な~んにもない

もう、わけわからんわ。

あらし

2020-03-16 18:37:06 | 日記

今日は春の嵐が日本全国を吹き荒れた。

冬に逆戻りした風景となった地域もあったと聞く。

厳しい寒さは急激な受注減となって、こちらへも波及してきている。




吹き荒れる武漢ウィルスは、ヨーロッパへ本格的な飛び火。

あらゆる人に可能性がある見えない感染者は、いつから生まれたのかさえ、知る術もない。

それをいいことに、他国へ責任を擦り付けようとする国がある。




大陸では
「火事場泥棒」的に土地を奪うことも、「盗人猛々し」く正義を説くことも、
「無理が通れば道理引っ込む」と歴史から学んでいる様子。

「船頭多くして船山にのぼる」わが国では、
民主主義の主たちには、不安と不満を噂に嵐を呼んでいる人もいる。

買占め行動に走ったり、
感染者を一括りに危険人物扱いにしてみたりと、
冷静で責任ある解決に向けた行動へは、まだ日数がかかるようだ。

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洗濯日和

2020-03-15 12:00:33 | 日記


暑さ寒さも彼岸まで。

太陰暦での事なのか、太陽暦でも当てはまるのかはわからない。

そんな事はともかく、
そろそろ枝打ちを終えて、
繰り返す草刈りの段取りを考える季節になってきた。




メジロやウグイスの声が、心地好く繰り返し響く。

今日は風が強いので、直ぐにかき消されてしまう。

浴室のブラインドをあげて窓を開け放つと、
湯煙の微細な粒子が光の森でうごめいている。





まだ急ぎ草刈りをせねばならない段階ではないが、
毎週通えるかは不透明。

天気予報では、ここ数日また寒の戻りがあるらしい。

お構いなしに、小さな草木はあちこちで我が営みに勤しんでいる。





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心の風通しは湿りがち

2020-03-14 14:45:23 | 日記

昨日とは打って変わって冷たい雨の朝を迎えた。

今日は売り上げにつながらない雑務を中心とした仕事の予定だったので、
小雨になるのを待って家を出ることにした。

何もしない手持無沙汰な時間を味わうのは、ちょっとした喜びでもあった。




朝からゆっくりとテレビを見ながら朝食を取るのも久しぶり。

大阪府が、感染拡大防止策を講じながら、21日から公式イベントを通常通り行うと発表。

驚いたことに、そうテレビが言っていた。

ようやく、リスクに対して単に保険を掛けるだけとか、誰かやどこかへ擦り付けたり、戦うのだと言って壁をあちこちに作るのではなく

ちゃんと正面から向きあう、しかるべき社会的地位の方が現れたと少しだけ安堵した。





ここ数日、世界的な拡散が報じられているが、医療体制・文化習慣・気候風土の違いも考慮して、

日本版武漢ウィルス処理方法が実現することと期待したい。

結果的に、良い結果が生まれなかったとしても、私は姿勢として間違っていないと考えるひとりだ。





思っていたように雨は上がってはくれなかったので、仕方なく傘をさして通勤することにした。

膨らみかけた桜の枝を眺め、再びの冷え込みにわが身を重ねて咲く花に思いを馳せていたら、

「そういや桜の木から毛虫がいなくなったなぁ、いつの頃からだろう」なんて思えてきた。




通勤路から見える風景はと言えば、自然土からは隔絶され、完全に空調管理された現代風快適空間。
それが駅を中心に広がっている。

虫類やネズミ等の飼われていない小さな生物を極度に嫌う、我が妻に我が子の姿が思い浮かんだ。

今回の騒動が収まったときに、除菌・抗菌運動はどうなっていることだろう。





体内で新たな抗体を作るときに、それに耐えきれうる抵抗力をつける必要性が叫ばれるなら、

それはきっと新薬や新たなサプリメント発売のタイミングであり、

人と自然との痛みを伴うガチンコ的調和の中で人体内で育まれてきた、

様々な微生物や菌類との共生を見直す時ではないんだろうな。


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春、なんだよなぁ

2020-03-13 11:23:48 | 日記

うららかな春の日差し。

桜の木も蕾が膨らんできている。

部活動の掛け声は響く。




学生の頃はこの季節になると、
見晴らしの利く山へ、度々ひとり山に出掛けた。

少し強い春の風を浴びれば、
風呂では落とせない汚れも落ちそうな気がして。

今はどんな景色になっているのだろう。




放送局からは、今日も派手に煙が上がっている。

その勢いが増すに連れて、釜戸の煙は少なくなり燻って行く。

誰もが武漢ウィルスの被害者数えに関心を寄せているけれど、
何を根拠に私はまだ大丈夫と信じて疑わないのだろう。








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都会風村社会で生きる

2020-03-12 07:14:00 | 日記

努力という一言では片付けられない
球児達の夢も奪われた。

コーチ、監督はかつての玉音放送よろしく
耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶよう説くより他ない。

夢や生き甲斐を奪ってまで、守らねばならないものってなんだろうか。

歴史から学んだ筈が、どうしても歴史をなぞることになってしまう。
最早、悲しき業と言うより他ない。





病気と戦い続けても、事故や事件を除けば、
結局、最後はみんな病で死ぬ。

武漢ウィルスに対する対応策は、
かつての鬼畜米英式が本当に正しいのだろうか。

時にはワンチームもいいが、
万能薬ではない事だって経験済みな筈。




通常通りの営みを強行と呼ぶマスコミ。

それは、御達しに逆らうあるまじき行為と見るお上視線であり
決して庶民視線ではない事を理解して使っているのだろうか。

夢を語り、将来にかける生き方は、
これまでも、
これからも推奨されるであろう。

今を生け贄として差し出す言い訳として。






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