振り絞れ❗

自転車(ロード、MTB XCO)と里山登山について書いています。

ツールドおきなわ2017 レースレポート

2017年11月14日 | レース参戦


ツールドおきなわ 市民210kmレース
結果:DNF(160km関門で終わり)



寝ていないので、起床がありませんでしたが、5:00に事前に予約していた朝食セットを取りにフロントまで。朝食セットは、アミノバイタルのゼリー、小さいおにぎり2個、あんぱん、バナナ、OS-1。OS-1はまずくて飲めないので、少しガッカリ。ゼリーだけ食べて、後は冷蔵庫へ保管。
前日の食べ過ぎにより、食欲が全然なく、むしろ胃が重い。走りこんでいた時と同じことをするから、こういう事になってしまうんだろう。それでも、もうしょうがない。

ボトル1本にCCD2袋、計2本用意して、補給食はPowerbar Gel 梅味をたくさん。梅丹の粒を3セット用意。背中ポケットがパンパンになった。


前の晩に、しばたさん達にお知らせしていた予定では、6:00にホテルを出発し、自走でスタート地点まで行く予定だったが、まだ日が昇らず真っ暗だった。ライトは持っていなかったので、明るくなるまで待って、6:20にようやく走れるようになったので、出発。


ゆっくり足を回して、会場までは下り基調だったので、あまり苦労することなく走れるか、と思いきや、向かい風でして。。。
調子は分からない。寝不足もたたり、感覚があいまいで、自分の都合の良いように捉えようとするので、まぁ調子いい事にしておこうということで解決しておいた。


30分かけて会場着。すると、市民レース210kmの皆さんは既に整列しており、ちょうどスタート地点へ向かう途中で、後方にうまくスルリと入り込む事に成功。



O田さん、S田さんもスタート地点に居てくれて、合流してスタートまでおしゃべりして、リラックスして過ごすことができた。改めて、仲間に感謝。


スタート前のセレモニー。
私はぽけーっと聞いているだけでした。


しかし、トップの選手達の緊張感あふれる様子は、写真で見ても格好良い。そして、みんな細い。 (A/I:私はもっと痩せられる)




7:27 レーススタート。




210kmのコースは以下の通り。


※:以降写真はありませんよ。

私が居た集団最後方は、レーススタートから、加速→ブレーキ→加速の繰り返し。集団後方はとても危険。レースが進むにつれ、ブレーキも急になってきて、落車が頻発。減速してよけて、集団復帰などを繰り返し、無駄に足を使ってしまった。真後ろの人が止まりきれずに突っ込んできた時はさすがに終わったと思ったが、うまく避けれた。

だったら、集団前へ行けばいいじゃん、と思うかもしれませんが、その前へ上がる足がないんです。調子云々ではなく、この時点で既に230Wで走っていたので、それ以上を維持できない今の自分の力不足。市民レース210kmは、自分が考えていたほど、甘くはなかった。

ただでさえ、睡眠不足、調整失敗により足の状態は最悪に近かった。
250Wで5分は持つ事は分かっていたけれど、この日はそれが出来なかった。

これも、経験不足とトレーニング不足によるものであることは当然理解している。
うまくいかない時は、本当に噛み合わない。
ただ、それでもそこで諦めたら、沖縄まで来てくれたみんな、つくばからSNSを通じて応援してくれたみんなに、合わせる顔がないので、ダメならダメなりに、来年に向けていける所まで行ってやろうと開き直った。これも仲間の応援が無かったら、思う事はなかった。

しかし、現実は厳しいですな。20km地点の美ら海水族館前の坂道で、登りについていけなくなり、集団から離れてしまった。そして、二度と追いつく事はなかった。

でも諦めず、一人でも完走目指して走る覚悟は決めてきていたので、黙々と走った。
自分への失望を胸に、多くの費用と多くのサポートを受けながらも、この程度かという自分への劣等感を抱えつつも、とにかくゴールする事を目標に、未だ調子の戻らない足を気遣いながら走り続けた。


すると、集団から落ちてきた人たちを吸収し、一つの集団になったので、みんなでローテしながら走っていた。が、集団が大きくなるにつれ、いろいろな癖が出てきて、途中からローテに入れなくなった。不本意ではあるが、前を引かずに進むのは、心が痛むもんだ。その程度の足しかない自分も情けなく、悔しさを噛みしめながら走る事になった。


国頭村の道の駅を通過し、いよいよ与那の登りへ。以前走ったのは、10年前。どれくらい続くのぼりなのか、記憶をたどりながら走ったものの、延々と終わりの来ない登りを登っている感覚だった。次第に集団からも遅れ、一人で登ることになった。

気温も上がってきて、汗を大量に掻きはじめ、チビチビ飲んでいたボトル1本目も半分を消費。ここで、梅丹の粒1セット目を摂取。すると、足が少しすっきりしたような感覚で、走りやすくなった。これの効果は素晴らしい。でも足の調子は悪いまま。


何とか登り切ったものの、140kmをスタートした選手に大勢抜かれてしまった。
下りはもっとだめ。小雨が時折パラついており、沖縄の道は雨が降ると滑りやすいと聞いていたので、それが頭から抜けず、コーナーの度に減速してスピードに乗りきれず、ここでも多くの選手に抜かれてしまった。先日の落車のイメージも頭から抜けず、転んだら重症を負うだろうというイメージを払拭できず、ビビってしまった。


登りも下りも、いいところは全くなかった。
BORA ONEをはいているメリットは、皆無に等しかった。


普久川ダムの補給エリアで水のボトルを取って、水を摂取。かけ水としても使用。ボトル1本目が残っていたので、そのまま補給したボトルは捨てたが、これが失敗。自分の記憶では、この後の北部のコースは、平坦中心 というイメージだったので、ボトルの入れ替えは不要と考えていた。

10年前の記憶では、、北部コースは登りという部類には入らず、あの頃は八郷のフルーツラインのアップダウン= 平坦と思うようにしていた影響で、そのイメージのまま覚えてしまっていたのかもしれない。


今の自分にとって、北部のコースは 山 でした。
延々とアップダウンが続いて、完全に足は売り切れてしまい、登りはもうアウターを使う事が出来なくなっていた。登りで130Wしか出ない軟弱ぶり。それでも、完走する事を考えて走りました。
延々と続くアップダウン。登りはまったくだめだった。踏ん張れない。足が重くて仕方なく、どんなに補給をとっても、芯に残った重さは取りきれなかった。


そして長い長いアップダウンの北部コースを終え、2回目の与那の登りへ。
インナー固定。ヒーコラヒーコラ。
この苦しみはいつまで続けるのかと、弱気の虫と戦いつつ、もう一方では、仲間の応援を思い出し、踏ん張ろうと盛り返した。途中でボトル2本ともに空になった。
セミもなきはじめ、気温も上がった登りは、本当にきつかった。
深く呼吸しないと、景色が歪んで危ないと感じていた時、奇跡的に雨が降り始め、体温を下げてくれた影響で、何とか走り続けられた。


2回目の登りでは、道路脇で収容車を待つ選手を多く見かけるようになった。
でも、自分はあきらめないと、しっかり前を向いて走り続けた。インナーローでしたが。。。
2回目の普久川ダムの補給でボトルを補給して、生き返った。

そして、下りを快調に下り、これから平坦だけかな?と思ったら、そーでもねぇ。
ここもアップダウンかい!と。

いったいいつになったら登りから解放されるのか、そんな事を考えていた。
順調に走っていたつもりが、パトカーが交通規制解除を知らせるアナウンスを流し、横を通過していった時点で、自分のレースが終わった事を悟った。

しかし、いつまで経っても関門が見えてこない。
いったいどこがゴールなのか、と思う、横にいた選手に「どこがゴールが分かりますか?」と聞いたら、「Sorry!」と帰ってきた。
よく見たら、異国の方でした。

英語で、「どこがゴールだと思う?」と聞いたはずなのに、違う答えが返ってきて「俺のカテゴリは50kmだよ。君はナショナルチームかい?」と聞かれ、いつものくせで、軍隊由来の無線用語の英語を使ったところ、相手がびくっとなった後は、変に警戒されてしまった。某国の軍の関係者だったんだろう。私は怪しいアジア人として認識されてしまった。要注意 職業病。


そこから、まぁいっかと思い、ゴールが分からなければ、ひたすら突っ切ろうと、ボトルに残っていた水を飲み干し、残っていたPowerbargel2本を一気飲みし、梅丹つぶの最後の1セットを取った後、急に元気になって、かっ飛ばした。
平坦で230W、登りでも230W

何だよ!今更出やがって!!!

気持ちの問題か、補給の問題なのか。
たぶん、前者。

もう出し惜しみすることなく、全力を尽くすと開き直ったら、それまで抱えていた重さが吹っ切れ、すべてが解決したところで、目の前に関門が現れ、レースが終わってしまった。






全てにおいて、失敗の連続でした。
でも、この失敗を糧に、対策を練って、次に繋げます。

終始、苦しかったけれども、パトカーがレースは終わりましたとアナウンスしていても、足きりの私が通った際に、応援してくれる沖縄の方々の応援は、心に響き温かさを感じました。

ちょうど、基地の新設の問題を抱えている場所なのに、とびっきりの笑顔で応援してくれる人、大声でがんばれー!と言ってくれる子供たち。

まったく走れなかった私にはもったいないくらいの有難い声援に、レースだけでなく、生きる力ももらったような気がします。

また、来年も懲りずに挑戦します。
挑戦する事に、この活動の意味があります。でも、負けたくない気持ちもあります。

今回強く感じた劣等感を、来年も繰り返さないためにも、練習あるのみです。
這い上がります。必ず。


ツールドおきなわ 2017  珍道中 - レース以外 -

2017年11月14日 | 旅行
[移動・エントリー編]
<前提>バイクは11/9(火)に空港宅配サービスを利用して、羽田空港へ配送済。

2017/11/11(土)

4:30起床。目覚まし設定時刻前に自然と目が覚めた。

9:15羽田発の飛行機であったが、羽田空港国際ターミナルへ自転車を取りに行く必要があり、早めに家を出ようと考えていた。
羽田空港へ電車で行く機会があまりなく、かつ10年ぶりの沖縄のため、早め早めの行動を心がけた。
常磐線、東海道線、京急と乗り継いで7:30に羽田空港国際ターミナルへ到着。宅配サービスの受け取り窓口を探すのに少し苦労してしまい、ターミナル内を彷徨った以外は、スムーズに進み、ほぼほぼ無傷で自転車を受け取ることができた。

赤色のオーストリッチ OS-500でパッキングした自転車を持って、どうやって国内線ターミナルへ移動しようか悩んでいた所、タクシーを使ってみようと思い立ち、乗り場の看板を探していたら、なんと国内線ターミナル行きの無料バスがあることが分かり、それを利用。バイクを置くスペースもあり、問題なく国内線ターミナルへ移動。8:15くらいに到着。

そこからANAのカウンターで自転車を預けようとしたら、指定の手荷物預かり所で預ける必要があり、ターミナルの端から端まで自転車もって歩くことになり、かなり疲れた。
(テンパっていて、カートの存在を忘れていたのは×)

自転車の手続きは、時間が掛かることを想定していたが、かなりスムーズに進んだ。10分も掛からなかった。ANAの手際の良さに感心しました。
そして同行して頂けるスポンサーである、株式会社 エジソンのT社長、O田さん、あべちゃんとの集合時間に間に合い、会話を楽しみながら、過ごしていたところ、なんと修学旅行の高校生も同じ飛行機だという事が判明し、とても心配しましたが、とても行儀のよい高校生達で、とても穏やかなフライトとなりました。そういえば、出発ゲート横の売店で買った、おにぎりセットを食べるのを忘れ、カバンの中にしまったままにしてしまい、翌日のレース後に食べたときは、ご飯が固かったけれども、うまかった。

12:30 那覇空港に到着。
飛行機到着後、手荷物受取では、専用の受け渡し場所に待機し、20分くらい待った後、無事自転車をピックアップ。

しかし、この日は風が強かったこともあり、離着陸の際に結構揺れた事もあり、OS-500は少しくたびれて戻ってきました。
フロントのチェーンリングとの接触部分は、私が実施した梱包が甘く、OS-500に歯型が残ってしまう事態になってしまった。要改善点。


レンタカーピックアップ後、那覇から名護へ向かい、許田の道の駅へ。
10年振りに訪れたけれども、ずいぶん綺麗に整備されていてその変化にびっくり。
黄色建物の飯屋で、14:30くらいに遅めの昼食。
ここで、ソーキソバとフーチャンプル定食を食べた。(これが後に失敗の原因の一つになる)

その後、受付会場へ向かい、エントリー後、自転車組み立て。開梱しリアディレイラーを取り付けた後、チェーンが絡まってわけわからなくなってしまった。
一緒にいたスタッフのみなさんの協力の元、何とかできて、急いで試走へ。

走り始めて、少しずつ負荷を上げていって、向かい風の中、海岸線を230Wで走っているのに、モーレツにきつくて。呼吸、足ともに非常につらい。しばらくすると慣れると思っていたが、そうでもない。10分-20分と走った後、撮影スタッフに、ギアをローからハイに段々と上げてくださいというリクエストにこたえるべく、対応していたら、いきなりすごい音と共に、エンドが折れた。そして練習終了。走るのが、とにかく辛くて、練習終わってホッとしている自分がいた事に、既にこの時点でDNFは確定だったのかもしれない。気持ちで負けていた。


すぐにハイエースに自転車を積んで、受付会場へ行き、沖縄在住のトライアスリートのスタッフさん行きつけの、沖縄輪業さんのブースへ行き、エンドをゲット。横のGIANTブースで、修理を依頼した。
エンドの取り付け後、リアディレイラーを付けたが、その調整に随分と時間が掛かったみたい。何名かのメカニックが来て、小声で会話しながら整備をしてくれた。


結果的に、レースに走れる状況にしてもらったものの、ディレイラーの修理あるいは交換を推奨された。これまた、痛い出費です。

日が落ち始め、スタッフのみなさんに滞在先のホテルまで送って頂き、やっとチェックインして、のんびりする時間がやってきた。時間は18時過ぎくらいだったかな。
部屋が豪華で広くて、凄まじかった。プライベートではとてもではないが、利用する事がないだろうという豪華さ、そして広さ。とても広い空間に、自分と自転車だけ。ありがたや or もったいないでござる or なんまんだぶ 。





いつかのツールドおきなわ参戦の折。誰と相部屋になるかで、チーム内で争った事を思い出していた。超が付くほど静かに寝る いくま青年の取り合いだった。結局、いくま青年はチームの絶対的エースの元へと旅立っていき、私はさかもっちゃんと 寝ながらイビキの大合唱。良い思い出です。

☆☆☆

その後、沖縄まで応援に来てくれた、O田さん、S田さんと合流し、みんなで仲良く楽しい晩飯へ。22時くらいに解散して、23時には就寝。

が、緊張でほとんど寝れず。
そして、部屋の照明を完全に消すことができず、試走の時の調子の悪さも頭から離れず、変に緊張してしまい、結局 寝れた という感覚のないまま、朝を迎えた。

---レースレポートへつづく---