な~んにもない

もう、わけわからんわ。

マスク信仰

2020-03-11 07:48:05 | 日記


一雨が通り過ぎ、春めいた朝を迎えた。

ラジオ体操をしているご年配方も、いつもより少し切れがいい様に見えた。

駅に近づくにつれてマスクをしている人は増えてくる。



テレビやラジオでもようやく、一部ではあるけれど踏み込んだ発言がなされるようになってきた。

マスクは、予防にはどちらかと言えば意味がないと。

生産拠点の中国は大混乱中な上、花粉症の季節ということも相まって

医療現場を始め、本当に必要なひとのところにマスクが今なお不足状態。




電車に乗ると相変わらずマスクは多数派。

転売が問題になり、法律まで作らなきゃならなくなった。

なのになぜ多くの人は、マスク信仰を続けるのか、あるいはその形を取り続けるのかな。

「マスクくらいしろ!」そんな目をする人もいるよな。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見えない爆弾

2020-03-10 08:55:05 | 日記

早朝から雨の今日は、かつて東京大空襲が行われた日。

米国から見れば戦略爆撃であり、日本から見れば無差別殺人が行われた日だ。

大小合わせると100回以上の空爆が東京で行われた。




頻発する空襲を経てもなお、
時の日本政府は「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」
と言い続けたという。
この方針は、
一挙に大規模となった東京大空襲の被害を目の当たりにしても変更されなかった。

また、家族と自宅を失って泣き崩れる国民に対し、
「空襲に耐えろ」「一時の不幸に屈するな」との呼びかけを繰り返した。
どうやって耐えればよいのかは示されなかった。




今やAIにより売買が進められるマーケットも反応した。
昨日NY市場では株価が大暴落。
今日の東京市場も右へ倣えとなるだろう。

濃厚なだけでまだパンデミックではない、
まだ抑え込み可能だとWHOは言っている。

無観客でも行う興行には頭が下がる。
放映権収入があるからできるんだとの声もあるが、
少しでも早く活気を取り戻そうとの気概を感じる。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たくましいなぁ

2020-03-09 07:29:08 | 日記

「おはようございます。」
「おはよう。」

「しばらくお見掛けしませんでしたけど、どこか行ってらしたんですか?」
「入院。入院よ。」

「えっ!」
「情けないなぁ。B型インフルエンザ。」

「大変だったでしょ。」
「あ~。苦しんだなぁ。死ぬかと思った。
家族には迷惑かけるけど、同じ死ぬなら流行のコロナでないと死ぬに死ねんわ、なんて思ってな。」

「え~?」
「ほんだら治ってたわ。(笑)
だって今インフルエンザで死んだって右から左へ流されて終わりやろ?
コロナなら悔やみの言葉も一つ二つ増えるし、度々思い出してもらえるやん。
それに『あの時のニュースの〇人の一人はワシや』とあの世からも少し誇らしげに眺められる気もするしな。」
(笑)

「恐れ入りました。お気をつけて。」
「ほな。また。」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信仰心の篤い無宗教

2020-03-08 10:44:01 | 日記

今日も出勤。

早朝、ペットと一緒にウォーキングしている人達が公園に集まっている。

知り合いと出会い、ペットを抱いて立ち話。

それを見て

「ペットは大丈夫なんかなぁ」

「広い空間だからいいんかな。ん?塀の向こうの人たちはどうなんだろう・・・」





公共の電波を使ったテレビやラジオの多くからは

許認可を得ているお国への忖度なのか、

スポンサー側からの要請なのか、

悪い側に偏りすぎた情報の津波がおさまらない。





深刻な顔つきで相変わらず「こう言っておけば大丈夫」的なことばかり。

一色に染まりつつある報道の在り方を憂うよりも

好感度に敏感な人を集めて不安を煽ってでも、

視聴率や聴視率を憂う人が多いんだと感じる。





直ぐに血を流すことのない安全地帯にいる人からも、

血の通わない嫉妬的批判や親切心の仮面を被った不安の矢は撃たれ続ける。

それに飽き足らず、

報道の鵜呑みに従わない、自己判断で行動する人たちへの魔女狩りも、

ちらほら出始めている。





戦争へ人を送り込んでしまい、震災で被爆差別を生んでしまい、残ったものが

人間の尊厳よりも、命の大切さを説く時代なんだということだろうか。

予防策を取るのは当然だと思う。

本当にここまで大騒ぎするほどの事なのか、という感じがぬぐい切れない。




いのちは大切。

しかし生まれたばかりの赤ん坊のように

命そのものは無垢で無防備で無知なもの。

いのちや人権に対する信仰心の篤さと、一信教の信仰心の篤さが被る

今日この頃。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2020-03-07 09:01:28 | 日記


さかのぼること敗戦間近。
未来は言葉だけのもので、
一瞬一瞬だけが全てだったと言う話は、たびたび聞いたことがある。

私も子供だった昭和50年前後、
命をかけた覚悟に裏打ちされた威厳と、
ただ徒に意味なく威張るのを履き違えた人がまだたくさんいたけれど、
昔話の時は皆いい顔をしていたように思う。

先進国と呼ばれる国々の人達に追い付け追い越せで
我武者羅に生き抜いた話を聞く度に感じた輝きに、
春の香りを感じていたのかもしれない。




今や2020年も3月に入った。

蕾膨らむ弥生。

草木芽吹くこの季節は、
天然の生命力を前に、しばし損得や目的や意味から解放される。

時を忘れ、我を忘れ、いのちそのものに触れている気さえするひととき。





どっからかやって来て、
この国に生まれ落ち、
ご縁に育ててもらってここまで来た。

未来は未来の方で
私なんかに関係無く
これからも動いていく。

明日を信じられないなら、
「もう駄目かもしれない!」
「恐い!怖い!」と、大声あげて
「窮鼠、猫を噛む」精神を刃として
一寸先に立ち向かえ。

危なくなれば、
直ぐに逃げ出す連中には与するな。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする