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クリエイト速読スクールブログ
なおしのお薦め本(60)『1976年のアントニオ猪木』
柳澤 健著
1976年にのみ行われた、アントニオ猪木の真剣勝負。この本は、その三試合を軸にしたドキュメンタリーです。礼賛本でも暴露本でもありません。
三試合の中には、モハメッド・アリとの一戦がありました。その試合に関するところから引用します。
「猪木の天才的な演出能力をもってすれば、アリと力を合わせ、プロレス史上に残る熱戦を展開することは簡単なことだった。ルスカのような素人を相手にしてさえ日本中を熱狂させた猪木である。プロレスを愛し、熟知し、やる気満々のアリが相手ならば、一体どれほどの興奮を観客に与えることができただろうか」
「だが、猪木は結局リアル・ファイトを選んだ。理由は大きく分けてみっつ考えられる。
ひとつめは自己矛盾のためであった。
『プロレスは徹頭徹尾ショーであり、エンターテインメントである。レスリングの実力があるかどうかなどショーにはまったく関係がない。最高のエンターテインメントを提供するのが最高のプロレスラーであり、プロレスラーの価値は相手レスラーの格で決まる。プロレスの最高権威であるNWA世界チャンピオンを含むアメリカのトップレスラーと戦う自分は一流、そうでない猪木は二流』というのが馬場の論理である。実際、アメリカのプロレス界における馬場と猪木の評価は天と地ほどに異なる。
馬場の論理に対し、猪木はこう反駁してきた。
『プロレスラーは強くなくてはならない。そのためにプロレスラーは日々節制を怠ってはらない。ベルトは巻く人間によって価値が決まる。猪木が巻けばベルトに価値が生まれる』
猪木の論理は馬場の論理の陰画(ネガ)である。NWAおよびアメリカという権威を持たない猪木の価値基準は自分自身にしかない。
モハメッド・アリは、NWAなどまるでお話にならない正真正銘の大権威である。本物の権威を連れてくれば、馬場の信奉するNWAなど一瞬で吹き飛ぶ。猪木がアリとの試合を熱望した理由はここにあった。
だが『モハメッド・アリという大権威とプロレスをしたから猪木は凄い』という論理は、結局のところ『NWA王者という権威とプロレスをしたから馬場は凄い』という論理と同じものであることに猪木は気づいた。
あらゆる手段を使ってでも馬場に勝ちたい。だが自分が馬場の論理の延長線上に立ってしまえば、いままで自分が言い続けてきたことが嘘になる。
猪木が馬場の論理に立脚せず、自らの論理の上に立つためには、権威にすがるのではなく、権威を倒し、自らの強さを証明しなくてはならない。つまりアリを倒す必要があるのだ」
著者は、猪木本人に訊ねて書いているわけではありません。しかしながら、じつに説得力のある推理だと思います。
最後に、この試合に対する著者の評価がわかるところを引用します。
「モハメッド・アリとアントニオ猪木の試合に凡戦という評価が下されるのは仕方がない。白熱した打撃の攻防もなく、極まりかけた関節技からやっとの思いで逃れるという緊迫感もなかったのだから。
だが、この試合がボクシングの凡戦でもプロレスの凡戦でもなく、誰も見たことのない“リアルファイトで行われた異種格闘技戦の凡戦”であったことを忘れてはならない」
アントニオ猪木に一度でも惹かれたことのある人に、この本を一読することをオススメします。 なおし
■参考記事
※もりぞう爺さんの話(上)
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