父親の英姿 撮影時期は不明 明治後期でしょう
カッコいい!金沢の騎兵連隊に所属し、20代前半の青年の頃は騎兵でした。
”騎兵第9連隊 衛戊地は金沢 軍旗親授は1906年(明治32年)~軍旗奉還1940年(昭和15年)所属師団は第9師団に属した”とあります。
この話はいつも聞かされました。あるとき高貴な方が訪問され、障害飛越をお見せすることになり、上官から指名され名誉ある模範障害飛越の騎手をやったそうです。
どじな話は騎兵の時、馬のヒズメで手を踏まれ、確か右手の中指の第1関節から失って、傷痍軍人でした。軍人恩給は貰っていませんでした。傷痍軍人徽章は保存してありました。
生まれは1887年(明治20年)2月 没年は1963年(昭和38年)6月 77歳没 写真左側
今年が丁度満50回忌でした。77歳は私の今の年齢です。
父は復員して本家の跡継ぎだったのが、事情で分家し新家庭を持ち嫁を迎えます。当時は結核が死の病で先妻2人に死別、後妻に初婚の母を迎えます。
母は17歳違いの後妻なんてと、祖母の嫁ぎ先へ逃げ、折から村の祭礼でお宮の拝殿の柱にしがみ付いて抵抗したといつも聞かされました。
父と母の実兄が仲が良く勝手に兄が決めてしまったとか。昔の話といってもひどい話です。
父は貧乏百姓のかたわら伐採夫(きこり、そま)として生計を支え、山や田畑を買い僅かづつ財産を増やして行きました。堅物で頑固、まじめな働き者、学問好き、昔の尋常小学校高等科(6年生)を卒業したのが自慢でした。母は尋常小学校普通科 (4年生)だったようです。
年齢差は17歳当然合わなくて、若い頃夫婦仲はすんなりしていませんでした。
可愛い!母17歳の写真です。「左側のブスの方」といつも娘の私の姉がからかいます。右の方の名も姉は知っています。
こんな古い写真が、母の寝室の箪笥の一番下の小さな引き出しに、古文書や写真、子供の通知表や表彰状などと一緒に保管してありました。
明日は母の日です。どれもいい写真だと私は思います。亡父50回忌、亡母一周忌を縁に、変なものを馬鹿息子が世間様に晒してと、遠いところから叱っているでしょう。