たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

闘病生活その2

2013年05月18日 | 日記

術後5年8ヶ月経過した膀胱がん定期検診に行って来ました。診察室前の待合廊下で待つ間、館内放送で何かの催しを放送していました。帰りにエントランスホールで老年男性と中年女性がハーモニカ演奏していました。
このような催事はよく行われています。皆ボランティアです。この玄関ホールにはグランドピアノも置かれていて、入院患者等が30人ほど椅子に腰掛け聞いていました。そばの総合受付の女性係に撮影の許可をもらいショットしまた。
曲目は懐かしのメロディを中心に上手な演奏です。

がん検診の機会に久し振りに、ニュートリノ研究者でノーベル賞候補だった、戸塚洋二先生のブログを少し訪問しました。
 先生のブログは、はじめA Few More Monthsでしたが病状の悪化で、The Fourth Three-Months に途中改題されたたとあります。先生のブログは00.11月直腸がん手術、07.08月から08.08月までの亡くなられる1年間のブログです。マスコミにも取り上げられ、立花隆氏がフォローされ大変話題になりました。

ニュートリノ研究基地 飛騨市神岡町茂住の奥飛騨の生活拠点は先生が20年も過ごされた飛越街道の寂れた過疎の僻地です。
私の在所の甥の妻がここで生まれ育ちました。この嫁っ子の父母も転居先の高山市と、茂住を行ったり来たりしてお婆ちゃんが亡くなるまで、茂住は10年ほど前まで生活拠点でした。
この親戚と先生とは近所付き合いだった関係にあります。このブログ記事に出てくる金龍寺でお婆ちゃんの葬式を出されお参りしたこともあり、過日の法事でもこの夫妻にお会いしました。娘2人がいて姉は静岡の医師と結婚していて、連休中夫婦とも帰省しているとのことでした。

戸塚先生は私と同じ大腸がんが体の方々に転移し、最後の気力でこの貴重なブログを公表され、世の患者達に勇気を与えられました。先生のがんはアルコール・お酒が原因だったとか、手術直後はお漏らとか大変だったとか、病状の進行具合を病院から写真を貰って来て、画像をゲージで計り数値化するなど、科学者らしくがんと向き合われました。敬服します。
もし私に再発・転移が告げられたら、抗がん剤治療は申し訳程度の軽い副作用のものにし、重厚治療は望まないでしょう。
私は後遺症で便の滞留障害で毎日つらい思いです。