調理における生産性を数倍、もしくは数十倍まで向上させた。その結果、人間の自由な時間、物事を考える時間を大幅に増やしたと考えられる。このことは人間が現在の姿に到達するための1つの重要な因子だったのだろう。

これらのことに思い至ったとき、人類史上における重要な革命、すなわち新石器革命、農業革命、産業革命などはすべて、生活に必要な物資の生産性の大幅な向上にあったことを思い出した。それぞれの革命を達成した、もしくは革命に追従した集団が生き残り、現在の世界で豊かな立ち位置を築いたのだ。そして、それはおそらく今後も同じで、あらゆる仕事、生産活動における生産性を向上できる人間集団は、従来よりも物質的に豊かになり、そうでない集団は相対的に貧しくなるのだろう。


旅の備忘録現実はいつだって理不尽で、変幻自在

今回のケニアエジプト旅行は友人と2人で行く予定だった。出発当日、空港に集合した。しかし、詳細は割愛するが、トラブルにより友人は飛行機に乗ることができず、1人で行くことになった。友人はショックだったと思うし、私も彼と行きたかったのでほんとうに残念に思った。また、エジプトに関する調査は友人任せでほとんど準備をしていなかったので、周遊ルートやホテルなどについて改めて大量に調べて予約する必要が生じた。正直、だれが悪いわけでもないのに、突然不幸が訪れた感覚だった。現実はいつだって理不尽だと思った。

しかし、友人と行けなかったことは残念だったが、結果的に1人であったことはまったく悪くなかった。アフリカ3大凶悪都市の1つであるナイロビを歩き回ったとき、真っ暗で怪しい玄関のアパートメントに泊まったときの肌がひりつくような感覚は、1人だったからこそより強く感じられた。カイロでは、たくさんのエジプト人が「1人で旅行しているのか、楽しめているか」などと、1人であることを気遣って声をかけてくれた瞬間があった。話し相手がいなかったので、旅行の中で受けた大量の刺激にたいして、たくさんのことを考える時間があった。ケニアでの5日間でガイドや周囲の人と英語で話した量は、ヨーロッパに2か月いたときと比べて遜色ないと感じるくらいの濃密さで、人生で初めて英語を話す夢をみた。

このように、旅行の初めに理不尽だと思った状況は、いつの間にか自分に豊かさを与えるものにかわっていた。現実はいつだって理不尽だが、その意味は捉え方によって容易に変化する。変幻自在だ。


旅の備忘録「平等」の意味は社会や宗教によってまったく異なる

ケニアに向かう飛行機の中で、井筒俊彦さんイスラーム文化』を読んだ。イスラームという宗教の根底に流れる本質のようなものを、他の宗教や思想と比較しながら丁寧に説明してくれる、とても読みやすい本だった。

この本の中に興味深い記述があった。

私たち日本人や欧米諸国に住む人の大部分は、どのような人間でも健康的で豊かに生きる権利を持っているという認識を持っている。この考え方はフランス革命があったころから成長を始め、西洋先進諸国といえる国々ではもはや倫理的とすらいえるものになってきている。

一方で、イスラム教を信じる人々であるムスリムは、神との間に絶対服従する契約を結んでいると考えており、この契約の締結の下でのみ人間は平等であるという感覚を持っているらしい。すなわち、少なくともイスラム教の教義の下では、この契約を結んでいない人間にたいして平等である必要はないのだ(当然の注意点だが、このことはムスリムの人びとがそれ以外の宗教を信じる人びとたいして不寛容であるということを意味しない。そのことは別の機会に述べる)

私たちはあらゆる人間が健康的で豊かに、そして自由に生きる権利を持っていると、当然のように思っている。しかし、この感覚はまったく自明なものではなく、自分が所属している集団が偶然採用した、社会的な構築物なのだ。

上記の考えに至り私は、世界において自明なものはほとんどなく、その自明でなさというものは、自分以外との比較によって初めて明らかにされると理解した。この、自分以外との比較を行うための最高のツールが旅であり、読書であると感じた。


旅の備忘録あるものの生はあるものの死によって維持されている

ケニアでサファリツアーに参加してもっともよかったことは、ハイエナやチーターなどの肉食動物が、インパラやヌーといった草食動物を捕食しているシーンをみられたことだ。

インパラはほんの少し前まで、元気にサバンナの草を喰み、生きていた。しかし唐突に、とてつもない速度で爆走するチーターに追いかけられた。逃げるインパラのジャンプ力や走る速度も凄まじかったが、とうとうチーターに捕まった。喉元を強く噛みしめられ、数分でインパラは息絶えた。しばらくして、死んだインパラの元に5匹のチーターが集まってきた。インパラは四方から噛みつかれ、身体をバラバラにされた。チーターは貪るようにインパラに喰らいつき、その口元は血だらけになっていた。最終的にはインパラの骨だけがそこに残った。この食事の結果、1匹のインパラは死に、5匹のチーターは命を長らえた。

この光景を目の当たりにして私は、あるものの生はあるものの死によって維持されていると強烈に実感した。こんなことは至極当然のことであり、本来何も不思議なことではない。しかし、ふだん安全な場所でのうのうと生きている私は、完全に忘れていた。肉食動物の生は草食動物の死によって維持されている。私の生は大量の動植物の死によって維持されている。日本でふつうに暮らす、世界からみれば相対的に豊かな私のような人間の豊かな生は、世界中の相対的に貧困な人間たちの貧しい生によって維持されている。

この残酷で当然の構造は世界の中を貫徹しており、けっして崩れることはない。


旅の備忘録内陸国はグローバル社会おいて圧倒的に不利

今回の旅行では、最初にナイロビの空港に降り立った。一晩市内のホテルで過ごした翌日の早朝、サファリガイドと合流して、34日でいくつかの国立公園や湖を車で回った。各目的地の間を移動するのにかかった総時間は15時間くらいだった。道中ではたくさんの車をみかけた。そのとき、日本と比べてトラックの数がやたらと多く感じた。ガイドがいうには、アフリカの国ぐにでは陸路での貿易が盛んで、国から国へと大量の荷物がトラックで輸送されていくらしい。

この話をきいて、内陸国がグローバル社会において不利な理由の一端がわかった。アフリカやユーラシア大陸には、海岸からの距離が遠い内陸国がたくさん存在する。ケニアは海に面してはいるが、人口密度が高いのは内陸のナイロビ近辺であり、内陸国に近い性質を持つ。内陸国が他国と貿易をするためには、日本やアメリカのような海に面している国に比べて、長距離の陸上輸送が必要となる。Chatgptによれば、陸上の単位距離・重量あたりの輸送コストは、海上の10倍らしい。物流コストの増加は輸出・輸入するモノの価格に転化され、輸出品では国際的な競争力が低下して、輸入品では価格が増加する。実際にナイロビのスーパーでは、国産のトマトが100/1kg(≒100/5)である一方で、輸入品のリンゴは400/個だった。このようにして、輸出入どちらの恩恵も受けにくい内陸国は、他国間との貿易による利益を享受することが難しくなり、経済の発展が遅れやすくなる。同じ理由でロシアは不凍港を求め続けており、内陸地域では高付加価値製品以外の生産は困難となっているのかもしれない。

内陸国か否かという自分では選べないことでその国の豊かさの大きな部分が決定されている。世界は残酷で冷徹で、そしておもしろい。


旅の備忘録異なる存在の認識が物事の捉え方を変化させる

今回の旅では、これまでになかった人間との出会いが多かった。

往路はシンガポールの空港、インドの空港でトランジットをして、ケニアにたどり着いた。シンガポールまでは、日本人、中国人などのアジア人、西洋人が大多数だった。だが、インドのムンバイからはインド人、中央アジア人、アラブ人、真っ黒のアフリカ人が突然現れた。ケニアでは、サファリ周辺を除けばアフリカ人しかいなかった。ケニアの次はエジプトに向かった。エジプトも同様に、アラブ人しかいなかった(実際は多様性があると思うが)。アフリカ人もアラブ人も個別には会ったことがあるが、マジョリティが彼らである社会には入ったことがなかった。自分がマジョリティとして彼らと会うのと、マイノリティとして会うのでは、まったく感じるものが異なっていた。正直、最初は知らないがゆえの恐れすらあった。

今回の旅行では、自分とはまったく前提の違う人間がまったく異なる世界の中に生きていることを強く認識した。自分とは異なる存在が同じ時空を共有していて、その存在は自分とは異なる世界の捉え方をしていた。自分が今している世界の捉え方は自明ではなく、これまで生きてきた社会に規定されていたと認識した。これらの認識が、いわゆる「価値観が変わる」といわれている現象の主要因であると感じた。


旅の備忘録「安全はすべてに優先する」は間違い

ケニアのナイバシャ湖でウォーキングサファリに参加した。湖の、人間が多く住んでいる側から船に乗って、対岸まで移動した。対岸は人の手がほとんど入っていないエリアになっていて、自然のままに存在している動物たちをみてまわることができた。動物には10mというかなりの至近距離まで近づくことが認められた。もちろん柵はない。

歩いていると、視界の遠くに土や木々とは明らかに違う柄がでてきた。近づいてみると何かわかった。キリンだった。キリンは向かってくる人間など意に介さず、ただ立っていた。静かに、尻尾をゆらゆらと振りながら、口をもごもご動かしながら、立っていた。近くにいくとその大きさに息を呑んだ。後ろ脚で蹴られたら、一発でライオンが絶命するらしい。そんなリスクを抱えた存在があと少しで触れられる距離にいた。

このキリンの姿をみて、おそれおおい感情が身体の芯から立ち上ってきた。この感覚はサファリカーからみたとき、動物園でみたときとはまったく異なっていた。車からみたときはたしかに距離は近かったが、自分は完璧に守られていると感じていた。でも、歩いているときは違う。あと一歩キリンが近づいてきたら死が視野に入る、そんな状況だ。しかし、まさにこの安全ではない状況こそが、私にこれまで感じたことのない感情を生じさせたのだと思った。

メーカーで働いているということもあり、いつも安全安全と厳しくいわれている。「安全はすべてに優先する」と。だがそれは間違いだ。安全なところにいる限り、けっして味わえない感覚がある。リスクを取らない限り、感知し得ないものが存在する。日本は安全で便利で長生きできる素晴らしい国だが、柵なしに巨大な哺乳類を近くでみられる場所はない。

リスクを取らずに生きていくこともできる。リスクを取ると何かを失うこともある。しかし、得られるものはそれだけ大きい。


旅の備忘録⑧Extreme people in Extreme place

今回の旅ではたくさんの個性的で愛すべき人たちにあった。

まずは、ケニアのツアーガイド、ロバート。1日に150回は電話をするお茶目な彼はプロのカメラマンでもある。ふつうの人には撮れない低い画角から動物の写真を撮っているそうだ。あるとき、うつ伏せになって象の写真を撮っていたら、象が近づいてきて踏み潰されそうになったらしい。休みの日は切り立った岩山でロッククライミングをしている。「命をかけることが好き」だそうだ。

次は、カイロのコシャリ店で相席になったスペイン人のミゲル。彼は、アフリカでもっとも小さい国であるガンビアに住んでいて、そこでデザイン寄りの建築家をしている。エジプトにはダイビングをするために来たそうだ。私はガンビアという国も、エジプトでダイビングができるということも知らなかった。彼の日本人観はこうだ。「世界で1番礼儀正しいが、視野がくそ狭い」。辛辣すぎて笑ってしまった。「クレイジーになるべきときにクレイジーになれない人間はだめ」だそうだ。スペイン人は礼儀正しさとクレイジーさのバランスがいいらしい。彼にいわれた「お前は日本から出て別の国に住もうと思わないのか?」という言葉は、その選択肢が実は存在していることを私に気づかせた。

あとは数組の日本人にもあった。みんな、今までにあったことのないタイプの人だった。キリマンジャロに登りにいく人が2人。世界一周中の3人組家族。帰国子女と技術者の夫婦。外国人支援の仕事をしている人とこれからオーストラリアにワーホリに行く人の友人2人組。長時間は話していないしひとくくりにはできないが、なにか偏った属性をもった人たちだと思った。

この人たちにあって思った。Extreme people in Extreme placeだ。エクストリームな場所はいつだってエクストリームな人を集める。彼らのある種の性質が、本能ともいえる何かが、日々の生活では感じられない何かを感じさせるために、彼らを特別な場所へと駆り立てるのだろう。

エクストリームになりたい人、エクストリームな人に会いたい方はぜひ、エクストリームな場所へ。


旅の備忘録ナイロビの青年がサファリガイドを目指す意外な理由

ケニアでのサファリツアーでは、ガイドだけでなく、インターンシップ生も一緒に回っていた。名前はグレゴリー。ナイロビ生まれナイロビ育ちの、穏やかに、わかりやすい英語を話してくれる20歳の好青年だ。彼はいま学校に行きながらときおりツアーガイドのインターンシップに参加して、経験を積んでいるらしい。

彼のお父さんは大学で講師をしており、Ethics(倫理学)を専門に教えているそうだ。この話を聞いて私は、君はお父さんとは別の道を選んだんだね、といった。彼はその理由を教えてくれた。

彼の父は講師なので、毎日学校に行って講義をして帰ってくる。毎日同じところに行って、同じところに帰ってきて寝る、それを繰り返している。彼にはそのライフスタイルが魅力的に感じられなかった。だから、仕事のたびにさまざまな場所に行き、さまざまな宿に泊まることのできるサファリガイドになることを選んだそうた。

幼い頃、私の父は長距離トラックの運転手をしていた。他にもいろいろ仕事があるのになぜそんなハードな仕事をしていたのだろうと、ずっと疑問に思っていた。しかし、グレゴリーの話を聞いてその理由をたちまち理解した。毎日同じところで同じことをして、同じところに帰って寝る。これをしたくない人のために存在しているのがトラックの運転手であり、サファリガイドだったのだ。父に理由をきいたらおそらくグレゴリーと同じようには答えないと思うが、根底には1つの場所にいつづけたくないという感覚があるのではないかと思った。

グレゴリーの話は「人生は1つの仕事場と1つの家との往復で満たされている」という私の中の固定観念をときほぐしてくれた。そのライフスタイルは正義でもなければ正解でもないのだ。そのことに20歳にして気づき自分の道を選んだ彼のことを、私はかっこいいと思った。


旅の備忘録イスラム教は他宗教に不寛容ではない

今回のエジプトへの旅行は、私にとって初めてのイスラム教国家との遭遇だった。イスラム教徒ならではの風習をたくさん目にした。どこにいっても豚肉とアルコールがないこと、女性が真っ黒のヒジャブを身につけていること、街中の男女比は9:1くらいで女性があまり外に出ていないこと、エジプト人男性は話しかけてくる一方で女性は目も合わせてこないこと、1日に数回、街のどこにいても聞こえる爆音でコーランが読み上げられること。すべてが仏教国、キリスト教国と違っておもしろかった。

一方で、意外だったことが1つある。それは、外国人である私に対する差別が一切なかったことだ。ヨーロッパに2か月半滞在していたときには、ときどきアジア人であることをバカにする言葉を投げかけられることがあった。このような経験があったこと、イスラム教は他宗教に優しくないと思っていたことから、エジプトでも同じようなことがあるだろうと覚悟していた。しかし、エジプト人はそのほとんどが友好的だった。笑顔で気前がよく、電車の駅で私が困っていたときは、英語も話せないのに声をかけて助けてくれた。もちろん例外もあるだろうが、中世においてもイスラム教の国では税金さえ納めれば、異教徒でも生命の安全と宗教的自治が保障されていたらしい。

今回の経験から、イスラム教は他宗教に不寛容ではないと認識した。日本で私たちがよく耳にするイスラム教の情報は偏っているように思う。いつもなにかの戦争や内紛している、アメリカなどの先進諸国でテロを行っている、ヨーロッパに大量の移民として押し寄せて現地の治安を悪化させているなどの情報が多く、彼らを過激な行為をしがちな宗教者だと思いやすい。しかしおそらく実際は、過激な行動をしている人の大部分は原理主義者で、一般のイスラム教徒は私たちと同じように、自分たちの風習を守りながら穏やかに暮らしたいだけなのだ。原理主義者が過激なのはどの宗教も同じで、仏教(オウム真理教とか)、キリスト教、ヒンドゥー教でも過激な人はいる。また、お金と希望を持たない若者が犯罪に走って治安が悪くなるのも、あらゆる場所や時代で同じように起こってきたことであり、イスラム教徒だけの問題ではない。

どんな集団にもいいやつもいればわるいやつもいる。その比率はすべての集団で同じなのに、無理解がその認識を歪ませてしまっているように感じた。


旅の備忘録No.11 ぼったくられないためにはぼったくられなければならない

エジプトでは、商品に値札が付いている店がほとんどなかった。個人商店、パン屋、喫茶店、地元のレストラン、お土産屋さんなど、どこにいっても価格が書いていない。店員にきくまで値段がわからない。このような情報の非対称性がある場所では、簡単にぼったくりの餌食になる。また、ピラミッドや博物館の周りにはオフィシャルガイドを自称する謎の男がいて、勝手に展示物の説明を始めて金を請求してきたりする。このような詐欺まがいのぼったくりもいる。どうすれば、ぼったくられずにすむのか。

ぼったくられないための方法はたった1つ。まず、ぼったくられることだ。

ぼったくられると、その経験は負の感情とセットで記憶に残る。人は負の感情を生み出した経験からはたくさんのことを学べる。だから、何回かぼったくられれば、すぐに傾向を掴むことができる。向こうから話しかけてくる、日本語か英語を使う、やたらと友好的、目をみろといってくる、などの特徴がわかってくる。そうすれば、簡単にはだまされなくなる。安くでぼったくられる経験をたくさん積むこと、これが肝要だ。

また、何度か同じものを買うと、相場がわかるようになる。例えば、エジプトで600mLの水は6円から150円の範囲で変動する。ぼったくりと安売りの間を行き来することで、自分にとっての適正価格が掴める。いくつか重要なものに関して相場感がもてれば十分だ。

ぼったくりを回避する方法は「成功するためには失敗しなければならない」という考えに似ている。何度か失敗して、失敗につながる選択肢を消していくことで成功に至ることができる。

小さくていいから必ず身銭を切ること。物事を学ぶ上でもっとも重要な原則の1つをぼったくりから学んだ。


旅の備忘録No.12 無秩序が生みだす感覚の存在

ケニア旅行の2日目、首都ナイロビから南部のマサイマラに移動した。車で5時間越えのロングドライブだった。その途中の休憩所で、東アフリカ大地溝帯、いわゆるグレートリフトバレーを見下ろす場所に寄った。標高1800mのナイロビからマサイマラに向かう途中で標高が一気に低くなる場所に、それはあった。地理の授業でグレートリフトバレーの名前は聞いたことがあったが、どんな場所かは知らなかった。

景色をみて息を呑んだ。自分が立っているところから正面に向かって緑の山やまが下っていき、その先にはサバンナの大平原が広がっていた。ほとんど人の手が入っていない、なまの自然がそこにはあった。サバンナは地平線の果てまで続いており、終わりがどこかわからなかった。果てのない壮大な自然に対して、畏れおおさのような感覚を抱いた。

この感覚は、日本の山では感じたことのなかったものだった。不思議に思った。日本にも同じように山から平野を見下ろせる場所はたくさんあるのに、なぜ感じないのか。旅の中で何度か壮大な景色に遭遇し、そのたびにぼんやり考えていた。そして、その理由がわかった。

グレートリフトバレーには秩序がないのだ。日本の山から見下ろす平原には必ず、田んぼや畑、建物や電柱、集落など人間が管理しているものがある。そこには人間の存在が、秩序が感じられてしまう。それにより、無秩序に対する畏怖の感覚が阻害されていたのだ。これに対してグレートリフトバレーは、人間の手が入っていないなまの自然、無秩序な世界、ほんものの原野といえる場所だったのだ。

無秩序には無秩序の価値がある。秩序だけが美しいわけではない。


旅の備忘録No.13 エクストリームな環境ではなにが重要かが変化する

ケニアではサファリツアーに参加していて、移動手段はずっと車だった。車種はトヨタのランドクルーザー、いわゆるランクルで、サファリで目にした車の9割がランクルだった。ガイドによれば、10年前まで9割がイギリスのランドローバーだったのが、時が経るにつれてランクルに変わっていったらしい。街中でみかけた車も同じように日本車ばかりだった。日本から大量に中古車を輸出しているらしく、2023年の輸出台数はおよそ5.6万台だった。この状況はタンザニアや南アフリカといった他の国でも同じようだ。ヨーロッパには有名な車メーカーがたくさんあって、日本よりもアフリカに近いのに、なぜ日本車がそれほど人気なのか疑問に思った。

ケニアで4日間車に乗ってその理由がわかった。おそらく日本車は、中古にもかかわらず非常に壊れにくいのだ。ケニアで都市間を移動する際は、舗装された国道のような道を通るのだが、ところどころに巨大な穴が空いている。おそらく経年劣化や過積載のトラックの通過によって生じた欠陥なのだろう。日本であればすぐに行政が補修するのだろうが、行政システムが整っていないため、長期間放置されていると思われる。また、場所によっては完全に未舗装のじゃり道や土が剥き出しの道もある。このような道路の悪条件が揃うと、乱暴な運転をしなくても車は壊れやすくなる。そのため、壊れにくいという特徴が最も重要な要素になるのだ。

このことは一般化できる。すなわち、エクストリームな環境ではなにが重要かが変化するのだ。暑いところの服ではなによりも高い通気性が求められる。治安が悪い世界では、腕っぷしが強い男が好まれる。自国通貨の価値が低い国では、金やドルが好まれる。社会保障が皆無の世界では、将来自分の世話をしてもらうため、たくさんの子供を作れることが求められる。

異質な環境は私たちに、新しい評価軸の存在を教える。






 ※Mさん関連ブログです
2021-02-07「日常では体験できないくらい脳を使った」
2021-03-16破壊的イノベーションを生み出したい
2021-04-13本の知識やそこに出てくる情景を蓄積していきたい
2021-06-11その総量が理解の速度、質の向上につながっている
2021-06-16週末が楽しみだった

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2022-03-23「今の自分には難しいことのほうが、理解できたときの喜び、衝撃は大きい」
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2022-08-31「クリエイトのスコアで参考にすべきものは大きく2つで、」
2022-12-11「毎回のトレーニングでうんうん唸って、限界まで頭を捻っている」
2023-03-01「トレーニングそのものを目的に通うようになりつつある」

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